1. 地宮みさとの「たとえばこんなスピリチュアル」
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2023-10-18 10:30

#40 「自分を“知る”」と「自分を“探す”」の違い

私、地宮みさと、ちょっとウッカリしておりました…少し前から「自分を“知る”」というテーマで続けていたにもかかわらず、「自分“探し”」というタイトルを使ってしまっていました……「自分を“知る”」と「自分を“探す”」、似ているようで違う。そんなお話です。

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地宮みさとの「たとえばこんなスピリチュアル」
みなさんこんにちは、あればおはようございますか、こんばんはかおやすみなさいかもしれませんが、ソウルリライト・イーダー、地宮みさとです。
前回も含めて結構前から占いについてお話をさせていただいておりまして、ただこれは元をたどれば、自分を知るということから発展してお話ししてきたものなんですけど、
ここら辺でちょっと自分を知るというところに一旦戻って、またちょっと別の話をしてみようかなというふうに思っております。
というのもですね、実は私ちょっとしたやらかしをしておりまして、
この占いの前の自分を知るっていうところを何回かお話しさせていただいたんですけど、そこのタイトルで
自分を知るという表現を基本的に使っていたはずだったんですけど、自分探しという表現を使っていたんですね。
で、そのタイトルにする分には短い方が見やすいっていうのは確かにあるんですよね。
そのコンパクトにした方が見やすくなるっていうのは確かにあるんですけど、でも自分を知るっていうのと自分探しっていうのとでは言葉のニュアンスが違うよなっていうふうに
後で気づいて、というかこれを収録するきっかけになったんですけど、これを別のテーマで占いの話はそろそろ一旦終わりにして別のテーマで話そうかなって思った時に
見直してみて、ふと気づいたんですよそこに。 自分探しってやっぱ自分を知るとちょっとニュアンス違くねみたいな。
ちょっと伝わる表現というか伝わるものが違ってくるんじゃねっていうふうに思って、
まあちょっとねサイレントだから言っちゃったらサイレントじゃないんですけど修正させていただいて、
で、せっかくだからじゃあそれをネタに話しちゃおうかなっていう風になって今収録しているという感じですね。
なので今回は自分探しとか自分を知るという言葉のニュアンスの違いというか、なんで私がそこを気にしたのかっていうことについてちょっとお話しさせていただければと思います。
というのもね、 自分を知るというのは
まあ自分というのが前提にあるじゃないですか。 もともと自分という存在がそこにあるというか
まあアイデンティティかな、アイデンティティとかもっと別の表現もできるかもしれないですけど、そういうのがある前提で知ろうとするじゃないですか。
知るっていう行為っていうのは何かがあるということが認識できているっていうことだと思うんですよ。
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認識できてるからこそより深く知ろうとするというか、 だから未知っていうのもまあ何かわからないっていうことはわかってるじゃないですか。
ちょっとなんか哲学的というか全問答的な言い方になっちゃうんですけど。 でも未知っていう状態っていうのはそれが何かわからない。
何でも何かあるのはわかるっていう状態だと思うんですよね。 わからないものがあるということはわかっているわけじゃないですか。
だからそのわからないものはとりあえずそこにあるっていう前提で何かを知ろうとするっていうのが知るという行為。
知ろうとする行為なんですよね。 だから自分を知ろうとするっていう、自分を知るっていう表現をすると、そこにわからないんだけど詳細は理解はできていないけれど、
自分というそのわからない、自分でもわからない何かというのがそこにあるみたいな状態のイメージなんですよ。
だから要するに自分が、今はまだわかんないけど、そこに自分がいるっていう前提。
そのわからない自分がそこにあるっていう状態です。じゃあそこからどんどん知っていこうねみたいな感じで、いろいろやっていくとかアプローチかけていくみたいなことができるっていうニュアンスになってくるわけですね。
でも一方で自分探しっていうふうに言っちゃうと、
探すっていう行為は、 そのもの自体を認識してなくてもできる可能性があるんですよね。
何か対象を先に決めといて探すということもできます。例えば、失くしたものとかだったら、
何を失くしたかわかってるじゃないですか。 何を失くしたかわかってるから探すわけで、だから失くし物を探すっていうニュアンスであれば探すっていうことは
できるわけなんですけど、でも探すって言うと、 さっきも今言ったように、わかっているものでも基本的になくしているものを前提になるんですよね。
なくしているものを前提で、なくしているとわかっているものを探すか、もしくは本当に
それ自体が何かわかっていない、詳しいことは全然わかっていないし、あるかどうかもわからないけれど探してみるみたいなちょっと
アドベンチャー的なね、トレジャーハント的なね、そういう探すのニュアンスもあるじゃないですか。
両方あるんですけど、常に何か対象がわかってて、でもそれがどこに行ったかわからないから探すみたいなのもあるし、
対象が何なのかぼんやりとしか掴めてない。そもそも実在するかどうかもわからないけれど、とりあえずなんか
夢を求めてとか、他でいろいろな理由で探してみるみたいな、両方のニュアンスがどっちも使えるんですけど、
でも基本的に探すっていうのは、今その場にないものを見つけようとするっていうニュアンスになるんじゃないかなというふうに思うんですよね。
で、それを自分っていうものに対して当てはめようとすると、おそらくなんですけど、そもそも自分というか、なんていうのかな、
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この場合の自分というのは、単に人間として存在している自分というだけじゃなくて、もっと内面的なものっていうか、
心情的なものっていうか、それこそさっきも言ったようにアイデンティティとかね、そこら辺に近い言葉だと思っていただいた方がわかりやすいかと思うんですけど、
要するにそういう意味での自分っていうのがないっていう前提になってしまうんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
だから、自分にはそういうのがないから探すみたいな、自分にはアイデンティティとか信念みたいなもの、生き甲斐とかっていうふうに言ってもいいかもしれないですけど、
そういう自分を自分たらしめるものっていうのがないっていうふうな前提で探そうとするっていうふうになっちゃうんじゃないかなっていうふうにちょっと思ったんですよ。
ない前提で外に求めるか、もしくはそもそもあるかどうかもわからないけれど探してみようかみたいな状態になっちゃうんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
その違い、自分を知るっていうことと自分を探すっていう言葉というか表現の違いを考えてみたときに、
たぶん自分を本当に理解しようっていうふうに思ったら、自分を知るっていうふうな方で考えた方がたぶん近い道にはなるんじゃないかなって思うんですよ。
全くない状態、ないと思っている状態、ないことを前提にしている状態、もしくはあるかどうかわからないけどっていう状態を前提にするよりかは、
あるところからもっと深くしていこうみたいな、そっちの状態の方があることをまず前提にしているので、そこから深めていくというか掘り下げていく分には早いんじゃないかなって思うんですよね。
微妙な言葉の違いなんですけど、そういうイメージの違いみたいなのが出てくるんじゃないかなって思ったので、
自分探しという言葉をついタイトルを短くするために使ってしまっていたことを反省して、修正してその上でお話しさせていただいているわけですね。
なのでちょっとグダグダになっちゃったんですけど、結論としては、自分を知りたい場合というか、自分のことを深く掘り下げていって、
自分でこういう人なんだっていうふうに、こういうところあるんだ、じゃあこうしていこうっていうふうに知って生かすということをやっていくにあたっては、
自分のことを探そうというか、自分探ししようというふうに思うよりかは、もっとこういうことをして自分のことを深く知っていこうというふうに思った方が多分早いし、効率的なんじゃないかなって思うので、
どちらかというと私としては、自分を知っていこうというふうな意識を持っていった方がいいんじゃないかなっていうふうにお勧めしたいなっていうお話です。
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まあ遠回りましたかね。そんな感じで、ちょっと自分のいやらかしをネタにしていくスタイルでお送りしてまいりました。
言葉ってね、結構類義語っていうのはやっぱり多いし、実際何度も同じ言葉を使っていると、ちょっと幼稚な印象に見えてしまうことっていうのも多いので、
言い換えというのはすごい大事なんですけど、いかに言い換えられるかっていうのは結構大事なところではあるんですけど、
言い換えはやっぱりちょっと微妙なニュアンスの違いというのもあったりして、それがその人の意識というかイメージというかに結構な違いをもたらすということも往々にしてあるわけですね。
なので、そこらへんはやっぱね、今後も発信する身として、あとライターをやっている身として色々と意識というか気をつけていければなというふうに思っております。
今回のお話でございましたが、今後も色々とそういうところも気をつけつつ発信していくと思いますので、各種SNSとかブログとかこのPhotocastももちろん含めてチェックしていただけますと嬉しいです。
そんなわけで、今回はここまで。また次回お会いしましょう。バイバイ。
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