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TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
パーソナリティを務めます小篠光洋です。今、私がいる場所は、大地飛鳥山にある邸宅の談話室。こちらに、北区内外の笠谷企業か経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。今月のゲストはこの方でございます。
こんにちは。高橋ゆるみです。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
高橋さんはJTBの社長会長を歴任されておられまして、現在も様々な取り組みからツーリズム産業を牽引して、観光振興発展の一丸になっているという方でございまして、実は私が会長を務めます東京商工会議所北支部でございますが、こちらの担当の副会頭として、いろいろ普段からもご指導をいただいているということで、今日はご出演をいただきました。ありがとうございました。よろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いいたします。
高橋さんというと、今申し上げましたように観光業界のドンでいらっしゃいますので、ここでちょっとお聞きしなきゃいけないのは、年頭早々に野党で地震がございました。本当に亡くなった方には心よりご迷惑をお祈りいたしますし、また復興に向けて我々もご支援をしていかなきゃいけないとこういうふうに思うんですけれども、観光業という視点から我々どんな形で何を支援していったらいいんでしょうか。
私も長い間この業界にいまして、天変地異のいろんな事件や事故に遭ってきました。今回の野党反動の地震も2007年に3月に1回大きなのがありまして、その時以上の状態だというふうにお聞きしております。
東京商会議所も今、回答も1月の12日に金沢商会議所や富山商会議所、七尾商会議所、皆さんお会いしていろんなお話をしているところなんですけれども、観光の立場からすると復旧についてはですね、やっぱりインフラ整備はなかなか我々の仕事としては難しいんですが、その復旧が整った後の復興については大いに役立つ仕事だというふうに思っております。
従って数ヶ月インフラにかかると思いますけれども、ぜひともそういうものを準備をしてですね、そういうことが号令が鳴ったらすぐに動き出せるようにしておく。
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それからもう一つがあまり被害を受けなかったところに対する副業以外というのがありまして、これも改善をしていくというのも、トヨリズムあるいは観光産業の大きな仕事ですので、この2つの面からしっかりとこれから1、2ヶ月の間に準備をしながら、しっかり対応していくというのが重要なのかなというふうに思います。
なるほど。風評被害といいますと、野党での地震ですから同じ石川県内とか、そういうふうに私たち想像するんですけれども、かなり広範囲に風評被害が出ているというような話があります。
そうですね。岐阜県や長野県、あるいは福井県、それから新潟県もそうですけれども、結構なところでですね、キャンセルがたくさん出ているというふうに聞いておりますので、一般のお客様に行きましょうというのは難しいんですけれども、
しかしやっぱり行けるところにはですね、ぜひ行っていただいて、逆にそういうことによって地域は震えますから、そのことによって元気が出ていく、そういう元気を与えるというのは観光ツーリズムの大きな仕事ではないかなと思っています。
ショッピングということに関しても後で詳しくお伺いしますが、ツーリズムの一つとしてという話がある中で、こういう時代ですからインターネットとかそういうもので物を買うということも大事かもしれないですね。
そうですね。3.11の時に私は東北の対応をやったんですけれども、なかなか人が行くのに時間がかかった時に、やっぱり東北6県の物産をですね、インターネットや通販で売っていくという作業も旅行業界としてもやっていました。
ですからそういうこともですね、併せて総合力をどう生かすかというところがポイントなのかなというふうに思います。
後ほどもお話ししますが、ツーリズムはその総合力をたくさん持っていますので、それにフルに動かしてですね、現実的に実装していくというのがすごく大事かなというふうには考えています。
今回のノト地震に関して言うと、実は台湾から大変20億を超える原金が集まっているという話があって、これは日本区と実は田谷さんが社長の時代でしょうかね、に始められた台湾とノト空港の2wayの車田便の開港、香谷との連携みたいな、そこのこともあるというふうに伺っているんですが。
台湾の方から見ると、香谷さんが台北に旅館をオープンしてからだいぶ経ちますけれども、昔からノト半島と台湾とはすごくかかわりがあって、お客さんがたくさんいらっしゃったんですけれども、そういう意味で台湾の皆さんが日本にたくさんいらっしゃるときの最初のきっかけを作ったのは、香谷さんであるノト半島で、今回の地震についてもすごく気をもんでいらっしゃるんじゃないかな、
そのプロセスの中で、たぶん今回の義援金とかそういう話が出てきているんだろうと思います。大変ありがたいなというふうに思っています。
そうですね、本当にありがたいということと同時に、やっぱり観光という広い世界の中でのコミュニケーションをつくっていく仕事というのが、何かこういうときにも実は生きてくるんだなという気がして、すごく感動するんですけれども。
トゥーリズムはトゥーウェイですから、コミュニケーションがなければ人流というか人の流れができませんので、そういう意味でこういう天変地異とか事件があったときに、この間のジャルの件もそうですけれども、世界のいろんな関係者が応援してくれる、そのことについて日本の国民としても大変感謝すべきかなというふうには思っています。
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はい、非常に幅も広く奥も深い観光、そしてツーリズムのお話、この5回に分けてですね、これから伺っていきたいというふうに思います。ということで、まず今日は第1回目なので、田川博美さんという方がどういう方なんだということから聞けと、こういう指示が来ておりまして、子供の頃からのお話を伺いたいんですが、今回は北陸の地震ということなんですけれども、田川さんのご出身も福井県ということなんですね。
はい、父が福井の出身で、私は生まれも育ちも東京なんですけれども、まだ本籍を福井に置いてある、こういう関係で、実は子供の頃、父は一人男で長男で、私も一人男で長男で、田舎のおじいさんが小学校の3年生ぐらいから中学の2年生ぐらいまで、毎夏休みは福井で過ごせという、ほとんど指示にしていたんです。
7月の20日、25日ぐらいから8月の20日、25日ぐらいまでずっと毎年1ヶ月間福井に行きました。そのおかげで、私は実は社長になったとき、マスコミから小さい頃の写真を見せてくれと。見せるとみんな田んぼの写真。他にないんですか?って言ったら、いやいやこれしかね、夏休みの写真がほとんどないんですよね。
それで今でも小さい頃の田んぼのイメージってすごく強く持っていて、お米大事だなと今でも思っています。
福井県というと、僕らは火曜サスペンス劇場で、東尋坊とか、日本海の荒波みたいな印象があるんですけれども、高谷さんのふるさとというのは、いわゆる田んぼで、山で、そういうイメージでということなんですね。
伺うところによると、実はこれ学生時代に至るまでの間、もともとは土木の道にお進みになりたかったというふうに伺ったんですが。
これは、いつも皆さんにお話しするんですけれども、ちょうど僕らが育った高校から大学の時代っていうのは、新全国総合計画という、いまいふうに言うと、日本強靭化計画みたいなものだったよね。
その一つの象徴的なのが、青函トンネルとか、本市火橋とか、新幹線とか、そういう大きなインフラを整備するので、田中博恵さんの時代だったんですけれども、
もともとチリが好きだったから、そういうのを見ると、やっぱりそういうのをやってみたいなと思って、じゃあそれをやるにはどうしたらいいかと言ったら、
いや、土木工学っていうのが理科系にあって、そこ行くとトンネル作ったり橋作ったり、そういうのをやるから、当時は新幹線を作ってましたから、
昔の国鉄の研究所が見た際にあって、そういうところに行ける。それで土木を目指そうと思ったんですけれども。
福井県というと、屑流川に大きなダムがあったり、それから先ほど台湾のお話がありましたけれども、小松あたりは台湾の大きなウザン島ダムを作った八田佑一の出身地であったりとか、
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もちろん福井、西川、富山を発祥とする今の土木のほうのゼネコンも多いですよね。
小松製作所さんもありますし、ああいう研究をつくって。やっぱり何と言っても私の好きだった鉄道の新幹線が全国に張り巡らされる。
今年3月16日に福井に来ますけれども、そういう流れの中でやっぱり仕事をしてみたいなと。
大きなものを作りたい。多分一番青春として思うべきことなのかもしれませんけどね。
あの当時は石原雄二郎、三船敏郎が出てくる黒部の太陽なんていう映画が作られたり、僕は建築ですけど、
当時は霞が関ビルの超高層の明物なんていう映画が作られたり、本当に建築土木っていうのが若者の憧れの仕事みたいな時代でしたね。
日本がやっぱり成長するにはそういうインフラがしっかりできていないと物流も人流もできないなと思ったから、
そういうところでやりたかったっていうのが一つの目標感でしたね。
それが観光というふうになったというのはどういう?
これは自分の恥なのかどうかわかりませんけれども、高校で大学を受けて浪人しちゃって、
ある予備校に行ってお話したら、ちょっと理科系に向かないんじゃないかって言われて、
何が理科系に向かないか今だかって不思議なんですけども、
その時に先生というかその方が、交通経済学っていうのがあるよと。
そういう学問があるんですかと。これはどこにあるんですかって言ったら、すべて小学部にあるんですね。
小学部系にあるんで、それでもともと高校が独教高校って目次論であったから、
また高田のボアに行くのはいかがなものかと思って、それで京王の小学部の交通経済学を。
交通論でもともと自分が専攻したかったのが鉄道よりも道路経済、最初は物流に行くつもりだったんですね。
ところが1970年万博の年が大学の4年生で、3月にオープンした時にすぐ行ったんですよ。
たくさん来てるんですね。あの時一番目玉が月の市だったんですよ。
たくさん来てですね、なんかたくさん人が動いてるんですよ。いやこれすごいなと思って。
たまたま私の大学のゼミの先輩に、日本交通工事社で入った方がいて、
4月の頭に試験がまだ前なんですけど、言ったらこれから物流よりも人流の方が面白い。
人を浮かすことの仕事としては面白いよっていうので、ちょっと感化されまして、
それで物流の一番の通運会社に行くよりも旅行会社に行こうということで交通工事社をやった。
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交通工事社が旅行で仲をやってるっていうことよりも、人を浮かす仕事をしたいっていうのが最たる目標だったんで、
これはこの業界って50数年経ちましたけど、今でも変わってないんですけど、
それが今の観光やツーリズムに変わりがあるかなとはちょっと思ってますけど。
まさに今語られた時代っていうのは、1964年の東京オリンピック、そして1970年の大阪万博。
今また2020年東京オリンピックから万博と。何かこの50年を経て、
ただ朝にまた青春が戻ってきてるっていう感じですね。
今まさに高校生、大学生の皆さんはちょうどそういう時期を過ごしてて、
あの時はものづくりっていうのがすごく盛んな時代だったから、
ものを作るっていう、それからグローバル化っていうのが多分メインだったと思うんですけど、日本の復興でですね。
今回は意味がちょっと違いますけども、でもやっぱり子どもたちに与える影響はやっぱり大きいんじゃないかなというふうに思いますね。
だから逆に言えば、その万博を見たら、これからそういう業種業態に入ってくれるとありがたいなと。
大阪万博、なんかいろいろ規模方変もいろいろあるんですけれども、皆さん覚えてないんですけど、
結構70年の大阪万博の前も、ああでもない、こうでもない、いろいろ言われたし。
悩んでできるんですけど、あとは新幹線も本当にもうギリギリで作ってね、高速道路もそうですけども、
何かことがあると日本人って集中力があるから、多分大丈夫なんじゃないかなとは個人的には思っています。
そうですね、どういう盛り上がり方になるか、そういうことも含めてですね、いよいよ時間になってまいりましたので、
第2話以降にいろいろお伺いしていきたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。