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2024-11-17 17:05

棚卸し回 インビジブルアセットを棚卸し2


会社員をしながら自家焙煎コーヒーをドリップバッグに詰めて売ってます。

大好きなコーヒーや、大好きなビールについて放送します。
不定期でライフワークの空手や古武道についても話していきます。

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朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術。
おはようございます、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。
昨日に引き続きまして、自分のインビジブルアセットを棚卸ししていく
自分を掘り下げる旅に出ています。
自分が今持っている、見えない資産とも言うべきスキルセットとか
属性みたいなものをどうやって手に入れてきたか
何を投資して手に入れてきたかみたいなことを語っています。
昨日は大学生の時代までをしゃべってみたんですが
もう一つ、昨日言い忘れたことがあって
結構重要なポイントなので付け加えさせていただきます。
大学生のときにやった活動で合唱団の運営をやっていましたね。
運営と言っても、自分で運営するのではなくて
学年、3年生の学年で執行部みたいなものを作って
集団をどうやって進めていくかみたいなことをやるんですけれども
自分がただ参加するだけでなくて
お金を集めて目標に向かって組織を進めていくという
投資者、投資者として活動できたことが
すごく財産になったなと思っています。
いろんな人がいるわけですね。
その中で、自分一人ではなくて何人かの役割分担をした中で
どのように何を目標に、どんなビジョンを目標にやっていくかみたいな話を
青臭い話から実務的な話までを
同じ学年の仲間とできた、そして苦労しながら失敗しながら
前へちょっとずつ進めていったというのを1年やりました。
3年やったんですけれども、1年間は中心としてやりました。
この経験はなかなかかけがえのないものであったと思います。
組織にいても、ただただ乗りしかしてないという状態と
自分が主体となって運営するということとは違うことなので
ある意味リーダーシップですかね。
チキリンさんなんかがよく言うリーダーシップというものを
自分ごととして捉えることができたなと思っています。
ここまで大学生の時です。だいぶ長くなりました。
ここから先は、親に与えてもらったお金や機械で
得られたものではなくて、社会人になってからのことなので
全て自分で考えて、自分で時間とお金のリソースを
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区面して再投資していくということをやっていった時期になります。
社会人になると、私の場合は最初京都の会社に勤めました。
京都の会社なんだけれども、勤め先は福井県の大野市ということで
大変山奥に行ったわけですね。
本社から出向する形で新入社員が配属されてくるんですけれども
工場では地元のローカル採用の社員の方も何人かいます。
そういう人たちの中に飛び込んで仕事をしていくことになるわけですね。
この頃から全く知らないところにどんどん飛び込んでいくという
安全地帯を捨てて出ていくということができるようになりました。
地元のローカルのサッカーのチームに混ぜてもらったりとか
行きつけの飲み屋を作って何軒か自分で歩いて飲みに行くみたいなことをやっていましたので
この頃から自分のリソースをネットワーク作りというんですかね
人脈作りとか会社以外のところでもしっかり何か得ようという風に
使うことができていたと思います。
会社の中ではまた別にですね
会社の中にある時間、会社の中にいる時間を使って
計測とか分析系の機会を一通り勉強した
勉強というか教えてもらいましたね。
あとは統計解析の知識ですね。苦手だったんですけれども
統計というものが工業の現場では非常に役に立つということで
結構統計的手法みたいなものの良さを理解した上で
統計の統計解析、実験計画法みたいなものに取り組めたのが大きかったと思います。
この頃はね自分でやっぱり求めていってこういうのを勉強したので
それに伴ってですね一緒にパソコンを使うスキルがね
だいたいエクセルで僕らは全部やるので
エクセルのスキルっていうのがついてきましたし
それがね今も生きているなと思っています。
はいここがね最初の会社ですね。
そして2つ目の会社に行くところになります。
これが今の会社なんですけれども
今の会社へ移ってくる時に結構色々ね色んな業界のことを調べましたね。
そして自動車業界に挑戦してみようということで
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愛知県に帰ってきたわけです。
その時も6社確か受けたんですね。
電気業界と自動車業界と両方受けたんですけれども
電気業界は全部ね落ちた落ちてしまって
自動車業界に社が取ってくれるということになって
なんとかね今の会社に入ることができました。
今の会社を選んだ理由というのは
社内教育システムが充実しているかどうかというところを
大きな先行理由にしました。
なので実際に今の会社に入ってから
かなり社内教育を利用させてもらっています。
もちろんね意味があるものないものっていうのが
最初わからないので
入社してからはやみくもに色々やったって感じですね。
その中で実は一番良かったのがですね
就業時間中の教育ではなくて
就業時間が終わった後に自分でお金を払って
英語講師を雇って社内の仲間を集めて
英語の教育を会社の会議室で
週に1時間だけ受けるっていう会社がですね
あっせんしてくれていて
グルーピングとかをあっせんしてくれたんですね。
それに行ったのが一番良かったですね。
何が良かったって
やっぱりしゃべることができない状態だったので
ネイティブスピーカーの人たちと
たどたどしくてもいいので
会話になれるってことができましたね。
これを何シーズンぐらいやったかな
半年で1シーズン
確か半分以上出席すると
半分は会社から帰ってくるっていうので
1万円ぐらいに確かなるんですね。
で半年毎週1時間の授業
授業というかクラスをグループディスカッションに参加して
1万円っていう感じだったと思います。
それを自分でちょっとだけ払って
払ってですね
半年っていうのを確か5クールぐらい受けたと思います。
そのうちにちょっとずつ会話するっていうことが
怖くなくなって
英会話もできるだろうと。
そしてトイックの点数は勉強で取れるようになりますので
あれは独学で携帯アプリなんかを使って勉強しました。
でそれをやることで
確かトイックの点数で言えばその時ショボショボでしたけど
550点まで上がったんですよそれでも。
でそれが良かったようで
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僕が働いていた部署では
トイック500点以上の人が2人しかいなかったんですね。
このおかげでアメリカ赴任が決まったと言っても過言ではないです。
もちろんね技術的なスキルは
修行時間中に積極的に取り入れていったので
それもあったんですけどね。
それちょっと後で話します。
英語は自分で本当に自分の時間とお金を使って
会社の補助を少しだけ使って勉強していった覚えがあります。
あとですね
今の会社の最初の頃にやったのは
会社が出してくれるお金を出してくれる教育には積極的に手を挙げて
確かねトヨタ自動車の学園とかで電子回路の教育があったんですね。
トヨタテクニカルセンターで1週間の電子回路の講習を受けたりしています。
もともとね私大学の時は化学しかやってないので
電気電子ってわかんないんですね。
なんだけれども今の職場に来て自分でちょっとずつ勉強して
そういった教育にも行って演習をさせてもらって
回路をちょっとずつ触っていくうちに大体ね分かってきて
今は大体回路がどうやって動くかみたいなことを理解できるようになりました。
これもねその頃に自分で手を挙げて
まあ仕事は忙しくなるんだけれども
会社のお金も利用しながら自分に投資してきたので
自分で機会を作って得られたというふうに思っています。
であとですねプログラムですね。
プログラム系私は機械制御系のプログラムを少し勉強しています。
あのコンピューターでガリガリ
いろんななんだデータを処理するっていうようなプログラムはやってあんまりやってないんですけども
PLCって言われるような
なんていうのかなシーケンス制御機械をどういう順番で動かすみたいなのを
独特なねプログラム言語があるんですけども
それをまあ仕事の中で覚えていきましたね。
一緒にねロボットのプログラムもですね。
まあロボットのプログラムなんかは結構ビジュアルベーシックみたいなのに近いところもちょっとあって
ビジュアルベーシックなんかも同じように触ることはできます。
この辺りを一通り自分が仕事をしながらですね
興味を持って広げていったことで
その辺のアセットは積み上がっていて
機械をね丸々一個部品図から書いて組み立て図から部品図から書いて
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自分で組み立てて配線して自分でプログラムを書いて
LINEに入れるなんていう内製の仕事もさせてもらうことができました。
これはね一個自信になりましたね。
その他に社会人になった今の会社の最初の5年でやったことの中には
ハンダ付けっていうのがあります。
ハンダ付けの工程が結構多いものですから
ハンダ付けの原理原則みたいなものを結構勉強しましたね。
そして良いハンダ付け悪いハンダ付けっていうのを
判断できるような資格みたいなのがあるんですけれども
そういうのを取って技能検定も受けましたね。
2級技能士みたいなのは取りましたし
その過程で得られた知識みたいなのを業務に生かしていくことで
ハンダ付け装置の設計みたいなことをさせてもらいました。
これもねいい経験でしたね。
ここからはアメリカ不妊ですね。
最初の6年経過した後にアメリカ不妊で5年です。
その5年間では自分の知識を生かす場ではあったんだけれども
再投資してそれを新たに勉強するって機会はちょっと少なかったですね。
英語については自然に再投資というか
毎日10時間以上英語に触れるので自然に上達はしましたね。
そういう意味では再投資になっていたかと思います。
アメリカ不妊時代で新たに得られたスキルというのは
生産管理ですね。
現場を見る機会が多いので
生産部も私の見る範囲に入っていましたので
毎日現場に立って部品が足りなくなるのは何でかみたいなことをやってましたね。
そして不良を低減するみたいなことも毎日やってました。
なので物の流れがどうやったらスムーズになるかみたいなことを
実態を通して体を使って知ることができたという機会になります。
アメリカ時代は得られたスキルというのは
緊急事態対応のフレキシビリティみたいなことを学ぶことができましたね。
この前の火事の話でひたすら喋ったようなことを
年に3回4回あったのでそういう対応をしていましたね。
ここまでがアメリカ時代。
そしてさらに日本に帰ってきてから
ここからは私の苦手だったマネージメント分野と向き合うことになります。
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アメリカにおった時にマネージメントができてなかったっていうのもあるんですけれども
日本に帰ってきてからは自分のプロジェクトみたいなのを
いかに計画立ててマネージメントしていくかということを
その時の上司に口すっぱく言われたおかげで少しだけ意識することができました。
あんまり苦手なんでまだできてないんですけれども
スケジュールをどのように管理するか立てるかみたいなことが
少しその時から意識できるようになってきました。
そして今はそれらの再投資したものというのが積み上がってきて
新しい会社でのプロジェクトをさせてもらっていると
新事業新事業新たな生産技術を使った商品を立ち上げるということを任せてもらっています。
責任者ではないですけどね。
リーダー的な位置をいただいているので
この辺の再投資した結果が今自分の収入アップ
仕事のやりがいアップみたいなものにはつながっているような気はしています。
はいちょっとねだらだらとしゃべって申し訳ないんですけども
自分が持ってきたインビジブルアセットっていうのを
どのように再投資して育ててきたかみたいなのを壁打ちしてみました。
はいちょっと自分で聞き直してですね
さらに文書にまとめたいと思います。
はい今日はこの辺にしたいと思います。
明日はね俯瞰してもう少ししゃべれるようにしたいと思います。
では今日も頑張りましょう。
ばいちゃっ!
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