1. YAMATAROFARMの福利厚生
  2. ちゅんさんと新番組かもしれな..
2024-11-24 48:30

ちゅんさんと新番組かもしれないやつ3-4

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今回はみぃさんをゲストにお迎えしてお話させて頂きました。

なお3-2から3-4は1つの音源を切ってます。

 

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みぃさんの番組 私たちは人間になろうとしている

みぃさんのnote 私たちは人間になろうとしている

みぃさんとさちえさんの番組 月例あけっぱな通信

サマリー

このエピソードは、中年の危機と自己認識に関する考察が中心となっています。特に、ミッドエイジにおけるクライシスの経験や、社会の多様性が自己認識に与える影響を掘り下げています。また、ミッドエイジ・クライシスをテーマに、選択肢の重要性や多様性がもたらす自由について議論されています。ポッドキャストを通じて、彼らは自らの経験を語り、多くの人が抱える価値観や生き方の不安に寄り添っています。ちゅんさんとゲストたちは、未定時クライシスというテーマについての対話を通じて、視野を広げ、互いに思考を深める意義について語ります。新しい番組の立ち上げに向けて、リスナーにも参加を呼びかける内容にも触れています。

中年の危機の初歩
ちょっと話それちゃうかもしれないですけど、さっきちゅんさんが
自分はこういう人間だって見えた人ってどんな状態なのかを知りたい、みたいなことを言ってたかなと。
それで言うと、別に今もわかってない上に
私は何者なんだろうって考えたことは、私の場合は一度もなかったんですよ。今までの人生では。
今も別にそれは考えてないっていうか、何のために生まれてきたんだろうっていうのは、なんか私は一度も自分は考えたことなくって
あんまりそこはあんま大事にしてないみたいです。
だからなのか、中年の危機なのかな。
なんか、あんまりその人前で言えないことってみんなもそれぞれ人生にあると思うんですけど、
私もそのミッドエイジじゃないタイミングで
つどつどクライシスって自分なりにはあったけど
あんまりそこもね、深く考えなかったって言ったら変だけど
っていうのはあって。だけどなんか、私の場合は
中年の危機でやっと考えてるって感じですかね。
もしかしたら、本当にそうだよねって二人の話聞いてて、別に中年じゃなくても危機ってあるよねって思ったときに、
私は本当に多分今までのクライシスあんまり重大に取り扱わなかったかもって言ってました。
さっき言った体力面だったりとか、
仮初めの目標は私の目標じゃないとか思ったりとかするタイミングが、私にとっては一番変化というか考えるタイミングだったのかなっていう気が、
二人の話を聞いてて思いましたね。
注目する、意識するタイミングがちょうど重なったみたいな。
注目せざるを得なくなっちゃったみたいな。
経営危機と自己反省
なんか言っちゃうと、自分の場合は毎年起きてる経営危機ですね。
まあそうだよね。
日々か。
あとは地球の変化っていうのもありますし、あるだろうしね。
でも今年もそうだし、毎年やっぱりこう、
ああ終わったみたいな、
景気で、ああ終わったってなったときに、なんでそうなったんだろうっていうところと、
それに対して自分は何ができたんだろうっていうところを考え出すんですけど、
そこからじゃあなんで俺やりたかったんだっけとか、そういう目的で仕事
をすると、エネルギーが出るっていうか、仕事に対してのハードルがクソ低いとか、
そんなのを、
残念ながら毎年経営危機が起きるので、毎年1回くらい考えるんですよ。
でもそうだし、さらに今の時はやっぱりもう、
働き詰めで、ちょっと体やられるみたいな。
やっぱりその度に、なんでこうなってるんだっけ、何がしたいんだっけみたいな。
やっぱりそれも年一ぐらいから、考える機会が残念ながら訪れてしまって、
で、ちょっとずつというかそれを考えて、
今になっているというか。
ですけど、
多分、
多様性と時代の変化
上手いこと程よく働き続ける環境が揃っていると、そういうことを考えるチャンスが訪れないんですよね。
でも、
なんか、
たまに私、自分の番組でも言うんですけど、例えば私はクセとして働きすぎるから、
体に支障が出たり、心的に無理ってなったりとか、
なんていうんですか、やりすぎちゃうから起きちゃう。
で、起きると、
どうしてこんなことしちゃったんだ、私。なんでこうさせてるのって考えざるを得ない、みたいな。
クライシスが起きちゃうから考える、みたいな。
それはなんか私もあるなーってすごい思いますね。
あんまりミッドエイジックくらい、例えばそのさっきの体力的な変化。
それもありがたいことに、むしろ体力が、健康そのものなので、体が。
素晴らしいことです。
サラリーマンの動画も喋って。
それは素晴らしいことです。
日本産地も7.8あったのが、今5.7だからさ。
素晴らしいことです。
たまたま今感じてないんですけど、
その時からサラリーマンやってる時の方がよく感じてる、話の近い。
あとは、ありがたいことに、両親とも健在なので、
世代みたいなのを考えるのは、やっぱり子供が生まれたときということで、
日本にとっては、特にミッドエイジっていう、
冠がついたクライシスっていうのは、あまり考えることはなかったんですけど、
似たような機会、チャンスというか、
たまいっぱいあったって感じかな。
3人で話してて思ったのは、機会があっても、
私のようにスルーしてくるというか、
都度都度ちゃんと考えてなかった。
もしくは、あ、じゃあ仮初めの目標を得ようみたいな。
例えば私、大学中退して、新卒で就職しなかったんですよ。
そうなると、あの頃の日本って就職させてくれなかったんですけど、
その前の話ですが、私ずっと踊りをやっていて、
踊りで生きていくみたいな気持ちだったけど、とあることで踊りを辞めたときに、人生の目標を失ったんですよね。
もう本当に毎日踊ってて、
だけどそれが急にいなくなったから、
どうやって生きていこう、何をして生きていけばいいのって思ったときに、
なんか、そのときの自分は一生懸命考えたと思うんですけど、
とにかく自分の良心より長生きしようっていう目標を決めて、
それだけはちゃんとしようみたいな気持ちで、
生きるってことを目標にしたりとか、
あとはその、中退して就職先がなかったから、
正社員になるっていうことを目標にしようみたいな感じで、
あんま深く考えないでポンポンこう目標、
どういうか、こうすればいいみたいなのを作ってきたから、
あんまり深く考えなかったんだと思う。
というのが、
まあそのときは一生懸命考えたと思うんですけど、
今ほどは考えてなかったと思うんですよね。
そのように乗り越えてしまったっていう、乗り越えたパターンもあるんだなって思った。
でも、そのときに今ぐらい、
私の本当の幸せって何?とか考えられてたら、
また違う選択をしたと思うんですけど、そのときに。
でも、まあできなかったし、
できなかったことは後悔してない。
できなかったんだな、そのときの私はって思うし。
だけど今はもう少し、本当に私が幸せって思うのって何?みたいなのを考えたタイミングがミッドエイジだったな、私って感じですかね。
でも、こうやって3人で話せたからわかった。
それこそシュウさんのことで、社会とか文化って話があったと思うんですけど、
まさに自分はそこも結構でかいと思っていて、
例えば自分の場合はボットキャストを聞き始めるっていうのはすごいでかい。
適当に自分の中で、一人でモヤモヤと考えてるってことから、
一方的であれ人の話をして、開放したつもりになるというか。
で、聞き始めることで、
圧倒的多様性が、一人で考えるときと比べて、もしくは同じ人とずっと同じ話をしている環境と比べて、圧倒的に多様性を得たんです。
例えば生き方とか暮らし方みたいなのもそうだし、仕事みたいなのもそうだし、
そういう環境を得たから、今の自分はベストを尽くそうという、こういう形で尽くそうということを自分でどうしたらいいのかという考えだと思って、
でかいって思うんですけど、それが自分の20代の時とかにできたかって言ったら、全然たぶんできてないと思うし、
そういう文化でもなかったですね。たぶんミサンがおっしゃるような、とりあえずこれを、例えばとりあえず就職しようとか、
そういう文化というか、マインドセットみたいな感じかな、
になってたと思うので、たまたまなんだろうな、
おそらくですけど、ミッドエイジって、たぶん40後半から50いくかいかないかみたいなイメージとか、
で、ちょっと知的視野が広がるみたいな時期なのかなと思ったんです。
そうですね。
なんでそういうことが起きがちなのかなっていう。
あとなんか結構、こういう言葉の定義ができたのはもう少し前のことだったから、
たぶん一昔前だと、この40代後半くらいっていうのが、だいたいたぶん想定されるのは男性とかだと、育児もちょっと落ち着いてきて、
体力もちょっと減ってきた時に、父親だったり母親っていう役割を下ろすタイミングで、
自分は何者なんだ、とか、なったりする、みたいなのが言われたりはしましたね。
たぶん今の時代とはもう少し、過程を持つタイミングが遅くなってきてるから、ちょっとずれてるのかも、ずれたりしてるかもしれないですね。
私も、常にクラシスはたぶんずれていて、
そうですね、そうそう。
本当にその人のタイミングで。
そうですね。
あと、今のヤマムさんの話聞いて思ったのが、
個人で起きていることと社会で起きていることって、やっぱりリンクするじゃないですか。
社会が多様性っていうものにフォーカスし始めて、ある程度土台があるから、私の中も多様性っていうものにフォーカスできるようになって、
で、一昔前のこのミッドエッジクライシスみたいな定義って、多様性みたいな考え方がポピュラーじゃなかったから、
そのミッドエッジクライシスになるタイミングの人が、私は会社員とか、私は部長とか、私は父親、母親、みたいな一つの側面が100%自分みたいになっていた時代だったから、
その役割を取られちゃった時に、私って何者?ってなってしまう?みたいなことがあって。
でも、もう多様性に親しんでいる世代の人たちが、例えば今のこここさんとかが40代とか50代になった時に、
一昔前の人たちが落ちたような、落ちたと言われているようなものになるかどうかっていうのは、やっぱりちょっとわからないですよね。
そもそもパラレルな自分っていうのを許容して生きてたりすると、
いや、この側面がなくなっただけだよ、みたいな解像度高い理解を自分の人生にできるようになるから、
とかもあるかもしれないなーっていう話聞いて思ったりしましたね。
めっちゃ思いましたよ。
自分というものへの解像度が高めれば高まるほど、
そのミッドイージーっていうものに関してのクライシスは起こりにくいとか、
あと、インパクトがそんなにないっていうか、
あ、起きたか、みたいなのはあるかもなーって話聞いて思ったりしましたね。
自分もマジでそう思ってるって感じですよね。
そりゃそうやろ、みたいなことの予測がつくのかな、簡単に言っちゃう。
でも予測がつくは結構大きいかもね。
特に女性の場合って、結構多くの女性が急に老けたって感覚を得るんですよね。
で、実際それは急じゃないはずなんだけど、
認知するタイミングが急に来るんだと思うんだよね。
例えば、
わかんないけど、例えばだけど、すごい若いとかと自分を同じ鏡で見た瞬間に、
うん、あ、ちょっと年齢の差感じたとか、
なんかそういう認知したタイミングで急にパーってなるみたいな。
やっぱり私もそうだったんだけど、
そうなるよっていうのを自分の母親とかからも聞いてるし、母親がなっていったわけだから、
知ってんだけど自分がなるっていうのはなんか思えなかったんです、やっぱり。
で、それがあ、なったっていうショックは結構。
私はあったし、割とこう、あるんじゃないかなっていうふうに推察する。
うん。
あったものがなくなるっていうのは結構びっくりするって。
でも、そう使えてた小指が使いにくくなったら結構苦労多くないですか?
そうそう、意外とこういう動きも骨にくるんだなとか知るみたいなね。
そうね、結構私の場合は見た目の変化は結構インパクトあったねーと思う。
女性に比べたらちょっと性差があるかわかんないですけど、男性のほうがあんまりそういうところをとんじゃくしないから。
あとは、私たちの時代はやっぱり、言うても女性の見た目の判断軸ってそれなりに高い時代に生きてたから、
自分の中で価値のあるものだったものがなくなってしまったっていう感覚。
価値のないものになってしまったみたいな感覚。
それこそ、江戸時代とかに、何だっけ、おしとねごめんでしたっけ、何歳以上になったら床に入るのを許されなくなるとか、
そういう、自分に今まで価値をつけてもらってたものがなくなって価値がなくなるみたいな感覚は正直ありましたね。
多様性と価値観の変化
それが結構受け入れるのが難しかったから、逆に純粋な人間になっていけるのではないでしょうかっていうので、
私たちは人間になろうとしてるっていうタイトルにしたって感じだったんで、結構そこはインパクトありましたね。
そういう言葉って言ったらあるんですけど、やっぱりモノカルチャーというか、自分やメチューさんが就職するときとかで、
ある程度こういうルートで就職決めましょうとか、こういう対策をしましょうとかっていうのが大体決まっているようなタイミング。
今はまた全然違うじゃないですか。
そんな感じで、価値観を真の意味で価値観の多様化を認めることがクライシス対策になる。
ほんとそうだと思う。
なので、自分同じ定規で測るというか、こういう定規あるから、だから対策しとけよみたいな感じではなくて、
この定規ではこんな感じだけど、こういう測り方もあるとか、角度はどうなのとか、
そういういろんな自分の測り方をいろんな価値観にすることで、
失われたものが一部あったとしても、10個あっても1個失ってもまだ9個あるからいいやみたいな感覚なのかな、わかんないですけど。
でも、ヤマムさんが言ってくれたような感覚もあって、
自分はポッドキャストをやるってことが、それこそさっきヤマムさんが言った自分の自己表現の1個って思ったというか、
高年期障害とかミッテージクライシスのって、人にネガティブなことが言いにくいから、パッケージとしての情報しかなかったんですよね。
こうなってこうなりますとか、例えば平行したらこうなりますとか。
だけど、もうちょっと解像度の高い情報が欲しかったっていうか、私不妊治療をやったのが10年ぐらい前だったんで、
その頃で保険とかも適用じゃなかったから、この不妊治療をする情報って本当なかったんですね。
なので、やっぱその時はパッケージの情報しかわからなくて、あの時もう少し解像度の高い情報があれば、
もしかしたら違うアプローチできたかもって思ったりしたこともあって、
なので、私っていう一人の人のミッテージクライシスの乗り越え方というか、こんなもんだったよ、みたいなのをどっかに置いておいたら、
例えば10年後とかの人が、もしかしたら10年前のおばさんってこういう感じだったらしい、おっけーね、みたいな、
歴史の参考書になるかもしれんし、もしくは、私こんな感じになったけど、こういうところでこの人と似てて、この人こんな感じだったんだ、だったらちょっと安心かなとか、
そういうものの一つになればいいなっていうか、ありがたいかなって思って始めたって感じもありますね。
うん、それが、たぶん第一回とかそういう時に喋られてるわけですね。
うん、なんかね、だから、たぶん私とかが生きてた時代、今も一緒ですけど、教育を受けてた時代ってやっぱ正解が1個だったんですよね。
これが正解っていうのがあって、だから、
今はそういうことはあんまりないじゃないですか。
それはすごく、さっき言ったように、解像度が高くなるし、多様性を許容するから、
クライシスの乗り越え方のヒントがいっぱいある時代になるんだろうなぁとは思って、
思いましたね。
そういう多様性がどんどん認められていくとか、そういう時代じゃないですか。
本当に、昔は答えがはっきりしていて道筋があって、
こういう目標のためにはこういうルートを下りなさい、できなかったらもうそのルートはいけないよっていうのがはっきりしていて、
で、情報を取得する方法っていうのもテレビ、ラジオ、新聞、本、人ぐらいしかなかったから、
なんか流行りのものはこれ、
成功した像はこれ、みたいな、未来はそういうもんなっていう情報でしかなかったから、
すごいわかりやすかったのが、今、情報、未来像もそうだし、生き方もそうやし、価値観もそうやし、
仕事したい仕事へのアプローチの仕方もそうやし、もうすべてがもう自由自在すぎて、
それがそれ大変やなっていう。
自由って楽とは違いますからね。
選択肢を知ることの重要性
容易に迷うことができるようになってる。
決めるっていうことの練習がもっと必要になっちゃうんでしょうね。
そう、本当、すいませんね、ヤマブさんのおっしゃる通りで、
失敗するってことを許容する社会がもう少しあった方がいいよねっていうのは思って、じゃないと決めるってことへのコストが高すぎる。
だから、失敗した例ってもう少しあっていいって私、個人的には思ってるんですよね。
じゃないと多分、一旦決めるっていうのを許容できなくなるっていうか、やれない。
だから失敗した人を叩きまくる世の中をやっていっちゃう、それはできないと思う。
めっちゃそれすごい思ってたから、急にそうだよねって言ってすいません。
いいよ。わかります?
めちゃくちゃわかりますし、自分は両親から断ることに自分で決めなさいって言われてた。
多分、練習をさせられて今に至っているので、そんなに今の世の中、大変じゃないことはないんだけども、自分で決めればいいって思えるんですけど、
なかなかね、決めるっていうことが、なんかすごいエネルギーがかかる人もいらっしゃるじゃないですか。
一度すごい賢い先輩に言われたのが、
大抵の人は自分で決めるってことを嫌がるから、決めてくれる人が欲しいから、
決めるっていいこと、社会貢献になってるっていうふうに教えてくれた先輩がいて、
でも注意しなきゃいけないのは、決めなかった人たちは失敗することも嫌いだから、
決めてくれる人の言う通りに動いて、失敗したら決めてくれた人を責めるから気をつけろって教えてくれたんですよ。
なるほど、そうかって思うけど、今結構思い出すけど、確かにって思います。
だからもうまさしくそのネガティブ・ケイバビリティみたいな話で、
なんかわからんことがわからんでいいじゃんみたいな、いいじゃんみたいな。
で、わからんことに対して、こういう価値観だとこういうふうに考えられるよね。
決める決めないとか、訓練がいると思うんですけど、選択肢を生み出す事業の中で、
っていうのもやっぱりその手前の必要な訓練であって、
順々に練習がいるような世の中になってきてしまった。
そうですね。
選択肢を増やすことって、さっき山村さんが言ってた、
あとなんか、アメリカでお金持ちが結構こう、恵まれない方たちにボランティアとかするじゃないですか。
アイノでも、アイノでも、
アイノでも、アイノでも、
アイノでも、アイノでも、
アイノでも、アイノでも、
アイノでも、アイノでも、
なんか一人そういう活動をしている女性が、
私たちがやってることは、
お金をあげるとかじゃなくて、一番することは、
選択肢がないと思い込んでいる人たちに、選択肢があるっていうことを知ってもらう体験を提供することなんだよって言ってたのを聞いて、
確かに、と思ったことがあって。それもやっぱり 選択肢を知るってことが
やっぱ尊いことだよねってなと思ったりしたので、なんかそれを思い出しましたね。
選べることが、選ぶことができない 以前に選ぶことができるということすら
知らないというかね。
それがミッドエイジー・クライシスかな、みたいな。
でもそれもあるかもね。
何したらいいかわからん、みたいな、その選択肢が知られている状態と思い込んでしまうというか。
一見何したらいいかわからなくなったわーって。
その選択肢を作る練習とか、その選択肢の中から決める練習ができていなかった方が
何か選択しないといけない、立ち止まってしまうタイミングが
よくあるのがそのミッドエイジー・クライシス。
そういうことが自称とするとミッドエイジー・クライシスなのかな。
ミッドエイジー・クライシスを抽象化して言うと、立ち止まるタイミングが何かあって、
立ち止まって、本来であればいろんな進む道があって、
どこに進んでもいいよって言われてるんだけど、動けない、みたいな。
ポッドキャストの魅力
それがクライシスなのかな、みたいな。
そうかも。
新しい選択肢を見出せなかったり、選択できない状態かも。
なんか結構綺麗にクリアになったな。
あとなんか、自分の番組でいろいろ話してるけど、
今日3人で話したら、めっちゃ私は解像度が上がった。
すごいですね。これはもう対話の力だなと思う。
そう考えると、ミッドエイジー・クライシス、やっぱりそんな大きなイメージすると。
やっぱりそれはありがたいことに、同じように喋ってくれる方が周りにいらっしゃって、
それぞれの価値観で照らし合わせて喋ってくださるので、
その方向いいよねとか、歩き方いいよねとか、
歩くための靴いいよねとか、なんかすげえいろんな見方を示してくれてるので、
向かうならあっちがいいよとか、あっちに行くならこれを持ってた方がいいよとか。
今のところそういうことを、ポッドキャストという媒体がたまたまめちゃくちゃ向いてるというか。
でも向いてるんだと思う。
気がしますね。
なんかやっぱ他の媒体にない良さってありますよね。
自分の場合、ポッドキャスト初めての、本物初めてに聞いたのは、
それこそ、ポッドキャストのサービスが始まった頃ぐらいで、
ラジオの延長線というか、海外のラジオを聞けるツールかぐらいの使い方しかしなくて、
いろいろありましたけど、しばらくこんなもんかって言って、距離を置いて、
ラムネさんという人に教えてもらって、古典ラジオを初めて聞いて、
こんな番組があった、内容面白い。
過去から学ぶと言いつつも、今現代社会に生きてたら気づくことのできない概念とか、
空気になってしまっているようなものをもう一度気づかせてくれたりとか、
大容赦とか、今後の社会についてとか、ゲスト呼んだりとか、
いろいろ聞いていったら、樋口さんもいろんな活動をして、
議事館にまた流れ着いてみたら、そこでまたいろんな人たちがいろんなことをやってて、
その人たちが聞いてるやつをまたちょっとつまみ食いをしてみたら、それもそれでまたいろいろ面白くて、
全然追いついてないですけど、とにかく視野だとか可能性だとか生き方だとか、
いう意見の持ち方も悩んでるかな。
方向性を何か与えてくれたとかっていうのは正直どうなんだろう。
ないとは言わないですけど、よくはないのかもしれないですけど、
どの方向性でもいいんだなっていう許可をくれたというか、
制限を解除してもらったような、そういう感覚はありますね。
わかります。
それは魅力ですよね。
だから多分、なんていうんですか、芸能人の人とかがやってるポッドキャストって私あんまり聞かなくって、
全く聞かない。
証明人の方がやってるっていうか、もう、一個人がやってるものの方がよっぽど私は楽しいんですよね。
でもそれって、ちゅんさんが言ったみたいに、どれでもいい、どれでも私にしてみれば、
なんていうか、ポッドキャストにして話してくれただけでとうとうっていうか、
なんかその、この敏感ポッドキャストの良さってめっちゃあるって思う、本当に。
だから自分にはちょっとヒットしないなって思っても、
他の人にヒットしてたりとか、あとタイミングが違って、今聞きたいとかもあるし。
もしかしたら3年後やったら、あって気づく何かがあるかもしれないしね。
時間を置いて気づけるものとか。
これは違うなって感じることができるっていうのが一つの価値?
思うし。
面白いな。
そう、私こそは思いますね。
これで時間って大丈夫なんですか?
喋りすぎちゃった、また。
みーさんが課金ズームなので。
あー!
すいません。
あれ40分以上に過ぎてるんじゃない?って思いながら。
すいません、ごめんなさい。
1時間超えてるよね。
1時間どころじゃないです。
1回これ編集する人が大変だから止めときましょうか。
まあ、そうっすね。というか、もう1時になっちゃう。
もう寝よ。
未定時クライシスについての対話
そうっすね、ちょっと今回は。
自分が思いつきで、1テーマ40分で喋って、
サラッと終わっちゃいそうだなと思って。
それで自分が意図した方向じゃないなと思っちゃったんで。
1個このテーマの時に突っ込んでみようと思って突っ込み出したんですけど。
自分でするとすごい面白かったんで大変なことになった。
私もすごい楽しかった。
あとなんか自分の理解進んじゃった。本当にありがとうございました。
いえいえ。
40分っていう枠組みなくなったらなんか出てきた感じしません?
それもあると思います。
やっぱり時間の中で収めないといけないっていうのがリミットになるので。
なので、やっぱり番組としてのパッケージをちゃんとするんだったらそういう枠組みでいると思うんですけど、
まあどっちでもいいんじゃねっていうのもやっぱり誰かのために、誰かのためになったらいいんですけど、
それをめちゃくちゃ意図してやるものでもないので、今自分でやってるものでいいかなと思うんだし。
まあ何せそれも含めてみんさんに来ていただいて、みんさんがいなかったら課金ズーム使えなかったですかね。
いやなんか、次とか課金ズーム必要な時言ってくれたら発行しますんで。
そうでなくても、この未定時クライシスっていう一つのテーマで一応2時間ぐらい飛びながら話したんですけど、
みんさんもそうだし、千尋さんもそうだし、自分もそうだし、それを踏まえた上で他の人との会話をして、
それをまたお互い聞いたり、他の人が聞いたりっていう機会が深まったり、視野が広がったりっていうのがあると思うので、
結構意義があるつったらわかんないですけど、自分がお告げする意義だと思っているものが表現できたんじゃないかな、自分では確かに。
この3人の会があって、また広がっていく波みたいなのがまた変化あるでしょうし、
特に私はあるなぁと思って。 非常にありがたかったです。
新しい番組の立ち上げ
なんかこの2人、千尋さんと山本さんだから、私、来たこの人が得て返れるものってめっちゃあるなって今思った。
自分役立ってます?これ。
めっちゃ立ってますよ。立ってますよとかってなんか言うのもおこがましいけど。
本当に話すと長くなっちゃうからですけど、自分は毎回毎回千尋さんの番組見ていても、千尋さんの着眼点というのがすごい好きなんですよ。
だからそこってすごいいろんな深掘りの仕方とかがあるなと思っているから、
それはすごい自分、千尋さん、さっき言い方で言った差分で、分かってないけども千尋さんの魅力だと思ってる。
ちゃんと理解してないけど、自分には持ってなくて、
千尋さんのいいところ、すごい魅力的なところっていうのが、着眼点がすげえいっぱいあるとか。
好奇心が旺盛。
2回目。
と思っているので、話題提起とかテーマを提起していただくか、
役立っているというか、ちゃんときっかけをつくっていらっしゃってるみたいな意味ですかね、まず。
山室さんがその千尋さんを知りたいという気持ちが、
非常に温かくて良いな。
良き番組と思いました。
スピンアウトされて独立させようと思っているので、番組を。
とってもこれ、おすすめですよ、ここに挟まれる体験してほしいわ、いろんな人に。
相方候補がかかるからね。
いろんな人を入れ替わり出し替わり読んで。
それも面白いと思ってます。
私も読んでください。
ぜひぜひ。
逆にわかんないですけど、千尋さんを、
なんだろう、
なんか別のみんさんと喋れたり、あけしんかわかんないけど。
そうですね、たぶんあけしん千尋さん来たら、千尋さん泣いちゃうかもしれない。
山室さんね、怒られちゃうかもしれない。
思ったよりも怒られます。
逆に。
来る番組で違いますもんね、たぶん。話す雰囲気。
そうですね。
クローザーズの人がいるとこで言うのもあれなんですけど、たぶん自分クローザーズ行ったら全く喋んないですよ。
いや、たぶん喋らされると思う。
ずっとたぶん質問とかされるんじゃないですか。
たぶんツッコミがいっぱい入ってくるから。
なんせたかしさんという人はそれ好きじゃないですかね。
そうですね。
喋らす。
確かに。
たかしさんと喋ってみたいな。
たかしさんね、いいよね。ていうかみんないいんですよ、ほんとに。
最高です。
クローザーズちゅんさんいいね。
たかしさんが言っときます。
オブザーブしたいです。
そんな感じですかね。
本当に長い時間ありがとうございました。
ありがとうございました。
なんで、
非常に刻んで、配信。
たくさん刻んでください。
これを機に何かそれぞれのきっかけとか、これを聞いてくださった方の何かきっかけになれば、
というのが一番本望ですし、
一応今のところちゅんさんと自分で番組を立ち上げようと思っているので、
楽しみです。
一緒にお喋りして提供のアナウンスをしてくれる人、
フォンサーのアナウンスをしてくださる方を募集しますので、
それだけでもいいですし、その後一緒に話せるので、
ぜひぜひお声掛けいただければと思います。
私もお勧めします。
ありがとうございます。
長いことご利用いただきまして、まずそもそもゆいさんありがとうございました。
ありがとうございました。
皆さんお疲れ様でした。
最後にというか、ここまで聞いていただいた方、
どれだけ言えるかわかりませんけど、
本当にありがとうございました。
またどういう枠組みか決めて配信したいと思いますので、
お楽しみにされていただければ嬉しいです。
じゃあ、お聞きくださいましてありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
48:30

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