J1ビザの検討と挫折
こんにちは、テック デザイン フォーラムのテクノです。本日も
仁和からお送りします。このチャンネル では、モダンテックデザイン、海外
でのデザイナー生活などについて お話をしています。ということで、
今回は、アメリカに来ることが出来た ことについての第2弾をお話ししよう
かと思います。前回、一番最初に どうしてそう志したかということ
についてお話をしたんですけれども 今回は、それを実際に行動に移して
いって、挫折したということについて お話をしてみたいと思います。前回
の続きで、実際に仕事を辞めたり だとか、引っ越してこっちに本格的に
移ってくるという前に、J1ビザ というものを検討していたんですね。
J1ビザというものは、訓練制ビザ みたいなものなんですけれども、
1年半アメリカに来て、会社などで フルの給料ではないんですけれども、
ある程度の給料をもらいながら 勉強しながら学び、そして1年半後
に帰るという、そういったビザです。 それが、今の仕事を、当時の仕事
をしながらやるのには手がたい かなと考えていまして、というのは
1年半という時間がはっきりしている ので、最初は給食していこうかな
というプランの一つにあったんですよ ね。思い立ったときに、何個もプラン
を考えられるものを考えて、それに対して リスクとチャンスのバランス
というんですかね、それぞれを検討 しながらやってたんですけれども、
そのうちの一つがJ1というもので、 紹介していただいた方の中から
ニューヨークに住んでいらっしゃる 方がいたので、その方に雇って
もらうというつもりは全くなかったん ですけれども、その方にまずお話を
聞いてみようと思って、ニューヨーク に旅行として行きました。それは
1週間ぐらいで、その1週間の間に 日本にいる間に会える人はいない
かなと思って、インターネットで 探して、会社とか、結構イメール
を送って会える人に会うみたいな ことをしていました。こちらでアート
ディレクターをしているフリーランス の方だとか、会社を経営していらっしゃる
方だとか、今回お話しするデザイン 会社なんかは、当初教えてくださった
日本人の方が知り合いということで 紹介してくださったんですよね。
そこでポートフォリオなんかを持って お話だけ聞いてくださるということで
お話をしに行きました。こちらとして は最終的にはJ1のビザをスポンサー
してくれないかということも含めて お話をしに行ったんですよね。そこで
先方の方は作品なんかを見て、今 となってはそりゃそうだって感じ
しますけど、知事の方に紹介された 僕なんで、明るくポジティブにいろいろ
と反応してくださってたんですよ ね。そこで痛恨のミスなんですけ
れども、僕の英語の能力が低かった せいもあって、聞き取り間違いを
してしまったんですね。当時いる インターンの方がいて、その方が
ちょうどフランスに帰るところだから っていうような話をされていて、
僕はその代わりとして、もしかしたら J1ビザのスポンサーになっていただいて
インターンができるのかと勘違い していたんですよね。それで、日本人
の方ともよかったねっていう形で ちょっとお祝いなんかもして、完全
によかったという気持ちのまま 日本に帰国しました。ところが日本
に帰って、俺のEメールなんか送って いただくときに、なんかこれ違う
ぞっていうお返事が来たんですよ ね。そんなことは言ってないっていうこと
が明らかになりまして、それで僕 としてはどうしようと思って、完全
サポートと心の葛藤
に浮かれていたので、その当時は 大ショックというよりかは、完全
に思考停止してしまったみたいな 感じだったんですけれども、それ
でも会社勤めだったので、その後 会議があったりとかして、社外で
打ち合わせがあったときに、この後 ちょっと別の打ち合わせがあるんで
先に帰りますっていう、ぶっちゃけ ちょっと嘘をついて、トイレに閉じ
こもってしばらく15分ぐらいガーン としてる、ガクンとしてるっていう
ようなこともありました。また、 アメリカだけではなくて、いくつか
考えうる会社さんに脱進をしたり もしてたんですけれども、どれ
もうまくいかなくて、結果的にすべて がそのとき白紙になっちゃったんですよ
ね。この後どうしようと、いろいろ 考えていたけど、どうしようということ
になって、二方向としてはこのまま なかったことにして諦めるか、もう
一つの方法としては、もう何の保証 もないけどアメリカに行くかっていう
2択でした。そこで当時の会社の 増資機も話を聞いてくれたりして、
まだ30歳になったくらいだったので、 まだ大丈夫だよっていう、割とそういう
感じで応援してくれたんですよね。 何かあってもやり直せるみたいな
ことなんですけれども、それがすごく 励みになったのと、その他も励み
になった言葉としては、失敗したら 笑ってもらえばいいよっていうこと
で、他の人にも今のこと話せばいいよ みたいな感じで言ってくれたり
だとか、家族なんかも何かあったら 帰ってこればいいみたいな感じ
で、割とシリアスすぎないっていう か、年齢のこともあったと思うん
ですけれども、その辺りを思い詰め なくていいっていうところに持って
いってくれたのは、心のお支えになり ましたね。また本当に会社を辞めて
いくのか、給食を会社に脱線して いくのかっていうところがまだ決め
切れていなくて、それも別の上司と 話していたりしたときに、やっぱり
首につながれたまま行くのは良くないん じゃないかっていうことをアドバイス
されたりとか、またそういった状況 でインターンをしても、結局また
帰るんだしってことをアメリカの 会社にも見透かされるから、やるん
だったらちゃんとやったほうがいいん じゃないかっていうこともアドバイス
されたりもしていたっていうこと もあって、結局は最終的には会社
を辞めて都米するということにしました。 ということで、それが一番大きな
アメリカ渡航の決断
転換点だったんですけれども、今 僕がこうやって話せているのも本当に
結果論でしかなくて、もしかしたら 本当に全然日本に帰っていた可能性
も大いにありますし、運とかタイミング とかっていう要素も本当に大きい
かなと思います。なので、この方法 が決していい方法であったとは思
えないんですけれども、そういった ケースもあるということで聞いて
いただけたらいいかなと思います。 ちなみに僕は学生ビザでこちら
に来たときは、語学学校に入るという 方法で来たんですけれども、それとは
違った方法で言いますと、友人の 1人なんかは前の会社を求職して
ビザに来るという方法をとって いました。それも自分のやりたい
デザイン関係の学校に行くという 方法だったので、少なくとも何か
を学んで帰れるということができます し、そちらが成功法なのかなと思います。
また、それ以外だとアメリカに本社 だとか、支社がある会社を通して
こちらに来るという方も多いですよ ね。そういった場合はやはり会社
がビザだとか、そういった住まい だとかいろいろ手配をしてくれる
ので、一番恵まれているとは思うん ですけれども、自分でそれをコントロール
できないということがあるので、 自分から決めていくとなると思い
通りにならないということは多分 あるのかなと思います。なので、でき
たら学校を通して自分が学びたい 学校に行くというのがいいんですけ
れども、お金の問題ですかね。やっぱり 学費も高いと思うので、そこは
ちょっと難しいということもある かもしれないんですけれども、最悪
僕のように語学学校、そちらはもっと 学費が安いと思いますので、そう
いった方法もなくはないということで お伝えしたいと思います。ということで、
次回お話しするときはその後の アメリカに行く前のちょっとフィリピン
に寄ったりもしたんですけれども、 そのあたりとか語学学校に登録した
ときの話なんかもしてみようと思います。 ということで、もし今回の内容が
面白いと思っていただけたら、ぜひ 高評価や五つ星評価をいただける
と嬉しいです。またこの放送は 日本時間の日曜午前をめどに配信
していますので、ぜひまたお聴きください。 最後におまけトークになります。
おまけトークなんですけれども、 こういった自分がチャレンジしよう
としてるときに、人によくしてもら ったこととか、応援してくれた
人っていうのはすごい忘れないんですよ ね。なので、こういった何かを
やろうとしている人に対して応援 の気持ちを送る、特にこういった
本人も不安なときっていうのはすごい 力になると思うので、人的なところ
で投資という言葉がちょっとふさわしい かわからないんですけれども、応援
するそういった気持ちを伝える っていうことは、今後の人間関係
において良い人的投資信頼を積み 上げていくことにつながるのではない
かなと思います。ということで 本日も最後までお聞きいただき
ありがとうございました。また次のトーク でお話しします。ではまた。