1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2025-12-11 14:40

#106 僧侶でも兵士でもない特攻隊のご祖父様の生き様を映像に。|ゲスト: 内田寛崇さん

【今月のゲスト】

大満寺副住職 兼 映像クリエイター 内田寛崇さん
【今回のトークテーマ】

・僧侶でも兵士でもない特攻隊のご祖父様の生き様を映像に。

・内田さんがご担当された青淵文庫プロジェクションマッピング「渋沢翁の晩餐会」


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。

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サマリー

内田寛崇さんは、特攻隊として出兵し、戦後も生き延びた祖父の生き様を描いた映画『飛べなかったツバメ』について話します。特に、祖父が僧侶としての考え方を持ちながら特攻隊に志願した理由や、その葛藤を通じて表現された作品の違いについて触れます。また、内田寛崇さんはプロジェクションマッピングを用いた渋沢栄一の演出についても話し、クリエイターとしての挑戦やこだわりを紹介します。さらに、地域活動とエンターテイメントを通じて人々に感動を与える重要性についても触れています。

内田氏の映像制作の背景
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人達が遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今週も引き続き、大万寺副住職兼映像クリエイターの内田寛崇さんにお見えをいただいております。今回は内田さんの映像クリエイターとしての一面を伺っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
内田さんは、日本大学の芸術学部ということで、北区大路にもみじ寺というところがあって、もみじ寺の住職というか、今住職なんだけど、あそこの荒木さんって、あの方も日大芸術学部の写真なんですよね。
そうなんですね。
存じ上げずに。
文化もちゃんと素養としてある住職さんがいる北区ってのはやっぱりね、すごいなって気がしますけど。内田さんは日芸では何を学ばれたんですか。
映画学科に所属しておりましたので、映画を学んでおりましたね。
おうですか。内田さんの好きな映画ってどういう映画?
ライフ・イズ・ビューティフルという映画が一番好きでして、心が痛む話ですけれども、やっぱりあの中に生きるとか、生と死みたいなものを感じて、絆とかそういったものが忘れられない。
ぼうやが肝のところから覗いてて、お父さんがこっちを見ながらねって。
今しゃべってても、もううっときてくるね。
そのくらい、その一点しか見えないところから、最後助けられてた時のあの解放感とかね。
あれはやっぱりすごい映画でしたけどね。
将来はああいうものを作りたいみたいな。
そうですね。本当におこがましいですけどね。目標にするものを作りたいです。
大学時代の活動の中で、飛べなかったツバメという、内田さんのおじいさまが、大東亜戦争時代に特攻隊にいらしたという、このエピソードを描いた映画を作られて、奨励賞を受賞されたというふうに伺いました。
これはどういう作品になりますか?
祖父が第二次世界大戦中に特攻隊として出兵していたんですけれども、生きて帰ってきたんですね。
作品制作の葛藤と過程
ですが、自分の父親が二十歳の時に祖父は亡くなってしまっていますので、私は実際に会ったことがないんですけれども、祖母が教え入れから祖父の戦争時代の手記を出してきてくれまして、
それを見た時に、途絶もない使命感に駆られまして、制作した作品がこの飛べなかったツバメでございます。
なるほど。実際におじいさまから、こうだったのだったのだったというお話は伺ってないんですか?
一切聞いていないんです。
資料からの。
そうですか。僕は実は映像作品は拝見していないんですけれども、何年前になりますかね?
ダイマン寺の五本堂で演劇として上演された時に拝見したんですけれども、いつ頃になりますか?
2年ほど前ですかね。
そうでした。コロナが開けてようやくちょっとした頃だったから。
ダイマン寺の五本堂の、そういうことができるスペースというのは、さほど広くはないんだけれども、あそこに30人ぐらいお客さん入っていた。
そうですね。1階で。
すごい狭い空間の中を上手に使われながら、本当にお寺の五本堂という、我々にとっては極めて非日常的な空間の中で表現される舞台で、
そういう意味でも何か心に迫るものがありました。
ありがとうございます。
作品にしたいと思ったというきっかけは伺ったんですけれども、実際に作っていかれて、おじいさまの心にどんどん迫っていく。
もしくはおじいさまが自分の中に入ってくるという部分があったと思いますけれども、それはどういうふうな感じだったですか?
本当に最初はあの異常な状態というか、日本全体が異常な状態だったという時代。
まずその歴史を紐解いていくところから、本当に自分の中でも葛藤がありまして、やはり戦争を知らない世代ですので、祖父のこの話を本当に自分が描いていいものなのかというところがすごい葛藤があったんですけれども、
やはりセリフに起こしていく段階で、祖父の気持ちがそれこそ入ってくるというか、こういう気持ちでこの言葉を残したのかなとか。
全てはわからないんですけれども、やっぱり流れで紐解くことで裏腹なというか、言葉に出してるけど内心ではこう思ってたんだっていうのが、どんどんパズルのようにピースがはまっていく感覚で、ずっと鳥肌が立ってましたね。
若い演劇の仲間と作られた舞台でしたけれども、そういう方たちとはどういうディスカッションとかされたんですか?
もうみんなでおじいちゃんの、自分が集めてきた資料をみんなで見て、みんなで回し合いながら、ここはこういう気持ちだったんじゃないかと。
他の登場人物ももちろんいるので、そこのすり合わせは若い世代の間というか、戦争を知らない世代の間でものすごい議論を重ねて、稽古半分、資料を読んでディスカッション半分みたいな形で常に稽古してましたね。
祖父の特攻隊としての葛藤
おじいさま自身は、やはりもう僧侶になられていたんですか?
そうですね。その時はまだ修行中のみで、おじいちゃんは学徒出陣で出兵だったので、当時20歳だったんですね。
大正大学の4日2年生で、まだ本当に修行の真っ最中というところで出兵でした。
まあでも、こう宗教的なものを、要するに仏教の考え方とかというものは、自分で学ばれていた、持っておられたということですね。
だからやっぱり、特攻隊として自ら志願したという、僧侶でもなく兵士でもなくなった自分の葛藤みたいなのを表現してましたね。
でも、実は特攻を描いた舞台作品って結構たくさんあって、それぞれに感動的でもあるし、それからもちろんどれ一つを撮ってみても、戦争を賛美するようなものはないんだけれども、でもちょっとずつ切り口が違う。
内田さんの作品もね、僕はどこか何か違うな、これは別にお寺でやってるからじゃないよなって、そういうことも思いながら、もちろん舞台に入っていってるんだけども、この感覚は何なんだろうと思ってたんだけど。
どうですか?ご自身としては、ここが違うから受け取り方も違うはずだよっていうのはある?
やっぱり一番大きいのは、今までいないなって思うのはやっぱり僧侶として生きていた祖父、お寺で育って仏教の世界観があって、亡くなった方を極楽浄土に送る、そして生きてる、苦しんでる方も助けなきゃいけない。
そういった存在の人がなんで徳子豊志願したんだろうみたいな。そこがやっぱり今回の作品の一番違うところかなとは思いますね。
そうだよね。やっぱり主人公が僧侶の経験があるっていう主人公も少ないわけだし、それからやっぱりそれを書いてる人も僧侶であるっていうのは少ないわけだから。
当然その宗教的な考え方とかそういうものが入ってきてるっていうのがやっぱり違いだったんですかね。
だって自分が突っ込んで死ぬということに対する死へのアプローチもあるし、相手を殺すっていう相手の人生をそこでストップさせるっていうその部分での死へのアプローチもあるわけだからね。
さらにおじいちゃんの場合には内田さんのお父さんや内田さん自身にとっては本当に良かったことなんだけれども、生きて帰ってこられたっていうことのそこの葛藤も含めて。
この作品はこの後どうしようとかっていう考え方は?
プロジェクションマッピングのこだわり
一度自分のお寺で舞台をやったのでこれを外でもやりたいなと思っておりまして。
できればホクトピアとかたくさんの方に見ていただきたいので。
良いと思いますね。
ゆくゆくは最後は長編の映画にして完成させようと思っているので、それが目標です。
ぜひ実現していただきたいと思いますね。
さてですねちょっと話題変えますけれども、内田さんの素晴らしいクリエイティブな技術を使ってですね。
プロジェクションマッピングっていうのはね。
飛鳥山の声援文庫のところでやりまして。
本当にありがたい機会をいただいて。
渋沢王の晩餐会ということで。
観光協会がオファーしたんだよね。
そうですね。
すごい好評だったんですけれども。
本当にありがとうございます。
これはディレクションでこだわった点っていうのは何かあったんですか?
やはりなかなかこういう誰かを取り上げたっていうものって説明口調になっちゃったりしがちだなっていうのが印象でありまして。
なるべく映像日で渋沢さんの素晴らしさを伝えたいっていうのがありまして。
そこにやっぱり一番こだわりまして。
プロジェクションマッピングってやはり手前に飛び出てくるとか何かに擬態するみたいなのが。
その建物がその建物じゃなく見えるみたいなのが醍醐味ですので。
そこの演出にはかなりこだわりましたね。
ナレーション担当は不祥を私がご指名をいただいてやらせていただいたんですけれども。
その間、ディズニーランドのようにとか山寺浩一さんのようにとかね。
極めてハードルを高くしたご指導をいただきながら何とかやらせていただいたんですけれども。
ずっと聞きたいと思ったことが一つあるんだけど。
内田さんはクリエイターとしてこういうレベルっていいものもたくさん見てるし聞いてるし。
そういう時に捕まえてきたやつが大したことないわけじゃないですか。
いやいや。でもこれどのレベルのところでしょうがないかって思うもんなの。
これは聞きたいなと思ってさ。
これは話しづらいことです。
もともとこしのさんのあすか山の窓からも聞いてましたし。
そのお声がいいということを知っていたので。
少しの演技指導というか。
あれで100点のものが出てきたんですよ。
自分の中で。
なので数テイクでOKさせていただいて。
これを言わせたいからこういう質問したわけじゃなくて。
本当にそういうのってやっぱりあると思うんだよね。
地域活動とエンターテイメント
この次の回でいろいろ聞きたいんですけど。
地域活動で演劇とかエンターテイメントで盛り上げていくって。
その時に地域の人もどんどん出ていただくっていうのは大事だと思うんだけど。
でもやっぱりそれをもって人に見ていただく以上は。
やっぱりあるレベルでないといけないという中でね。
すごいその辺はね。
どこで仕切るんだろうなみたいな。
やっぱり気持ちが演者さんと自分とか一緒になった時にOKテイクが出ると思います。
なるほどね。
山寺こしさんみたいにいろいろ言ってるんですけど。
自分が求めてる気持ちと演者さんがこう出そうという気持ちが一緒になった時。
OKテイクが出やすいかもしれない。
確かにそこで考えてじゃなくて。
そうやってディレクターさんとしての藤田さんが違うんだよなとか思いながらも。
こうでってその場で言ったことでドンと来て。
それでやったらOKが出たみたいなのがあったね。
ありましたありました。
なるほどそうなんだ。
あんまり僕技術の方で指導は入れないようにしてるんですよ。
気持ちの方。
本当に素晴らしい体験をさせていただきありがとうございました。
ありがとうございます。
今週はクリエイター藤田さんのお話をいろいろと伺ってまいりました。
ご自身で企画制作をされてるって楽しさもあるし苦しさもあると思いますけれども。
素晴らしいお仕事だなと思って伺いました。
では来週もお楽しみに。
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