理系とーくラボラジオ部 『とくおのおと』
みなさん、こんにちは。理系とーくラボラジオ部 『とくおのおと』、通称『とくおと』をお届けします。
パーソナリティは、身近で危険なリチウム発火、こわいこわい、のまさきと
金の精錬法である、灰吹法を知ってから、実際にやる機会がないか、ずっと伺っている、陽乃絵ひえと
高校の化学の授業で、金属ナトリウムの自然発火を見せてもらって、すごく感動した
かりうむです。よろしくお願いします。
このラジオは、オンラインコミュニティ理系とーくラボに所属する研究員たちが、ワクワクするような化学トピックや、科学を楽しんでいる人のお話をお届けする番組です。
ということで、最近は身近に至るところにリチウムイオンバッテリーがあって、
あいつ、外気に触れると気軽に発火してくれるんで、常にこわいなぁと思ってるんですけど。
外気に触れること自体は、あんまし、通常はないけどね。
あ、そうそうそうそう。
ただ、外気に触れると大変なことになる。
それに近いのが、金属ナトリウムの自然発火だと思うんですけど。
あいつ、灯油か何かに入れて保管してるんですよ。
そうですよね。
で、ちょびっとだけ容器から取り出して、ナイフみたいなものでサクッと切れて、
ほっとくと空気中の水分吸着して、ボッていうのを見せてもらったような記憶があるなっていう。
いいっすね。
科学に対する興味をそそられますよね。
金属、灰吹き法ってどんなんですか?
確か鉛を使うやつだよね、あれ。
そうですね。灰の上で鉛と金を熱して混ぜて合金にするんですよ、溶けた。
で、そうすると次第に鉛が酸化鉛になって灰に、灰の中に落ちていくんですね。
表面張力が高いらしくて、鉛と金は。
なんで、灰の上に置くんですけど、酸化鉛となった瞬間に、
表面張力が10分の1以下になって、灰の隙間にスルスルスルって落ちてっちゃうんで、
最後には金が残るっていう、純度の高いっていう静電法で。
これ、本読んでたら出てきて、これ見てみたい、やりたいってずっと伺ってるんですけど、
鉛を熱するんで、いろんな意味で危ないっていうことで、どうしたものかっていう。
なかなか専門のところじゃないと難しいかも。
できないですね。
灰吹き法って、日本では多分戦国時代の金山とかの開発の時に使われるようになったっていうのを、日本史家なんかで読んだんだけど、
実は歴史自体は割と古いらしくて、
っていう話のようですよ。
この続きは本編の方で。
普通的には、鉄の精錬の反射炉でした。
作ってみたいけど、そうはいかんやろうというので、かなり規模がでかくなっちゃう。
反射炉はね、テレビでやってましたね。
「鉄腕なにがし」なのか。
反射の形、反射がしっかり効くためには、中がきれいに滑らかな状態にならないといけないんだけど、
素人ではなかなかそれが難しくて、テレビのやつはそこまでの力が出せないって話でしたね。
やってみたいですね。
というところで、今回のところもぜひ最後までお楽しみください。
今回私かりうむが話題を提供します。
お題は奈良の大仏と古代の金属加工技術ということです。
奈良の大仏、もちろん皆さんご存知の東大の大仏ですけれども、建築された当時、奈良時代ですね、全身金ピカだったらしいんですよ。
今全然そんなことないんですけど。
なんでかっていうと、あれ2回焼き打ちされているっていう。
1回目が平清盛の時代ですね。
2回目が戦国時代の三好長慶のあたりでしたね。
その2回があったもんで、今建築当時の大仏っていうのが一部だけ残ってて、それは腰より下の部分だそうです。
上の部分は作り直してます。そのために。
金ピカだったはずなんですが、今その金の部分って多分その腰より下の部分には多少残っているかもしれませんが、見えませんね。
奈良時代に金を塗っているどうやってというところが気になりまして、ちょっと調べてみたところ、金はその当時水銀を使って金アマルガムっていうものを作って、それでメッキをしたというふうに言われています。
ちょっといろいろ出てきましたね。水銀とかアマルガムとかメッキとか、ちょっとその辺をもう少し深掘りしてみましょうということで、水銀ですよ。
日本は金山があったことは大体ご存知かと思うんですけれども、東北の平泉とか佐渡銀山とか、色々金はあるんですが水銀も取れてた。
水銀どこで取ってたんだろう、そんなにたくさん取れたんかなというところなんですけれども、実は水銀の鉱山っていうのが奈良県と和歌山県と三重県にありまして、水銀そのものじゃないんですけど、
水銀の鉱物で、十二支の辰の漢字で辰、砂で辰砂って読むんですけど、この鉱物が取れる鉱山っていうのがこの三つの県にありまして、奈良県の中にもあるから割と手に入りやすかったという。
これ中央構造線っていうのがこの地域に通っていて、それの関係で辰砂が取れる鉱山があったんじゃないかというふうに考えられています。
実はですね、租・庸・調っていうのが奈良時代に税の3種類の税としてあるんですけれども、そのうちの調が特産品でして、辰砂が朝廷に調として納められてたという記録もあるそうです。
ではその辰砂とは何かと。辰砂とは硫化水銀、化学式で言うとHgS、非常に単純な構造をしているんですけれども、これ赤い鉱物、石でしてね、常温では安定的なんです。
特に何も取ったやつそのままで鉱物として安定的でして、岩絵具の材料に使われてたり、朱肉に使われてたり、あと煮っていうのは丹後国の丹っていう漢字、あれをそのままでも「に」って読むんですけれども丹の材料の一つっていうふうに使われてたものです。
赤い色なんで、割とそういう赤を使った材料として使われてたようですね。
さてその辰砂から水銀を取り出して、その水銀を何か他のものに使うということなんですが、水銀をどうやって精錬しようかと。
すごく簡単でして、この辰砂という鉱石を細かく砕いて、加熱すると水銀が分離して、水銀がそのまま手に入るという。
今のような科学とかあまり分かってなくても、今ほど設備がちゃんと整ってなくても水銀を手に入る方法は割と簡単にできたという。
しかもこれ、合金を作るにとても便利な物質なんですね、水銀って。
金アマルガムの話なんですけれども、水銀、この液体のようにゆるゆる動く、でも金属というこの水銀ですね。
金を含んでいる鉱石を砕いて混ぜたりすると、その鉱石から金だけ分離して水銀と混ざって合金になる。
加熱することによって水銀は蒸発して金が残る。
この方法を使うとメッキができるという話なんです。
紀元前700年頃にはもう良い東ヨーロッパで使われていたという記録もあるし、紀元前300年ぐらいには古代の中国でやっぱり金アマルガムの技術があったという記録もあり、
日本には来たのはだいたい古墳時代だというふうに考えられていますね。
古墳時代というと、古墳時代から飛鳥時代というと仏教が入ってきた時代なんで、その時とその仏教と一緒に金アマルガムの方法が伝えられていたと。
なので仏教の道具なんか、仏具とか小さな仏像とかだったらそれでメッキができていたようです。
ちなみに灰吹き法もその頃にはあったんじゃないかという話もあるようなんですけれども、それよりもこっちの方が手軽だったんだろうな、やっぱり。
加熱するだけで済むので、結構簡単ですね。
そう、とにかく加熱してやればいいという。
そうですね、表面に金属、金を塗るという意味でいうと、後加工も含めてこっちの方が楽だったんでしょうね。
固体の金だけ渡されてもみたいな。
実際今、金の中を貼り付けようとしたら、金箔をまず作ってそれを丁寧になすり付けて引っ付けるという、そういうイメージですもんね。
まずそこに持っていくのが大変。
金アマルガムだったら液体状のものだからそこにドボンとつけて引っ張り出して加熱して火で炙ったら出来上がりという意味では、とてもお手軽。
ただし水銀蒸気になるとすごい体に悪いんですけどね。
では大仏にメッキンでメッキをしましょうという話になってくるんですけども、
まず大仏ってこれ何で出来ているかというと銅ですね。
銅を溶かして型にはめて、その型を外すと銅の大仏が出来上がります。
簡単に言うとそうなんですけど、実際大仏ってめちゃくちゃでかいので、下から順々にやっていたということのようです。
今回はそこの部分を外しておいて、その銅の表面が出来た大仏に実際に金を塗っていきましょうという話です。
金アマルガムをまず作ります。
それを塗ります。
火で炙ってやれば金が付くので、これでメッキ出来まして金ピカのやつが出来上がりです。
簡単に言うとそうなんですけども、大仏はでかいので、金をどのくらい使ったのか。
110kgと言われています。
日本のどこかからあちこち引っ張り、いろんなところから掘り出して110kgの金を使ったんですよね。
すごいですね奈良時代、今から1000年以上前に。
しかも金に精錬された状態の金じゃなくて、掘り出された石の状態のまま持ってきて、土地で金アマルガムを作っているので。
110kgどころじゃないですよね。
それより2桁くらい大きいんじゃないですかね。
石の中にどんだけ金が入っているのって話になるから、概有率を考えたら110kgでは済まないわけで、あくまでも材料としてはね。
もっとすごい話ですね。
アマルガムを作る上では水銀が必要なんで、どのくらい水銀が必要でしたかというと、
これは金に対して水銀がだいたい5倍くらいあると、塗ってメッキするという作業がしやすいそうです。
ゆるさから考えて。
そうなると水銀は金の5倍となるとだいたい550、60kg。
これあくまでも塗った量としては、そのぐらいは少なくとも必要。
実際には何かしらの容器に入れて、そこにアマルガムを注ぎ込んでそっちを塗っていくので、
容器の中にどうしても多少の余分を入れとかないとその作業ができないので、
あくまでも最低限金が110kg、水銀は560kg必要。
ちなみにこれどういうふうに計算したかというとですね、
当時の大仏の下にあるレンゲ座という蓮の花びらのような形をした座る部分ですね。
あれと表面積を計算した上で、その表面積にメッキの厚さ5ミクロ塗ったとしたらこのぐらいは必要でしょうという数字だそうです。
それで塗っていって塗った後に、つるつるになるとも限らないので表面を磨く必要があったりします。
これを大仏全体にやると大体作業は5年から6年かかったと言われています。
塗るだけですよ、メッキするだけで5年かかった。
メッキの作業が終わる前に大仏の開眼供養をやらないといけないというスケジュールをされていたらしくて、作業中は大仏殿ができていたそうです。
そうするとオープンエアじゃないんですよね、建物ができている状態なので。
その中で水銀を炙って飛ばしてメッキする作業をしたら、作業場には蒸気になった水銀がじゅう回していたのではないかということが考えられています。
それによって作業者はだいぶ水銀中毒が出たのではないかと推定されますが、詳しい記録は一切ありません。
今ほど作業の安全な観点はないですからね、奈良時代とかになると。
これについてはいろいろネットを調べると出たりするんですけど、私が今回参考にさせてもらったのは熊本大学の文書館というところで、
熊本といえば水銀というと南又病ですよ。南又病関係で水銀についての健康状態とかそういうのを研究しているプロジェクトがあるそうで、
その中に寄稿されている論文、石原信夫さんという方が書かれている論文、2020年のやつなんですけども、それをちょっと参考させてもらっています。
ちなみにどういう方かというについては後でリンクを載せておきますので、そちらを参考にしてください。
一通り読んでみたんですけども、それを読んだだけで紹介するだけではちょっとあれなので、ツッコミたいところがあるなと思ったんですけれどもね。
水銀の蒸発って350℃なんですよ、本題は。
表面を炙って飛ばすとしても、そうすると100℃以上は作れるのではないかと。
例えば炭とか裸火の炎とかでもいいんですけど、それをアマルガムを塗った上にかざして炙る。
そうすると100℃ぐらいにはなるんだろうけれども、1日に塗り塗りする面積ってだいたい0.6平方メートル程度だったのではないかと。
これはただ単に5年間365日やるとしたら、1日でできた量というのは多分0.6平米ぐらいじゃないのかという、あくまでもそういう計算なんですけどね。
表面積が分かってて、日数で割るとこのぐらいっていう話ですね。
そういうことなんですけども、これ塗りながら隣で100℃で炙るっていうのは割と作業って危険じゃないのかなと思ってて。
普通に考えると、塗って何日か置いてちょっと離れたところから炙る作業をしていくっていう風に、
間を置いて追っかけすれば作業者が危険っていうのは多少減らせるんじゃないかなって気はするんですけども。
それだと危険だから裏側からやったんじゃないかって説もあるらしくて。
銅を塗ってアマルガムを塗る、炙るっていうのは3段階になっていくんですけど、これ銅の内側の方からやって何かしらで加熱することによって炙って水気を飛ばす。
そうなると直接アマルガムの面に火をかけてないんで裏側からなんで、せいぜい60℃ぐらいじゃないかっていう話があるようですよね。
木炭で炙ったんじゃないかっていう説がありまして、これだと水銀の蒸発温度350℃には全然届かなくってですね。
見た目金色になったかもしれないけど水銀だいぶ残ってるかもしれないっていう話になるんです。
金色にするにはしたんだろうが水銀もある程度飛んでるはずなんですけども、水銀どこに行ったんだろう。
大仏殿の中のどこかしらに残ってたかもしれないとか、空気中でどこか外出てたとか、あとは作業している人たちの体の中に入っちゃって、死ぬと地面に埋めればね、土に埋めれば地面に入るし、燃やせば大気に飛ぶだろうなっていう感じはするんですけども、
大仏殿、先ほど言いましたけど2回焼け落ちてるんで、大仏殿に残ったとしてものは全部多分燃えたときに一緒に十分な加熱によって大気中に放出されてるんじゃないかと。
英語の論文なんでちょっと全部ちゃんと読めてないんで、リンクを貼っておくので読んでください。
すいません。
ちなみにこれ2014年で、今2024年に収録してるんですけども、10年前の論文なんで、この後の続きがないかなと思って探してみたんですけども、見つかってないんですよ。
なので、この後誰か深掘りした人がいないかどうか、いるのかいないのか、これも見つかってないのでわかりません。
これもともとですね、学生さんの名前が5、6人書いてあるんですけど、これ卒論、学生さんにそれぞれ分担させてやった卒論の内容を編集して作った論文のようなので、卒論になっちゃうと学生さんも学部卒業だったら1年ポッキーでもういないし、修士に上がっても2年でいなくなっちゃうから、この後続きやらなかったのかもしれない。
先生一人でこれ続きやるってこともないだろうしなーっていうふうな感じはします。
ということで大仏と水銀の話はこんなところなんですけれども、ついでに大仏と原料の銅の話も調べておこうかなと。
鉛の話はですね、銅の中にちょっと含まれていて、銅の年代や産地を特定するのに鉛が使われているっていうのがあるので、この後ちょびとだけ出ます。
で、銅の話なんですけれども、大仏の主原料は銅です。銅の鋳造でできているので、大仏あのサイズを厚さ何センチだ?ちょっとそこはちゃんと調べてないや。
なので相当な量を使っているんですけれども、玄山の鉱山の一つと言われているのが山口県の長上り銅山っていうところだっていうのに、これ特定されているんですよ。
ここから出た銅を使って和銅開地っていう、日本で一番最初に作る、一番最初がかなり古い方だよね。和銅開地っていう丘でも作られているんですけども。
使ってます。
はいはい。
そういう銅山がありまして、なんでここの銅山だって言えるんだっていうと、銅の中に入っている不純物としての非素の濃度と鉛の同位体比、これをそれぞれの鉱山で全部測っていて、
あと奈良の大仏の方からも調べてっていうことのようですね。
非素の濃度が5%入っている。
これ、他の鉱山ではなかなかないそうです。
これだけ非素の濃度が高いっていうのは。
非素の濃度が高いと何が作業としてしやすいか、選ばれるってことは何かしらの利点があるからそこの銅山が選ばれてるんでして、
何か理由があったはずなんですよ。
それもですね、非素の濃度が高いと有点が下がる、銅の有点が。
銅の有点って83度。
5%非素が入ると1000度程度まで下がる。
まあ80何度とかですけど、1000度程度までは下がられるそうです。
この当時、奈良時代っていうと燃料は何かというと、今のようにガスが使われてるわけでも石油とか石油っていう話でもないし、石油ないこともないんですけど実は。
まあ基本的にはないんで、日本でも。
そうすると木材になって、木炭とか、あんまり火力を出せないんですよね。
だから少しでも温度が下がってた方が作業はしやすいわけです。
ただ、非素が入っているということによって溶かしやすいという。
これが長野エンポリ銅山が使われた理由じゃないかと言われてまして、
あともう一つ利点が、ここの銅の鉱石の利点が、石灰分が結構多く入っている。
山口県で石灰といえば秋吉台とか、カルスト大地、あれ石灰岩の大地なんですよね。
そこにすごく近いんです、ここの銅山。
石灰分が多く入っていると年生が下がっていて扱いやすいんです。
これフラックス、フラックスって溶ける薬剤の剤で、フラックスの効果ではないかと。
実は現代でも鉄とか銅とかの精錬でフラックスとして石灰岩を入れているというのはあるので、
現代の化学としても利にかなっているということがありまして、長野堀銅山。
ちなみに長野堀銅山という名前自体も奈良に銅が持っていかれたという、
奈良に登っていったという意味で長野堀というふうに今に残っている地名なんじゃないかという説もあります。
おー、都のための。
都にうちの銅山が上京しましたという。
あー。
登るというのは。
はい、というお話があるようです。
こちらはですね、高段車ブルーバックスから出ている、
志村文夫さんの古代日本の超技術という本に載っていますので、興味があったら読んでみてください。
はい、ということで今回奈良時代の金属加工技術についてちょっとお話ししてみました。
何かお二人コメントいただけると。
まとめのコメントを急に求められました。
全然関係ないけど、カルデラって三段活用になっているやつですよね。
ドリーネとかいうやつですか。
そうそう。
だんだん大きくなると名前が変わるんですよね。
そうそう。