オカリナ市場の拡大
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今週も引き続き、株式会社大塚楽器製作所代表取締役社長、大塚太郎さんをゲストにお迎えしております。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さて、先週はですね、大塚さんが、このお自身の事業である大塚楽器製作所に後継者として入られたと、戻られたというところまでお話を伺ったわけですけれども、
これ何年頃の話になりますか。
えっとですね、1999年に入社しました。
なるほど。
私の手元の資料によると、1990年ぐらいから隣のトトロに使われたり、それから大人気になったゲームゼルダの伝説の楽曲なんかに、オカリナが使われるようになったということでね。
まさに大塚さんが会社に入られたぐらいのところで、一段オカリナの市場が大きくなりつつあったという感じがするんですけど。
そうですね、本当にその頃はオカリナという楽器が何かわからないという人がもうほとんどいなくなって、オカリナといえば、いい音色のあの楽器だよねっていうようなことが皆さんに周知できた、そういうようなことになったんじゃないかなと思います。
なるほど。
そして2002年にはプラスチックで作るオカリナというのが発売されてということですが、これはどういう意味合いでされたんですか。
やはりですね、オカリナって結構その頃、品不足になることが多かったんですよね。
で、陶器製のオカリナを作るのはやはり手間暇がかかって、なかなかその需要に対して供給が追いつかないというような状態もありましたので、そういった方々に手軽にオカリナをまずは始めていただく、触っていただくということで、量産が可能なプラスチックのオカリナ、これを開発しました。
そうすると、初心者向けにまずは手に取ってもらうというのにはこのレベル、そしてそこで馴染んだらまた陶器製のものに。
そうですね。
今はそういう市場を新たに作ったということですよね、初心者向けの市場をね。
今考えるとそういうふうに、ちょっと褒めすぎるような気もするんですけど。
自社開発の挑戦
一方で、プロダクト側の都合というか、この陶器を持って大量生産がなかなかできないよねっていったときに、まずはこれでいいじゃないかみたいな。
そうですね。
でも、そうやって市場が大きくなる中で、それを推進していくみたいな形でビジネスを広げていかれたんでしょうね。
さらに2006年には、市入れで今まで言っておられたのが自社開発へ切り替えられる。
これ一言でパッと書いたんですけども、かなり大変な話じゃないかなっていうふうに僕なんか思うんですけど。
本当に大変でしたね。
最初はやっぱりなかなか音が出なかったりとかいうようなことがあったり。
他になって粘土で作る陶器製なんですけれども、客観的な数字での設計図みたいなのはないんですよね。
なので、作っては壊し作っては壊し、スクラップ&ビルドっていうんですかね。
そういったことを約1年ぐらいは続けたんじゃないかなと思います。
だってね、今までは製造部門なかったわけでしょ。
そうです。
ということは職人さんもいらっしゃらないわけでしょ。
だからある意味職人さんを雇われて、そこで製品のレベルをいろいろ考えながらやっていく。
そこから始めなきゃいけないわけじゃないですか。
そうです。
これ本当に大変だったんじゃないか。
だって今作ってて、仕入れ辞めますよって言って、これ困りますよって会社だってあるわけじゃないですか。
いやでも本当にまさにその通りでした。
お金を作った経験のある人を引っ張ってくるっていうことが基本的にはできないので、世の中にそういう人があまりにも少ないですから。
まずは信頼できる人を一緒に長くやっていくためにということで、いろいろ考えて。
実は私の大学の時の同級生に、彼はその当時消防士さんだったんですけれども、彼をスカウトして、それで一緒に研究開発をしていったっていう経緯があります。
なるほど。
大親友でらっしゃるのかな。
とにかく気持ちの上で信頼できるその方に一緒になって、とにかく物を作るところを始めたし、
なおかつ人作りというか、そこも並行してやられたという感じですかね。
そうですね。
それまでうちの社員はお金の作りというものももちろん経験がないわけですから、
そちらに切り替えるというのは、いろいろ考え方を変えていただくというようなところで工夫はしてきたつもりです。
なるほどね。
例えばね、これ当たってないかもしれないけれども、最後本当に手作りの部分って絶対残るんだけども、
今までの職人さんがやってたやり方じゃなくて、ある程度標準化しておいて、最後に手を加えてみたいな、
そういう作業の標準化みたいなこととかもチャレンジされたのかな。
まさにそれはすごく大事にした分野ですね。
どうしても職人技になってしまいますと、人に頼りすぎちゃうというところが出てきますので、
我々企業として一定の品質のオカリナを量産して皆さんにお届けしたいという思いがありましたので、
数値化するですとか、あとは形状などはこの企画にするよというようなところで型を作ってですね、
その型にちゃんと当てはまって、当てはまってないみたいな、そういうチェックをしっかりとするようにいたしました。
だからある意味オカリナ製造のあり方を根本から見直して、
それで自社の製品の品質の向上にもつなげられたということでしょうかね。
代表に就任
そうですね。やはりオカリナの品質管理って非常に難しいんですよね。
粘土という水分がすごい含まれている素材を使って楽器を作っていくので、
その製作過程の中で水分がどんどん抜けていって、最後は焼くということで水分がほぼなくなるわけですよね。
粘土には大体30%ぐらいの水分が含まれているんですけれども、
それがなくなった分縮みというのが起きるので、その縮みをする過程の中でしっかり品質管理していくというところが難しかった点です。
うどんを売ったり蕎麦を売ったりという方が、季節によって水分の入れ方を変えるというのを聞いたりするんですが、それと理屈は似ていますね。
似ていますね。最初に粘土から型を取るときにも我々が岩水系というので、水分が何パーセントなのかということを粘土を測って、
自分たちの基準の数値に合っていないと少し粘土を乾燥させたりですとか、場合によっては雑巾を濡らして粘土に水分を与えて、その数値まで持っていく、そんなようなことをやっています。
なるほどね。だからそういうのが職人さんの手触りの感覚だけでやっていたみたいなものを、さっきおっしゃったように、しっかり数値化をして効率的・効率的にしていったということですよね。
本当におっしゃる通りです。
素晴らしい中小企業の鏡だね。
さて、2009年に太郎さんが代表権のある専務に御就任されて、2012年には社長に御就任ということで、まさに本格的な事業所権をされたわけですけれども、
この時、また先ほどとはフェーズの違う形でお父様とのやり取りがあったと思うんですけれども、何か印象に残るお話がございます。
そうですね。私の方から、社長にしてくださいというお話をしたんですね。
それは、その当時41歳、42歳くらいだったと思うんですけれども、40代のうちに社長になって人頭資金を取らないと、この会社をもっともっと発展させていくために、お借り名を向上させていくために、間に合わないんじゃないかと思ってしまったんですね。
それで、父の方にそういう気持ちを申し上げました。
当時、お父様は64歳くらいかな?
そうですね。
今の僕よりも若いぐらいだから、「お、え、もう俺、そう?」みたいな。それに対してどうしたお父様?
本当に父の良いところと言いますが、父に感謝しているところは、そういう地位にあまり固執がなかったんですよね。
もともとね、売るのが好きだったよね。
確かにそういう面もありました。
オカリナ制作の挑戦
その時には、お前がそういうふうに言うんだったら、それだけのことができるんだろうと。
任せたというような形で信頼を表してくれました。
偉い。素晴らしいな。
僕もそういう時期にそろそろ差し掛かってきているので、お父さんのところに話を聞きたいみたいな感じがありますけどね。
さて、社長に就任された大塚さんですけれども、2016年には三鷹の森ジブリ美術館との取引も開始されると。
まさにこのトトロの土笛というんですか。
これの制作にも入られて、まさに我が社長の綿木役所という感じがしますけれども、どんなきっかけだったんですか?
これはですね、日々日常、オカリナ制作に一生懸命になっていたところ。
日本でオカリナのことを何か相談するならば、大塚楽器でしょというような形になっていたと思うんですよね。
ジブリさんの方からうちの会社を見つけていただいて、お声掛けいただいたというようなことです。
でもなかなか、ああいうコンテンツビジネスって、最初そういういい話なんだけど、難しいところがあると思うんですけど、お差し伝えないように。
確かにそうですね。やはり価格の面ですとか、ジブリさんの方をしっかり売らなきゃいけない価格というのがありますので、
そこに合わせていく、その中でお客様に喜んでいただく商材を開発するということで、
楽器としてのオカリナというよりは、楽器としての要素をきちんと保ちつつ、
おもちゃじゃないですけども、気軽に手にできるようなものということで開発しました。
なるほどね。それってある種、プラスティックオカリナという経験もされてきているというのも、どこかに生きているような感じがしますね。
確かにそういう面あると思いますね。やっぱり楽器って手間暇かかるので、価格が皆さんご存知の通り、
一般の方からすると高いなって思われる価格になってしまうんですけども、そこをなんとかハードル低く、
皆さんに手軽に手にしていただけるものにするっていうのは、一つ企業の努力する方向じゃないかなと思います。
でもやっぱりそういう姿勢が、ジブリさんの方にしてみても、ある種のレベルというものが確保されるっていうのは、本当に大事にしなきゃいけないね。
何かやってみたら、いかにもおもちゃおもちゃですよ、トトロの土笛って言ったら、それ何のイメージがあって、
素晴らしい演奏家が演奏していて、あの音が出るのかと思ったらピーとかって言うんじゃん。
これはやっぱりイメージが違うわけだから。
本当そうなんですね。だからジブリさんは手作り感は出てもいいんですけども、やはりこの素朴さですとか、
あとやっぱり音の魅力、そういったものに関しては厳しい目線があったと思います。
それをクリアできたのは、いろいろ培ってこられた大塚さんの技術力でそれを乗り越えられたということですね。
そうですね。社員一同が頑張ってくれたと思います。
ところが、みんなが体験したことですけれども、2020年にコロナ禍ということで、
コロナ禍の影響
技術では乗り越えられないような大変な試練だったと思うんですけれども、これはどういうふうに対応されました?
本当にそうですね。オカリナのメインのお客様の層がシニアシルバー世代でした。
それから前回ちょっとお話ししましたけれども、公民館とかでの活動が多かったんですよね。
そうすると公民館自体が使えない。体験講座みたいなものもできない。
それから皆さんが楽しみにしている発表会もできないというようなことで、
まるでオカリナの活動ができないという状態が長く続いてしまいました。
その間、吹奏楽器、演奏用のマスクなんかも開発された。
それは本当に我らにもすがる思いで、なんとか飛沫を防止して、
それでもオカリナを楽しめるということができないかということに考えて開発しました。
一方でもお家時間が増えたということで、チャレンジしようという方はどうだったんですか?
それは本当にあったんですよね。
今まであまり若い世代の方がオカリナを手に取ってというのは少なかったんですけれども、
その頃皆さんオカリナを演奏して動画を上げたり、音色をXとかYouTubeとかに上げていったりしてくださって、
我々の力では逆にどうにもできないところへの広がりも一方であったと思います。
なるほどね。そういうことを全て吸収しながら乗り越えられてということで、
今また新たな世界が広がりつつあるんですけれども、
そうですね。
次回は演奏家も入っていただいて。
そうですね。
またよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。