1. 地宮みさとの「たとえばこんなスピリチュアル」
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2023-10-23 10:11

#41 「自分を知る」方法は大きく2つに分けられる

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地宮みさとの、「たとえばこんなスピリチュアル」
みなさんこんにちは、あるいはおはようございますか、こんばんは、おやすみなさいかもしれませんが、
ソウリライトリーダー、地宮みさとです。
前回にタイトルの一部をちょっと変更させていただいた旨をお話ししたと思うんですが、
その変更が、自分を探す、自分探し的な表現から自分を知るという表現に変えました、ということをご報告させていただきまして、
その理由に関しては、ぜひ前回も聞いていただければというふうに思うんですが、
今回はその発生みたいなお話でちょっと思ったことがあって、さらに
自分を知るという言葉を使わせてはいただいたんですが、それと対極にあるようで、実際のところはすごく密接につながっている
言葉とか行為っていうのがあるんですよね。
それが自分以外を知ること、つまり他者を知るっていうことなんですけど、
ここのバランスと言いますか、
どっちが先の方がより効果的なのかな、みたいなことをちょっと考えた時に、
これは人によるんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
なんか卵が先か鶏が先かみたいな話になってきて、
一見どっちかっていうのが本当は確立されているというか、
実は1位に定まるみたいなところがあるようなイメージが
もしかしたらあるかもしれないんですけど、私も最初ちょっとそれを前提に考えてしまったところがあるんですけど、
でもよくよく考えてみたら、自分を知ることと他者を知ることって
ある意味本質的には同じで、
どっちのアプローチ方法で効果が出るかっていうのは時と場合によるし、
なんならその人によってもよるし、
だからどっちが先がいいのかとかバランスがどれくらいがいいのかっていうのは本当にケースバイケースなんじゃないかなというふうに思ったわけですよ。
で、そういうふうに思ったと同時に、ちょっと自分を知るという言葉に変えたっていうお話をさせていただいたし、
そこも含めてちょっと、こうね、ポッドキャストで話せたらいいかなというふうに思って今回収録している感じでございますね。
自分を知ると他者を知る、そもそも何が違うのかで、どこが本質的に同じなのかっていう話なんですけど、
何が違うのかっていうのに関してはそんなに、もう多分なんとなく感覚でお分かりいただけるかなと思うんですが、
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まあ自分を掘り下げていくか、あるいは他者との関わりの中でとか、他者を観察していてみたいなところの違いになってくるかなと思いますね。
で、意見なんか全然違うような感じなんですけど、本質的に同じっていうのがどういうことかっていう話で、
それに関しては、結局のところ、自分自身を掘り下げていって、内観していって見るっていうのと、
あと他者から自分を知るっていうのは、ある意味自分を反射してるんですよね。
だから自分の内面にこう、ギュッて内面に入り込んで見ているか、
あるいは自分自身を無意識にでも投影した上で、他者を通じてこう見ているかっていう感じで、
だから、他者へ投影しての鏡を見ているに近いところがあるのかな。
あのよくスピリチュアルとか、自己啓発の世界とかだと鏡の法則っていうことも言われるんですけど、これはそういうことで、
結局のところ、自分が誰かの様子を見た時とか、誰かと関わった時に、自分自身に自分ってこういうとこあったんだな、みたいな気づきを得るっていうのは、
結局のところは自分自身を投影しているというか、その要素がある。自分の中にもその要素があるから、
他者にそこの要素を見出しているっていうところがあるっていうのがあって、
だから、他者に投影した方がわかりやすいこともたまには、というか時にあるんですよね。
だからそこらへんが鏡の法則って言われるものの一側面かなというふうに思うんですけど、
自分を掘り下げる方は逆に何っていうのかな。 本当に自分の内側を見つめていく感じのイメージですね。
それが他者への投影とかではなくて、本当に自分自身に目線を向けるというか、
自分の方に注目していくっていう感じの方法になってくるかな。 まあ極端な話ですけど、
実際のところは結構内観でも、他者への投影をする方法もあるので、違いにもいけない感じですけど、
でも主な違いはそこなのかな。 でも結局のところは、方法の違いというだけで自分を見ていることに変わりはないし、
そこでなんか自分に関する気づきっていうのを、自分はこうだったんだなとか、 自分は本当はこういうことをやりたかったのかもしれないなみたいな感じの気づきっていうのを
得るっていうのに変わりはないので、結局のところ結果が同じなんですよ。 過程が違うというだけの話で。
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見ているものは同じなんですよ。その見方が違うっていうだけで。 なので本質的に同じなんですね。
なんですけど、そのやり方、やっぱり方法っていうのの相性というか、 その人に合ってるかどうかっていうのは
場合によるっていう感じで。 自分のとことん掘り下げていく、自分だけを見つめていく方が得意。
そっちの方がより多くの気づきを得られるっていう方もいれば、 他者との関わりの中で気づいていくことが得意な方っていうのもいらっしゃるわけで。
そうですね。だから大事なのは自分がどっちの方がやりやすいかっていうところだと思います。
まあそこの見極めがね、楽にできたら苦労はしないよって話なんですけど。
それを知ることがまず、自分を知ることの第一歩なのかもしれないですね。
自分をさらに知っていくというあたって、自分自身を掘り下げていく方がより良いのか、 自分にとってね、より良いのか、もしくは他者と関わっていったりとか、他者を観察していく中で、
まあ人の振り身で我が振り直せということわざもありますけど、そういう感じで知っていく方が自分に合っているのかっていうところをまず知るところから自分を知るっていうのは始まるというか、
別にそこから絶対始めなきゃいけないというわけじゃないんですけど、 そこの視点からちょっとまず自分のことを知るっていうのを念頭に入れてみると、結構その後がスムーズに進むかもしれないなというふうに思うんですね。
まあ、かもしれないなとしか言えないのは私自身が多分それをやってないからというか、 いやいや、自分を知るということをやってるんですけど、
その過程を踏んでないので、 私は結構右を曲折があったタイプなので何とも言えないんですけど、
というか自分の体験としてこう、鮮明に語ることはできないんですけど、でももしかしたらそういう視点を持っていただけると、これからね、
意識される方にはその視点を持っていただけたら、 結構楽にいけるんじゃないかなというふうに思うわけです。
なので、ぜひ何かピンときたら試してみていただければと思います。
というか、ぜひできればこう報告いただきたいですね。 実際その、まず自分がどっちか、自分を掘り下げて内観して知っていく方と、他者との関わり、
他者への投影とか、人の振り見て我が振り直すタイプの方があっていたのかっていうところをまず知った上で、
自分を知ることを進めていってどうなのかっていうところの報告はぜひいただけたら、私としても大変ありがたいですね。
だから、まあ別に報告しなくてもいいですけど、もし良ければ試してみていただければいいんじゃないかな。
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まあ別に、それを知る前に自分を知るということをやり始めてるんだけどっていう方に関してはもう、そうですね。
もう途中からでも全然気づきはあると思うので、やってみていいんじゃないかな。
なんかだいぶ緩い締まり方になってきた。 緩い締まり方ってなんだろう。すごい矛盾した言い方になっちゃった。
なんかだいぶ緩い、そうですね。 終わりになってきている気がしますけど。
たまにはこういうのもいいんじゃないですか。 というわけで、今回はこのあたり。
またそうですね。 もうちょっとこの話するかもしれないし、別の話するかもしれないですけど、
もし良ければ引き続きwebラジオを聞いていただいたり、あるいはブログとか各種SNSとかでも発信しておりますので、そちらの方もチェックしていただけたら嬉しいです。
というわけで、今回はこのあたりで。 また次回お会いしましょう。バイバイ。
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