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韓国で監督さんがいらしてくださった時に、我々の映画祭を見て、
小さなものは美しいんだよって。映画祭っていうのは、30年続けないと本物にならないからね、頑張りなさいっておっしゃってくださって。
私はその言葉を胸に刻んで、今年13年ね、あと17年は絶対頑張るぞって思ってます。
黒木瞳の映画ここだけバナシ。
こんにちは、ヒマラヤで配信始めました。黒木瞳の映画ここだけバナシ。今回も聞いていただきありがとうございます。
引き続きゲストは、数々の映画美術を手掛ける美術監督の部谷京子さんです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。部谷です。
映画っていつも思うんですけれども、最後にテロップがエンドロールで出てきて、本当にたくさんの方々に伝わってましてね。
多くの方々の、本当に一人かけても成り立たないという、本当にたくさんの方のご努力が必要なんですけれども、やっぱり人と人とのご縁っていうものも、仕事へのつながり。
もうそれしかないですね。ずっと45年間続けてこられたのは、もう本当にそれだけというか、それが財産だなというふうに思います。
もちろん私もそう思っておりますけれども、いろんな監督と出会って、部屋さんね。
その監督からまたいろんな撮影監督だったり、いろんな方々と出会ったりしてつながっていくんですよね。
そうですね。なので本当にびっくりするようなところから連絡のオファーをいただいて、本当に何でですかってよく聞いたりもするんですけれども、結構昔の作品だったり今の作品だったりを見てくださって、
それでって方が多くて、だから本当に一本たりとも油断できないなっていう感じでいますね。
そして最近、ここ数年ミュージックビデオのお仕事もされているという。
そうですね。ミュージックビデオだとかコマーシャルだとか、これがまた不思議なんですけど、本当に初めての方からいきなりお電話いただいて、どこで聞くんだろうと思うんですけど、
作品見てましたとか、好きですとか言われて、お仕事いただいたりということがここ何年か本当に多いんですね。だから映画以外のお仕事も結構やってます。
ミュージックビデオだと歌の世界、ディレクターがどういうふうにしたいとか、アーティスト本人がどういうふうにしたいとか、いろんなコミュニケーションがあってお作りになる感じですか?
監督ですね。私はアーティストの方とは現場でしかお会いはしないんですけれど、監督とは結構いろんな打ち合わせをして撮影に臨んでます。
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なんか聞くところによると東京事変さん?
そうなんですよ。先月撮影したんですけど、すっごく楽しかったです。本当に和の世界で。楽曲はその前からもう配信が始まってたんですね。
アルバムはそろそろ発売になる頃にしてますけれども、結構評判が良くて、エゴサーチじゃないんですけど、やっぱり気になるじゃないですか。再生回数見たりなのか。
本当に何やってんだ私と思いながらも、結構楽しんでます。
CMも?
コアシャルも結構やってます。連携のものも結構あります。
映画だけではなく、いろいろな美術館とかもやってらっしゃる。
でもそれも全てやっぱり、今までやってきた映画が財産になっていて、それを見てくださった方が、なんかどこかしらに引っかかって、この人に美術を頼もうっていうことで来てるお話なので、本当にありがたいなと思います。
でも、もともと舞台美術専攻。
それは知らなかったからです。
映画美術という仕事を。
なので逆に言うと、私、つぶれプロダクションでアルバイトをしている時に、本当に映画の世界というのをスタッフの方々から聞いて、本当にその時に私は映画美術が天職だというふうに感じたんですね。
やってる作品は連続ドラマ変身物でしたけど、そのオンエアをスタッフみんなで土曜日の夕方に食堂で見るときに、本当にそのまだブランカンの向こうで何十万人、何百万人の方が一緒に見てるんだって共有してるんだって思った瞬間に、本当に嬉しくて嬉しくて、自分が作ったどんなささやかなものであっても、
それが画面に映っただけで、もう本当に天にも昇るような気持ちになりました。それが今でも続いてるって感じです。
今はもう監督ですからね。美術監督ですから、総合的に。
そうですね。
重視時代だと、たとえば。
落ち着けよって感じですね。
一つのノートを作ったりとか、一つの何かを作ったりとか、細かい作業がたくさんありますけれども。
そうですね、ありますあります。
それ統括していかなきゃいけないので、大変だとは思うんですけど。
全て映るものは自分の範疇だと思ってます。仕事も。
いいですよね。
映画が、美術がご自分の天職だとおっしゃいましたけれども、その映画、広島、ふるさと広島。
国際映画祭、広島国際映画祭ですね。
これを立ち上げられた。
はい、実は前身の映画祭が、ダマ映画祭in広島っていう。
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inがアルファベットで、広島がカタカナなんですけど、2009年から始めてるんですよ。
今年が13年目です。
広島国際映画祭というふうに開催したのは、6回終えて7回目からですね。
2009年から、私が言い出しっぺで始めました。
つまり、いろんなポジティブな力を持つ作品を世界中から集めた映画祭。
一般公開されないインディペンデントの作品もあったり、新たな才能を見つけたりとか。
そうですね、コンペッションもやってます。
コンペッションもやってらっしゃる。
これは長編も短編も両方やってらっしゃる。
ただコンペに関しては、まだ長編をやる体力がなくて、経済力を閉じるなんですけど、短編の国際コンペッションをやってます。
そうなんですね。結局、広島県広島市で生まれ育って。
経済団体などで実行委員会を立ち上げていて、広島で盛り上げようという。
そうなんです。
広島から世界中へと。
私ね、もともと広島が好きじゃなかったんですね。
一生懸命おっしゃってましたよね。
そうなんですよ。
それなのに広島に目が向いたのは、吉田貴重監督の『鏡の女たち』っていう岡田真理子さんが主演の映画がありまして、それが広島の原爆を扱った映画だったんです。
で、カメラマンの中堀さんから、この台本、広島舞台だから読んでみて感想を聞かせてって言われて、読ませていただいたときに、はっとしたんですね。
私が知らない広島が書かれていると思って、私は広島出身でありながら何も知らない広島のことをと思って、で、そのことを感想文でお手紙を吉田貴重監督に出して、
で、そしたら監督から直接お電話いただいて、あなたにこの作品をやってほしいって言われました。
そうだったんですか。
で、私は初めて美術監督として広島に撮影で、鏡の女たちで帰ることになりました。
で、あの作品の撮影が終わって翌年の8月6日に原爆ドームの前の川に、川をスクリーンにして映像のダイジェスト版が流されるっていうイベントがありまして、そのときに初めて8月6日に広島に帰ったんですよ。
もちろん小さい頃には行ったかもしれないんですけど、記憶にあまりなくて。で、8月3日の原爆の日に初めて私は広島にいて、この日がどれだけ大事な日なのかってことを痛感したんですね。で、できればここで映画祭を将来的にはやりたいなっていうふうに思いました。
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素敵なお話ですし。
いやいや、そんな素敵な話ではなくて、2009年から始めたのは2008年に私が広島市から広島市民賞っていうのをいただいたんですね。で、そのときに私が勝手にですね、これは広島市からお金の援助が受けられるかもしれないと思って。で、広島で映画祭やろうっていうふうに思って会場を押さえたんですよ。もうその場で。
で、残念ながら広島市の文化振興課っていうところに行ってお話をしたら、県もホロロで、広島市ではもうアニメーションフィルムフェスティバルっていうのを20年前からやっていたので、もう2つ目の映画祭はいりませんって言われて、一線も出てません。今に至るまで。
広島市からも広島県からも。そうなんです。なので本当に笑える話なんですけど、いまだに助成金とスポンサーさんからの協力金とチケット代金でやりくりしてます。
本当にたくましいですね。
でもね、あのちょっと嬉しかったのは、広島国際映画祭にしてから、韓国のイージュンイク監督っていう、結構韓国では著名な監督さんがいらしてくださったときに、我々の映画祭を見て小さなものは美しいんだよって。で、映画祭っていうのは30年続けないと本物にならないからね。頑張りなさいっておっしゃってくださって。
私はその言葉を胸に刻んで、今年13年目、あと17年は絶対頑張るぞって思ってます。
映画祭に必ず出品してくださるという、新聞記者で一躍人気になられた、
藤井道彦監督ですね。
藤井道彦監督。
ダンマー映画祭の頃の受賞監督なんですよ。
日大の芸術学部を卒業してすぐに、在学中から作品は作ってたんですけど、卒業されてからのノミネートだったらしいんですけど、
2回震災に特別賞と観客賞をお取りになっていて、
うちの映画祭って東京でも年に何回か同窓会と称して飲み会をやってたんですね。
今はちょっとこういうコロナの状況でできないんですけど、そういう時に彼は本当に律儀な方で必ず来るんですよ。
たとえ5分でも10分でも来るんです。
ある年は本当に夜中に今どこにいますかって、2軒目3軒目に行ってる場合もあるので連絡来て、ここにいますって言ったらタクシーで乗りつけてきて、
5分いて、ごめんなさい今編集中なので戻りますって言って、そのまままた戻るみたいなこともあったりして、本当に律儀な方で、
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去年公開になった、宇宙で一番明るい屋根っていう清原茅ちゃんが初主演した映画なんですけど、その作品に読んでくれまして、ご一緒して、それから日本一緒にやってますね。
この映画祭にも毎年来てもらってます。
出品はなさってない?
出品作品を上映して、ゲストも毎年。去年は清原茅ちゃんに来てくれましたし、その前は新聞記者をやって松坂トリさんに来てくれました。
ということで毎年ゲストで、広島ゆかりの監督ということで、毎年来てくれてます。
ご縁ですよね。
そうなんですよね。とってもいいご縁だなと思って、とっても好青年です。
ぜひ黒木さんもご縁がありましたら、ぜひ出てあげてください。
でもこうやって私も平田さんと繋がりましたのでね。
また再会ですよ、今日は。嬉しい。
また繋がりましたので、このご縁を大切に、何かご一緒できることを。
よろしくお願いします。
楽しみに待っております。
本当にいろんなお話を伺いましたけれども、やっぱり美術監督って肩書きは、
なんて言うんでしょうか、かっこいいというかクールというか、
でもやらなきゃいけないことは本当に田んぼ、田植えから。
そうですね。本当ですね。
田植えから雪ふらしまで。
雪ふらし。
道も作り、家も作り、部屋も作り、いろんな。
何もかも作りますね。
もう滝に渡ってやらなければいけない、仕事が山積みですけれども、
でも長く続けてらっしゃるっていうのはやっぱり映画がお好きだっていうことで。
そうですね。やっぱり今はもう映画が大好きですね。
私はもう映画の現場で死にたいと思っています。
一生現役。
一生現役。一生現役。いい言葉をいただきました。
お話しつきませんけれども。
はい。
はい。いろいろとお話を伺ってありがとうございます。
ありがとうございます。
次回の配信はカメラを止めるな!の長回し撮影監督曽根武さんがいらっしゃいます。
お楽しみに。
それではまた来週。
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。またお会いしましょう。
さようなら。
さようなら。