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2025-01-20 11:02

#24 セシリア・ワトソン『セミコロン』〜この微妙なニュアンスが伝わるか

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今回はノンフィクション。

セシリア・ワトソン『セミコロン』を読んだ話をしました。

「;」(セミコロン)という記号の話だけで一冊の本ができてしまう面白さ。

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はい、tantotの時々読書日記、第24回です。
今日は、これまで主に文学とか小説とか、その辺を中心に取り上げていたんですけど、今日はちょっと趣向を変えてですね、
なんていうんですかね、学術賞というか、何かな、近いものを取り上げたいと思います。
タイトルは、セミコロン。書くも控えめであまりにも厄介な苦闘典というサブタイトルがついています。
作者、著者はセシリア・ワトソンさんというアメリカの方で、日本語役は萩沢大輝さん、倉林秀夫さんの役で、左右者から出ているんですね。
これ、2023年の9月に初版が出ているので、大体1年ちょっと前ぐらいに出た本で、
何の本かというと、そのタイトルの通りセミコロンについて書いた本。
セミコロンって、わかりますかね、コロンってチョンチョンと点が2つ上下に並んでいるものの、
下がピリオドではなくてカンマになっているものですね。
英語の文章を読んでいると、たまに出てきますよね。
英語のほんとした翻訳とかを少しやったりするので、その時に英語を読んでいるときにセミコロンとかコロンが出てくるんですけど、
正直、何か出てくると、何となく意味はわかるような気はするんですけど、
じゃあセミコロンってどういう役割なのとかどういう意味なのって言われると、
自分では説明できないなっていうくらい、そのぐらいの理解度でした。
やっぱり何がすごいと、このセミコロンという本って180ページぐらいあるんですけど、
そのセミコロン一つでこんな本が書けるっていう、それ自体が既に面白い。
こんな本絶対面白いに決まってるじゃんみたいな、そんな感じで。
これ出たとき、結構いろんな書評だったりとか、あとポッドキャストとかでも取り上げられたので、
ちょっと気になってたんですけど、たまたまこの前フル本屋で見つけて買って読みましたという感じです。
これ著者の方は、大学の研究院、哲学とか科学史とか、そんなようなことをやってる方のようですね。
どんな話かっていうと、セミコロンにまつわるさまざまなお話なんですけど、
例えば結構面白いのが、4章で取り上げられている、
法律の条文だとか、5章もそうかな。
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判決文だとか、そういった文にセミコロンが使われているときに、
これはどういう意味なのか。
どういう意味なのかというか、セミコロンなのか、これはコロンなのかっていうの一つで、
実は意味が全然変わってしまうみたいな。
そんなことが起きてしまっていて、結構それ一つで、本当はそれだけではないんですけど、
セミコロンの解釈で、ある人が死刑になるかどうかみたいなことが左右されてしまったみたいな。
実はその裏、結構読んでると、その裏には実はアメリカにおける人種差別の問題みたいなのも見え隠れしていて、
それがまた面白いなと思うんですけど、
そんな感じで、セミコロンという、いまいちアメリカ人の人にとってもどういう役割なのかというと、
やっぱりちょっと人によってブレがあるみたいで、
そういうちょっとした曖昧性を持っているもののために、
人々が右往左往してしまうとか、振り回されてしまうみたいな、
そんなことが起きているよ、みたいな話があったりとか。
あと、7章が一番長いんですけど、
7章はセミコロンの達人たちというタイトルで、
主に作家たちですね、セミコロンを非常に効果的に、
あるいはその人の特有の文体の一つとして使っている作家たちの文章を取り上げながら、
ちょっとそれを面白がしく語っている。
あるいはメルビルのモービーディックという白芸ですね。
メインのストーリーからはどんどん外れて、
クジラの分類学がひたすら続くという本で、
本質はちょっと途中で挫折しているんですけど、
そういう冗長性みたいなものと、
セミコロンの使い方、メルビルの使い方みたいなのがうまくマッチしている話だったりとか。
レイモンド・チャンドラーのセミコロンの使い方がすごく良いとか、
あるいはレベッカ・ソルニッドのセミコロンの使い方が逆にすごく加速させるセミコロンであるとか、
そんなようなことを実例をもとにて語った。
最後の結論的な、別にすごい明確な結論があるタイプの本でもないですけど、
やっぱり何ですかね、結局セミコロンってどういうものなの?
どういう役割なの?っていう形に、
あとはどういう使い方が正しいのか、
使い方のルールはみたいなものを決めようとしても、
結局それはそのルールとかから複雑とした使い方が生まれてきて、
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それによって英語の世界が広がっていくっていうような、
そういうルールを明確にカチッと決めることなんてやっぱり難しいんだよ、
そういうところを語っている。
当たり前といえば当たり前ですけれども、
セミコロンという一つの英語の中でも割と曖昧性の高い、
曖昧性だったりとか、コロンとかカンマとかよりもちょっと違う、
厄介な存在みたいなものを取り上げることで、
そういう結論も非常に納得度が高いというか、
確かになっていうふうに思わせる、
そんな効果があるのかなというふうには思います。
個人的にすごい、読みながら面白いなと思うのは、
英語の基本文、コロンとかセミコロンとか、
いわゆるパンクチュエーションっていう、
駆動点の使い方みたいなのって、過去からいろいろ変遷があるわけですよね。
セミコロンとかコロンとか、あるいはダッシュとか、
そういうのもある時に誰かが使い始めてみて、
それがもちろん使われなくなった、
全然誰かが試したけど使われなくなってしまったものもあれば、
このセミコロンのように、現代に至るまで残っているものもある。
というふうになった時に、
セミコロンの使い方みたいなのって、
別に最初に誰かが明確に定義して、
私はこれからこういう使い方をします、
宣言をして使っているわけではないのに、
なんとなく意味が伝わる、
なんとなく解釈できるっていう、
それ自体がすごい面白いなと思って、
なんで初めて見た記号なのに、
なんとなく意味がわかるような気がする。
もちろんそれはコロンとかカンマに毛が生えたものみたいな雰囲気から、
なんとなく周囲の文脈から、
なんとなくこういう意味合いなのかなとかニュアンスなのかなっていうのを、
やっぱり受け取れるっていう、
そういうふうに考えると、
やっぱりこういう古党天の使い方、文法のルールみたいなものも、
書く人が明確にこれだっていうふうに決めるものじゃなくて、
書き手と読み手の間での相互作用というか、
インタラクション、あるいはキャッチボールの中で、
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なんとなく意味が決まっていくみたいな、
そういうすごくダイナミックなプロセスなんだなっていうのを、
改めてこのセミコロの話を読みながら思ったので、
そういうところはすごい面白いなと思って読んでおりました。
日本語でもこういうのあるんですかね。
日本語なんかは英語よりもさらに古党天の使い方って、
明確なルールがなくて雰囲気でみんな使ってるんですね。
一方でそんなに種類はないですね。
マルト天ぐらいしかなかったりとか。
そういうところがちょっとまた英語とは雰囲気が違うのかもしれないですけど、
やっぱり言葉が移り変わっていく。
その中でもやっぱり意味が伝わっていくプロセスって、
すごく興味深いなというふうに思うので、
そのあたりは少し掘り下げていきがいがあるんじゃないかなということも思いました。
いずれにしてもこのセミコロンという本、
前評判を聞いていたものに違わず非常に面白い本ですし、
切り口がやっぱりすごい独特だっていうところがあるので、
なかなか唯一の本なんじゃないかなというふうに思いました。
ぜひ興味のある方、ちょっと手に取ってみるといいのかなというふうに思います。
今日はこのような感じで、
ベッカソルニットさんのセミコロン、書くの控えめで、
あまりにも厄介な不動点についてお話ししました。
ありがとうございました。
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