1. 地宮みさとの「たとえばこんなスピリチュアル」
  2. #46 「自分を掘り下げるか、他..
2024-02-29 10:37

#46 「自分を掘り下げるか、他者を見つめるか」の判断基準

「自分を知る」方法として、「自分を掘り下げるか、他者を見つめるか」があることを以前お話ししましたが(やらかしの話の前に 笑)、では、今の自分にとってどちらがいいのか?その判断のカギは、「自分の知り方の細分化」にあります!

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サマリー

このエピソードでは、自分を掘り下げることと他者を通じて自分を知ることのバランスについて考察しています。具体的には、感情面と思考面で、どのアプローチがより効果的かを細分化して説明し、自分自身の理解を深めるためのヒントを提供しています。

自分を知るためのアプローチ
地宮みさとの、「たとえばこんなスピリチュアル」
皆さん、こんにちは。あるいは、おはようございますか。こんばんはか。お休みなさいかもしれませんが、
ソウルライトリーダー、地宮みさとです。
前回は、自分を知るということにあたって、自分自身を掘り下げて知っていくのか、それとも他者を通じて知っていくのか、
そのバランスっていうことについてお話をさせていただいたんですけれども、
今回はね、ちょっとそれの補足じゃないけど、応用編みたいな感じで、
その自分を掘り下げていくか、他者を見つめるかっていうのの判断基準というか、
それを判断していくにあたって、一個抑えておくと、また面白い考え方ができたりとか、
あるいはその可能性が広がるような、そういう捉え方の一つというのをお伝えできればなというふうに思っております。
というのは、その自分を知るっていうのにあたっての自分の側面だったり、あるいは自分を知るために向き合うものっていうのかな、対象かな。
その対象っていうのをもう少し細分化してみるっていうことなんですね。
どういうことかと言いますと、例えば私たちって感情があるじゃないですか。
少なからずね。感情というのがあって、でも一方でもっとそれよりも、何ていうのかな、思考的な部分っていうのがあるじゃないですか。
理論的な部分と言いますか、ある意味理屈的な部分と言ってもいいかもしれないですけど、そういうのがあるじゃないですか。
で、時にその理屈、その論理的な思考の部分と感情の部分というのが相反してしまうようなことも起こり得るわけですよね。
それで葛藤が生まれるっていうこともあるわけです。
で、もう少し言うと、もっと本能的な部分っていうのもありますよね。生存本能みたいな感じかな、サバイバル的なところ。
だから、とにかく生き残ることを優先して判断するみたいなところですね。
例えば、本当に命の危機に瀕したときに、とっさに判断して、それで生き延びたっていう経験がある場合っていうのは、それはまた感情とか思考とかとは違う判断基準なんですよね、多分。
なんか本当に、とにかく生存本能的な部分が動いてっていう、なんか頭とか使ってないし、別に感情も何もなかったっていう風になるパターンってあると思うんですよ。
だから結構私たちって、実際のところ自分の中で結構いろんな側面があって、だから自分を知るっていうふうなことを一言で言っても、結構側面がバラバラになったり、
バラバラにっていうか、バラバラって言っても統一感がないっていうわけではなくて、時に反発もしあうし、時に一致したりもするけど、
でも何個か側面があって、それで上手いことすることをバランスをつけて、生きているっていうところがあるわけですよ。
感情と思考の分析
だから、自分の知る対象、あるいは自分がどう判断するのかみたいな、どう捉えて、物事をね、自分のこともだし周りのこともだし、捉えてどう判断していくのかっていうところは、
人の中で、同じ人の中でも何個かあるし、それはもちろんその人それぞれで、その人の中にも何個か分かれているけど、その分かれているものの相対として、他の人との違いが出ているっていう側面もあると思うんですよ。
だからこそ、自分を知るっていうのにあたって、最初からちょっとそれをピンポイントに、どっかピンポイントにっていうのはちょっと難しいこともあるかもしれないので、最初はもうざっくりなんか全体像みたいなね、なんかぼんやりした感じでもいいので、
とにかく自分というその相対っていうのを捉えて、そこに向かって掘り下げていったり、あるいはそれを意識した上で、他者から何か学ぶっていうことの方がやりやすいかなとは思うんですけど、それがある程度進んでくると、最初自分というぼんやりしていた相対というのかな、一つの塊みたいなものが、どんどん解像度が上がっていくと思うんですよね。
で、ある程度解像度が上がっていくと、そういうふうに分かれている、自分の中でも結構いくつかあるんだなっていうふうになんとなく見えてくると思うので、そこで見えてきたらちょっとこう細分化していって、それぞれに、じゃあ今日というか、しばらくの間ここに感情の方にフォーカスしてみようとか、そういうふうなことができるようになるんじゃないかなというふうに思うわけです。
で、そういうふうにやってくると、全体をまず、全体の自分を知るという段階から、もう少し踏み込んだ理解というのが進んでいくということがあるわけですね。
で、あのバランスについて、自分を掘り下げて自分を知っていくのか、他者を通じて自分を知っていくのかっていうののバランスについてっていうのもお話ししたんですけど、それも結構個々の、その細分化したところでも同じようなことが言えて、その細分化したところのそれぞれが、そのどの形で今は自分を知るということが、より適切なのかっていうところが変わってくるっていうこともあるんですね。
だから、例えば感情面に関しては、今は自分で、こう内面を掘り下げていった方が、より学びというか、自分を知るということが深まるけれど、一方でその思考面、その頭を使って考えるっていう側面においては、こう他者を通じて、
例えば誰かからアドバイスをもらうとかね、自分のその思考とかを話して、アドバイスをもらったりとか、あなたってこうだよね、みたいな感じで言ってもらったりということで気づきを得る方が効果的というか、その方がスムーズにいく段階かもしれない。
自分の全体のバランスは、どっちかはともかくというか、分かりづらいかもしれないけどその場合、ただ思考とその感情っていうふうに細分化してみると、感情の方は自分を掘り下げていくっていう方が、今はいいっていう場合とか、あとは思考は他者から学ぶ方がいいみたいな、他者を通じて学んだ方がいいみたいな、
そういう自分の中の複数分かれているとか、複数あるものがそれぞれ適したタイミングが、とか、その今適した方法、自分を掘り下げていくこと優先か、他者を見つめること優先かっていうのが変わってくるっていうか、それぞれ違うパターンっていうのがあったりするので、
そういう場合とかも特に、感情と思考っていうのを一応例を挙げてますけど、少なくともというか、まあそうですね。一応感情と思考を二つ例に挙げましたけど、それ以外にもさっき言ったようにあるけれども、ある程度でも、ある意味切り分けてというのかな。
その感情はこうの方がいいし、思考は多分こっちの方がいいんだろうな、みたいな切り分けで考えられるようになると、自分の中で、今自分は自分を掘り下げていくのと、他者と付き合ってというか、他者と接する中で反射したものを受け取って学ぶのと、どっちがいいんだろうというふうに思うときに、割とこう、というか悩むときってあると思うんですよね。
実践的な理解の深化
で、その時に細分化してみると結構、じゃあ切り分けて、じゃあこっちはこうで、こっちはこう、みたいな感じで考えることができるようになって、で、それができると結構ね、ちょっと悩みにくくなるかなというか、自分がどっちのバランスがいいのかなっていうところを見極めやすくなるんじゃないかなというふうに思います。
ので、まあ先ほども申し上げたように、最初はもう本当にぼんやりとした全体を捉えていくっていうところ、自分の全体像を捉えていくというところからまず始めた方がやりやすいと思うんですけど、ある程度そこで解像度が高まって、自分ってこんな感じだなというのが見えてきたら、
こう、じゃあこことここは、あれ、でもこことここって結構、なんか自分の中では意外とこうすれ違いが起こったりとか、なんか反発が起こったりするな、でもこことここは意外とこう、なんかいろんなタイミングで一致したりするなみたいな傾向とかも見えてきたりはすると思うので、
そういうのも見つつ、じゃあ自分の中ではこれとこれとこういう基準とかもあったりするなっていうので、そこのそれぞれの中で今はどっちを自分を掘り下げていくのか、私たちは向き合っていくのか、どっちの方がより優先した方がいいのかなっていうところを、
こうちょっとチェックしていって、それを元に実行していくというか、動いていくっていう風にしていくと、より効率的に自分を知るっていうののバランスが取れて、こう理解が深まっていくっていうことがあると思いますので、
まあちょっとね、応用的な話で難しい話になってしまうかもしれないし、なんかだいぶその抽象的な話をしてしまったなっていう自覚もあるんですけど、もしね、なんか、まあなんとなくでもぼんやり感覚で、じゃあこんな感じでいいのかもしれないなみたいな感じでもし捉えていただけたのであれば、ちょっと何か機会があれば試してみていただけると、
ちょっとね、今までと違う視点で自分を見つめ直せるかもしれないので、まあ軽い感覚でね、なんかこんなこと言ってたなっていう感じで試していただければ幸いです。
というわけで今回はこのあたりでまた次回お会いしましょう。何話すかわかんないけど。あとはそうですね、まあこのポッドキャスト以外にもSNSブログ等でも配信していますので、そちらもよろしければチェックしていただけると嬉しいです。そんなわけでまた次回お会いしましょう。バイバイ。
10:37

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