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2024-11-16 10:24

棚卸し回 インビジブルアセットを棚卸し1


会社員をしながら自家焙煎コーヒーをドリップバッグに詰めて売ってます。

大好きなコーヒーや、大好きなビールについて放送します。
不定期でライフワークの空手や古武道についても話していきます。

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朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術、こんばんは、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。
今日は、自分株式会社の対借対象表ということで、お話をしたいと思います。
自分を一つの会社として例えて、収入や生活の質を向上していこうというワークショップを、ボイシーパーソナリティ木下ひとしさんのコミュニティで実施しています。
今回は、自分がこれまでの人生で、どのようなリソースを使って自分に投資をして、どんなスキルを獲得して、そしてそれをまた使って新たに収入を得て、それを使って新たなものを獲得してというような、
そういった自分の人生を振り返ってみて、どのようにスキルを獲得してきたか、そのための原始はどこからきたのかという意味で、壁打ち的に対借対象表という話をしてみようと思います。
それをノートにまとめる予定ですので、今日は全書選ということでお話します。
まず私は自分の一番小さい頃、親からいろんなものを受け取って自分を磨いてきたというか、自分一人の人間として育ってきたわけですね。
そしてその中で、やっぱり比重が大きかったのは、おばあちゃん、おじいちゃんというのがそこそこ小さい頃には比重が大きかったです。
小さい頃、小学校3年生ぐらいまでは、おじいちゃんおばあちゃんと同居していましたね。
そしてもっと小さい頃は、父親の妹、おばさんも一緒に住んでいた覚えがあります。
そしてそのおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる間は、おじいちゃんは中学校の校長先生だったので、中学校に毎日出勤していくんですね。
しかもすごく近所の校区の校長でしたね。
で、うちのおばあちゃんは車を運転しておじいちゃんを毎日送って行ってたんですね。
うちのおじいちゃんは、昔交通事故をして、右目が見えないんですね。事故の影響で片目が潰れてしまって、義眼が入ってましたね。
で、おばあちゃんが毎日毎日車を送って行ってたということを知っていました。
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そういえばですね、そんな様子もね、私のインビジブルアセットとしてあると思います。
そしてそのおじいちゃんおばあちゃんと一緒にですね、中学校に行ったりということも経験していますね。
あと、おばあちゃんと一緒に畑へ行ったり、畑仕事を手伝うというよりは、見ていたというようなことは結構あったと思います。
何分田舎ですから、うちのおばあちゃん家から歩いて、1分ぐらいのところに何坪でしょうね、200坪ぐらいの畑がありましたね。
今はね、そこを潰して弟とおじさんが住んでますけどね。
そんなこんなで小さいうちは、小学校ぐらいまではですね、親とかですね、祖父祖母のおかげでですね、いろんな習い事をさせてもらってましたね。
主に一番長くやったのは剣道、そして続かなかった書道とかソロバンとかそういったものもありましたね。
その頃は剣道をやってたんで、他の習い事はほとんどできなかったですね。
そして、中学になってくると塾に行かせてもらったり、半分遊びみたいな塾でしたけどね。
勉強もちょっとだけして、あと中学は友達とサッカーをやったりとか、あと剣道部でしたね。
そういうのに明け暮れていました。
あとですね、夜に家を抜け出して友達の家に遊びに行ったりとかですね、お泊り会みたいなノリで悪い友人の家に集まってですね、ビール飲んでみたりとかギター弾いてみたりとかそういうことを中学の時はやっていましたね。
ちょっと勉強もしてましたけどね。
そして、高校になるといよいよですね、自分でいろいろやりたいことをやっていくんですね。
これもね、親のおかげで自由にさせてもらったというところが大きいです。
サッカーやってましたね。なぜか高校からサッカー部に入るというね、傍聴に出て一生懸命サッカーやってましたね。
あの頃が一番やっぱり体力がありましたので、高校の3年間、中学もまあまああったんですけども、高校の3年間で培った体力の貯金みたいなもので、残りの人生をね、なんとかやり過ごしているような感じがします。
そして、高校の時はバンドを少しやってましたね。学園祭向けのバンドを組んだり、年末のイベント向けに洋楽のコピーバンドをやったりしていましたね。
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何やってたかなぁ、ハロウィンとか歌ってましたね。そう、そんな感じですね。
あとは、高校のうちは最後の方はですね、親にお願いしてね、塾に行かせてもらったりして、ちょっとだけ3年生の時は受験勉強をしました。
そんなことを続けながら、なんとかですね、大学に入ることができて、長野県の大学に進学するんですが、そこではいろいろ得ることができましたね。
これはね、本当に親のおかげですね。18歳になったばかりの子供に一人暮らしをさせてくれたわけですね。
結構なお金もかかりますし、勇気のいることだと思います。全然生活力があると思えないんだけども、一人でね、家から遠いところで過ごさせてくれたわけですね。
このおかげで、かなりいろいろなものが身につきました。
まずはアルバイトというのをいくつかやりましたし、自分で生きていくので、もちろん料理、掃除、洗濯、家計のやりくりみたいなことまで自分ですべてやるという、あと公共料金の支払いをしてみるとかね、そういうことも含めて全部自分でやってみるということができるようになりましたね。
そこでバイトもして、1年生の時は確かコンビニをやってましたね。そして大学の時はスポーツは全くやらずに、軽音楽部と合唱部、合唱団ですね。
で、自由に過ごさせてもらいました。この頃はクラシック寄りの音楽に夢中になっていたので、すごく耳を繊細に鍛えることができたなと思っています。楽譜もある程度読めるようになったのはこの頃ですかね。今はちょっといい加減ですけどね。
そんな感じで大学時代は、スキルで言えばそういうところ、あと人付き合いですよね。結構大きい合唱団だったので、いろんな人がいましたね。大学にずっといる人とか、7年生とかですね。
あとは年下の子も、男の子、女の子、ネクラな人、明るい人、ちょっとヤンチャな感じの子とかいろいろいましたので、いろんな人と付き合うことができました。
そして、軽音楽部でももう少し幅の広い感じの変わった人たちが、音楽オタクみたいな人たちとか、お酒好きみたいな人たちと仲良かったかは知りませんけども、付き合いがありましたね。
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大学の時は、そういった狭い世界ではあるんですが、学生という中で思いっきり音楽と人間を観察するということができたように思います。
その頃に、2年生からバイトしていた和食のお店のご夫妻は、まだ付き合いがありますね。長野県の私のお父さんお母さんだと言っても過言ではないでしょう。また会いに行かなくちゃと思っています。
大学卒業までで9分喋ってしまいました。結構いろいろなインビジブルアセットを、この頃までに親のおかげでいろいろ得ることができました。今日はここまでにしたいと思います。大学までですね。結構長いです。
そしてそこからは、自分で投資した分もあるので、また明日喋ってみようと思います。長くなってしまいましたが、今日はここまでです。では、おやすみなさい。バイチャ!
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