いろんなところをウロウロしているという中で今回JAMセッションに皆さんと出会うことができて嬉しく思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
もうすでにプロフィールお伺いしただけでもキーワードがたくさん出ていて。
あれもこれも聞いていきたい感じなんですけども。
まずは私と伊藤さんの共通項で言うと。
私がもともと出身が九州福岡でして、大学が九州大学だったんですが。
実はね伊藤さんも全職が大学院と。
全職が九州大学だったというところで。
先輩。同じ大学の出身。
同じ。
珍しいですよね、京都でなかなかいらっしゃらないんで。
京都で九州出身者で出会うだけでテンションが上がっちゃうんですけども。
なんかね、九大時代にお会いできてなかったのが不思議なぐらい。
そうなんです。
実は一番最初にりょうこさんとお会いするときに、お会いする前にフェイスブックをちょっと拝見したんですけど。
共通の友達がたくさん、九州大学の方で。
なんでお会いしてなかったんだろうって。
本当に好きなくらい。
ただ、お生まれだったり、育たれたのは関東圏でいらっしゃってってことですよね。
大学から九州。
そうですね、18歳から九州に福岡に行きまして。
なんで福岡に行ったかというとですね。
高校時代、理系の勉強をしていたんですけれども。
その当時からですね、音楽が好きで、ギターとかそういった楽器が好きで。
そういったところで何か勉強したいなと思っていまして。
そうするとこう探すと、音響設計というですね、音響工学とか。
そういったことを理系の受験で入れるよというところが見つかったので。
音響を勉強するというところがほとんど日本には少ないですね。
確かにあんまり。
大学だとほとんどないんですね。
そうですよね。
研究室単位で3回生4回生ぐらいになって、研究室で工学部の中で音響系に入るですとか。
建築系の中で音響系に入るとか、そういったケースとか。
あとは音楽学部でも本当に音楽家を目指してやったりですとか。
音楽の先生になるというようなコースはいろいろあるんですけど。
その音を着目した、音響に着目した人が本当に日本に少なくてですね。
なのでもうそれで福岡に。
もう選択肢が限られてて。
福岡に行くしかないと思いました。
面白い。
音楽好き、音楽をそのものを学ぶっていう。
芸術大学に行くみたいなこともあり得たかと思うんですけど。
その時なぜその音響の方に着目したというか、設計の方だったのかっていうのは。
なるほど。ありがとうございます。
音楽の学部に行こうとすると、まず結構入試のハードルが実はいろいろありまして。
一般的にソルフェージュという楽譜を、音を聴いて楽譜に駆け起こしたりですとか。
楽譜に書いてある音を歌ったりですとか。
そういう非常に音楽的な素養が求められるんですけど。
私ですね、そこまで音楽的な、いわゆる音楽的な素養というのはそこまで強くないかなというふうに思って。
そういうところではなくて、時系の勉強で活かせるようなところを目指したというような背景でしたね。
なので音楽、やっぱり学部に行くと音楽家を目指していくことになるんですけど。
そうじゃない、何か音に携わるようなことができればなという思いで、九州大学の芸術工学部の音響設計学科というところに。
そうなんですよね。九大は芸術工学部が途中で合流して、大学のレパートリーというか幅が広がった感じなんですけど。
まさにそこの学科だったっていうことで。
ジャムセッションズって、ジャズの即興演奏をコンセプトにした会社なんですって説明をしたらですね。
最初の頃はね、しょうさん、音楽の会社なんじゃないかというね。
そう、そう、そう、勘違い。
勘違いで。
そういうことが多くて。
どの辺の音楽の部屋ですかとか聞かれたんですけど。
でもまさに伊藤さんは音響設計。
そこから大学院に行かれたときは、また専門を変えられてる感じですよね。
そうですね。学部で4年間も音のことをみっちり。
面白かったのはですね、音響設計はすごくいってよかったなと思うところがたくさんありまして。
工学的な観点で音を学ぶだけではなくて、文化的な観点でしたり、実際音楽ですね。
音楽の先生がいて作曲家の先生がいらっしゃったり、心理学の先生がいらっしゃったり。
受験は理系だったんですけど、中に入ると文系理系の壁が全くないような、それが融合していて、すごく面白いなと思って学んでたんですね。
ただ大学院では実は音響設計ではないことを学びました。
で、きっかけはですね、実は音響だけがやりたくて大学に行ったんですけれども、
英語の勉強をですね、2年生ぐらいのときにしていて、自分の学部名を英語で書いてくださいというふうなことがありまして、
学部名が芸術工学という不思議な日本語の名前だったんですね。
で、なんだろう、アート&エンジニアリングなんだろうかとか、調べたらですね、デザインという訳語がそこに当てられていると。
デザインだったりとかって、日本ではどうしてもデザイナーとかクリエイターとか、
一部の職能を持った方っていうイメージがどうしても強いかなって気がするんですけど、
お話聞いてたらおっしゃるように、もっと普遍的で、
結構いろんな人に関わっているものなはずっていうことですよね。
そうですね、まさにおっしゃるように。
肩書きでデザイナーと書くケースはあると思うんですけども、
デザインということと職業として肩書きとしてデザイナーとつくこと、
一回ちょっと切り離して考えた方がいいかなというふうに思っていまして、
デザイナーという仕事はもちろんあるんですけれども、
それとまた別の領域でデザインという知識体系、
それは自分たちが生きていく社会にある物事の関係性を
いかにより良いものにしていくかということだと思うんですけれども、
いわゆるデザイナーズなんとかとか、
私はデザインやってるんですよ、何のデザインですかというような、
よく聞かれるんですけれども、
そことはまたちょっと違うレイヤーの教養、
デザインは教養だなと私思うんですけれども、
教養的なものとしてのデザイン、
リベラルアーツのようなものとしてのデザインというのがあるかなというふうに思ってますね。
面白い。
しょうさんとかデザインって聞いてイメージすることとか気になる点ありますか?
やっぱりデザイナーとかセンスとか、
そういう自分には程遠いものっていうイメージがあるんですけど、
一方で最近デザイン志向っていうものが
ビジネスパーソンに求められるっていう話がよくあって、
ビオトープの佐藤邦太さん、結構好きで本とか読んでるんですけど、
彼も別に文系のマーケティングとかやってた方が
デザイン志向を学んで、デザインファームを立ち上げてっていうことをしているってことは、
やっぱり美系文系とかデザインというか芸術とかに関わらず、
多分必要となる考え方なんだろうなっていうのは、
最近意識し始めたかなって感じですね。
私もそうですね、佐藤さんのほうも。
あとちょっとだけお仕事もご一緒したことがあって、
確かにおっしゃるように、社会の捉え方だったりとか、
あとは佐藤さんの場合、特に組織の中のデザイン、
人のモチベーションを含めてとか、
本当にあらゆる領域でデザインを注入されているというか、
なので、もっとその辺のどうしても自分とは関係ないんじゃないかって思いがちなところを、
まさに伊藤さんはどういうふうにつないでらっしゃるのかというか、
もう一つデザインと、テクノロジーってこともあると思うんですけど、
インクルーシブデザインっていったときに、
具体的にどんな問いを持ってとか、
あるいはどんな人たちとどんなお仕事をしているのかとか、
もうちょっと解像度が広げたいなっていうふうになってきました。
はい、ありがとうございます。
今の注入っていう言葉、なんかいいなというふうに思ってました。
なんかデザインってね、これ面白いなと思うんですけど、
想像性とデザインってやっぱりすごく重要な関連性があって、
なんか想像性っていうとすごく立派なものを作らなければいけないとか、
クリエイティブに自分となんか違うみたいな、
遠くにあるようなものの感じがするんですけど、
もうそれは一人一人に備わっている、
そしてそれをいかに閉じ込めずに出していくかっていうことが大事だなと思ったんですけど、
デザインが注入されることによって、
想像性が開かれるような感じがあるなと今聞いてて思ったりもしました。
今テクノロジーの話ですとかインクルーシブの話、
出していただいたのとその話と踏まえて、
さっきの大学院の続きの話も実はつながるなと思うので、
その話をしますと、大学院に入ってですね、
大学院に入るちょっと前、
東日本大震災が2011年にあって、
あれは結構私の中でも大きい社会的な出来事だったなというふうに思って、
当時水がなかなか手に入りにくかったり、
電気がどこも部屋を暗くしたり電車を暗くしたりということが長く続いて、
最近の若い人はその風景も見てないかもしれないですけど、
自分たちがインフラの中で手に入れられていたものが、
当たり前に手に入れたものがなくなってしまったときに、
自分たちが自分たちで生き延びていかなければならないというふうな状況が、
21世紀になっても、
災害によってそれがわかりやすく突きつけられたというか、
そのときに自分の何もできなさみたいなところを、
すごくもどかしく感じたなというのもすごく覚えてまして、
そのときにやはり何か物理的なインタラクションというか、
介入によって生き延びるための一つの何か道具を作るですとか、
仕組みを作るですとか、関わりを作るということが非常に重要だなと思ったタイミングでもあったんですね。
その中でデザインということで、
もっと社会的な関係性づくりができないかなというところに興味を持ったんですけれども、
ちょうどそのタイミングでオランダのアムステルダムというところに入学することになりまして、
1年間オランダアムステルダムに行ってたんですけど、
そこでファブラボという先ほどお話した3Dプリンターですとか、
そういったデジタルものづくりの機械を市民に開いて、市民がそこに集まって、
自分たちで必要なものを自分たちで作ると。
そういったコミュニティがファブラボといって、それが世界中に広まっていって、
ちょうどアムステルダムに行ったタイミングでアムステルダムのファブラボというところがあって、
ラッキーなことにそこで働かせてもらうことになって、
留学をしながら働かせてもらって、
その中でいろんな世界中のファブラボの人と会ったりですとか、
もちろん機材のテクノロジーの扱いとかを学んで、それを人にシェアする。
ただ作るだけじゃなくて、それをシェアするというのが非常に大事にファブラボの文化でして、
ラームメイクシェアという3つがあるんですけども、
学ぶことと作ることと、それをシェアするというこの3つですね。
このラームメイクシェアの文化をどっぷりオランダにながら使いまして、
同時にそのときにちょっと興味があったのが、
障害のある人が自身で必要な道具をデジタルファブリケーションの技術を使って、
自分たちで作るというような可能性にすごく興味があって、
そういったリサーチをオランダでしていました。
実際にオランダのアムステルダムでは、その3Dプリンティングですとか、
そういった技術を使って、先天性の近世経不全のある人が、
いわゆる普通のスプーンとかフォークを家に持って食べるのは難しいので、
すごく柄の長いフォークですね。
普通のフォークにパイプを付け足して、
そうすると肩と首をいいように使って食べることができるようになる。
そういった道具を自分たちで作って、
それを道具化して持ち運んだりすることが起きていたり。
その方はすごくいろんなインタビューをさせてもらったりして、
やっぱりオランダ優れてるなと思うのが、
障害のある人が街のユニバーサルアドバイザーになっていて、
都市の中でまだユニバーサルになっていないところを、
こういうふうにするともっと街が良くなるよ、
というようなアドバイスをするという仕事に就いていたりとか、
そういうアクティブに障害のある人が街だったり、
自分の必要なものに対して関わっていくということが起きていて、
その一端の中で開かれたテクノロジー、
特にこれまで樹脂整形とかが難しかったり、
お金がかかったものが自分たちで簡単に樹脂整形ができたりすると、
そういった技術が3Dプリンターだったりレーザーカッターがあるので、
それによって開かれる自分たちのためのデザインということに興味があって、
デジタルファブリケーションとそういったインクルーシブデザインの結節点というか、
接点のところに興味を持って大学院では研究をしてましたね。
一気にすごく転機になられたんだろうなっていう、
お聞きしてて、本当に開かれてるテクノロジーっていうのが、
そういう形でオランダでも実践されてたっていうことですよね。
この領域はすごく面白くて、やっぱり3Dプリンターがあると、
今も世界中に3Dプリンターが広まっていて、
データが一つあればそれをお互い送り合うだけで、
オランダでデザインしたデータを日本で出力してみようというようなことができる。
そうすると物のテレポーテーションのような形で、
世界を、領域を越えて遠隔でお互い一緒に物作りをするというようなことができたりですとか、
あとはデザインを作ってそれをオンラインでアップロードして、
例えば人によって必要な一部のパーツの長さが違ったりですとか、
大きさが違ったりとか、人の体がまちまちなので、
実はそこに福祉用具の課題はあったんですね。
やっぱり何か物を作って売るときに規格化をしなければ、
なかなか大量生産に向きにいくということがあって、規格化をするんですけれども、
人それぞれに合わせて必要な物というのは規格化しづらいので、
そうするとマーケットでたくさんを作って売るということができないので、
必然的に一個一個の価格が上がってしまったり、あるいは販売されなくなってしまったりするというケースがあるんですが、
デジタルパブリケーションの場合はそういったデータを公開して、
その一部の寸法、長さとか大きさをウェブ上とかデータ上で変えて出力すると、
自分の体により合わせたものを作ることができる。
なのでそういった形でこれまでの流通や市場の仕組みとはまた異なる形での物の提供というのが可能になってくる。
なるほど。確かに企業のこれまでのものづくりと市場に乗せていくということを考えたときに、
一人一人に合わせたというものがなかなかビジネス的にも広げることが難しかったところに、
そのパブリケーションの技術があることでかなっていくという。
そういう意味も側面もあるんですね。
そういったファブラボのようなところが日本でもすごく増えて、
オランダから帰ってきたら福岡にまたいたんですけど、
福岡でもたくさんファブラボがあったり、九州にもたくさんファブラボがあったりしまして、
九州大学でもそういったデジタルものづくりを作るような動きがあったり、
近隣のそういったファブ施設というんですけども、
デジタルものづくりをやっている施設と交流をするようなことを、
卒業後も大学の職員としてやっていたというのが、福岡にいたときの流れですね。
なるほど、なるほど。
伊藤さん自身のものの見方だとか、やりたいことの幅みたいなのもすごく広がって、
九州に帰ってこられたんじゃないかなっていうのを想像しました。
しばらくは帰ってきてから、
休大の中でも働いていらっしゃったってことですよね。
そうですね。卒業してふらふらをしていたら、
自分の先生だった人に運力を拾っていただきまして、
そのまま同じ大学院でスタッフをして、
そのときにもデジタルものづくりを大学に入れるという、たまたまいいタイミングだったので、
そこで3Dプリンターの講習を学生にしたりですとか、
あとはいろんな世界的なデザインの強い大学とのコラボレーションを進めていくということがあって、
そういった世界中の学生を集めたり、先生方が九州大学に来て福岡に来て、
一緒にワークショップをしたりですとか、
そういったことのコーディネートをすることをしていました。
九州大学、途中から結構頑張って、
九州の中の1個の国立大学みたいなブランドイメージだったんだけど、
最近は割と海外ともつながったりとか。
世界の九州大学にするぞという。
はい、注目。
昨日も私たまたま、高校生向けの、
ちょうどしょうさんも来てくださったんですけど、
スタートアップの起業家さんとの交流イベントみたいなことを参加していて、
たまたま学生たちの休憩時間のどの大学に行くみたいな話が聞こえてきて、
九大面白そうだから行ってみようと思うんだよねみたいな学生が実はいてですね、
おお!とか思って。
結構ね、そんなデザインとかやっぱり。
大学の中に芸術系だったりとか、デザイン志向だったり、海外とのつながりみたいなのが増えてくると、
やっぱり学生にとっても魅力的になっていってるなっていうのは感じたりしてましたんでね。
まさにその最前線に舞い出したんだなって思って。
ありがとうございます。
ということでもうね、
堂さんの反省をお聞きしてたらですね、
結構もういい時間になってきてまして、
一旦ちょっと前編ということで区切らせていただいてですね、
後半の方で京都に来られてからのお話とか、
今されているプロジェクトのお話をちょっと聞いていこうかなと思いますので、
一旦前編ここまでありがとうございました。
ありがとうございました。