明太子と餃子のギフト、ありがとうございました🥹
サマリー
家族のギフトを通じて、算数や日本語の学びが深まっている様子が描かれています。特に、明太子の贈り物がきっかけで、子どもたちが自ら計算やひらがなを学ぶ意欲を示す場面が印象的です。競争を避けたいという価値観から、競争の少ないサービスや商品を好む姿勢が語られています。お茶屋さんとの出会いを通じて、囲い込みや自己利益のみを追求するスタンスに対する否定的な感情が表れています。
明太子の贈り物
オカンの話なんて誰が聞くんです。息子のバレーボールを送って行って、そして旦那を駅に迎えに来て待っていて、ちょっと時間があるので、恋に来とろうかなと思って撮っております。
少し前に、私と長女が出かけていて、電車で帰ってきたんですよね。
モエルの駅に着いて、モエルの駅から家まで歩きながら、2人で喋りながら、それを録音したものを恋日記にアップするっていう会があったんです。
そのエピソードの中で、どんなくだりだったのか忘れたんですけど、長女が、明太子をギフトで欲しいみたいなことを言ってたんですよね。
しかも、近藤さん明太子くださいとか言って、近藤さんに名指しで明太子を要求していて、私は、いやもうちょっとそれほんまやめてみたいな、名指しでギフトを欲しいとか、そんな風に言うのマジでやめてって言ってたんですよ。
そこから、でも欲しいものは欲しいって言わなあかんしな、させてくれみたいなのって、ほんまに伝わらんからなっていう話から、三田さんに何もらうのとかっていう話にどんどん派生していったんですよね。
で、なんですけど、その会に近藤さんが明太子を送ってくださいまして、本当にありがとうございます。
明太子、大好きな明太子が来て、長女は喜んでおりました。
そしたら、それに続いてヒロヒロシさんから、私からも明太子を送っておきますって言って、明太子をいただきまして、
なんと長女、明太子を2人前、あれ、確か2切れあったから4切れいただきまして、本当にありがとうございます。
とっても喜んでました。
そして、ヒロヒロシさんはこれ長男くんと末っ子ちゃんにもって言って、あの餃子も送ってくださったんです。
ほんとさ、それもね、ありがとうございます。
で、ここでいただいたギフトで、我が家では算数の勉強が始まってたんです。
これ本当に、なんかもうちょっと伝えたい。このリッスンの使い方というか、リッスンを小学生とか、子どもたちのお勉強に使えるよっていうことをすごく伝えたい。
リッスンのギフトは、いただいたら20%がリッスンに入って、残りが配信者に入るっていう仕組みになっているんですよね。
だから、明太子を1つもらいました。そして追加されて2つもらいました。
で、20%がリッスンに入ります。ということは、いくらもらえるでしょうかっていう。
本当に、算数の文章問題みたいな感じのね、計算をしないといけなくなったんですよ。
で、その話をしているときにちょうど、長女が今5年なんですけど、小学校5年生なんですけど、割合の勉強したとこやでとか言っててね。
ちょっと前にしたのかな。こういうのやってるって言って、わかるわかるみたいな感じで、その状態を文章にして、文章問題みたいにして。
その文章問題を式にして、計算して、答えを出して、自分はいくらもらえるかっていうのをね、はじき出してたんですよ。
で、長男も、長男6年なので、それ知ってる知ってるやったことあるとか言って、ババババって計算しててね。
で、長男はいくらで、長女はいくらで、で、末っ子はいくらみたいなことを2人でやいや言ってたんですよね。
で、いやこれこそまさにと思って。
もちろん教科書を使って宿題で、あの、するね、勉強も大事なんですよ。そういうさ、基礎的なところもすごい大事なんですけど。
やっぱりその、何というか、現体験に落とし込まれて初めて自分のものになる的なところあるじゃないですか。その知識だけじゃさ。
あの、その方程式だけ知っててもみたいなさ、感じのとこ、これ何の意味があるみたいな、風な感じがあると思うので。
この割合に関しては宿題でやってる時から、いや割合はめちゃくちゃ使うでって言って、もう買い物する時だって使うし、何かを売る時だって使うし、すごい使うよみたいな。
で、頭でパッパッパってこれは計算できた方が、あの、いいと思うよみたいな。
ママもその計算とかあんまり得意じゃないけど、ナンパオフとかそういうのは、あの、絶対できた方がいいしとか言ってよく使うし。
っていう話をね、してたんですよ。
だけど、なんかもうめんどくさいし、みたいな、よくわからんしとか言って、あの、宿題もめんどくさそうにしてたんです、ついこの間。
だけど、もうこのギフトでナンパリスト、ナンパ自分っていう話が出てきた時はもうめちゃくちゃ前のめりで計算してて、
いやーこれこれと思って、もうすごい学びと思って、いいねいいねと思いながら見てました。
ひらがなの習得
で、あの、6歳の末っ子は今ひらがなを読んだり書いたりっていうのを、
まあ練習とまでは行かないけど、本人の中に読みたいな、書きたいなっていうのが、
まあ1年ぐらい前から結構高まってきてる時期なんですよね。
だから、コメントをいただいたりとかすると、それをゆっくり読んで、
ク・リ・ス・マ・ス、みたいな感じで読んでね。
で、それに対してお返事したいって言って、自分でスマホで頑張って打って、
っていうそのやりとりをさせてもらうことで、ひらがなのね、お勉強させてもらってるんですよ。
これもすごいなと思った。
はい、ワークしなさい、みたいな感じで言っても、言わないんですけど我が家は。
勉強しなさいはマジで言わないんですけど。
ワークを渡して、じゃあアイウェーを書いてくださいって言われても、
なかなかさあそこに気持ちが乗っていかないとかって全然あると思うんですよ。
私集中力持たへんみたいな。最初はなんとなく楽しくてやるけど、最後まで集中力持たへんとかっていうのがあると思うんですよね。
だけどコメント返したいから、絶対に自分で送信ボタンも押したいし、自分でコメント打ちたいからっていうので、
なんて言ってたかな、コメントありがとうって自分で打つのに30分ぐらいかけて打ってたんですよ。
だけど同じひらがなが出てきたら、あ、そうそう塔はここにあったよな、みたいな感じで、あのフリック入力のやつでね。
打ったりとかしていて、
これはすごいなって思った。どんなワークよりも、
これは
一番意欲的に自分から
気持ちを伝えたい。そのためにはひらがなを読んだり打てたりできないといけない。
だからひらがなを覚えたい、打ちたいみたいな感じになってるなぁと思って。
いやめっちゃいいやんと思ってました。
すごいなぁ。
ハーク、どの教科をこうやって、本当に生活の中で、特に小学生ぐらいまでは生活の中で
学べることとか身についていくことをいっぱいあると思うんですよね。これがもっと
中学はわからん、中学高校とかってなってきたらなかなかその日常生活の中ではあんまり起きひんこととか、それこそ古文とか古典とか
日常生活を過ごしてたらそんなに出会わないと思うんですよ。その両親がめちゃくちゃ古文好きとかでない限り。
だけど小学生のうちに習うことって結構その日常生活の中で学ぼうと思ったら学べることも多いから
だからこれはすごくいいなぁって思ってるんですよね。
割合の計算はすごい積極的にしてた。あんなに嫌嫌嫌嫌めんどくさいって言ってたのに特に長女。
うちは3人いるから結構誰が得してる誰が損してるみたいなことに3人ともが敏感なんです。
特に上二人かな。下はそうでもないけど上二人がかなりどっちの方が多いとか年老やからっていうのもあるのかな。
どっちの方が多いとかどっちの方が大きいとか、この背中は袋に何個入ってるから一人何個ずつやとか
っていうことにめちゃくちゃ敏感なんですよ。いいのか悪いのかわからないけど。
精神状態的にはあんまり良くないかもしれないんですよね。いつも戦闘態勢やから。
だけど計算はとにかく早くなる。本当に特に割り算。
すごいパパパパって。パパいる?ママいる?みたいな聞いてきて。
パパとママがいらんってなったらその分数が浮くからじゃあこれもう一回3人で割れるみたいな感じで割ってたりとかするし。
そうやって生まれてからずっと生きてきたんやろうなっていうのを思いますね。
私は一人っ子なので本当に争いのない世界で育ってきたんですよ。
争いというのが取り合いみたいなのがない環境で生きてきたから。
競争を避ける価値観
だから勝負したり取り合ったり何かを取り合ったりみたいなことが本当に苦手なんですよね。
これも良くも悪くも。
何か一番になるとか椅子取りゲームとか本当に嫌い。
椅子取りゲームマジで嫌い。取り合いたくないのよ本当に何も取り合いたくない。
何も取り合いたくないのになんで椅子取り合わなあかんのっていう。
何が楽しくて椅子取り合ってんのってすごい思うんですよね。
負けず嫌いがないから。
だから勝負にはあんまり向いてないんやろうなってすごく思うんですけどね。
だから多分根底にそういう価値観があるから
いろんなサービスとかもパイを取り合ってない囲い込んでないスタンスの会社だったりサービスだったり商品だったりが好きなんですよね。
なんかね私がよくお茶を買っているお店があるんですけどお茶屋さんがあるんですけどそのお茶屋さんの隣もお茶屋さんで
で別に私最初にお茶買いに行った時はどこのお店でお茶買ってもよかったんですよ。
そんな間違いはもちろんあるんやろうけどどっちがいいとかどこがいいとかって言うのなかったからまあいろんなお茶買ってみようかなと思ってたんですよね。
で最初に行ったお店が今もずっとお茶買ってるお店なんですけどすごいなんか感じが良くていろいろ話聞いたりとか子供たちにもすごい相性が良かったというか
だったんですよね確か。
いやどうやったっけな。一番最初にうちの母がくれたんやったっけな。一緒に行ったんやったっけな。一緒に行ったんかもな。
子供はその時おらんかったんかな。でも子供たち連れて行ってもすごく気さくに話してくれたりとか。
まあ今は京都本当に海外のね観光客の方が多いからだからなかなかこう一人一人とじっくり話すみたいなことはないですけど
まあ私が京都に引っ越してきたのってコロナの本当に真っ最中というかコロナとともに京都にやってまいりましたって感じなんで
お客さんも少なくてお店にお客さん私一人だけみたいな時とかも多くてまあいろいろね喋ってくれたりゆっくり
なんか世間話したりとかしてくれたんですよね。だからまあずっとそこでお茶買ってるんですけど
一番最初にそのお茶屋さんに行った時に隣のそのお茶屋さんがすごくね何ていうの
本当のお茶屋はウチだけですよみたいな隣は違いますからねみたいな
隣は本物じゃないんです。本物はウチだけです。ウチだけが本物ですみたいな
本当にそんな感じでお店の前で言われてたんですよ隣に隣のお茶屋さんにも聞こえるぐらいの感じでさ
隣は違いますよウチだけですみたいな感じで言ってて看板にもなんかこちらが本物のみたいな書いててね
私その感じがすごいこうあんまり好きじゃなくって
そんなこと言わんでいいやんかお隣さんなんやからみたいな風に思ってね
だから
なんかちょっと
なんかちょっとって思っちゃったんですよ
なんだかちょっと嫌だなと思って
そんな意地悪なこと言うお店のものは買いたくないわと思って
買ってなくてずっとその最初から同じお茶屋さんでお茶を買ってるんですよね
まあでもそういう
まあいろいろあるんでしょうけどね
そのお茶屋同士のいろいろがねあるんやろうけどなそれはわからへんけどさ
わからへんけど私は
あの
なんというか囲い込んだりとか
なんか自分だけ
得をするみたいなのとか
自分だけ一人勝ちするみたいなのとか
があんまり
なんかだってそうあんまり好きじゃない
だって一人で買ったってさ
一人で買ったところでって感じするし
多分私はあの
共感したいみたいな
共感だけじゃ
嫌っていうかなんですけど
共感だけを求めているわけじゃないんですけど
やっぱり共感もしたい
なんか同じ気持ち同じような気持ちで
頑張ろうねみたいな風に
思いたいっていう気持ちがあるんだろうなと思うんです
だから
一人言いがちをしてもさ
寂しいだけ
な気がするから
だからちょっとね
何の話からこんな話になったんだったかな
何の話からこんな話になったんだっけ
全然思い出せない
私こうやって話がどんどんどんどん
脇道に逸れていった時に
この大通りに戻ってくるのが本当に
無理なんですよね
だから本当にポッドキャストで話すときは
お茶屋さんとの出会い
絶対メモがないと大通りに帰ってこれへんくなるの
忘れちゃう話してるうちに
忘れてしまうし
えー
旦那が帰ってくるって言ってた時間に
全然帰ってこないし
今日はこれでおしまいにしようと思います
あー寒い
はいということで
お疲れ様でした
18:02
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