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#127 映画「ウォーターボーイズ」へのご出演から、日本酒居酒屋の開業に至るまで|ゲスト:平田賢さん
2026-05-07 15:36

#127 映画「ウォーターボーイズ」へのご出演から、日本酒居酒屋の開業に至るまで|ゲスト:平田賢さん

【今月のゲスト】 

「酒の道」パーソナリティ 平田賢さん 
【今回のトークテーマ】 

・映画「ウォーターボーイズ」へのご出演から、日本酒居酒屋の開業に至るまで 

・思い立ってから3ヵ月で開業。創業17年の歴史。 

東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

平田賢さんは、映画「ウォーターボーイズ」への出演を経て、日本酒居酒屋を開業しました。演劇学科出身で表現することが好きだった経験が、お客様をもてなす居酒屋経営やラジオパーソナリティとしての活動に活かされています。思い立ってからわずか3ヶ月で開業し、17年続くお店は、母親の家庭料理をベースに、自身の経験を活かした独自のメニューと雰囲気で、多くの人に愛されています。番組では、これまでの経験や今後の展望について語られました。

オープニングとゲスト紹介
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
パーソナリティを務めます、小篠光洋です。今、私がいる場所は、王子飛鳥山にある邸宅の談話室。こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
さて、今月は番組コラボとなっています。先月番組2周年を迎えられた渋沢くんFMの日本酒番組、酒の道からパーソナリティを務めの平田勝さんをお迎えしております。ようこそいらっしゃいました。
どうぞよろしくお願いいたします。
渋沢くんFMの日本酒番組、酒の道からパーソナリティが務めになるという、僕はてっきり佐紀さんが来てくれるのかと思いましたが。
はい、大変恐縮でございました。
なんだ、あなた一人か。
佐紀さん、今日はシフトで休みだということですね。
シフトで休み。どうですか、別の日でもよかったんだけどね。ということで、平田さん、よくお越しいただきました。
はい、よろしくお願いいたします。
平田賢さんの北区との繋がり
ということでございまして、平田さんとはずいぶんお付き合いも長くなりましたけれども。
もう10年以上、いろいろ大変地域でお世話になっております。
こちらこそ本当にね、地域に酒の風を吹き込んでいただいたら、まさに平田勝さんだと思いますけども。
そんなそんな。
さてですね、平田さんと北区のつながりというところからちょっとお話を伺っていきたいと思いますけれども。
はい。
一応生まれは北区ということになるのかな。
近くの、このあたりは女子医大とか生まれているかと思うんですけど、僕は女子医大。
その後ずっと堀船に、おじいちゃんがやった会社、運送屋だったんですけど。
昔、大地製鉄とかありましたよ。それで入りの運送屋で。
両親が、僕が小学校上がる前に足立に家を買いまして。
小学校時代は足立なんですけど、ちょっといろんな事情で中学の頃、また堀船に戻ってまいりまして。
ただ、足立も中学から行っちゃってたんで。
北区の学校に通ってないので、北区の教育は受けていないながらも、娘のPTA会長もやったりとかっていう感じでしょうか。
なるほど。
だから、小学校とか中学校の地元の友達っていうのが。
全然いないです。
いないってことですね。
幼稚園が、実は大地のあたり、ご出身の有名女優さんと隣りクラスだったりだとか。
そういうのはあるんですけど、ほとんどないですね。
なるほどね。
いや、それも全く僕も同じでね。
僕も1歳から20歳まで千葉にいましたから。
ほんとね、48年ぐらい北区にいるからさ。
王子にいたり、結婚当時は足立の実家に住んだりとかして、いろいろあるんですけど、基本的にはずっと大人になってから足立、北区にいるって形ですね。
そういう意味では、僕もどっぷり北区って思われてるけど、実は68年のうち20年ぐらいは抜けてるというね。
着せると言ってますけどね。
僕もそんな感じですかね。
どうですか。
演劇への興味と「ウォーターボーイズ」出演
さてですね、今居酒屋のご伝授をされながら、後で触れますけれども、北区の日本集作りにも大変貢献をしていただいてるんですけども、
日大の芸術学部、通称日芸の演劇学科、演技コースを卒業というね、いつ頃からこの演劇に興味を持ってここに進んだんですか。
これ、両親が舞台系の仕事をしてて、父も同じ学科コース出身で。
そうなんだ。
なので、中学受験もそこから日大の附属を目指してたりだとか。
だから自分で役者をやりたいって思ったことは、思い返すと実はあんまり、なんかもうお前はそこ行くんだよみたいな。
逆に子供の頃の目標が大学に行くことが目標になったみたいな部分もなかったわけじゃない。
ただ、学芸会とか、両親時代を思い出すとやっぱり主役やったりとかね、泳ぎ会とかしてたので目立ちたがり屋を抜けてなくて、今も番組やらせてもらってたりするのかなと思って。
演劇をやりたいっていうよりは、なんでしょうね。
でもまあ自分のフィルタリー、今思うと、演劇好きなんだけど、それよりも自分のフィルタリーとして何か伝えたいってことは好きなんだけど。
要するに表現することが好きっていう。
そうですね。ただセリフを覚えたりとか、振り付けを覚えるっていうのはあんま好きじゃんじゃなかったなって、今思うと思っております。
まあそれでね、平田さんの経歴といえば、もう輝かしいのが映画ウォーターボーイズというね、つまぶきさとしさんの出世作だし、
あとはあの当時、今はキラボシのごとくの名優がいっぱいでしたよね。
濱木ひろしさん、金子たかとしさん、実はその大勢の中に杉浦太陽さんとかいらっしゃったりですとか、あと大人計画の近藤恒恵さんですとか、
もう日本を代表する俳優さん、タレントさんがあんな中にいたっていうのは、すごい僕の人生で幸せな経験をさせてもらったなっていうふうに思います。
しかもこの映画もちろん大ヒットもしたんだけれども、2002年の日本映画プロフェッショナル大賞、これの特別賞で、
これをつまぶきさとしさんとウォーターボーイズの皆さんへということでね、団体受賞されている。
ありがたく、その団体で受賞したので、僕の言うそれが何か残っているわけではないんですが、
でもそういった受賞式にも呼んでいただいて、確か池袋の文芸座だったと思うんですけど、今建物買っちゃってますけど、そこに行って、
多分ああいった形で本人たちが一生懸命練習して、ゼロからシンクロも、実際メンバーの中で泳げない人間もいたんですよ。
要するにご覧になっていない方のためにちょっとお話しすると、シンクロナイズドスイーミングのチームを男子校に作って、
要するに当時まだ2000年というのは男性のシンクロナイズドスイーミングがなかった。
その時に高校生たちがそれを作って文化祭で発表していくみたいな、そのストーリーなんだけど、
これ実は川越高校、埼玉県の川越高校の実はなんだと。
それと全く同じように泳げない人も含めて、シンクロナイズドスイーミングはもちろんやったことのない人ばかり、その人たちが合宿生活から作っていった。
本当に高校の部活の合宿じゃないですけど、年齢はちょっと25歳くらいまでいたりしましたが、
本当に体操出身者とかもいて、そのメンバーは本当にクロール50メートル泳ぐのもやっとみたいな。
ところから1ヶ月後には作品作れるぐらい相当トレーニングをしましたし。
トレーニングをして1ヶ月という期間出てきましたけども、その合宿がスタートして、実際にクランクインまでってどのくらい時間?
本当に1ヶ月ですね。8月のお盆ぐらいに、9月の10日。寒かったんですよ。9月の15日クランク。
ギリギリでタイトなスケールで、なかなか撮るって決まってもプールが決まらなかったりとか。
でもすごいね。下手くそなところから始まって、本当に上手になっていく、あのプロセスを撮るのに、
素人ばっかり集めて1ヶ月半ぐらいでやってるんだ。
それの指導者が、僕も所属した水の道化師、道化師トリトネスという水中パフォーマンス、今もあるんですけど、
そこの代表がフワヒサシさんっていう方で、北島浩介さんの前の前の日本記録を平岡に持ってた方。
だからやっぱり水泳を教えることもすごい上手で、本当に50メートル、25メートルやっと途中立ちながらっていう人も。
ただ体操のアクロバキティックなことができるからオーディションにかかって入ってきてて、そういった方も1ヶ月で泳げる。
制作されたのは、これの前の作品は四駆踏んじゃった。
それからこの後の作品が、いわゆる上野十二ちゃんの。
スウィンガールズです。
スウィンガールズということで、増井さん。
アルタミラピクチャーズさん。
ということで、そういう意味では両方ともすごくリアルにスポーツ音楽をゼロから始めていく成長物語三部作みたいに見えるような作品でもある。
そうですね。あとはシャルイーダンスですとか、頑張っていきましょうか。
そういった作品に長けた映画制作会社さんで、ウォーターボイズがスマッシュヒットして、あれは撮影期間2ヶ月くらいなんですけど、
スウィンガールズはウォーターボイズ売れたから女の子たち集めて予算も倍くらいになって、最終的に僕らのプロモーションはお台場で裸になっただけなのに、
彼女たちはニューヨークのマンハンターかなんかで演奏したりとか。
まあまあ、男ばっかりだもんね。
ジュリちゃんだとかさ、元帰り屋ゆかちゃんだとかさ、かわいい子がいっぱい出てるのはしょうがないな。
そうです。私平玉さんが出てるもんですから。
でも、本当にゼロから集団を作り上げていって、映画という表現に結びつけたというところがやはり団体受賞に結びついたところ。
それをプロフェッショナルが強化したと。
そういった映画はほとんどなかったんだね。
大変だぞ、素人集めて。そこをやっぱり評価されたってことだよね。
まあ、合宿中、若者たちだからいろいろ言えないことがたくさんありますけど、たまにつまぐみさんがインタビューで喋ってくれたりしますけど。
でも、本当にそれは素晴らしいつながりになって、今でも。
たまに飲み会したり、今年も1回1月につまぐみさんに行きつけたとこに集まって。
平玉さんにとっては宝物だね。
そうですね。役者やってて、何出たの?って衝撃状とかじゃなく、名刺代わりになるような作品に出れたのは幸せでしたね。
なるほど。さっきもちょっと触れましたけど、表現するという仕事をされたというのは、今の人生とか仕事とかそういうものに生きているものってある気がします?
日本酒居酒屋「つどっこ」の開業
まず居酒屋。本店は小さいカウンターがあって、目の前にお客様がいて。
まずお客様にこの空間で楽しんでいただく。
飽きさせない。
当然、お料理残されて帰って悔しい思いもする時も当然あるんですけど、
とりあえず来ていただいた方に楽しんでいただきつつ、そういったとこが役立っているんじゃないかななんて。
人前で喋ることもこうやってね、僕も酒の道をやらせていただいていて、お話しさせていただくことも多くなってますので、
そういったとこに生きているんじゃないかなとは非常に思っております。
そうですか。さて、2009年に今のつどっこというお店を開業するという決断をされたということなんですけども、
これは何か理由とかあったんですか?
ノリと生きるだけの人生のそのままで。
実は別の仕事をしてて、この秋に結婚が決まってたんですけど、
あの頃隣に福助さんだとか、ちょうど入れ替わりもあったタイミングなんですよ。
外席に出している隣のお店があって、飲みに行ったらたまたま今のうちの店舗が開いてて、
母親が、あんた今の会社辞めて、私とお店やろうよと。
だってさっきご両親もどちらかといったらそういう芸能というか。
母はダンス教室もやってて、妹も大きくなったので。
飲食はだからご家族としても初めてだったんですか?
ゼロですね。
母がもともと家に行ったから、友達呼びなさいよ、呼んでもいいよって言って、
警告終わりで5人10人連れて行っても、ご飯用意しててくれる。
マッサルンチュンのご飯おいしいなってみんな言ってくれてるから、料理は自信がある。
僕も居酒屋でちょこっとだけバイトしたことあるから、生ビールは注げるから、できるかもしれない。
事業計画なんて書いたことすらないみたいなところから、
本当に5月に飲みに行って7月に店開いてましたので、
本当に勢いだけです。何も考えずに。
でもね、そうは言ったってやっぱりベースがあったってことだよね。
お客様とのリレーションっていうところで、さっきの演劇というか、そういうところも。
その頃父の周りの飲み仲も王子にいまして、
俺らが飲みから大丈夫だよって、そのおじさんたち全然飲みこなかったですからね。
逆に変な常連がいるよりも、ゼロベースで平田さんの雰囲気も出しながらのものが定着していったっていうのが。
3ヶ月ぐらいで逆に父たちの飲み仲間のおじさんたちが、
若干こういうこと言われるのでうるさくなり始めて、それで勝ち終わったのかなって思ったりもしてましたね。
創業17周年と今後の展望
早いもんで、創業もう17周年。
この夏でそうなります。
どうですか。節目という点で言うとあと3年後に20周年ということなんですけど、
そうなんですけど。
思いはございますか。
まずちょうど再開発もあるエリアに1号店はあるものですから、
まず20周年そこで迎えられるかどうかっていうところが。
ただその20周年まではうまく迎えられて、
ちょうどそれぐらいで、
第何章かわかんないですけど、そこの1回の幕引きみたいなのを迎えられるといいかなみたいなところは思ったりもしてますね。
僕も何度かガラスでやられたことあるけど、
何ていうか居酒屋っていう点で言えば、ある意味どこにでもある居酒屋であるんだけど、
でもメニューとか、それからやっぱり店の雰囲気とかって、
逆に言うとどこにもない居酒屋っていう感じもするじゃない。
料理が母親の家庭料理ベースの中に僕がお刺身覚えたりだとか、
あだこうだしてたもんですから、
逆にそれがあったかさというか、他にないと飲食店らしからぬところというかですね、
そこの部分で柔軟にできたのかなって思いもあります。
立派なもんだと思いますね。
さて、次回は帰宅の飲食の可能性なんていうところにも結びつけながら、
もう少しお話深掘りしていきたいと思います。
また来週もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
15:36

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