デザイナーの適性とは
こんばんは。始まりましたTEPPEN.fm。
今日もデザインやマネジメント、日常のレコードをゆるっと語ります。
パーソナリティを務めますデザイナーのkabuです。
同じくデザイナーのmineoです。よろしくお願いします。
本日もお気軽にお付き合いください。
今日はmineoさん、ちゃんとやります会です。
ちゃんとやります会。
ちゃんとやります会。
そうですね。kabuさんの持ち込み企画的な。
私たちのこのポッドキャストですけども、
テーマはデザインとマネジメントですので、
そのテーマにあった話を今日はしたいなと思っています。
今日は、デザイナーに向いている人ってどんな人から考える、
デザイナーに必要な要素とスキルです。
なかなか難しいテーマですね。
難しいテーマですね。
そもそもなぜこれを話そうと思ったかっていうきっかけですけども、
さっきも話しましたけど、
私たちのこのポッドキャストはデザインとマネジメントを主軸にしていますけど、
主軸だったんですね。
主軸、一応そのつもりではありますけど、
そもそもデザイナーっていう言葉、
私たちもデザイナーですと最初に名乗ってますけど、
デザイナーっていう言葉自体がとても今は幅広くて、
明確な定義とか、資格とかがない職業ですよね。
誰でも名乗れる一方で、
でも実際にデザイナーの資格とかない、
じゃあ適正とかっていうのあるのかっていう疑問があるのかなと思ってます。
あとは自分たちがそもそもなんでデザイナーという道を選んだのかとか、
その選択は今振り返ってみて自分にデザイナー向いていたのか向いていなかったのかとか、
経験を積んだ今だからこそ考え直してみてもいいんじゃないかというところで、
このテーマを選んでみましたというところです。
デザインの語源
早速なんですけど、デザイナーに適正とはあるとは思いますか?
デザイナーの適正、幅広いな。
デザインって言葉が広いですからね。
いろんなデザインがありますからね。
そうですね。どちらかといえばあると思いますよ、もちろん。
適正というか向いてるよなって思えること。
向き不向きはあるかなと。
とかはあるんじゃないかな。
ちなみにみなおさんは今現状自分はデザイナーに向いてるなっていう感覚はありますか?
向いてるところはあると思ってますね、自分では。
デザイナーになった当時を思い返してみたときに、
今と昔で心境の変化というか、
昔からその変化は変わらないのか、今の方が何か思うなみたいな。
デザインをちゃんとデジタルでデザインをするってなってからは多分そんなに、
もちろんデザイナーとして成長している部分はあるんだろうけど、
自分の根底にある思いみたいなのはそこまで変わってないんじゃないかな。
なるほど。
デザイナーになろうと思った動機だったりきっかけみたいなところなの?
だからデザインをどう捉えるかっていうところにもなるんだろうけど、
結局のところは何か作ることを楽しいと思えていたっていうところ。
だからデザインというよりはクリエイトすることはきっと昔から好きだったんだろうなっていう気はしていて、
だからそこに当てはめて考えた時には今も昔も作ること自体は面白いよなと思いながら作れてるなっていうのはあります。
そもそも物を作ることに楽しさを感じれるかどうかみたいなところがムキムキの中で出発点あたりにあるんじゃないかと。
なんかそれはやっぱりあるんじゃないのかね。
作るというかそれを何かぽくぽい感じにするとか、抽象的なものを具体化するみたいなこととかは多分楽しいなと思ってたんじゃないか。
株さんはどうですか?自分的には。
僕もそうですね。何か物を作るっていうこと自体は原体験として好きだったなっていう思いはありますよね。
何かを自分で生み出すみたいなことは幼い頃からやってたんだろうなとは思います。
今日の話をする時にそもそもデザインの語源みたいなのが。
今の話もそうだけどさ、クリエイトすることとデザインすることっていうのはまた違う側面もあるじゃないですか。
じゃあ何か単純に何か物を作ればデザインなのかって言ったらそうではないから、
何か改めてデザインの語源って何なのかみたいに思って一応見はしたんですよ。
これが全てじゃないのかもしれないし他の説みたいなのもあるのかもしれないけど。
何か見てたものだと何かラテン語らしくて読み方がだからよくわからないけど日本語だけで伝えると
完全にとかしっかりとっていう意味と印をつけるみたいなものが合体して
しっかりと印をつける人とか明確に印をつける人みたいなのがデザインの語源らしいですよ。
印をつける。
何かそれが発展して計画するとか設計するとか意図するみたいな意味になって図案を描く形を与えるっていう今のデザインの概念に近づいてきたというものらしいよ。
最初は割とサイン的なものから始まったんですかね。
何か前に調べた時に出てた一つの説として最古のデザインみたいなのがどういうものかっていうと何か本当に印とか矢印とかそういうものらしいですよ。
要は本当に原始時代とかに僕たちって地球上を歩いて移動してた時に仲間の一部があっちに行ったんだみたいなのの印を残すところ。
とかが何かデザインの出発なんじゃないかみたいなのが出てましたね。
なるほど。
あっちに行けば仲間がいて死なないんだみたいなとか、あっちにいれば合流して安全に生活できるんだみたいなところを表す記号として、
矢印見えたものとかでどっちに行ったか分かるようにしているみたいなところがデザインの出発なんじゃないかみたいなのを何かで見た気がする。
なるほどですね。
適性の探求
だんだん脱線し始めてきてしまったけど。
いやいやいや、確かにそこもあるほど。
確かにそもそものデザインとはっていうところに、確かに適性とはって考えてなりますよね。
かぶさん、最初の質問にあった向き不向きなのか適性みたいなのってどんな感じですか?どう考えてます?
僕はもともとデザイナーになる前はデザイナーは無理だと思ってたんです。デザイナーやるのは。
えー。
デザイナーは俺はやれないなと思ってたんですよ。
周りのデザイナーを見ていて。もともとデザインの仕事をする前も映像の仕事をしてましたけどずっと。
周りにデザイナーの人と一緒に仕事をすることももちろんあるんですけど。
ただそのデザイナーの人たちを見てて僕はデザイナーできないなって思ったんですね。
えー。
単純にデザイナーの人たちの働き方がやばかったっていうのがあるんですよ。
なるほど。
そういうのもありつつただとにかくクオリティを突き詰めるために一つのことに延々と集中する集中力と忍耐力というか粘り越しというかあれを見ていたときに
僕はグラフィックの面でこれをやることは僕にはできないなと思ったりしたんですよね。
そうなんだ。
なんか一人でパソコンの前にずっと向き合ってずっとやってるのは多分僕は無理だと思って。
すぐに椅子を立てる動きもあって誰かと喋りたくなるなっていうのがあったんで。
その当時のデザイナーのイメージですけど。
当時はあまり向いてないなと思ったんですけど今は割と自分はデザイナーに向いてるんじゃないかなっていうふうに思ってます。
そこはそのポイントは何なんですか?
そこはデザインのプロセスと自分の思考のプロセスが割と相性がいいなっていうふうに思ってるんですよね。
だからあくまで僕が思うものですけど
デザインのプロセスってすごくざっくり言うと分解整理再構築変換みたいなところなのかなと思ってるんですね。
要は問題とか素材、課題があったらそれを分解するところから始まってそれを整理しますと。
それを今度はどう組み立て直すかっていうのを考えてそれを何かの形だったりとか体験とかっていう方に変換してそれがデザインするみたいなことかなと思ってるんですよね。
僕の思考のプロセスってものごと考えるときにまずはこの起こってる問題でどんなことが起こってるんだろうみたいな分解をして
状況を整理した上で改めて何が起こっているのか少し俯瞰的に再構築してみてから自分なりに解釈変換するみたいなところのプロセスって結構日常的にやってたりするのかなと思うので
そういった意味で相性がいいのかなと思ってるから今は割と向いてるかなと思ってます。
でもこれって割と肯定的なんですよね。先天的に向いてるっていうよりは自分がそういうふうな仕事をやる上でそういったプロセスを踏むようになってきてるから肯定的にデザイナー向いてるのかなと思ってきたタイプなんですよ。
でもそもそもデザイナーの適性って先天的なものなのか肯定的なものなのかどっちともあると思うんですけどミネオさんどっちのタイプですか?
難しいな。どっちって言われるとすごく難しい気はするけど僕はどちらかというと株さんよりは先天的な方が先だった気はしますね。
先天的に適性とか向いてるってどんなところがそう感じたんですか?
最初の質問にあった適性だったり向き不向きみたいなところでいくと僕は一番は空き性であることが向いてる要素なんじゃないかなっていう気がしていて。
釣りに向いてる人っていうのに割と近いんだけどさ、一つこのやり方ですよっていうのでずっとやってることに飽きてしまう人が僕は釣りと同じく向いてる人、デザインに向いてる人なんじゃないかなと思っていて。
釣りに向いてる?
そう。
釣りに向いてるようでどんな人なんですか?
釣りに向いてる人もいろいろこれはどうだろうあれはどうだろうっていっぱい試す人が釣りって向いてるって言われるんですよ。
例えばさ、アジを釣りに行きますって時にもひゅんって投げました釣れませんっていうのをただひたすら待てるだけの人って実はあんまり向いてなくて。
逆だと思ってました。
釣りって待つイメージがすごくあると思うんですけど、例えばだけどその釣りに対しても釣れないことって理由があるじゃないですか。
もしかしたら自分が今糸を垂らしてる長さが魚がいないエリアなのかもしれないから釣れないんだったらもう5メートル下げてみようみたいなこととかを。
なんで釣れないんだろうこのままだと面白くないななんか違うことやってみようって思える人が僕はデザインも同じくずっと同じこの手法でいけばいいのかというとそうではないじゃない。
で多分僕がそのクリエイトすることの面白さを感じている部分で多分そこなんだと思うんですよ。
僕多分ほら多分というかあの僕ずっとバーテンダーをしてたじゃないですか。
バーテンダーも僕ある意味お酒を作るクリエイターとかだっていうふうに思うんですね。
もちろんレシピはあるんですよ。
あの一つのカクテルに対して例えばホワイトレディっていうカクテルがあるんだけどそれだとうろ覚えだけどジンを50%コアントロっていうホワイトキュラソウって言われるものを4分の25%レモン果汁を25%入れてシェイクをするっていうカクテルがあるんですけど。
それをさ忠実にずっと守り続ければいいんだけどじゃあジンの種類が変わった時ビーフィーターとボンベーサファイアで味が違うのに同じ比率で本当にいいんだっけとか。
株さん一人に対してもそうなんですけど最初の一杯なのかベロベロになってのホワイトレディなのかで味同じでいいんだっけみたいなのを。
変えたくなっちゃう。
なるほどなるほど。
なのでそういうのがやりたくなっちゃう人って適性を持ってるんじゃないかなという気は。
こうしたら上手くいくんじゃないかとかこういう場合はこっちの方が適性なんじゃないかみたいな探求心が深いっていうか。
それを自然と楽しくやりたくなってしまう人っていうのは向いているんじゃないのかなという気は。
確かにそうっすね。
デザイナーの資質
編んだしとか延々とするにあたって確かにああじゃないかこうじゃないかって考えられるので確かにデザイナーに必要な要素だったりはしますよね。
もちろん最終形としてはこれが一番今の状態には適してると思うんだけどどうかなっていう着地はさせなきゃいけないんだけど。
それにしたってやっぱり例えばAっていうサービスの時のやり方と全然違うドメインのサービスで同じ問題が起こった時って本当に同じ問題解決の方法でいいんだっけみたいなのはきっとあるだろうし。
外れすぎるとわけわかんないことにはなっちゃうけどそういうことができるっていうのが僕はなんか自分の体験からはそういうのやれることってとてもいいことなのかもなっていうふうには思いはしますね。
なるほど。これ今釣りの話が出たじゃないですか。そう言われたら思い返してみると会社の同僚だけじゃなくて会社の周りデザイン組織で言いますかデザイナーばっかりですけど外のデザイナーの知り合いに関してもみんな確かに釣りしてるなと思ったんですよ。
釣りが共通点みたいな。
みんな確かに釣りしてるわってちょっと今聞いてて思いました。そんなことないですか?周りのデザイナー釣りしてる人多くないですか?
まあ俺はさ、会社の仲間で釣りしてる人たちと、釣りしてるっていうか周りのデザイナーと言ってるからあれだけどさ、確かに多いっちゃ多いのかも。釣りは釣りでまた違う良さもあるからね。
まあそうですけど、釣りを楽しめる人たちは確かにデザイナーに向いてるんじゃないかみたいなところで。
そうなんですよ。たぶん本当に釣れないときに、なんで今釣れないんだろう?例えばルアーだとしたら赤色のルアーじゃなくて緑だったら釣れんのかなみたいなので、緑見つけ替えてヒューンって投げれる人の方が向いているのではないだろうかな。
まあけどそういうのって比較的今僕がやってるのはデザイナーだけじゃなくて全てにおいてうまく生きれる人ってそういうことやってるよねみたいなところもあるよね。
まあでもそれはそうかもしれないですけど、それがデザイナーの適性っていうのは一つとしては言えるかもしれないですね。
自己反省と学び
なるほど確かに。
あとなんかもう一個あれじゃないですかね。これは僕がちょっと苦手な部分だった。
これは多分好点的に身につけた部分だけど、柔軟性がある人っていうのは。
柔軟性、こだわりはすごく大事なんだけど、自分のこだわりだけに骨子しない人。
それを客観的にちゃんと自分が作ったものを見れるみたいなのは、やっていくうちにそういう見方をしないとダメだよなっていうのは。
確かにそうですね。あくまでデザイナー、よく言われるのはデザイナーとアーティストの違いがその辺の一番大きくあるのかなみたいなところは言われますよね。
そうですね。
あくまでデザイナーは自分の、自分のエゴを通すものでもなかったりするところはあるので。
それはそうだよね。それがだからやっぱり印とかに向いてるが元になってるのかもしれないですよね。
印って誰かに伝わらなければ意味がないものだもんね。
いかに客観視して他人の意見を聞き入れられるかみたいなところ。
そういうのはすごく大事ですよね。他人とかそれがいわゆるユーザーリサーチとかにも通ずるところなんだろうしね。
そういう意見を踏まえて改めて考え直してみるみたいなのは。
肯定的にその辺が身につけたかっていう話でしたけど、その辺を身につける要は柔軟性、重要性みたいなところですよね。
その辺って身につけるにあたって何か意識されたこととかあるんですか?
いや意識されたとかじゃないですよ。僕はもう年齢もだいぶ上だからだけどさ。
僕らの頃って本当にダメ出しをされまくるとかさ。
あとは自分的にこういうのがいいんじゃないと思ったものを出してみたけど、全然数字的には何の反応もなかったみたいなこととかを踏まえて、
経験から気がついていくみたいなところがあったのかもしれないけど。
それでもね、やっぱり一番最初に入ったぐらいの会社で、その時の先輩に言われた、
もうその時は本当あれなんですよ、駆け出しなのでバナー制作とかからやるじゃないですか。
昔はバナー制作とかからやるのが多かったんですけど、その時に一番最初に言われたのが、
これをお前押すの?っていうのは、それを言われたのは今でも覚えてますね。
お前これ表示されてたら、お前押そうと思えんの?みたいなのを言われて、
ああ、思わんなってなって。
まずはこう自分からちゃんと何か面白いと思えるとか、何かフックになるような、
ちゃんと伝わらなきゃいけないんだなみたいなのは、最初にそれ言われたのは多分もう、
本当多分それ言われたのって20代とかだと思いますけど、それでもまだ覚えてるレベルで。
デザインへの愛情
自分は、自分の中ではすげえ一生懸命作って良い出来かなって思ってましたね。
なんか割と良い感じに出来たんじゃねえかなって思って見せてみたけど、その一言で返されましたね。
バナー見て、もう1、2秒で、お前これ自分で押すの?って言われて、
ちょっと席も取って考えますみたいな。
確かに誰もが通る道というか、揉まれながら、
ああ、そっかみたいな、自分だけの人になってたなみたいなのは確かに。
そうですね。
波に揉まれながら身についていくものかもしれないですね、確かに。
そうですね、なんか適正っていうとね、
なんか本当にUI作るとかグラフィックデザインとかUXを考えるとか、
それぞれ今、全部を網羅的に完璧にできるってなかなか難しいじゃないですか。
だからそこごとにちょっとずつその適正の幅って変わるんだろうけどね、きっと。
そうですね。
だけどあれだってさ、もう適正だけで言ったらさ、デザインだけじゃないんだろうけど、
やっぱり結果、効く力もなければいけないし、
効くというか、問う力もなければいけないと思うし、
それをちゃんと自分の言葉で説明できる力も必要だろうし、
だからひっくるめるとコミュニケーション能力って絶対的に高くないとダメですよね。
なんかちょっと曲がった捉え方だとさ、デザイン、
これ多分エンジニアさんとかもそうだと、社会人としてなんだろうけど、
なんかよくデベロッパーの方とかデザインとかイラストとかってさ、
なんか淡々と自分の仕事をすればいいんじゃないの?
あんまり人と関わらなくて良さそうじゃない?みたいに捉えられることもあるけどさ、
なんかコミュニケーション能力も絶対的に必要ですよね。
そうですね。最近すごく流行ってるというか、よく聞く言語化じゃないですか。
本当にデザインだけじゃなくて、仕事する上での言語化能力みたいなところとか、
そうですね、それはね。
コミュニケーション能力の大事さみたいなところとか、
特に今は強く言われてる気がしますよね。
確かに。
なんかデザインってさ、ある程度ロジカルな面もあるじゃない?
なぜこの色が青なのかみたいなのをさ、
割とリズメで考えれるところもあるじゃない?
もちろん人の心を動かすようなエモーショナルな部分ってさ、
リズメだけだと到達はできないと思うけど、
それにしても必ずこうしたことの理由はある。
だからそれをちゃんと説明できるっていうのはとても大事ですよね。
そうですね、それは向いてる、向いてないっていうよりも
役割として、デザイナーの役割ともあるみたいなところはありますよね。
説明責任というか、人に伝えられなきゃデザインじゃないというか。
それで考えると適正みたいな方向で考えるならやっぱり説明責任、説明責任じゃない、
ごめん、言語化ができるっていうのはあるのかもしれないですよね。
そうですね、だから僕もそこは思うんですよね。
要は論理的に説明できるかできないかみたいなところ。
そこに論理的っていう言葉を聞いてアレルギー反応を起こすとちょっと向いてないのかなっていう気もするけど、
でもやってみると実際、普段の生活とかでも自分たちって言うとわりとロジカルに考えてたりするじゃないですか。
今日何食べようかみたいなところをちゃんと考えようと思ったらわりとすごいいろんなことを考えてるじゃないですか。
今日は、昨日はラーメン食ったし、今日は健康的なものを食わなきゃいけないなとか思ったりとか。
なおかつ今日は、そういえば奥さんが飲み会でいないから自分一人で食わなきゃいけないんだけど、冷蔵庫のものを使って何作ろうかみたいに考えたりすると思うんですよね。
そんなことでもわりとロジカルなことなのかなと。
そうだと思うよ。
日常的にやってることだけど、ロジカルっていう言葉がつくと途端にデザイナーとかクリエイターで拒否反応を起こしがちなところがあるので、
その辺のバイアスを解けば意外と誰でもやれることなんじゃないかなと思いますけどね。
そうですね、なんかそういうのって本当にやると気がつくよね。
この時の自分のこういう決断ってロジカルに考えるっていうので捉え直してみるとこういうことをちゃんと気にしてやってたんだなみたいなのに、
なんか後からこういうのをちゃんと考え直してわかりやすく整えることがロジカルにっていう部分なんだなみたいなのはあるよね。
ありますね。
僕もどちらかというとロジカルとかが苦手なところはめちゃめちゃあって、
結構僕なんか今自分で仕事してるとなんかそういうのをなんでちゃんとそうやって分解して考えられるのとか、なんでこうそういうところの数字のところまでちゃんと見てるのみたいなのを言われて、
割となんかロジカル的に捉えられることがあるけど、僕もともとそういうの大嫌いでしたからね。
いやもうなんかこう難しいことは誰かやってくれた方がいいんじゃないの?ぐらいにしか思ってなかった。
この辺は完全に後天的に身につけていくようなところですよね。
ですよね、多分ね。元からなんかそういうのに気が付く人みたいなのもいるんだろうけどね。
今のところこう割と自分たちが振り返っての話だったりはするんですけど、自分じゃなくて他の人、周りにデザイナーって結構いるじゃないですか、僕らの周りって。
じゃあ誰かを見てたとき、この人デザイナー向いてるなとか思った瞬間とか、どういう人が向いてるなみたいな、なんかあったりします?
デザイナーとしてだよね。
そうですね。僕デザイナー向いてるなっていうか適性があるなっていうよりは、ちょっと広い話になっちゃうんですけど、
好きなデザイナーは誰々ですとか、このデザインを見たときにこれは誰々のデザインですっていう言える人は、もちろん当然デザインが好きなんだなって思うんですよ。
そういった意味でデザイナー向いてるんだろうなと思うんですよ。
まあね、確かにね。
僕はこれが誰のデザインとか、別にデザインが嫌いなわけでも何もないですよ。
好きなデザイナーいるかって言われると、好きなデザインなって言われてもなって感じなんですよ。
でも好きな映画監督はとか言われたらわかるし、これ誰の映画ですかっていう、映画監督知らずに映画見てもこの演出多分この人ですよねって言ったら多分わかるんですよ。
だからやっぱ好きだからそう思えるじゃないですか。
そもそも好きか嫌いか、好きか好きかじゃないかで自然と覚えたり覚えなかったりするので。
もう向き不向きって最初に好きか嫌いかっていうところが、好きか無関心かっていうところが大きいと思うので。
これが私はこのデザイナーが好きですって言える人を見たらデザイナー向いてるんだろうなと思います。
なるほど。確かに人で尊敬するデザイナーとか好きなデザイナーは誰ですか。
要はあれよね本当デザインが好きっていうことよね。
それは確かに。
デザイナーに必要な個性
俺さちょうどそれでさ今日のツイートなのかなこれ。
画像っていうかツイートになるから株さんにしか見えないけどさ。
今日たまたま、昨日のツイートなのかな14日だからたまたま見たさ前澤さんのツイートなんだけど。
すごいざっくりはしょると自分の船を作ってます。
前澤さんって株&の前澤さんですね。
この船のデザインは有名なプロダクトデザイナーのマークニューソンさんがデザインしてますって言ってるんですね。
そういうツイートをしてて船を見たときに僕すげーなーと思ったのが
このデカさのプロダクトになってもちゃんとマークニューソンぽいわって思えるデザインなんですよ。
言われりゃほんと納得しちゃうレベル感の
いやーこんなにこのデカさになってもぽさってちゃんと出るんだなっていうのを
今日感じるタイミングがあってすげーなーって思っていたんですよ。
なので株さんが言ってるみたいな
どういうデザイナーが好きかってわけじゃないけど
デザイナーの個性みたいなのがめちゃめちゃ現れてる。
確かにこれはこの人のデザインだって分かるような。
そうそうすごいなーと思いました。
ミニオさんはこれは誰のデザインだみたいなのって好きなデザイナーならだいたい分かったりするんですか?
いやーだいたい分かるっちゅうのでもないですよ。
本当に特定のものはこの人っぽいのかもしれないみたいなのは思うときある。
そういうときは結構当たってますか?
当たってることもあるし違うことももちろんあるし
あとは何か言われればあーぽいわーみたいになる。
さっきの例とかもそうですけど。
確かに。
とかではありません。
たぶんなんか難しいよね。デザインっていうものを考えたときに
なんて言えばいいんだろう。
いやーけどこれ言うのはあれなのかな。
なんかその個性とかを感じるのって本当にいいのかわからんこともあるじゃない?
どういうとおう?
別にさ、俺から俺にとっていいものであればいいわけで
それが例えばだけどさ、さっき言ってた
これ僕がなんで今言うことを躊躇したのかっていうと
そういう個性を感じられるぐらいのデザインしてから言えよって今自分で思ったので
言うのがはばかれるなとは思ったんだけど
それでも言うんだとしたら
なんかそんな個性っているっていうのも思うんですよね。
いいデザインだなって思うことってさ
何も感じずに使えてることっていうのが一番いいと思うんですよ。
なんかよく言われるこうアップルってほとんど説明書がないじゃないですか
けどそれでもちゃんとみんな使える?
iPhoneとかもそうだけどさ一番最初にiPhoneが出てタッチパネルでってなってたけど
みんな柄系とかからさ自然にiPhoneを使い始めることができたわけじゃない?
そこにこのデザインって誰々さんっぽいデザインだよなみたいなものって本当にいるのかってなると
そういうのも一切感じずにただただ自然に普通に便利に今までより便利に使えたっていうことの方が大事だから
なんかその個性を感じるとか誰の仕事っぽいみたいな
まあそれってデザイナー同士だから感じるだけの話なのかもしれんけど
確かにいいデザインって今おっしゃってたようにユーザーが今まで使えるだったりとか
会社の成果につながってるとか長く使えるようになってるみたいなところ
思っていいとも言えるし
そこに誰々のデザインだっていう要素が必要なのかみたいなところですよね
それを感じることすらなんか究極的には無駄なことな気もするし
別にそんなのも気づかずに普通に僕の生活に溶け込んでてもらえた方がいいじゃない
確かに
なのでなんかすごく難しいよねそこまで行くとね
まあ自分がそういうデザインができたわけではないのであれですけど
今僕が言ったような溶け込むようなものがいいって僕は言ったけど
それってプロダクトとかサービスとかな方面の話であって
一方で街中にあるポスターみたいなのってさ
もちろん情報を正しく伝えるってところもあるけど
どこか人の心に響くようなもの
なんて言うんだろう
例えばそれがエモさだったりさ
なんかホラー映画のポスターならちゃんとその恐怖心がゾワゾワするわみたいなのが伝わることの方が大事になるから
そのエモーショナルな部分って決して溶け込まないじゃない?僕の普段の生活には
そうですね
なんかそういう面もあるから
なんかデザインするものによってだいぶいいっていう定義も変わりそうだよね
そうですね
定義が本当にないし広いしっていうところで
そうですね
デザインって本当に白黒つけれるものによって延々とグラデーションがついてるような感じですよね
それはそうだね
どんどんまたこう今良いデザインとは何かっていう話になってきましたけど
そうですね
どんどん深く入っていっちゃう
向いている人とか
だからやっぱりそうじて探求心があることとかデザインが好きなことみたいなのはすごく
それがちゃんとリズムで考えるっていうのもあるんだろうしね
ですね
デザインと感情的要素
デザイナーに向いてる人ってどんな人から考える?
デザイナーに必要な様子とスキルという話まだまだ続きます
次回は今回話した向き不向きを採用や育成でどう扱うかです
お楽しみに