フランク・ゲーリーとその影響
こんにちは、テック デザイン フォーラムのテクノです。本日も
イヨークからお送りします。この チャンネルでは、モダンテックデザイン
海外でのデザイナー生活などについて お話をしています。ということで、
本日は、昨日お亡くなりになった 建築家のフランク・ゲーリーさん
についてお話をしてみたいと思います。 追悼の意義を込めて、今回そういった
お話をしようと思うんですが、僕は 結構、建築を見るのが好きで、
その中のお一人だということで、 そのニュースをして、ショックだったんですけれども、
96歳でお亡くなりになったみたいですね。 僕がもともと彼を知ったのは、
高校生の頃なんですけれども、 当時、デザインの勉強をしていまして、
雑誌で、カーサブルータスというのが あったんですよね。そのカーサブルータスの中では、
主に建築が取り上げられていて、 その雑誌自体も結構オシャレで、
それを好んで読んでたんですけれども、 その中で様々な建築が紹介されていました。
その当時に、すでにフランク・ゲーリーが そこに載ってたかは覚えてないんですけれども、
その後も、大学生になってからも 読み続けていたので、どこかのタイミングで
彼を知ったんですよね。 彼の作る作品のテイストとしては、
ご存知の方も多いと思いますけれども、 メタルの波打っている、
銀色の立方体みたいなものが構築されている、 一つではなくて組み合わさっているような、
そんな形の建築が有名でして、 ビルバオのグッキーハウム美術館だとか、
ロサンゼルスのディズニーホールとか、 そういったものが有名です。
僕が初めて彼の作品を生で見たのは、 ロサンゼルスに行ったときに、
彼の建築スタイルの特徴
ディズニーのコンサートホールを見たときでした。 ちょっと中には入れなかったので、
外から見るだけになったんですけれども、 銀色の建築が素晴らしかったというのは、
もちろんあったんですけれども、 そこの部分は雑誌でも見ていたので、
なんとなく想像はついたんですが、 実際に行ってみて、
建築の裏側とかを歩いてみたときに、 タイルでできたきれいな噴水もあったりして、
見えないところまで手が込んでいるなと思ったりだとか、
また銀色のメタリックな建物とそれと対比した、 色がついたタイル貼りの鮮やかな噴水だとか、
そういった対比とかもすごくいいなと思った記憶があるんですよね。
僕は雑誌でカサブルータスを読んでいただけではなくて、 当時は本当に建築ラッシュというか、
日本でも建築がすごくバンバンかっこいいものが建っていて、
表参道なんかにもフェルスオークアンドドムーロンという グループのプラダのビルディング、
今もあると思いますけれども、それもすごいかっこよくて、
中に入ったときもちょっとした迷路みたいな感じで面白くて、
また伊藤豊さんが作った当時のトッツビルとか、 かっこいいものがいっぱいあったんですよね。
レンゾピアノを作った銀座のエルメスの建物とか、 本当によく行っていました。
そういった建築は好きで見ていたんですけれども、 このときに少し彼の経歴について調べてみたんですけれども、
もともと彼が有名になったのは50歳のときだったらしいんですよね。
それまでは生まれがカナダで、 ユダヤ系の方だったみたいなんですけれども、
反ユダヤの活動をその影響を避けるために、 名前も改名してギエリーというものにしたらしいんですが、
その後そんなに有名なことはなく、 50歳になったときに自宅をリノベーションしたらしいんですよね。
そのリノベーションしたものが脚光を浴びて 有名になったみたいなんですけれども、
そのときのリノベーションに使った道具というのが、 波状の途端板とか、
金網のフェンスとか、 今の構築的な建築物のテイストにつながる、
そういったテイストがこのときに現れてきて、 それで有名になってプリツカー賞だったかな。
日本におけるゲーリーの作品
そういった賞を取ったりとか、 それで有名になったみたいなんですよね。
また彼は建築だけではなくて、 EGHSと呼ばれる段ボールを使った家具のデザインなんかもしていて、
僕これ名前だけ聞いたときちょっとピンとこなかったんですけれども、 写真を見たらこれかと思って、
こんなに有名なものも作ってるんだなと思いました。
口頭で説明すると、それはいわゆる一般的な椅子と違って、
一枚の段ボールをぐにゃっと曲げたような椅子なんですけれども、 見たらわかる方も多いかなと思います。
そしてその50歳で脚光を浴びた後に、 先ほどもちょっと紹介した60代後半でスペインのビルバーのグッキーハム美術館を設計して、
それがすごく有名になって、 今でもそれを目当てに来る方も多いみたいで、
経済効果もすごいみたいですね。
建てる前の1997年以前と比べて、 その20倍以上の来館の方が増えたみたいで、
またその街自体にも経済効果がすごく波及して、 ビルバー効果と呼ばれていたみたいです。
そんな彼もですね、日本にも実は作品があるみたいですね。
僕知らなかったんですけれども、神戸にフィッシュダンスっていう、 ゲイリーが監修した巨大な魚のオブジェクトがあるみたいなんですけれども、
これも網状の金属を使ったオブジェみたいですね。
当時作った時に潮風にさらされるんで、 錆びるんじゃないかっていう懸念もあったらしいんですけれども、
そのことを懸念してですね、運営している方たちが一瞬ピンク色に塗ったらしいんですけれども、
それはダメだということで、彼だとかですね、他の建築家が抗議をして、 現在の銀色のものに戻したらしくて、
写真とかで今見るとやっぱり確かに錆びてはいますね。
それがもしかしたら、全部錆びてくると味になってくるという見方もあるかもしれないんですけれども、
そういった作品も日本にもあるみたいです。
彼はそういったいわゆるモダンデザインとは全く違う。
モダンデザインというのは機能主義と言いますか、箱型のデザインとかですね、
箱型のシンプルな水平垂直を基軸にした機能的なデザインのことを基本的には指すんですけれども、
それとは全く違ったものでですね、より遊びを取り入れた建築をして、
ただ彼はポストモダニズムと分類されることは嫌がったらしいんですよね。
僕は割とポストモダンは好きで、メンフィスデザインとかですね、
日本だと倉又志郎さんとか有名な方いるんですけれども、それとは違うみたいで、
とにかく明るいとかですね、とにかく機能主義、モダニズムに反抗するという、
そういったものではなくて、彼は新しいものを作り上げたかったという思いが強かったらしいです。
倉又志郎のミス・ブランチは僕は家に置きたいかどうか別として結構好きなんですけれども、
ああいう作品からすると、あんまり彼の作品なんかはそこまでポストモダンの、
メンフィスデザインのデザインなんかとは違うかなと思うんですけれども、
そのあたりはグラデーションがあるのかなと思いました。
ハウハイ・ザ・ムーンっていう椅子なんかも結構有名で好きなんですが、
その倉又志郎のですね、それなんかもどっちかというとフランク・ゲイリー寄りで、
もっとピシッとしているので、そこら辺は信じるものが違うということで、
フランク・ゲイリーをですね、脱構築主義とかですね、
ポストモダン建築の化粧ということを呼ばれるのを嫌がったみたいです。
そしてこういった複雑な建築をしているにもかかわらず、
取り上げられるべき点としてはですね、こんなに巨大なプロジェクト、
していても、ほとんどのプロジェクトが予算内、期限内、
そして大きな経済効果をもたらしたらしいんですよね。
こういったメガプロジェクトとかですね、巨大なプロジェクトを調べた研究が
オクスフォード大学でされたみたいなんですけれども、
1万6千件ぐらいをですね、調べて、
フランク・ゲーリーの建築の成功
そういった予算とか期限を守ったものってわずか8.5%みたいだったらしいんですけれども、
彼の作った建築物というのはほとんどそれを満たしていたらしいんですよね。
水漏れ問題などでですね、問題になったこともあったりしたんですけれども、
今回は追悼会ということなので、そのあたりはあえて触れないでおこうとは思います。
そういった中でですね、クライアントのオーダーする予算とか期限を守りつつ、
あれだけ経済効果のある、そしてクリエイティビティーにあふれた建築デザインというのは
本当にすごいですよね。
彼がそれを成し得た要因の一つとしては、航空力学のソフトを使って、
コンピューターでですね、やっぱり局面とかが多いので、
コンピューターを使って計算して、そういったチタンパネルの枚数とかを割り出すとかですね、
そういったことをしていたみたいです。
またそれを実現するために、ゲイリーテクノロジーズという会社まで作ったみたいですね。
ということで、もう本当にいくつかピックアップできるテイクアウェイがあるかとはと思うんですけれども、
一つは50歳になってからでもこれだけ有名になったということですね。
しかもきっかけが自宅のリノベーションから始まったという非常に小さな、
むしろそれぐらい小さかったから実験的なものができたのかもしれないですし、
自宅だったからこそ誰にも文句を言われずできたということもあるんですけれども、
そういったものがですね、時代の空気とある意味良い摩擦を起こすと
これだけ注目されるんだなということが一つピックアップできる点かなと思いました。
またもう一つがですね、そういった創造性を持ちながらも実務的で、
期限とかですね、予算とかそういったものに合わせてフレキシブルに成功まで導けるという、
この遂行能力がすごいなと思いました。
他にもですね、有名な建築家で僕が好きな方たくさんいるんですけれども、
例えばザ・ハリッドさんという日本の新国立競技場の建築家さんが
熊健吾さんになる前のですね、予定されていた建築家さんなんかも
やっぱり日本が求めていた予算を遥かに超える予算になってしまいそうだというところから
ちょっとうまくいかなくなってしまったということもあったと思うんですけれども、
そういった現実的なですね、ところに即して成功まで導くというところが
注目できるところかなと思いました。
彼の影響と個人的な感想
はい、ということでですね、もう1個今思い出したんですけれども、
MITマサチューセッツ工科大学ですね、行った時も彼の建物があったのも覚えてますね。
それもあまり垂直じゃないような建物だったんですけれども、
彼といえばやっぱりどちらかというとディズニーホールみたいなですね、
あっちのイメージが強いかなと思いますし、もう全然今になってもモダンでかっこいい
クールな作品かなと思います。
高校生の頃はですね、彼の作品を見ていた頃はそこまでですね、
どれだけすごいかということはピンときてなかったんですけれども、
それは単に他の建築家も知らなかったですし、
そしてこのもう20年以上経ってもですね、人を惹きつけ続けるという、
その時間が証明しているという職面もあるのかなと思います。
はい、ということでですね、今回は昨日こちらの時間でですね、
お亡くなりになったフランク・ゲイリーさんについてお話をさせていただきました。
もし今回の内容が面白い興味深いと思っていただけたら、
ぜひ高評価や五つ星をつけていただけると嬉しいです。
またこの放送は日本時間の日曜午前を目途に配信していますので、
ぜひまたお聞きください。
最後におまけトークになります。
おまけトークとしてはですね、フランク・ゲイリーも僕は好きなんですけれども、
一番最初に好きになったのはヘルツオク&ドムーロンだったんですよね。
先ほども話したプラダのビルディングもそうなんですけれども、
サンフランシスコに行った時に美術家のデザインもしていてですね、
それもすごいかっこよかったんですよね。
彼の作っている作品は、それこそですね、
金属板をむしろ錆びさせたようなそんなテクスチャーが、
ファサードといってその外観を覆っているんですけれども、
それがですね、すごくかっこよかったのと、
あとアオキジュンさんが、今もかわからないんですが、
当時ですね、ルイビトンのデザインなんかもしていてですね、
僕はそういったルイビトンだとか、先ほどのトッツとかですね、
そういったものが好きだったので、
そういったある種ビジュアルの強い建築をテーマにして、
ポスターなんかも作ったりもしました。
結果的にこのグラフィックの道に歩んだわけですけれども、
もしグラフィックデザインのほうに行ってなかったら、
建築家とかですね、建築デザインとかですね、
そちらのほうに進んでいたかもしれないなとも思います。
ということで、本日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
また次のトークでお話しします。ではまた。