1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2025-11-06 15:26

#101 変わりゆく時代に応え続けた、国内最大のオカリナメーカーの歴史|ゲスト: 大塚太郎さん

【今月のゲスト】

株式会社大塚楽器製作所代表取締役社長 大塚太郎さん

【今回のトークテーマ】

・銀行のシステム会社からご実家のオカリナを継ぐまで

・変わりゆく時代に応え続けた、国内最大のオカリナメーカーの歴史


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。

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サマリー

国内最大のオカリナメーカーである株式会社大塚楽器製作所の歴史と進化について語られます。大塚太郎社長が、オカリナの普及や楽器製造の取り組み、愛好者の増加について説明しています。大塚太郎さんはオカリナ業界における自身の成長と家族の背景についても語り、特に父親から事業を継ぐ決断に至った経緯や、その際の家族との関係に焦点を当てています。

大塚楽器製作所の紹介
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
パーソナリティを務めます小篠三宏です。今、私がいる場所は、大塚飛鳥山にある邸宅の談話室。こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月お迎えするのは、株式会社大塚楽器製作所代表取締役社長、大塚太郎さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
大塚さん、大塚楽器さんといえば、私たちの地元の北区に田畑個人本社を構えられて、実は国内最大のオカリナメーカー、オカリナという楽器がございますけれども、今、シェアってどのくらいの感じなんですか?
国内のシェアは、そうですね、40%以上あるかなと思っております。
オカリナを愛好されている人口ってどのくらい?
これ正確な数字はなかなかわからないんですけれども、やっぱり20万人から50万人くらいというふうに言われてますね。
本当に私ね、いろんな場面で大塚さんとお知り合いになってお付き合いするようになってからですね、興味を持って見てみると、結構いろんなところでオカリナ教室とか、愛好家の方のサークルとかがあるなというのは目につくようになりましたね。
そうですね、カルチャーセンターさんですとか、あとはやっぱり公民館なんかのサークル活動で結構盛んに活動されている方が多いと思います。
なるほど。そういうことで、大塚さんは製造から販売、それから普及も一生懸命されているというふうに私はお見受けしているんですけれども、
楽器業界の変遷
実は大塚さんと私が知り合わせていただいたのも、日比谷音楽祭という音楽家の亀田誠司さんが一生懸命日比谷公演でやっている音楽フェスのところが、たぶん一番最初だったかと思うんですけれども、
私どもは実は今年の会から協賛させていただいて、少し考え持つようだったんですけれども、もう大塚さんは大先輩で、きっかけは何だったんですか?
2019年の初回の時から楽器業界でご案内があって、日比谷音楽祭の中で音楽マーケットというエリアを設けて、いろいろな楽器を無料で体験したり、
あとはワークショップを少しリーズナブルな価格で体験してもらうというようなことが最初のきっかけでした。
なるほど。じゃああまねくいろんな楽器を作っている方に声がかかったというか。
そうなんですよ。
その中で手を挙げられて。
その話を聞いた時に、これはいいなと思って、胃の一番に手を挙げさせていただきました。
実際に伺っても、今おっしゃったようなことなんですけれども、来場された方が体験をするということもあるし、それからご披露というか、愛好家の方が披露していただくみたいなね。
そうですね。演奏する機会もいくつかの箇所で設けられていて、音楽が流れてくる中のフェスティバルといいますかね、そういった形になっています。
なるほど。さて、ここで大塚楽器製作所さんの歴史をひも解かせていただければと思うんですけれども、実は今から100年以上前の創業期には、琴の弦、これを製造されるところからスタートされたというふうに伺いましたが。
そうですね。大正琴という楽器があるんですけれども、その大正琴の弦を製造するところから始まった会社です。
なるほど。大正琴って、いわゆる普通の琴よりもずっと小型でコンパクトで、一時期ものすごい大ブームになったんですね。
そうですね。
戦前のいろんな風俗を描いたような絵にもいっぱい出てくるぐらい。
そうですね。
一大ブームになった。そのブームに乗って弦の製造をスタートされたという感じですかね。
そういうことだと思います。
なるほど。その後、商品ってその時代に合わせて変遷があったと思うんですけれども。
そうですね。うちの会社は一つのことをずっとというよりは、いろいろなものを扱っていまして、大正琴の弦から、弦関係で言いますとエレキギターとかコースティックギターとかそういった各種ギター弦、それからギター本体を作ったり和琴を作ったり、そういった時代もありました。
なるほど。そうすると、例えばギターで言えば、エレキギターっていうのは1960年代にいわゆるエレキブームっていうのが来てね。
はい。
ああいうのがあったし。
それから、これはちょうどどっぷり僕たちの世代なんだけど、その後にフォークブームっていうのが来て。
そうですね。
オカリナの歴史
もう、丘サーファーっていって、サークボードを持って歩くのと同じような、あの感覚で丘ギタリストみたいな感じで、私も思ってたぐらい。それぐらいブームになりました。
その当時は、そういうギター弦について絶好調におかれになられたってことですかね。
そうですね。はい。
なるほど。太郎さんはちなみに何年生まれてらっしゃった?
私は1971年生まれです。
そうすると、まさにフォークギターの弦っていうか、クラシックギターの弦っていうか、それがご商売の中心だった時代ですかね。
そうですね。その頃に私が生まれて、おそらく私の父はそのギター弦を商売にして私を育ててくれたのかなと思います。
なるほど。
はい。
とにかくカラオケがない時代でしたからね。みんななんかやっぱりそのギター、ジャンジャンジャンジャンこうやるだけなんだけども、それに合わせて歌うとかね。そういうのがね、盛んになる。
そうですね。人の輪ができるとやっぱりギターを誰かが持ってて、それに合わせて歌うっていうようなことがね、多かったというふうに聞きますね。
なるほど。オカリナというね、今主力になっておられる。この楽器に会社として関わりを持つようになったっていうのは、いつの頃?
それこそ本当に私が生まれた1970年、71年ぐらいからなんですけども、現在会長の私の父が会社の経営者というよりは営業が得意だったようなんですよね。
それで業界の仲間の人たちが持っている商材を、俺が売ってきてやるよ、みたいな感覚でいろんなものを取り扱っていて、その中の一つにオカリナがあったというふうに聞いてます。
なるほど。まだまだね、イタリアの発祥というふうに聞きますけれども、日本では非常に輸入されてきた当時は、愛好家がまだまだ限られてたと聞いてますけれども。
そうですね。今からおそらく60年ぐらい前だと思うんですけれども、オカリナをイタリアから日本人の方が持ち寄って、そしてそこの周りで愛好者といいますかね、少しずつ広まっていったというふうに聞いてます。
最初はですから、お父様が輸入のオカリナを売ってきてやるよと言って、売るところからスタートしたんですけれども、そこから間もなくしてオカリナの自社ブランドを立ち上げて、手応えがあったんでしょうね。
そうですね。オカリナはいくつかブームがあったんですけれども、その時だいぶ売れたんだと思うんですよね。
最初は仕入れて、それで販売するという形だったんですが、多社ブランドだったんですよね。ただ1年間経ってよくよく聞いてみたら、仕入れ元の9割型、うちの父が売ってたというようなことで、あれば全部購入するので自社ブランドつけてほしいと。
そんなような流れだったと聞いてますね。
なるほどね。すごいね。まさに川下のところから川上に上がっていったという感じですよね。
そうですね。
当時、ナイトオカリナというブランディングで、ナイトってまさに夜なんですけど、これはどういう言われなんでしょう。
私が祖父に聞いたところによると、皆さん仕事を終えて、その後夕方から夜にかけて音楽を楽しむというようなのがその頃の習慣だったということで、それでわかりやすくナイトという名前をブランド名にしたと聞いてます。
オカリナとの出会い
なるほどね。当時、そうするとオカリナがどんどん売れてるから、うちの中にオカリナがあったかどうかわかりませんけど、何か身近にオカリナって感じてたっていうのはあります?多分少年時代、青年時代だったと思いますけど。
それで言うと、ちょうど僕が4歳、5歳くらいの時だと思うんですけど、オカリナの取説にちょっとしたオカリナを吹いている子供の写真を掲載していただいたんですが、そのモデルに私、なったことがあります。
そうですか。ラジオなんてお見せできないですけど。それはでも吹いてる風?
そうですね。吹いてる風です。
大塚さんご自身、オカリナ以外、若い頃、エマリー・ダルマで楽器ってやられてるんですか?
実は私、全然楽器とは縁がなくてですね。小学校の授業でやったリコーダーぐらいしか記憶になくて、どちらかというと運動ばっかりやってたタイプでしたね。
大塚さんの青春時代のご自身とはかかりのないところで、青春時代のたくさんご飯食べるものをわからないみたいなところの中でオカリナが活躍してたっていうことですかね。
でも、どんどんそういうお父さんのご努力もあって、オカリナが普及していったということですけれども。
その中で、だんだん大塚さんも自分の父親がされている会社も意識されるようになり、後を継ぐということももしかしたら考え始められたんじゃないかと思いますが、その辺はいつ頃からどうだったんでしょうか。
そうですね。やはり一番考えたときは、大学4年生のときの就職活動のときですよね。
そのときに、いずれ私は会社を継ぐという使命なのか、いやいやいやでもちょっと自分でも一肌あげたいなみたいな意識ですとか、そこで色々迷いながら就職活動をして、ひとまずは銀行系のシステム開発の会社だったんですけれども、そちらに就職したという形になります。
それが何年くらいそちらにお勤めですか。
4年くらいですかね。
そのとき大塚さん何歳になられたんですか。
僕は25歳、6歳くらいですかね。
お父上は。
私の父はそのとき私よりも24歳上なので、ちょうど50くらいだったと思いますね。
でもいい頃合いですよね。そこからどちらからまずお話があったんですか。
私もその頃いろいろ会社に入ってずっとこのまま継続していくのか、それとも何か違う道に行くのか、それとも自分の会社を継ぐのかというようなことを迷った時期だったんですけど、
そのときに実はちょっと本当にプライベートなんですけど、今の家内と出会いまして、
うちらの家内の父も自分で授業を始めた方だったんですね。
ただそちらは2人とも娘だったので後継者がいないということで非常に困っていたというような背景もあって、
今の家内にいろいろ迷っているんだったら会社を継ぐのがいいんじゃないのというふうに背中を押されまして、
それで父、その当時まだ存命だった祖父と相談して歓迎されて入ったというような形になります。
なるほど。そうすると奥様としてはそういうご自身のお父様とご自身の関係みたいなものも意識されながら、
でも大塚さんには自分のところをじゃあついてよじゃなくて、大塚学貴さんの方向でやったらって背中を押してくれたという。
そうですね。
剣夫人だなあ。そうですか。
本当に日常的にも頭が上がらないんですけど。
でもすごいポイントのところでもって背中を押していただいたというね。
そうですね。
素晴らしいですね。
その時どうですか。ということは大塚さんから御申し出になられたと思うんですけど、
お父上ないしおじい様の反応というのは。
やはりその頃銀行さんの方から後継者どうするんだというようなことで、
いろいろやっぱり聞かれていた時期だったようなんですよね。
なので父や祖父にとっても渡りにくいじゃないですけれども、
これはようやく決断してくれたかというような、そういうようなムードで迎えていただいたような形になります。
でも本当に事業承継はいろんな形でなされていくし、
その準備期間も含めてなかなか難しいものもあるんですけれども、
ある意味では本当に一番いい形で自分の事業に、自分の元々の事業にスタートが切れたという感じですよね。
そうですね。入社してみて、やはり社員の皆さんも後継者これからどうなるんだみたいなことの心配はあったようで、
私が入ってきて人も安心してくださったというか、そういうことも良かったなと今振り返ると思いますね。
なるほど。ここから大塚さんの活躍が始まるわけですけれども、
それはまた次回以降ということで、またよろしくお願いいたします。
はい。ありがとうございました。
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