29日のイベント参加
オカンの話なんて誰が聞くん。本日は、6月30日になってしまいました。
なっちゃったが、29日の話をしたいと思います。28日の話も絶対するけど、絶対するけどって誰にも勝手って感じだけど、するんですけど、残しておきたいから。
ただちょっと、29日の出来事に対する感情が消えてしまう前にここに残しておきたいので、ちょっと一旦、一旦29日の話します。
28日の話も29日の、分からなくなってきた。28日の話も撮ってたんですけど、ちょっとうまくまとまらなかったので、出さないことに、出さないことにというのかな。
また話そう、改めて話そうと思いました。
28、29と一泊二日で東京に行っておりまして、
28日はリッスンのことだったんですけど、夜だったので、泊まりになったんですよね。
で、29、土曜日は何も当初は予定はなかったんですが、
たまたま、ほんとにたまたま、たまたま一週間前に、ちょっとあるイベントのチケットを見つけてしまいまして、東京のね。
私がこのタイミングで東京行く、でここでイベントがある、もうそれって行けってことですよねと思って。
もうこれチケット取って行けってことよねってなって、ちょっとイベントに行ってきました。
何かと言いますと、スピードのね、ホワイトラブのね、スピードのひろちゃん、しまぶくろひろこです。
しまぶくろひろこさんのイベントが、ファンミーティングなんですけど、
イベントが29日の土曜日のお昼、一部二部とあって、私は一部に行きましたけど、
神田スクエアビルというところであったんです。
それに行ってまいりました。
スピードのひろちゃんに会えた喜び
ちょっと本当にちょっともう、もうちょっとどうしたらいいのかわかんない私は本当にね。
あのスピードが本当に小学生の頃大好きで、あんなに、今私ちょっとビーファースト好きとか言うてるし、好きやけど、好きやけど、
好きやけど、あんなに純粋に一つのグループとかアーティストが、あんなにも純粋に好き、もうめちゃくちゃ好き大好きってなったのって、スピードだけな気がする。
後にも先にもスピードだけやと思う。
好きよ。ビーファーストも好きよ。やけど、それはオーディションを見て、スカイハイがプロデュースしてるんですけど、そのプロデュースを見てとか、なんか事務所を見てとか、いろんなその、なんていうの。
もう結構条件付きの好きみたいな感じ。
例えるのなら、この人は年収もいいし、家柄もいいし、私が欲しいって言ったものを買ってくれるし、みたいな、なんて言うんでしょうか。
本当に条件で選んで、この人好きってなる感じがビーファーストかもしれない。言い方悪いかもんですけど、でも好きなんですよ。好きなんだけど、結構条件ありきの好きって感じ。
でもスピードは、そんなの全然、だってなんて言ったって、小4、小5、小6とかそれぐらいの時に好きだったから、好きな理由なんてわからんけど、とにかく好きみたいな、どこがいいとか言葉にならないけど、とにかく好きなのみたいな感じの好きがスピードだったんですよ。
それってもうね、後にも先にもないわ。きっとこの先も出てこんだって絶対いろいろ見ちゃうもん。
良くも悪くもですけど。でも本当にめちゃくちゃ好きで、ライブとかもね、2000じゃない?2000じゃないのよ。1998年のライブと1999年のライブに、それこそ京サラドームに連れて行ってもらっていて、今もね、ステッカーとか残ってるんですけど、その時の。
ステッカー買ってもらったりさ、Tシャツのグッズ買ってもらったりさ、ファンレター送ってみたりさ、それも最初で最後よ、ファンレター。
送ってみたり、CD買ってもらったり、映画してたの見に行ったり、エレクトンで弾いたりとか本当に、本当になんかもう結構当時の全てを捧げてたぐらい、ほんまに好きだったんですよね。
だけど2年で解散してしまい、初めてその、その時そんな言葉もなかった知らなかったけど、ロスみたいなものをもう小五六にして味わっちゃったんですよね。
だからそれから、きっとそれ以降、そのあんまり、なんかアーティストとか、アイドルグループとか、なんかそういうものにのめり込めなくなってしまいだって悲しいから解散したら、多分ね、そこまで分かってなかったと思いますけど、無意識でぐってなんかのめり込むのが怖いみたいな風になっちゃってて。
それ以降は、そんなにめちゃめちゃのめり込むアーティストとかいなかったんですけど、でもほんまに好きだったんですよ。今なんかステッカー出てきたけどさ、じっかから持ってきたやつ。
スピードドームツアー1999リアルライフオリジナルステッカーっていうやつがあるんです。
これもさ、一枚も使わずに置いてあるんですよ。
私がこんなにスピード熱がもう一度出てくる前にね、じっかからこのステッカーを持って帰ってきて、部屋に置いてるのを旦那が見て、
こんなスピードのステッカーとか、いつ使うんみたいな、開いてへんやんしかもって言って。
開いてへんステッカー、これから先開けることある?みたいな感じでね、言われてたんですよ。
いやけどさ、これ開けてなくて正解やと思う。このまま飾っときたいもんなんなら。
ちょっと、いやー、しかもさ、一周回って今っぽい。すべてが。
なんか、めちゃくちゃ今っぽい。ほんとに。
まあそれをね、正午の娘に言ったらね、めちゃくちゃ今っぽくない?って言ったら、
まあ確かに今っぽいけど、昔のやつをちょっと変えて今っぽくするのと、昔のものをそのまま持ってくるのは訳が違うからママって言われたんですけどね。
あの、確かに昔のものも、今のね、韓国アイドルみたいな服装してたりするけど、一緒ではない。確実に変わってるって言われたんですよ。
すいませんってなったんですけど。
で、ちょっとライブに、ライブじゃない、ファンミーティング。
そもそも、あの、しまぶくろひろこさんはソロで活動ずっとされて、まあそんなに大きくではないかもしれないけど活動されてたけど、私はもう中学校に入るタイミングぐらいで、
もう、そこからは終えてなかったから、何ならその解散してからはもう悲しすぎて終えてなかったから、個人の活動も。
だから、まあイベントに行くとかライブに行くみたいな発想もそもそもなかったんですよね。
ていうかもう、やっぱ4人が良かったからっていう気持ちがあったのかな。
まあその他にもいろいろこう、私の実生活がとっても忙しかったから。
部活したりとか慣れごとしたりとか、でね受験あったりとか、いろいろ忙しかったから、だいぶこう離れてたんですよ。
で、ずっとまあスピードとかそれこそ島袋ひろことかからも離れていて、でスピード再結成しますってなった時も、なんか気にはなってたけど、なんかねそこにこう気持ちを戻せなかったんですよね。
戻したいけど戻せへんみたいな感じ。
またのめり込んだら怖いからみたいな感じ。もう傷つくのが怖いからみたいな感じになってたんですよ。
なんですけど、なんかこの間名古屋のイベントで懐かしい話をちょっとテーマにして話してたっていうのもあったりとか、
かいさんとおだじんさんが島袋ひろこファンなので、ポッドキャストでそういう話されてたっていうのもめちゃくちゃあって、
久しぶりにスピードの曲聴いてみるかって思って聴いてみたり、当時はなかったYouTubeが今はあるから、ライブの映像が出てたりとかするから、
まあ違法かもしれないけど、ちょっとそれ見てみるかって思って見てみたりとか、
して、ちょっとスピードが私の中で再び熱くなってき始めていたんですね。
で、東京に行きます。
次の日は予定ないですっていうタイミングでイベントを見つけちゃって、ちょっとこれ行かなきゃいけないと思って行ってきて、
で、ファンミーティングって何かわからんけど、とりあえずひろちゃんが見れたらと思って行ってきて、
そしたらさ、
私その、1998年と99年のライブって、もう京セラドームの本当に後ろの方の席で、しかも小4、小5、小6とかそれぐらいの年だから背もちっちゃいし、
もう、あの、米粒サイズだったんですよね、スピードの4人が。
でもそれでもめちゃくちゃ幸せで、その同じ空間にいるっていうことが、ほんまに幸せで、もう、なんて今でも覚えてる本当に。
あの、多分夏なんよね。
夏の暑い中多分行ったんちゃうかな。
で、会場に入るときの瞬間とかさ、その外から、会場の外から会場の中を見たときに、
こう、空気が違う感じとか、ステージがバッて広がってる感じとか、めちゃくちゃ覚えてて。
で、その後もDVDだったか、ビデオずっと見てたから、ライブの。
だから、忘れてたけど、YouTubeとかで見ると、うわ、この映像めちゃくちゃ見てた、めちゃくちゃ繰り返し見てたっていうのがブワーって思い出されて、
もうほんま泣きながらね、スピードのライブ映像を見てたんですよ、お風呂とかで。
で、それをなんか旦那とかに、なんかママ泣いてるんやけどみたいな、こわーみたいな言われたりとかしながら見てたんですよね。
だから、いろんなタイミングが重なって、ソロになってからのヒロちゃん全然分からんけど、
でも分からんくても、今のなんかヒロちゃん見れたらいいな、みたいな感じで行ったんですよね。
ヒロちゃんの出現
そしたらさ、もういい意味で会場がすごく小さくて、
米粒の時は周りのダンサーなのかヒロちゃんなのか分からへんかったけど、
もうすごいヒロちゃんがいたのよ、もう実在したのよ、ヒロちゃんが。
で、これはね、かいさんの怪談という番組で一緒にお話しさせてもらったので、詳しくはそこでいろいろ出ると思うんですが、
ヒロちゃんがさ、会場の横のところから、やっほーみたいな感じで出てきたんですよね。
でもその時点で、あれどれぐらいの距離?どれぐらいの距離あれほんと。
その時点で顔とかも余裕ではっきり見えるって感じ。
本当に近かったんです。
で、それを見て、もうブーってなんかちょっと泣けてきてさ、もうヒロちゃんやーみたいな感じで泣けてきて。
で、そしたら会場をこうぐるっとヒロちゃんがさ、回ってくれたんですよ、その後に。
で、もう出てきた瞬間私ウェーってなってるのに、ヒロちゃんがこっちに向かって歩いてきて。
やーほーみたいな感じでさ、マイクを持ってさ、あのヒロちゃんが歩いてきて私はもう泣いててウェーみたいな感じになってて。
そしたらヒロちゃんがあの、私に向かってマイクをね、向けてね、どっから来たの?
って言ってくれたんです。もうやばすぎんこれもうほんとに。
ほんでもう私はもうウェーってなりながらもう京都ですみたいな感じでさ、言って会話してしまったんです私ヒロちゃんと。
あんな小学生の頃米粒みたいに小さかったヒロちゃん、米粒みたいに小さかったヒロちゃんっていう言い方はちょっとおかしいかもしれへんけども、私には米粒サイズしか言ってないんですよ。
あのでしか手が届かなかったヒロちゃんが。
なんともうほんとにこの目の前に来てさ、もうどっから来たの?とか言ってくれてさ、もう私はさ、もう京都です。これ言ったなこの流れ言ったな。
京都ですって言って、もう会話ができて、で私ね、あの、もうほんとに。
でこれスピードのひとえちゃんが絵を描くのがすごい好きでうまくて、ひとえちゃんが描いた絵をグッズにしたときがあったんですよね。
これがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でこれがライブのグッズだったんじゃないかな、ちょっと懐かしい。
でこれがライブのグッズだったんですよ。
でもできてて良かったよ、本当にさああっ・・・
小学生のときに着てたTシャツやからね。
しかもあんまり着てなかった気がする。
もったいなくて、
ramen こピントが取れちゃうかもしれれば
それが嫌で、
多分、ほんまに一群として扱ってたと思うんですよ。
たぶん、ほんまに一群として扱ってたと思うんですよ。
でそのTシャツを、
実家の母に電話をして
スピードのTシャツ何枚かあったよなってねトールっと
になったから、探してくれへん?って言ってお願いして、んなら持ってきてくれたTシャツなんですよね。で、もう一枚ね、そのライブTシャツもあった気がするんですけど、私の記憶では
いつ見てもお母さんが着てたんですよ。あのパジャマで着てたり、ヘア着で着てたり、で、オレンジのTシャツやったんですけど、だんだんだんだんだんだんだん色あせていった様子とかも私すごい覚えていて、
だってなんて言ったってお母さんが毎日着てるから。で、それが、それもあるんちゃうかなって思ったんですけど、それは探してもなかったって母が言ってたから、
ズタボロになるまで着て捨てちゃったんかなと思ってるんですけど、
いやもうそれで、もう爆泣きですよね。もう会話の後とか震えて、もう爆泣きを。
で、私が泣いたのにつられて隣の方も泣いちゃって、よかったですねーとか言って言ってもらえて、私ももう興奮して小学生ぶりなんですみたいな感じで話してね。
で、私は今回結構トークが多かったから、そんなに歌って6曲とかぐらいだったんですけど、
なんかもうヒロちゃんが歌うたびに泣けてきて、で、結構お隣の方も泣いてらっしゃって、
そこまでちゃんと話してないからわかんないんですけど、きっとスピードが好きやったんやろうなっていう。てか今も好きなんやろうけど。
スピードそうやんなーと思って。で、私もなんかもうさ、ずっと泣けてさ、もう本当にずっと泣けてさ、
なんていうんやろうな、もう。 当時のことも思い出すし、
うーん、なん、 なんていうんやろうなぁ。
なんかもう、 あの頃あんなに憧れて、しかも私田舎
なので、地元が。 だからテレビの中の人なんて、もう実在するかどうかわからんぐらいのレベルの遠い存在やったんですよ。
で、ライブに行くのにだって京セラドームまでめちゃくちゃ遠いから、家から。
だから、 やっとの思いして何時間もかけて京セラドームまで行って見れたのが米粒ヒロちゃんやったから。
だからもう本当に雲の上、手の届かない、もう別世界の人みたいな風に思ってたんですよ。憧れていたけれども。
そんな風に小さい頃に思ってた人が、もう余裕でこうなんていうの、
声が届くぐらい、叫んだら声が届くぐらいのさ、 ところでまた歌ってるっていう、もうその事実が
しかも途中でね、トークの途中でね、その一番最初に京都からですって言ってるから、その途中で
京都から来てくれた人もいたしね、みたいな風に言って私に向かって手を振ってくれたんですよ、島袋ヒロ子が。
もう1999年の時は米粒だった島袋ヒロ子が、私にあの京都から来たよね、みたいな感じでさ、手を振ってくれたんです。
もう京都に住んでて良かったと思った、本当に。もうなんてこと?もうやばい。
ちょっとね、感想がね、あのね、まだね、言葉になってないんですよね。これ言葉にならんかもしれん。
これ、あの、ある一定のラインを超えると、感情って言葉にならないですよ、これ。
もう、言葉にしたくもない。したくもない、もうもはや。
はぁ。もうちょっと今話してても泣きそうやもん。
なんかね、でもそのヒロちゃんの姿見てて思ったのは、40歳らしいんですよね。
当時、まだデビュー当時は小学生だったヒロちゃんが、今40歳らしいんですよ。
でも、めちゃくちゃかっこよくて、歌声もいい意味で熟されていて、すごいかっこよくて、
かっこよくて可愛くて楽しそうで、しかもなんか30代より40代の方が楽しいみたいな。
って本人も言ってて、で歌も良くて、それってまあご本人の努力もあると思います。
もちろんそりゃあある。
やけど、なんか、めちゃくちゃ勇気をもらえた。本当に。
うーん、なんていうのやろ。
こう、なんかさ、歳を重ねていくことでできなくなることもあると思うんですよ。
あのー、焼き肉食べ放題、これまで通りに食べてたらお腹下しちゃって、
本当にニッチもサチもいかなくなるとかさ、
なんかこれぐらい平気やと思ってたのに、なんかとんでもなく筋肉痛になるとか、
全然記憶力がなくなるとか、
ライフステージが変わることによって目動きが取りづらくなるとか、
まあいろいろいろいろいろあるんですよ。
そのマイナスっていうのはちゃうな、こうネガティブな方向に変化していくっていうのもある。
けど、なんかすごい楽しそうに、
40歳のヒロちゃんが歌ったりステージでおしゃべりしてたりするのを見ると、
いや本当にいいなっていうか、希望と勇気をもらった。本当に。
いやし、今はそのドームを埋め尽くすっていうレベルで活動はしてないかもしれないけど、
アーティストの活動の持続性
でも、規模とか活動の仕方とかは、
には関わらず、ずっと今も活動し続けてくれてるっていうのが、
本当にありがたいなと思いましたね。
活動し続けてくれてるから、途中で終えなくなっても、終えなくなってもさ、好きなものは好きなのよ。
好きだったものっていうのは好きなものなわけですよ。
で、いろんなタイミングでちょっと離れたりとか、戻ってきたりとか、
戻ってきたけどイベントに行けないっていう時期があったりとか、
イベント行くほどでもないかなみたいな時期があったりとか、いろいろあると思うんですよね。
アーティストに限らず。
そういうアイドルとか、歌手とか、バンドとかそういうのに限らずね。
あると思うけど、でも本人がずっと活動してくれてるから、こっちのタイミングで、
なんかこう、距離を縮めたり、
できたり、このタイミングだったら、あのタイミングではイベント行かれへんけど、このタイミングだったらイベント行けるっていう風になったりとかするから、
だからなんか、規模とかに関わらず、
活動を続けてくれてるっていう、しかもその歌を歌い続けてくれてるっていうのが、
本当にありがたいと思った。
島袋ヒロ子との共感
本当にありがたいことだと思った。
だからなんか私も、
私、あの島袋ひろこちゃんとね、自分を重ね合わせるのは本当に恐れ多いです。恐れ多いですけど、
あの、学び&感じたこととしては、
いや私も、
ポッドキャストも補足、
ポッドキャストっていうか、まあ活動ですよね。その杉部としての。
個人の活動は、
もう補足でもいいから、
続けようって思った。で、休んでも、
戻ろうって思った。
で、それってまあ自分がしたいからっていうのもあるけど、
やっぱりさ、一人でもさ、この番組がめちゃくちゃ好きで、まあママが自分を取り戻すラジオの方ですけど、
一人でもこの番組が好きって言ってくれてる人がいることを知っていて、
もう毎日聞いてますみたいな風に言ってくれている人がいることを知ってて、
この番組で本当に人生変わったみたいな風に言ってくれる人がいたりとかさ、
なんかこの番組がなかったら今の私はないとかさ、言ってくれる人がいたりとかさ、
本当に感謝してこの気持ちを伝えてくれる人がいたりさ、
なんか世界が広がったって言ってくれる人がいたりさ、
そういう人たちの言葉を、
が、ある、
って知ってる、知っちゃってるから、
そういう言葉をありがたいことにいただいているから、
一人でもそうやってね、言ってくれる人がいるんやったら、
うーん、なんか、
形とかやり方とか、
内容とかは、まあ変わっていくかもしれないけど、とにかく活動を続けるっていうことは、
せなあかんし、したいなって思った。
本当に。
本当に思った。
頑張ろうと思いました。
頑張ってるけどね、今もね。今もすごい頑張ってますよ。
今もすごい頑張ってるんだけれども、
あの、改めて思った。
ポッドキャストを頑張ろうと思った。
で、ママが自分のトリモノスラジオの方をちょっと、
今更新できてないんですけど、なんかちょっと形変えるっていうか、なんかちょっと、
なんかちょっと変えるフェーズだなぁと思ってて、
だからちょっと方向性が定まりきれてなくって、配信がちょっと止まっているとこもあるんですけど、
うーん、でも、
止まってももう一回、
だからもうそのスピードがさ、解散してもさ、
もう一回でソロに、ソロっていう形になるけどさ、
活動し続けてくれてるっていうのが、こんなにもありがたいことなのかと思いましたね。
本当に思った。
はぁー。
はぁー、ちょっとやばいわぁ。
もう10歳の私に教えてあげたいわぁ、もう。
あなたが今大好きでね、もうテープが、テープ、まだその頃はテープ、ビデオテープがもう擦り切れるほどにさ、
え、ビデオやったかな?
DVD?ビデオ?え、わからへん。
けど、ライブの映像めちゃくちゃ見てたんですよね。
あなたがその擦り切れるほどに毎日毎日見てさ、
あのー、間奏の時にさ、ヒロちゃんがさ、叫ぶ言葉とかも覚えているぐらいに、
もう、穴が開くほど見ていて、大好きなそのヒロちゃんとあなた、
会話するよって、教えてあげたいし、
あの、解散発表があって、もう本当に、
心を閉ざしてしまった、当時の私にね、教えてあげたい。
会えるからって、もう言ってあげたい、本当に。
なんだかんだ私のいろいろは、
ポッドキャスト活動の決意
小学4年生、5年生、6年生あたりのスピードの存在でいろいろ、なんか形成された気がするな。
その後のいろいろも、もちろん中学校、高校での刺激も大きいけど、
スピードは大きいなぁ。
だからそんなさ、やわやわの時にさ、
小学生のまだ完成、やわやわの時に、
スピードの曲とダンスと、
あの歌唱を聞くって、すっごいことやなって思う、今思ったら。
そう思うと余計になんかさ、コンテンツもさ、なんか、
よーわからん動画とかさ、音楽とかさ、
子供たちに聞かせるぐらいなら、ちゃんとした音楽を聞かせたいなとも思うんやけどなぁ。
まぁそれはちょっと親の英語的なところもあるから難しいけど。
難しいけど。
まぁとにかく、感無量ですね。
行ってよかった。本当に行ってよかった。
本当に行ってよかった。
で、ポッドキャストオアシスっていうイベントも土曜日にしてるのを知ってたから、
で、東京にいるから、ちょっと顔出せたらなぁと思ってたんですけど、
ちょっと時間がね合わなくてできなかったから、
それは残念だったんですが。
いやー本当に人生何があるかわからんな。
本当にわからんわ。
本当にわからん。
もう本当によかった。
京都に住んでてよかった。
そこじゃないかもしれないが。
はい、ということで、ちょっともうさ、
言葉にならんわ眠たいわでグダグダなんですが、
島袋ひろこのイベントに行ってきて、もう言葉にならないというお話でした。
ではではおやすみなさい。お疲れ様でした。