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2024-11-14 15:00

#407演出1年生。今年も無事幕が開きました。

たくさんある不安要素を一つ一つ消していって今年も無事幕が開きました。

サマリー

2024年の児童演劇の初日が無事に終わり、演出家としての1年目の緊張や課題に向き合いながら取り組んでいます。今年度は新しい演出やキャストとのコミュニケーションを通じて、子供たちの反応を見ながら挑戦することに喜びを感じています。演出1年生としての新たな挑戦が描かれ、役者とのコミュニケーションや自分のスタイルを模索することが課題として浮かび上がります。また、初日の成功を祝いつつ、さらなる成長への意欲を語っています。

初日の幕が開く
どうも、ご無沙汰しております。久々の講演日記です。今日は、2024年の11月14日でございます。
いやぁ
久しぶりなのはですね、だいぶまあちょっと忙しかったからではあるんですけれども、この講演日記でも、
ちょこちょこ話をしていたですね、児童演劇今年度がですね、今年度の講演が無事今日、初日を終えました。
いやぁ、本当にこう、幕が開くまですごくドキドキしていてね、何日か前に公開リハーサルという形で、最後のリハーサルをちょっと人を入れて、
十数人ぐらいかな、入れてやったんですけど、それもそれもちょっとね、不完全燃焼で終わってしまったので、すごくドキドキではあったんですけど、
無事、初日の幕が開いて本当に良かったなぁと、今、ホッとしています。
いやぁ、今年がね、まあ今年というか今年度か、正式にというか、まあちゃんと演出制作に専念したのが1年目の年で、
去年は出ながら演出もするという、プレイングマネージャーじゃないけど、そういう感じのね、出ながら演出をするという形で進めていって、
これがなかなかね、自分で出役としても出て、周りの人も今年初めてのキャストで、もちろん実力がある方々ですけど、
今年初めての人たちで勝手も分からないまま、そういう人たちに、今までのうちの劇団でやっていた、こんな作品はこういう感じですよと、
今年はこういう演出をしますよというのを伝えながらやるというね、なかなかね、もうちょっと自分でパンクしちゃって、
もう結果他の人にちょっと見ていただきながら、その人にこう、自分のこういう意図でここをやりたいんですよねという演出をやっていたので、
まあちゃんと本当にもう一から自分で見て、ここをこうしてほしいという演出をやるというのは今年がまあ初めてだったんですよ。
でね、言い方悪いけれども、もう言い逃れができないというか、もう本当に僕に責任が全てあるっていう状態での、まあ体制というか、状態は1年目だったので、
まあ本当にいろいろと緊張もし、またね出てる、自分が出てるときとは別の緊張があるし、また別の大変さがあってね、
本当に幕を開けるまでがすごくドキドキでしたね。でも本当にまあ他のスタッフの皆さん、先輩の皆さん、そしてまあ出てくれた出演者の皆さんに本当に助けられて、
無事初日の幕が上がって、そして無事初日の講演が終了しました。 いやー本当に良かったなと思って。
演出家としての挑戦
まあいろいろとね、今までやってきたものがもちろんあるので、そう簡単に崩れはしないんですけれども、かといってまあ今年から新しく入れた演出だったりとか、そういうね、変えたシーンとかっていうのもやっぱり結構あるので、
そういう意味で言うと、すごくウケるかどうかっていうのは心配だったんですよ。 なんせこう自動演劇、ちょっとまた普通の一般の演劇とは勝手が違うからかといって、
ただじゃあ子供に分かりやすいようにって、子供もバカじゃないですから、むしろまっすぐ感性が、まっすぐ受け取ってくれるので、面白いものには声を上げて笑うし、
つまらなかったら本当にもう集中力切れるし、もう子供によってはつまんないって言っちゃうぐらい本当にダイレクトな、より難しいお芝居なんですよね。
公開リハーサル、その感覚もちょっとね、つかみたいなということで公開リハーサルっていうふうにやったんですけど、やっぱね、さすがに土日とはいえど、そんな小学校と同じぐらいのね、
100人、200人、もしくはそれ以上の子供を揃えることはできないので、もちろんちょっとね、お子さんがいらっしゃるお父さんお母さんとかにも声かけをして、
子供6名ぐらいかな。で、大人同じぐらいなので12、3名ぐらいの公開リハーサルだったんですけど、そこでのね、公開リハーサルでの反応を見ながら、でも反応がつかみづらいというかね、やっぱちょっとね、
普通のその小学校で行う子供たちがこう、自分たちの友達だけがいてこう、わーって見る環境とはまたちょっと違うわけで。
で、過去にそういう公開リハーサルも自分も経験してるので、ここは受けないだろうなっていうところもあったけれども、ただこう、やっぱその手がかりというか、
今までやってきたところは、ここは公開リハーサルっていう場だと、なかなか受けは取りづらいけれども、学校に行って子供たちがいる中でやったら、しっかり受けるっていうとか分かっていたので、そこは安心だったんですけど、
今年新しく入れた演出の部分とかは、果たしてどうなのかなっていうのがね、つかめなくてギリギリまで、やっぱすごくドキドキしましたね。
いやー、まあでもそういうところもね、受けたりしたのですごく安心しましたね。やっぱりこう、演出っていうものに100%専念して思うのは本当にこう、
なんかこう、悪い仕事だなーっていうね。いや、変な意味に聞こえちゃうか。なんだろう。演者としてね、やってるときは、まあ、演出っていう道しるべがいて、
でもね、それに対して自分がどういうふうにやるかっていうのを選んで提供していくわけだから、まあ、自分で動いて自分で作品を作っているっていうのは責任はあるじゃないですか。
でも、演出になると自分がやりたいこと、舞台でやりたいことを、役者さんにお願いしてやらせるっていうのがね、すごくやっぱりこう、ドキドキするというか。
結果、矢表に立つのは役者さんですから、まあそのお芝居がつまらなかったらつまらないとかっていう言葉は、役者さんに向かうわけですよ。
もちろん、舞台に見慣れている人とかね、勝手を知っている人は、この演出つまんねえな、この演出良くないなって演出家のことを責められるけど、そういうことを知らない子供たちだったり、あんまり舞台に馴染みがない人は、
そのお芝居がつまらないっていうのは、演出作った人がつまらないっていうのも、その声はやっぱり役者さんに向くわけで、それは絶対にしてはいけないと。
子供たちの反応との葛藤
やっぱりね、自分が出る側としていろいろやってきた中でですよ。やっぱりお芝居作るの、役者さん、役者っていうお仕事って、決して楽しいことばかりじゃないわけじゃないです。
むしろ大変なことが多い中で、よくフルマラソンとかに例えられたりとかしますけど、もう本当に稽古では大変なんですよ。
今回も、僕も結構役者さんを振り回しました。大変だろうなーって、去年まで出る側だったからこそわかる。ごめんねーと思いながらいろいろ試したりとかね。
自分自身も迷いながらやってる。そこはすごく本当に申し訳ないなと思いながら。やっぱり大変な中で、でもなんで頑張れるかっていうと、
それやっぱり舞台をやって、実際に公演するときの板の上に立つ喜び、楽しさ、快感。自動演劇で言うと、さらに言うと本当に嘘のない子供たちの面白いっていう反応っていうものが、
この稽古まで、本番までの稽古よりも上回るから、「ああ、良かったやってて。」で頑張ろうと思えるわけですよね。
だから、それは絶対に役者さんたちにお渡ししなければいけないっていう思いがやっぱり、これが正解かどうかはわからないけどあって、僕からしたらそれしか渡せるものがないんですよ。
もちろんギャランティーとかとは別としてね。だって、「うわあ、稽古大変だったな。いろいろああ言ったりこう言ったり出したもの全部否定されて、
これって出てきたものを磨いてきて稽古してきて、大変だった。で、本番やったら受けなかった。」ってもう目も当てられないじゃないですか。
いやあ、大変だったけど、「子供たちに面白がってもらえた。受けた。で、自分たちもやりがいすごくあった。良かった。」っていうものしか渡せないので、
本当にね、ドキドキして、この演出は合ってるんだろうかっていうものとずっと葛藤しながらやってきました。
もちろんね、自分が面白いと思って信じたものをやるけれども、やっぱりね、これが実際に子供たちの反応を見ないとわからない。
で、自分が頭の中で組み立てた的タイミングでやったら面白いんじゃないかなと思っているものが、例えば役者さんにはまらなかったときに、
やっぱりそこは結構いろいろと伝えるわけじゃないですか。こういうふうにやって、ああいうふうにやって、ここ違う、このタイミング違うとかっていうのをやる中で、これがそもそも面白くないのか。
で、これがハマるけどタイミングちょっと外すと届かなかったりとかっていう、どっちなのかっていうのもね、やっぱりお客さんの反応を見てみないとわからない中で。
だからそういうのも見えて、なんか大きく外したところはそんなになかった。もちろんちょっとあったんだけれども。
演出の挑戦
で、それがあんまりなかったかなっていうのが、また知れて、より自分としても役者さんにお伝えできるっていうのがね、1つ材料として見えたので、すごく良かったなと思いました。
本当にね、なんかこう、まあ言い訳みたいになってしまうけれども。難しいですね、演出ってね。
自分の頭の中でこういうふうに言って、こういうまで、このタイミングでとかっていうさ、あとこの表情でとかっていういろんなのが複合的に、自分の頭の中ではこうしたらいけんじゃないかなっていうものが、
例えばこの役者さんが同じようにやってもハマるかどうかわかんないし、また同じようにできなかったときに、じゃあどうしよう。
これ自分の思っているプランを押し付けるのは正解なのかどうかとか、もっとこの役者さんだったらその人の色があるから、じゃあ同じ効果を得るために違うアプローチがあるんではないか。
例えば、大阪から東京に行きたいときに、手段なんていくらでもあるわけですよ。飛行機でも行けるし、電車でも行けるし、新幹線でも行けるし、車でも行けるし、徒歩でも自転車でも行けるわけ。
そこに至るアプローチっていうのはもちろんいっぱいあるわけで、じゃあこの人がやるとしたらどれなんだろうとかっていうのをね、なんか考えたりしながら。
でもそれがなかなかこう、僕自身見出せなくて、なんかこうね、今までやられてきたやり方、僕が、はもうこの言い方でとか、この音でとかっていうのが結構ガッチリ決められていて、
これはこれでそういうところなんだなと思ったけれども、一方で自分のやる余地がないっていうので嫌だったんですよ、自分自身が演出を受けていたときに。
これは一つの、まあなんだろう、型ではないけれども、やっぱりそういうのがある中で、ただそのメリットっていうももちろんあるわけで、なんかこう型にやるからこそ自分の気持ちがついてくるみたいなところもあったりとかして、
で、じゃあその型を一旦作ってから崩すっていうこともできるわけですよね。だからそのやり方もやっぱり一長一短だなと思っていて、じゃあそのときに今回どうやるべきだろう。
でも今回はその実力のある役者さんにお願いをしているので、そこをないがしろにするのももったいないなと思うので、どっちでいこうかなっていうのをずっと模索しながら、
理想はあるんだけれども、僕の演出する上での実力が伴わなかったっていう感じで、結果的には最後はもう一旦これでやってほしいということで、
自分のお願いするものをやって、やっぱりね、これはあくまで僕っていう演者がやったときにはまるやり方なのかなと思ったりもしたし、
でね、またこの踏み切れなかったっていうのも自分の中であってね、なんかこう本当に一言一句、このタイミング、この間でこの感じで言ってっていうのを押し付けるとなると、
その役者さんのやりにくさっていうのもあるのかなと思って、もちろん勘コピしたからといって完全にコピーされるわけではもちろんなくて、
そこから滲み出るその人なりの特徴とか個性、人っていうんですかね、が出てくるから、やっぱり勘コピにはならない。
それがその人のオリジナリティだとは思うんだけれども、やっぱりなんかこう、役者さんが試行錯誤する余白っていうのを残したいなと思って、
そこから出てくる何かあったらそれを使って、その人だから生きる演出とかにしたいなっていうのがね、ずっとギリギリまで迷ったまま、
結果どっちつかずで結局僕の方でこういう風にやってくださいっていうのをね、半ば押し付ける形になってしまって、
なんかそこはすごく演出としての反省がね、まだ今年度全然終わってなくて始まったばっかりなんですけど、やっぱあったので、
今後、まだ毎日講演があるわけではなくて、ちょこちょこと間が空いてまた講演があるっていう形なので、まだまだね、これから手直しする余地はあるので、
初日の成功
もっとブラッシュアップして、もちろんね、同じクオリティで見せるのがプロではあるんですけどね、本来ね。
最初にやったからクオリティが低い、後からだんだんクオリティが上がってるっていうのはもちろんプロとしては本当に良くないあれではあるんですけど、
ただね、やっぱ時間があって、そして稽古できるタイミングがあるということはやっぱちょっとね、少しでもより良くまだできる余地があるということなので、
そこはね、今年度もっとより良いものを子供たちに届けられるように頑張っていきたいと思います。
とりあえずね、本当に初日無事、子供たちに素敵な舞台を届けられたということで、本当に関係各位、本当に皆さんに本当に感謝ですね。
本当にありがとうございましたと、ここでちょっとお礼を述べたいと思います。というわけで、今日の講演日記はこれぐらいにしたいと思います。
どうもありがとうございました。
15:00

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