1. 地宮みさとの「たとえばこんなスピリチュアル」
  2. #32 「自分を知る」を目的にし..
2022-12-28 07:32

#32 「自分を知る」を目的にしないほうがいい理由

「自分を知る」ということは大切ですが、それが目的になってしまってはいませんか?「自分を知る」ことをどう捉えるかによって、その効果も変わってくるんです。
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サマリー

自分を知ろうとしすぎることが本来の目的にすり替わる危険性について掘り下げています。適度なバランスが重要であり、目的に向けて行動することが本来の自分探しの在り方であると訴えています。

自分探しの目的
地宮みさとの、「たとえばこんなスピリチュアル」
みなさんこんにちは、あるいはおはようございますか、こんばんは、おやすみなさいかもしれませんが、ソウルライトリーダー、地宮みさとです。
前回、ちょっとチャネルリングとはまた別の方向性から、ハイアーセルフとか、
メタ的な自分とつながるということをお話しさせていただいたんですけど、
ちょっとね、その中で、自分自身を知ろうとしすぎるというか、そこに執着、固執しすぎると、
またちょっといろいろ、あの、支障が出るというか、空回りしかねないよっていうところをお話しさせていただいたんですね。
で、これに関しては本当に重要なところだなと、話し終わった後に思ったので、
改めて補足的にちょっとお話ししようかなというふうに思いまして、
まあ今回そのテーマでいこうかなと思っておりますが、そうですね、この自分自身を知ろうとしすぎるっていうことの、
何が問題なのかっていう話なんですけど、結局ところ自分探しが目的になってしまうっていうところなんですよね。
本来自分探しって手段の方がいいんですよ。
まあおそらくですけど、ちょっとこれはもしかしたら人によるかもしれないんですけど、
まあでも多分多くの方にとって、自分探しっていうのは手段であった方が健全だと思うんですね。
やっぱり何かその先で実現したいものがある、その先に自分の望みとか夢とか、
あるいはもっと使命的なものって言ってもいいのかも、天命とかね、使命的なものって言ってもいいと思うんですけど、
まあそういうのがあるからこそその過程でというか、そこにたどり着く過程として自分を知るっていうところが必要になってくるとか、
あるいはそうした方がよりスムーズにその先に行きやすくなるっていうところがあるからこそ自分探しをしているっていうところがあると思うんですよ。
まあ中にはね、自分探しそのものが本当に目的っていう方も多分いらっしゃると思うんです。
本当の目的がもう本当に自分探しだっていう方もいらっしゃると思いますが、多分そういう人の方が少ないと思います。
なので多くの方は自分探しが手段のはずなんですよ、本来は。
なんですけど、あんまりその自分自身を知るということに固執すぎるとそれが目的にすり替わってしまうっていうことが起こるんですね。
だからそうなってしまうと本末転倒というか、元も子もないというかそういう状態になってしまいますので、
そういう意味でもやっぱりバランスというかな、あんまり自分を知ることは大事だけどそこにとらわれすぎないっていうことはすごく大事だなというふうに思いますね。
バランスの重要性
なんでこれをあえて別の回撮ってまでお伝えしたかったかと言いますと、私自身がこれ本当にハマってたからなんですよ。
まあ固執してたっていうか、私自身はそこまで自分探しっていうのも外側に求めるタイプと内側に求めるタイプがいると思うんですけど、
私の場合はそこまで外側に積極的に求めに行くタイプではなかった、もともと自分でもどっちかっていうと内向的なタイプかなと思っているので、
そういうのもあって、外向きに積極的に求めてあれやこれやと行くタイプでは多分そこまではないと思う。
あ、でもどうかな。ちょっとその節もあったかもしれないですけど、まあでも内側にとにかく引きこもっちゃうタイプで、何かわかるまでというか本当に何か
何でしょうね、自分が納得し得るというか完璧に納得し得るものを自分の内側に求めてしまってたところがあるかなっていうふうに思うんですよ。
まあ今もね、ちょっとそれ癖でやっちゃう時があるんですけど、でもやっぱり結構やってる時があってね、そうなるとやっぱ空回りするんですよね。
うーん、なんかうまくいかないというか、どれだけこう自分を放り下げようとしても、やっぱりいや、あの全くその身取りがないというわけではないんですよ。
あの発見はあるんです。発見はあるんですけど、そこから何か、うーん、じゃあ何か繋がるかっていうとそういうところにまでいかないみたいなことが結構、まああったわけですよね。
私自身はそこら辺は苦い思い出を結構しているので、本当に大事なところだなと思ってて、で、このね、法則的にというかもう別の回を設けて、でもちょっとここは言っ
あの申し上げておかないとなっていうふうに思ったところなんですけど、ちょっと私の話が混ざりましたが、まあ要するにその本当にあのバランスというか適度にやるっていうのは非常に大事です。
適度にやるというか、あの自分を知ろうとするっていうその、あの行動と、あとその知った内容を踏まえて何か、
あの、本来の目的の方に向けての行動をするっていうのをセットで考える必要性があるというか、どっちかに偏りすぎると、まあ、
あれなので、うーん、ちょっとこう、セットまでは行かないかな、行かないかもしれないですけど、
まあ連続するものとして捉えるというのかな、完全に切り離すのではなくて、
目的と、手段と目的っていうふうに捉えるっていう、まあ何かセット、結局セットかそうなると、そうですね、まあセットというか、
まあどっちも必要なものだというふうに捉えた方がいいな、いいなというか、まあいいと思いますっていう話をしたかったわけです。
まあ結局ね、あの正直この回これが言いたかっただけなので、もうほぼ、あの珍しくもう6分半ぐらいでほぼ終わりになっちゃうんですけど、
あと補足が、補足の補足みたいなのがあるかと言われると別に特に、ああ今のところはないですかね。
なので本当に、この回はこれで終わりとさせてもらいますが、たまにはね、これぐらい短いのもあり、だというふうに思ってください。
そんなわけなので、また次回からも、んーそうですね、
まあちょっとお話、なんとなくテーマが浮かんでるんですけど、まあその話をするかもしれないし、また別の話をするかもしれないので、
ちょっと次回も何が出るのか楽しみにしていただければ嬉しい限りです。というわけで、今回はこのあたり、また次回お会いしましょう。バイバーイ。
07:32

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