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TOKYO NORTH MOVEMENT-飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイディアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今月は衆議院議員、高木けいさんをお招きして、番組をお送りしてまいりました。
今日は第4回、いよいよ今月ラストということになります。
前回は、ここの北区にフォーカスを当てて、いろいろ聞かせていただいたんですけれども、
最終回は、北区にゆかりのある渋沢栄一に視点を当てて、お話をしていければというふうに思っています。
第3回、第8回の渋沢くん、よかったですね。
いや、驚きましたね。いよいよ渋沢くんですよ。渋沢くんがメジャーデビューですよ。
WBCの栗山さんが、23年の大農会。それで24年は渋沢くんからスタートですから。
いや、これは株が上がるでしょ。期待しますよ。
だってこれ、第8回の金を鳴らす話というのは、安倍総理とかそういう人はやってたじゃないですか。
渋沢くんですよ。
渋沢栄一さんの後ろ盾、そこがあるということで。
何よりも選んでいただけたのは、新支援発行日が7月3日ということで決定をした。
タイミングいいですよね。
タイミングを逃さなかったのはすごい。誰がやったのか知らないけど。
渋沢栄一さんのおかげ、それからこのFMの総帥の大前さんの努力、それからやっぱり山田区長の行動力です。
これはすごいね。感動しましたね。
お札は実は国立印刷局ということで、帰宅でこれも実際に作っているということで、また7月3日も大きないろいろな行事がある。
これもどういうふうに関わられるか楽しみなんですけれども。
さて、まさに今年は渋沢栄一の年ということなんですけれども、高木さんは渋沢栄一の思想や考え方なんかで、ご自身の活動に反映させているとかそういうことはありますかね。
前にですね、私は渋沢栄一さんと誕生日が一緒でございました。
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そうなんだ。
3月16日はなんと。
実は渋沢さんの誕生日って2月って言われてるんですけど。
旧歴ね。
だから新歴に直すと3月の16日がその誕生日ということだね。
そうなんですね。
じゃあだからどうしたということで次にお話をいきたいと思いますが、どうでしょう高木さん、渋沢栄一の思いとかを。
思いはね、僕はいっぱいあるんですけど。
思い出深いのはね、実は小学校の時に担任の先生が代わられた時があったんですね。
たまたまお休みになるということで代理の教員の方が来られて。
その方がですね、初めて私たちの教室に来て挨拶をした時に、私はね渋沢栄一さんを尊敬してるんだっていう。小学校4年生だったかな僕。4年か5年ですよ。
昭和50年ぐらいだったんですね。
という話をされて、へーと思って渋沢栄一って誰?みたいな。子供ですから。知らないわけですよ。
子供じゃなくても中学高校の歴史の教科書でも、渋沢栄一って少なくとも僕の習ってた教科書は山川出版かな。
第一国立銀行を作った渋沢栄一。
その程度ですね。
あと、冠のように日本資本主義の父とかね。出てるだけで。何も詳しい説明なんか何も聞いたことなかったから。
日本資本主義の父とかね。そういうフレーズは知ってたけど。子供だからその時は知らなかったけど。
その話が実はすごい鮮明に覚えてたの。
なんで渋沢栄一ってこの人言ったんだろうと。この先生はと。
思ってずっとその話が心に引っかかっていて。
大人になってから渋沢栄一を知るに従ってね。いやすごい人だなと。
しかもその人が飛鳥山に住んでいたということを知った時には感動すら覚えて。
それで私ね、郷土史を勉強することは大事だっていうことを、実は都議会議員の時に石原知事に予算委員会でね。
郷土史こそ大事だって質問をしたことがあるんですよ。
その時に北区飛鳥山には渋沢栄一が住んでいたんだと言ったら、ほーって石原知事が言ってくれたっていうね。
いやほんとそういう思い出が。
石原知事が感心するってあまり見たことがない。
そうだったんだみたいな感じで石原知事がね。いや郷土史は大事だっていう風に言ってくれましたけどね。
東京の都議会の前身である東京府議会の話から明治の時代はどうであったかという話と、
自分の私の地元はこうだったんだという話の中で渋沢栄一の名前を言いをしたんだけども、そんな記憶があってですね。
だから渋沢栄一という人が北区ゆかりの人であってということで、いろんな書物を読んだりとか研究をしたりとか、
特に大河ドラマの青天をつけは毎回欠かさず見ててですね、非常に感動的だったなと。
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私先週の放送でも夢っていう言葉を随分言ったと思うんですけど、北区の夢。
渋沢栄一がやっぱり夢ななくんですよね。
これはもう、もともとは吉田松陰が夢なきものに成功なしとこれを言った。
それを渋沢栄一が自分なりに付け加えたんだろうと思うんだけども、
吉田松陰の夢なきものに成功なしはもうちょっと短いんですけど、
渋沢栄一のその夢ななくのはですね、ご存知だと思いますけど夢なきものは理想なし。
理想なきものは信念なし。信念なきものは計画なし。計画なきものは実行なし。
実行なきものは成果なし。成果なきものは幸福なし。
故に幸福を求むるものは夢なかるべからず。これが渋沢栄一の夢ななく。
つまり夢を持たなければ、渋沢栄一は資本主義のいわゆる経済で生きてきた人ですから、
幸せになれないんだよとこうおっしゃったんですね。
この大元になっている吉田松陰が言ったことは夢なきものには成功なしとこう言ったんですね。
同じようなことで夢なきものっていうのは結局成功できないんだよと。
こう言った。このことはね、やっぱり僕は人生にとって一つの理想を求めたり夢を持つということが
いかに人間の行動に影響を及ぼすのかということにおいては
渋沢栄一さんはやっぱり素晴らしいこの夢ななくんという言葉を残していただいたなというふうに思っています。
なるほど。実は僕夢ななくんのことってあんまり着目してなくて十分にしなかったんですけど
それは本当に小学生とか中学生とか北区のね、そういう子どもたち、若い人たちにこそ本当に伝えていきたい言葉ですね。
そうですね。だから子どもが渋沢栄一さんのことを例えば知ったときに
まあ私もこうなりたいんだという仮にそういう子どもがいたとすれば
やっぱり夢を持って自分の人生を歩んでいってほしいというふうに伝えたいなと思いますよね。
僕は今東京証券取引所さんのCSR活動ですか、一緒にですね小学校中学校でちょっと渋沢栄一さんの話をするとかって機会を得てるんですけど
そういうときにね、北区の小学生中学生ってすごく立派な渋沢栄一に関する複読本ができてて
それで勉強してるんで、結構渋沢栄一さんのことを知ってるんですね。
それこそ私のように第一国立銀行だけ作ったってないんで、本当にいろんなことを知ってて
僕がそれでも僕なりに勉強したことで伝えたいことをお話した後に小学生が来てね
ちょっと質問がみたいな感じで、何?って言ったら
私は渋沢栄一さんのような人になりたいんだけど、どういうふうにすればいいんでしょうか?
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時間も入りましたね。
その夢奈々くんの話は、僕自身が何か僕の言葉でってなかなか語れないんで
ぜひ次はそのお話をしたいと思いますね。
かつてね、行政の仕事は夢を一つ一つ潰していくことだって言い切った人がいましたけど
いましたね。そういう人はいましたね。
夢のないところになかなかいいものは生まれていかないんですよね。
その通りだと思いますよ。
夢があって初めて頑張ろうっていう力が出てくるんだろうと思うし
こうありたいとか、この程度だよねと思ったらそこで止まっちゃうじゃないですか。
やっぱり常にこうありたいっていうものを
現実との調整はもちろんしながらだと思うけども
そういう気持ちは常に持っていたいなと思います。
お話ちょっと視点変えますけども
冒頭ね、渋沢くんの活躍のお話をしましたけれども
北区は2020年だったんですかね。
聖典をつけの舞台となる飛鳥山に着目をしてですね
そこに絵画ドラマ館っていうのを誘致して
この辺のところが一つのきっかけとなして
渋沢栄一プロジェクトということで
その前の世代っていうのはそんなに渋沢栄一さん地元で
北区飛鳥山にお住まいがあってってことだったんだけど
あんまり北区それをきちっと発信してもらわなかったんだけど
ここ数年はね、本当に観光協会も頑張って
すごい発信してますよね。
いや、本当そう思いますね。
これやっぱり観光協会をはじめとする民間の皆さんの
やっぱり後押しがあってできたと思うし
何よりその飛鳥山の支部沙手があったところが
開放されてすごく綺麗になったじゃないですか。
あれは国にとってはすごい財産ですよね。
あそこだって入れなかったんだから。そもそも。
そうですね。今ね、実は飛鳥山ご存じない方も
いらっしゃると思いますけれども
もともと北区の公園管理事務所だったところの一部を
役所の方にも開放していただいて
そこに支部沙手にちなんだお土産をたくさん売っている
北区お土産館というのを作りました。
こちらは北区観光協会が運営をされているんですけれども
あの時、お土産作りをしようという風に発案した時に
実は北区でお土産になりそうなものは
10本の指に足しないぐらいのところだったのが
今本当に200のアイテムが生じているということで
やっぱり何か今回の4回のお話で通じるものがあると思うんですけれども
何か一つのポイントをつかまえた上で
そこにみんなで力を集中していく中で
いろんな新しいものが生まれていくっていうね
そういう感じは実感として経験としてしてますね。
だからね、結局東京にお土産って
え?っていう感じで思っている人が多いわけじゃないですか。
だけど逆に見ると東京のお土産って貴重だと思いますよね。
しかもそれが渋沢の一つのコンテンツとして
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東京であり渋沢でありということの価値を
やっぱり我々自身が評価を低かったんじゃないかなと思うわけです。
前回だったんですかね。そういうふうに田木さん言ってたけど
やっぱりひるがえってみると
自分たちもそこで自己規制っていうか
小さくまとまっちゃってたみたいなね。
だからもっと適切にね、自己の評価も含めて
帰宅の評価、それから渋沢というコンテンツの評価
そういうのを本当にきちっとやった方がいいし
それはやっぱり売り出せることだし
ましてや渋沢くんが東京証券取引所の大八回に
行っていただけるというぐらいまで育ってきたんですから。
だってあれだって本当に今申し上げたような経緯の中で
観光協会の上の上手な女性がね
あれをこう書いてくれてっていうところから
あのキャラクターが生まれてということですから
だから何かみんなが渋沢一という一つ
僕らシビックプライドの象徴なんて言い方もしてるんですけれども
その渋沢一さんをそこにフィーチャーして
何かことを始めたということの中で生まれてきたものなんですよね。
いろんなことがアイデアとして出てくると思うんだよね。
こういうことをやっていると。
ですから渋沢一ゆかりの地である
例えば埼玉県の深谷市があったりとか
あるいは江東区にはね
今度は渋沢の本拓が再建されたわけじゃないですか。
清水建設によって。
ですからそういうところとコラボレーションがあったりとか。
だって今回ね
飛鳥山で撮れた工房を使った日本酒っていうのを
観光協会がプロデュースしてですね
作ったんですね。
こないだの東京諸国会議所の新年会でもですね
お出ししたりとか非常に好評なんですけど
これもですね本当に全く新しい発想というか
実はその飛鳥山が盛り上がってるっていうことを聞いた
醸造の研究をされている方がですね
実はこういうことをやったら面白いと思うんじゃないですかって
本当にこうジャストアイディア思いつきみたいな形で
なんか話してくださったんですよ。
それをそれだったらダメ元だから
その工房とやらを探してみようじゃないかって言って
一生懸命ね観光協会の若い方たちにも協力して探したら
そういうものが見つかった。
しかもそれはワインを作る工房にもよく似てる
非常にいいものだっていうことですね。
お酒お飲みにならないけど
すみませんけど工房ってどこにいるんですか?
僕もちょっとよく分からないんですけど
公共の放送でいい加減なことは言えないんであれなんですけど
木とか動植物のところにいるようなんですけど
いるんだ。
よく生息してるの分かったね。
いやなんとかしないけど必ず井戸畑だっていう
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なるほどね。タクシーに基づいてね。
いやそんなのって言ったら何も起きてないわけですよ。
だからやっぱりね渋沢さんのお言葉の中にもですね
自ら箸を取れっていう言葉があってね。
いろんなご馳走が並んでると。
だけど自分で箸を取って食べなかったら
その成果は得られないし
美味しいとも思えないよっていうことですよね。
まさにそのご馳走があると。
それを開けて食べてみる。
それが生まれるっていうことがね
だんだん北区では起きてきてるような気がして。
素晴らしいことですね。
これはね国レベルで言うとね
科学技術に対する研究費の助成だとか
何が要するに役に立つとか
何が当たるか分かんないわけじゃないですか。
それも別にその分け隔てなく
どんどん要するにやっていくと。
国が支えていくんだよと。
いうことがやっぱり大事なのと同じように
やっぱり自分でその自己規制しちゃって
そんなことねってやっちゃったら
その候補も発見できなかったってことですよね。
そうですよね。
そういうの大事だよねやっぱりね。
それとね渋沢さんの思想っていうものを
よく表すことまで。
これは実は渋沢健さんって
渋沢栄一さんの夜叉子の方がいらっしゃって
私も親しくさせていただいてるんですけど
その方の受け売りで僕が行って回ってる話で
渋沢さんはかではなくてとだと。
つまり英語で言えば
かではなくて&だと。
AとBをとで結びつける。
つまり論語とソロマンですよね。
あたかも全く対極にあるようなものを
結びつけて新しいものを作っていくと。
新結合、イノベーションなんてことにも
つながる話なんだけど
それがまさに帰宅の中でも
起きてるような気がするんですよね。
いいことですね。
まさに渋沢精神がっぽんですよ。
がっぽん。
本当そうだと思いますよ。
どうですか?
政治の世界も都の精神で
いろいろできそうなことありますか?
どうでしょうね。
政治はね。
民主政治は多数派を
作ることが大事なんですから
そういう意味ではまさに都の精神なんですよ。
誰々と誰々と結んでいく。
あるいは野望ではなくね。
きちっとそういうグループを作っていく。
こういうことに渋沢精神は
何々と、いわゆるアンド
というのは役に立っていくんじゃないかな
と思いますよね。
帰宅新時代でもありますけれども
やっぱり日本も新時代だと思うんで
やっぱり高井さんはじめとした
皆さんの活躍で
政治の世界にもやっぱり
イノベーションを起こしてもらいたいと思うんですが
おっしゃる通りでしょうね。
イノベーションは常に大事。
それはもう政治は特にね。
と思います。
今年はいろんな大きな選挙も
こないだ終わりましたけれども
大統領選挙も
アメリカの大統領選挙もありますね。
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大変な年になると思いますけれども
皆さんどうぞ体に気をつけて
ご活躍をいただきたいと思います。
全4回にわたり
高木慶衆議院議員に
インタビューをさせていただきました。
大変貴重なお話
裏話も伺うことができて
本当に盛りだくさんになったと思います。
ぜひまた遊びに来てください。
ありがとうございました。