メキシコから? そうですね。今はメキシコのトゥルモン本拠地に活動しています。
すごく謎が多すぎて、先日ソーシャルメディアのフォロワー、特にアメリカ人の子が
あの侍は何なんだっていうメッセージをいっぱいいただきまして、 自分もまだ善先生、いやこれちょっとアメリカンスタイルなのか、高井先生、善でいいですよ。
何者なのかっていうところを含めて、16代目っていうのは、そもそも武家の地筋でずっといて、メキシコに移住されたっていう感じなんですか?
そうですね。16代っていうのは、うちのファミリーブックでは一応千年の歴史になってるんですよ。
だけど、やっぱり侍なので途中で名前が変わったりしてるんですね。
確実に墓があったりとか、確認できるのが16代前なんですよ。
そっから善という名前がつながってるんですね。
例えば、ひいおじいちゃん善石だったりか、善ザブローだったりとか、善っていうのが16代続いてるっていうんですね。
なので私は16代の侍ということで。
もしかしたら16代よりも長いかもしれない。
一応ファミリーブックではそうなってるけど、侍って職業サラリーマンみたいなところがあって、結構それ持って書いてたりするんですよ。
実はうちのファミリーはなんとか天皇の血筋だみたいなのが書いてあったりするので、そこはちょっと確認できないじゃないですか。
なので16代っていうのは確実に墓があって、血がつながってるだろうっていう、名前もつながってるということで16代ですね。
どんくらいですか?江戸時代からは確実に?
そうですね。ちょっとポイントになってるのが、うちのファミリーは16代前ぐらいに名前が変わったあたりで、忍者になってるんですよ、一回。
だから一番16代の初めの墓は伊賀にあるんですよね。
そっから侍にまたディベロップ。もともとは侍だったんだけど、一回忍者になってまた侍になったっていう。
そもそも多くの日本人も、多分外人さんも含めて忍者と侍ごちゃ混ぜになってるじゃないですか。
なってますね。
その違いみたいなことで言うと、侍っていうのは単純に言うと大企業に勤める会社員。
要はGoogleとかFacebookとかに勤める人たちですね。もしくは親国みたいな感じですね。要はパブリックな人たち。
忍者っていうのは要はスパイなんですね。
個人事業らしい。
フリーランサーアーティストみたいな。
なので多分16代前に、詳しくはうちのファミリーブックには書かれてないけど、多分戦に負けて忍者になったんですよ、その時に。
なるほど。
で、そっから戦国の世が終わって、忍者っていうのが、服部半蔵と一緒に働いてたんですよ、女戦国は。
えー。
で、服部半蔵が福川家に召使えられて、要は侍にディベロップしたわけですよ。
はいはいはい。
それ忍者侍とか言われてたりするんですけど、そこのファミリーの一部のファミリーだったんですよ。
すごい。
そう。なので、侍と忍者両方のテクニックを学んでるっていう感じですね。
なるほど。道理で手裏剣とか鎖鎬の動きとかも。
すごい。
えー。
そう。ちょっと特殊なんですよ。
特殊ですね。
自分詳しくないですけど、徳川とかだったら何代目だっけ。
生類憐れみの霊を出したあたりから、すごく平和になっていったじゃないですか、世の中が。
はい。
そこで侍も戦争のために武力を鍛えるっていうところから、どんどんそれこそ馬術だったり、他のアートを学んでいったりとかして、どんどん歴史とともに変わっていくじゃないですか。
そういうのは、やっぱりわからないですけど、掛け軸とか家から代々伝わるなんかに、家庭とかっていうのは記録されてたんですか。
そうです。記録というよりも教育の仕方とか、やっぱりそういうのが残ってますね。
技術もそうだけど、やっぱり侍の面白いところって、普通の世界中いろんなマーシャルアーツありますけれども、マーシャルアーツはやっぱりボディーガードの歴史なんですよ。
要はキングがいて、そのボディーガードが武将。
侍っていうのは世界で唯一、社会のトップでありながらマーシャルアーティストだった。
なので、マーシャルアートの中にものすごくいっぱい哲学とか、いろんな文化的なことが含まれてるんですね。
もうちょっと別の切り口で言うと、日本っていうのは基本的な宗教を持ってなかった。
なので、社会の全体の倫理観として仏子堂みたいなのが作られてる。
まさに二戸稲造が日本のあれですよね。
日本はなんで宗教がないのに、こんなに道徳心があるのかっていうところで、すごいな。
一番、自分が気になったのは、なんでメキシコのテルムなのかなっていう、きっかけがあったんですか?
きっかけはコロナですね。
私は東京の浅草にある道場で教えてたんですよ。コロナの前まで。
そうなんですか。
でも、教える生徒はほとんど99%が外国の生徒なんですね。
私の教え方のスタイルっていうのは、哲学とか、いろんなものを含めて教える。
すごくトラディショナルなスタイルの教え方なので、そうすると外国人の人は興味あるんですね。
日本人の人はどちらかっていうと、もうちょっと剣道とか、コンペティションスタイルだったり、もしくはコスプレとか。
あんまり哲学とかにそんなに興味がある方があんまりいなくて、やっぱり外国の方が圧倒的に多かったんですよ。
で、コロナの後に浅草の道場が閉めて、それからニューヨークに行ったんですね。
ニューヨークで道場オープンして、またニューヨークもコロナになって。
で、そのときメキシコはまだオープンだったの。それからメキシコに移ったってことですね。
で、メキシコのテルムっていうところは、そういう結構文化的な方が多くて。
だからそこに重要と供給がぴったりあったっていう感じですね。
たぶんポッドキャストのリスナーは、久々に、1年ぶりくらいにタテキがこのエピソードを更新して、
なんで侍なんだっていうところはあると思うんですけど。
そうです。過去のポッドキャストゲストの赤坂陽月さんと全高井さんがメキシコのテルムで出会って。
そうですね。陽月さんとで、そのご縁ですよね。
そのご縁でここまで来て、今オランダにいるというすごいセレンディビティというか。そうなんですね。
そう。だから逆に言うと、なぜ今メキシコでいまだにコロナ終わっても活動してるかっていうと、
やっぱり伝統的なものを守るっていうこともあると思うんですけども、
私の感覚では進化させていくっていうときに、やっぱり日本の中にいると、
どうしてもユニオンだったりとか、そういう保守的な社会もあったりするわけですね。
でも外国人の方に教えてると、新しい発見が自分にあるんですよ。
全然違う視点からの質問だったりとか、受け答えだったりとかあるので、
そうするとその中から、じゃあ世界のために使える武士道、
現代においての武士道みたいなのを進化させるには、
やっぱり外国の方とどんどん関わっていったほうが、
これからの世の中のためになるんじゃないかという、
私の使命感みたいなとこから外国で行ってるって感じですね。
自分みたいなものが比べていいのかなって思っちゃうんですけど、
外国人扱いずっとされてきてるので、人生の半分以上アメリカで過ごしてきて、
だからその気持ちをすごくわかってるんですよ。
わかってるというか共感するというか。
そうなってくると結局、自分に残るのってもちろん侍のアートを教えてるっていうところもありますけど、
やはり日本から来た一人の日本人というのがアイデンティティーの中に大きくあるじゃないですか。
そうするとあなたの名前が誰であろうが性別が何であろうがっていう、
勝手になんか日本代表になってるっていうところが自分もアメリカ来た時にあって、
そうなってくると自分の行いで日本人ってこういう奴なんだって思われるのが、
すごく海外に出ると先輩方、歴代の日本人がどれだけすごい功績を残してきたか。
それでさらに進化していくためには変わらないために変わり続ける。
これも過去のポッドキャストの方からすごく重い一言をいただいたんですけど、それに尽きるなと思いまして。
やっぱり日本の古き良き伝統とか歴史とかが後継ぎがいないとか、
そういうところでどんどん停滞する中で、海の向こうから祖国を見て感じるものっていうのはありますか。
海の向こうから見てるんですね。
例えば侍の道場、これから先どうなるのかとか、
あとやっぱり刀、刀鍛冶の打つ人とかも減ってるとかしてるじゃないですか。
そうですね。私のあれとしては、やっぱり日本の中にいるとどうしても停滞してしまう部分みたいなこと、
武術業界で言うとどうしてもあるので、
やっぱり私の意義としては、いかにして現代にコネクトしていくかっていうところ、
現代にいかに生かすかっていうところなので、なんですかね、伝統を保持するっていう大切さもあると思うんですけども、
それと同時にやっぱり外にも出ていかなくちゃいけないので、
まあその部分ですよね。
外国から見た日本どうかっていうと、
ちょっと逆に日本の若者があまりにも日本の伝統的な侍の文化に興味がなさすぎて、
ちょっと寂しい気はしますよね。
やっぱり戦後終わって、第二次世界戦が終わって社会がガラッと大きく変わったときに、
そうか。
木刀を、テイムと昨日、さっきから話してたんですけど、
木刀で動きとかやって、10年そこらの鍛錬じゃ動きできないよねっていう、リアルだって。
これはサムライの動きっていうんですか。見て素人でもわかるというか。
あとさらにカリグラフィーもアートで教えてるじゃないですか。
あれは普通に書道とかやられてたんですか?
私は普通の書道というよりも、サムライの一つのエディケーションとして、
カリグラフィーもあったりするんですけども、
あれは完全に、一つの例で言うと武芸十八般っていうのがあって、
江戸後期からぐらいになると、サムライの一つのルールとして、
十八の事柄を学ばなければいけないと。
要は刀だけじゃなくて手裏剣術があったりとか、
定刃だったりとか、文化的なこと、舞だったりとか、
ポエムだったりとか、いろんなもの。
その中の一つとして、私はカリグラフィーをやってるんですけども、
あれもだから刀の感覚と全く一緒なんですよ。
自分のエネルギーをいかにして素早く一触だけでパッと紙の上に表現するかっていうのが、
日本刀の感覚に似ていて、それの全く別のものではなくて、
同じ本質みたいのを捉えるために別のことをやるっていう。
十八のことをやっても、一つのことを表現してるっていう。
なので、宮本武蔵とかはいろんな本を書いたりとか、
カリグラフィーだったりとか、彫刻作ったりとか、素晴らしい作品を残してますけども、
彼は五輪章の中でも自分は一つのことを追求してるっていうことを常に言ってるんですよね。
それを、あえて一つのことを掴むために一つをやるんじゃなくて、いろんなことをやるっていう。
それがカリグラフィーの一つの意味ですね。
それって本当に刀における持ち方とか、
短練とか、刀の扱い方とすごく共通しますよね。
その、パラドクスというか矛盾の中に、
力を入れるんだけど力を入れないとか、
こっちがインとイエンのバランスがあるからこそ、
本当に無の状態である。
やっぱり日本人特有の神道で、刀が常に上にあるっていうところと、
すごく全てが繋がってるというか。
そうですね。
ものすごく繊細なもの本質、
自分の中のダイヤモンドみたいなものに触れておけば、
どんなことでも可能っていうような、
あれですね、ルネッサンスじゃないですか、
レオナルド・ダ・ヴィンチ的な発想ですよね。
でもやっぱり武術、特に侍の武術っていうのは、
コンペティションスタイルとはちょっと違う点は、
やっぱりどういう状況にも反応しなくちゃいけない。
要は3分間ナンナウドっていうのと、
もしくはもう敵が何人とかも決まってない、
時間も何も方法も決まってない中で対応するには、
そこを掴んで、そこの感覚を信じるしかないっていう。
本当に意味があるというか、あの構えで骨盤を開いて、
360度全部っていう、常に見るっていう動きはすごい理にかなってて。
だから格闘技の右利きっていうよりかは、
右利きの侍はあれですよね、
右利きのサウスポーの構えになるんですよ、我々の視点から言うと。
だから刀ってやっぱ触れただけでちょんって、
それこそ首とか経動脈に入ったらもう勝ちだから、
逆に力みっていうのはネガティビティでしかないっていう。
そうですね。
だからやっぱ日本の文化の面白いところっていうのは、
格闘技だけじゃなくて踊りだったりとか歌いだったりとか、
全部がとにかく脱力っていうのが一番大きなテーマになってるんですね。
筋肉をなるべく使わないことによって、
リリースすることによって最大の力を出すっていう逆説的なあれで、
侍のもちろん技術もそうで、
やっぱこう前に対してパッと瞬発力で進む瞬間に、
じゃあどうするかっていうと地面蹴るんじゃなくて、
力、膝を抜くっていう、
膝を抜いた瞬間にグラビティを前にストンと落とすだけ。
っていう感覚のあれなんですね。
なので全部がパラドックスというか、
その中で自分の動きを作っていくっていうところが大事ですね。
でもそれっていうのは何ですかね、
それを追求していくと面白くて、
いろんなことに応用できる。
宮本武蔵の生き方を見てるとすごく学べるのは、
それは例えば関係性。
何かすごく仕事で進めなくちゃいけないと思ったときに、
逆にリリースしてグラビティ、流れにパンと乗っけちゃうみたいな感覚とかを使うとすごく上手くいったりとか。
そこで無理しようとすると逆に力みで、
逆にスピード遅れてしまったりするっていうような。
雑念があると。
こういうのっていろんなことに応用できるんだなと思って。
そこが武術の面白さですよね。
だから刀を握るときも小指を意識するって、
すごく解剖学的にも、
ランナーが手を振るときにいかに効率よくするって、
やっぱり人差し指とかじゃなくて小指を意識したほうが、
交互相反運動があって、
体のねじれとか、
勢いを使って連動させる。
それとか、あとは刀を振り抜くときの二本刀ってやっぱり、
切るというよりかは引く動作じゃないですか。
あと聞いてなるほどなと思ったのは、それこそ、
昔の悪い方たちが小指を切り落とすっていうのは、
そこでもう、落とすとか刀を握れないっていう。
すごく、ああそういうところで小指の大切さって。
西洋は中指はすごく、やっぱ弓矢とかを引くから、
そこでもう全然視点が違うなっていうところが、
本当に面白くて。
そうですよね。だからよく時代劇で言うのは、
お主の手の内を見たって。
手の内のを見たっていうのは、もうお前の指の動きは分かったっていうことですね。
なのでパッと抜くときも、この小指の握り込みからスッとこういう動きですね。
ここでもう刀の動きが全部決まってしまう。
でもやっぱ筋肉に集中したら、ここの動きなんか大きくなっちゃうとどうする。
これが見破られるけども、ここだけでコントロールするんですね。
ヒュッって刀を。
そうすると自分のサインも消えるし。
ジャブみたいな感じですね。
ヒュッって。
なので日本の武術は、とにかくものすごくミクロの世界にどんどん入っていくことによって、
マクロをコントロールするっていう。
そういう考え方ですね。
恐ろしいですよ。
幕末とかの刀を置いて、正座してポンって抜いて、
居合とかで、あんなスキルを持った侍がゴロゴロいたのかって考えると、
恐ろしくてしょうがないというか。
だって至近距離だったら、銃よりも刀のほうが全然早いですもんね。
そういう実験がYouTubeとかでありましたけどね。
刀のほうが早かったって。
そういうときに教えられるのは、刀って鞘に入ってるじゃないですか。
これは日本独特で、
いろんな世界中にソードを使ったマーシャルアーツってありますよね。
どっからスタートするかって言うと必ず、
こっからスタートする。
抜いた状態からスタート。
でも侍の場合は世界で唯一、
この状態からスタートするんですよ。
だから要は、抜くときに、
右で早く抜くためには左を早く引くっていう考え方なんですよ。
早引きをキュッと。
だから動きがバックステップですねって言ったところは。
そう、バックステップから学び始めますよね。
あとは右手の気配が消せるっていうのと、
右手に力が入らないこそ、
無知のようにスポンって抜けるだけ。
これが一番のスピード感。
筋肉で行くと、どっかブレーキをかけながら前に行ってるけども、
右手は脱力して小指で握り込むだけ。
左はとにかくスパッと早く引くっていうの。
これもパラドクスですね。
なるほど。
結局は軸がしっかりしてないと反対方向に行くから。
だから訓練で鍛えるのって結局アイスメトリックなんですよね。
できた反動をガッと止めるっていう、
コアの動きですよね。
それとあとはやっぱり弾力性でエラスティスティですよ。
スナップとか。
そこが肝っていうか。
だから面白いのは、
いろんな説あるんですけど、
西洋の動きとか現代的な動きって
コアって真ん中じゃないですか。
でも昔の日本人のコアは
二軸あったって言われていて、
右と左で右を前に左を引く。
これが全ての運動を作ってたっていうのがあって。
いろんな説あるんですけど、
面白いのはジャパンは2本じゃないですか。
なので一軸っていうのは1本。
軸が2本あるから2本っていうのが生まれた。
要はトリーですよね。
トリーも真ん中歩いたらいけないじゃないですか。
あれはエンプティネスを常に保ってて、
右と左だけをコントロールするからエゴがなくて、
身体もシュラインと同じような
トリーの身体である二軸を使う。
それだからこそ日本っていうのが
生まれたっていう説もあるんですね。
説もある。
すごくしっくりくるな。
まさにウェルビーングの
いかにバランスを取るかっていうところに
繋がってくるなっていう。
勝手に自分の考えを
無理やり持ってってる感じがするんですけど。
昨日お話させていただいた中で、
お茶の間の人たちは
いろんな分野で日本文化の後継者とか
あとは認知度も含めて
どんどん停滞してるのはなんとなく分かってる。
その中で
さっきの年間刀
いやもう謙虚の姿も
まさに侍なんですけど
本当にそう思ってますもんね
自分の力とは全然思えないから
あとは別の経験で言うと
ウインドエレメントのトレーニングで
昨日やりました
後ろから叩いた時に避けるっていうのがあるんですけども
あれも伝統的な
稽古ですけども
今まで
東京から道場あったときから
ずっとカウントすると
ものすごい数の人たちをやってきてるわけですよ
子供からおじいちゃんおばあちゃんまで
マーシャルアーツの人もいれば
いろんな女性もいるし
その中で
四角を使わずに
サッキを引けたときに避けるってのは
圧倒的に
女性か子供なんですよ
避けられるのが
男はね
男はどうしてもエゴっていうか
できなかったら恥ずかしいみたいな
どうしても出てきたりするだろうし
100発100中で当たる気がしますね
私自身もそうだし
出るじゃないですか
エゴっていうのが
女性と子供ってやっぱ直感
で、私が思ったのは、そのときにニュースを見てたんですよ。
ニュースを見てたときに、ボストンマラソンのテロの事件ありましたよね。
はいはい、2013年ですね。
あのときに女性がインタビューを受けてて、
なんか変な人がいたから、道の反対側に分かった瞬間に爆発したんですよ。
しかも彼女は妊婦さんだったんですよ。
えぇー。
で、これって直感だなと思って、何が言いたいかっていうと、
現代で刀を持って外で戦うことないじゃないですか。
ないですよね。
今本当になんか争うって言ったら、例えば拳銃だったりとか、爆発物だったりとか、
究極言えば核爆弾みたいな、そういう戦いになってきてるじゃないですか。
そのときに大事なのは、次の世代の戦い方っていうのは、
やっぱりその感性がもう磨くっていうことが武術によって大事なんじゃないか。
要は戦う前に察知して避けるっていう。
でも鉄砲持ってたら勝てないじゃないですか、やっぱりね、その筋肉があってもね。
だから、そういう女性的な武術の時代に次っていうのが来るんじゃないかなって。
要は感性の武術。
今まではマッスルの武術とフィストファイティングの武術っていうのがいっぱいあったと思うんですけども、
なんか私は次の世代そういうのが来るんじゃないかな。
苦の市ですよね。
苦の市。苦の市の世界が来ますよ。
苦の市といえば、女の股に力と書いてる。
昨日聞いた漢字の意味、なんとかの術とかの術は、
人の中心にコーン、トウモロコシがあって、
そのトウモロコシが昔の人はコンピュータチップのように精密な、
まるで規則性が正しく詰まったコンピュータチップというかテクノロジー。
それをマスターしたからアウトプットできるっていう意味が込められてる。
それが本当に術を得た。
術を得たっていう。
でも英語で言うとテクニックになるんですね。
でもテクニックって言うとどうしても身体的な技が身についただけだけど、
本当の術っていうのは感性、体の中のものすごいコンピュータみたいなものをいかにしてコントロールするかを学べるっていうのが術だったらしいですよね、語源としては。
でも昔の人すごいですよね、感性とかあんまり言語化できないのに、
言語化してるのはすごくサイエンシックじゃないですか、コンピュータチップっていうのは。
コーンがある感覚をね、それを図柄にして相手に伝えるっていうのはすごい感性ですよね。
すごいですよね。
だからそこも究極の矛盾というか、力を使うけど力を使わないとか。
あとは、昨日お話しした中ですごく残ってるのが、無敵の意味ですよね、敵がいないっていう。
全員やっつけちゃって、もう敵いないよ、最強だっていう、敗戦がないっていう無敗。
そもそも侍にとっての無敗っていうのは、
無敵っていうのはもう敵を作らない、そもそも敵がなしっていうのがもう最強の武術であるという考え方なんですね。
それが元々禅師さんの課見に伝わる、武士道のスタイルの動きを置いてる。
やっぱり古武術はそのルートですね。
やっぱり特に戦国以降に作られた江戸からの武術っていうのが、エディケーションで大きく発展したので、
いろんな流派がここでいっぱいできたわけですよ。
その前まで戦国っていうのはとにかくファイティング・ジェネレーションみたいな、とにかくアタックするみたいな。
その後にいろんな哲学が、江戸のときにものすごく発展したわけですよ。
文化として発展した。
文化として発展した。
これも面白くて、陰と陽のバランスで、
戦国時代って日本の中によってものすごく重要な、いろんな侍がいた強烈な時代じゃないですか。
あれって、戦国時代って80年しかないんですよ。
80年って一人の一生ぐらいじゃないですか。
そう、80年しかなくて、この間に日本ってちっちゃな島国だけど、
世界中にいろんなアーミーいるじゃないですか、スペイン国とかいろんなの。
そこの人たちよりも、殺人の数と兵器の数、爆発的に分かったわけですよ。
経済的に見ても、武器の量とかも含めてすごかったんですよ。
敵がいないっていう、無敵っていう侍の文化があって、
黒船見て、いや戦わないとやられるって、すごいですよね。
武士道の面白さってそういういろんな時代を経てるから、
いろんな捉え方ができるし、
そっから何を自分たちがピックアップするかっていうのは、
要はこのバイブルがないし答えもないわけですよ、要は。
自分たちがどの視点を持つかっていうことによって、
いろんなものを吸収できるから。
そうなってくると、次の世代、我々がやるべきっていうことは、
本当の武士道とはとか、過去についてああだこうだって議論するんじゃなくて、
やっぱりそういうのを、自分も格闘技界にいると、
例えば格闘技雑誌の最後のほうのページとかに、
古武術のDVDとかいろいろあったりして、いろんな流派があるんですよ。
人の武士道観っていうのは人によって違ってるので、
そうなってくると、過去を見ても武士道の形って変わってきてるから、
今、現代を生きる我々が、次にとってベストな武士道っていう形を、
やっぱり作る努力っていうのをしなきゃいけないんだなっていうお話聞いてすごい思いました。
そう、まさにそこですね。だから、答えはエンプティですよね。
インパーフェクトイズパーフェクトなんですよ。
インパーフェクトの中にパーフェクトを求めるっていう。
そう、だからやっぱり。
陽下と赤坂も音楽の中でよく言ってます。
いや、すごいこのセレンディビティ。
だから、バイブルがないっていうのと、無っていうのがテーマであるってこと、
空の理論っていうのがテーマであるってことは、
すごくいいものを私は次世代に残してくれたなっていう。
だからよく、生徒がどんな本読めばいいですかって、
宮本武蔵の五輪の書読んだけど全然わかりませんでしたっていうのがいつもあるんですよ。
五輪の書って有名じゃないですか。
彼ら読むんだけど、五輪の書ってすごくポエティックに書いてるわけですよ。
風のように切れとか、地のように走れとか。
すごくポエティックで、理論的にわかんないわけですよ。
でも宮本武蔵とか五輪書、侍の武術書っていうのは、
いつもそういう書き方なんですね。
ポエティックに書いてあって。
要は、自分がそれを見て何か答えを発見するしかないんですよ、自分が。
そこに答えが書いてあるわけじゃなくて、ヒントだけがあるので。
なので私も五輪の書を読みますけど、毎年全然違う感想なんですよ。
毎年。
でもそれは自分の傾向方法とか、傾向の段階が変わってきてるから、
風のように切れっていうのはこういう感覚なのかもしれないっていう解釈が毎年変わるんですよ。
だから鏡みたいなようなもんなんですね。
だから今までの武士道の侍の人たちが残してくれたヒストリーもまさにそうで、
その中を様子を見ながら、彼らのその中に答えがあるんじゃなくて、
自分で答えを見つけて次に進むっていうのが非常に重要なことであり、
私は次の世代に、次の世代にとってはものすごくフィットしてるからと思うんですね。
やっぱりダイバーシティとか、個々のその多様性。
自分で答えを見つけて、その自分の身体の傾向を通してその答えを見つけていく。
っていうことが非常に重要じゃないかっていう。
いやー、ありがとうございます、すごく。
自分の中のウェル・ウィングをテーマに、このポッドキャストを
多敵の黄金の経験っていうタイトルでやらせていただいてるんですけど、
まさに答えがないんで、バランスの取り方は、
自らが満たされているウェル・ウィングを目指しちゃうと本当に周りに迷惑がかかる。
って勝手に思ってるんですよ、自分は。
だからそのウェル・ドゥーイング、自分を犠牲にしていろんなことを与えるオープンに、
特に今のバイオハッカーサミットではもうまさに
松田忠樹が、俺があれをやる、これをやるじゃなくて、人々に与えるっていうセルフレスな気持ちで今週は臨んでいて、
そこで自分を満たされて、パラドックスの中に生まれる、本当にこうやって人生を豊かにしていくんだなって、
勝手に現時点では自分はそう思ってるんですよ。
このやり方がそれなりに善さんのお話を聞いて、
たぶんやってることは大間違いではないなって思えて、すごく勉強になりました。
ありがとうございます。
どうですか?昨日のワークショップを終えて、あと本ちゃんは土曜日曜のサミットなんですけど。
いや面白いですよね。やっぱりいろんな感性の方がいて、いろんな視点の方がいて、
その中でやれるっていうのは私も本当に刺激になるし、
なんとかこういうところに伝統的な侍が呼ばれるっていうふうに思った。
いやもう言いなきゃいけないでしょ。
すごい、なんだろうな、そのネクストジェネレーションの可能性みたいなね、楽しみですよね。
昨日善さんの予定が、もう俺のプログラムはカットしていいから早くって言って。
ありがとうございます。
次自分がやりたいのは侍文句っていう。
善さんと氷月さんのコラボ、ぜひ全米ヨーロッパツアー。
侍文句ってもう響きがかっこよすぎるので。
ということで、急遽決まった収録なんですけど、
リスナーの皆さんにもなんかの一つの学びを得たらいいかなと思いますので、
こんな感じでもうお時間もよろしいので、善さん本日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。また引き続きよろしくお願いします。
ということで、タディティックポッドキャストからサインアウトします。
ということで、本日のゲストは、侍の善隆さんでした。
善さんで結構ですって言われたので、善さんと呼ばせていただいたんですけど、
日本式に言うと高井善先生ですか。
どうでしたか、皆さん。
すごい鳥肌立ちまくりで。
やっぱり重みというか、毎日稽古しているから、
すごいですよね、一言一言。
言葉に魂が乗るというか。
本当侍といえば刀ですよ。
刀が常に上にあるから、
これ面白いなと思ったのは、
海外カブレじゃないですけど、さすがにね。
日本出てから、日本以外での月日が人生の半分以上になると、
どうしても外人目線になっちゃうというか。
特にドイツの刃物とか、すごい有名じゃないですか、包丁とかも含めて。
グリップがすごく人体の手の形とすごくフィットするんですよね。
善さんもお話ししてたんですけど、
それで切れる。すごいフィットする。
さすがドイツの技術は世界一というかね。
世界一じゃないんですけどとか言って。
やっぱり日本人ですから。
日本の包丁って持つグリップが本当に木だけじゃないですか。
あれは、善さん曰く刀を扱う。
侍が刀に合わせる。
刀が上なんですよね。
つまりその刀の上を行ってはいけない。
すごいなと思って。
難しいし、ほぼ不可能じゃないって思いますよ。
やっぱり最大の敵は己にありというかね。
自分に勝つって格闘技やってる人ならみんな実感すると思うんですけど、
昔の人たちっていうのは自らのエゴを克服するために
内観して瞑想したりとか、いろいろなプラクティス、実技を実践する中で
常に自分自身よりも刀が上にある状態。
だから神棚とかに飾ったりとか、そういう文化あるじゃないですか。
それがこのグリップに、刀の持ち方、
グリップを人間にフィットさせるのではなく、
刀の持ち方、自分自身の体の一部として扱わないとダメだなって思って。
そうしたらそれがやっぱり人が上になっちゃうじゃないですか。
奥が深いなって思いましたよ。
だからそうなってくると、高校時代に野球部で
道具を大切に扱わない奴はダメな選手だっていう
監督とかコーチの言葉が心に響くというか、
格闘技の道具とかも全て自分の身を守ってくれるものだし、
帰ることができましたし、帰ることができたというか、本当そうだよなと思って。
それは別に格闘技とか、いわゆるコンペティターとか、
そういう何か競技をやってる人じゃなくて、
それこそ板前さんとか寿司シェフとかもそうじゃないですか、
包丁とかも扱う。
あれってやっぱり、だから常にトイでコンディションを整えておく。
基本、プロフェッショナリズム。
それ以外にも会話の中から皆さんも人生にそういう視点があったのかと思うような場面、
いっぱいあったと思います。
これね、やっぱり海外にいる日本人ってどうしても
やっぱ外国人かぶれなんでしょうとか、
あとは、いや日本の伝統とそういうの違うから、みたいな。
一番最初にそれが来ると思うんですよ、特に日本にいらっしゃる方たちは。
でも今後、じゃあ人口減少していく日本で、
後取りがいないとか、前産も投げてましたけど、
今の若い子たち、正直はね、若いって言葉を使いたくないんですけど、
次世代の子たちが侍文化に対してあまりにも関心がないというか。
でも入り口は何でもいいと思います。
それこそこっちはナルトとかすごいですよ、本当に。
でも形から入って、それがきっかけで勉強するのとかもありじゃないですか。
大切なのは、やっぱりパンデンに終わるっていうことが分かっていると、
近未来を見れる。
侍は近未来を生きてるってところですごくビビビですよ、たできは。
だから、その考え方とか、
あと皆さんが普段ベルビーングを充実させるためにやってる日頃の何かに、
何か今日のたできと前産の対談からヒントがあって、
役に立ちましたって思っていただければ幸いです。
ということで、久々のたできの黄金の経験の更新ですけれども、
バイオハッカーサミットアムステルダム、今週末控えてます。
格闘技の方も今のキャリアと年とか立場を考えると、
対戦相手とかどのプロモーションとかって選べる立場じゃないってことは分かっているので、
常に準備して、できたら来陣…黙っておきなさい。
ファイターとしてもね、侍らしくしっかり自分が納得できる形で
自己表現できればなって思っているので、
いろいろ松田たできの中でも人生のチャプターが変わっている
ピリオドというか、そんな感じがします。
そういう貴重な、貴重というか、毎日貴重なんですけど、
今を生きていく、その瞬間を生きることがなんだかんだ言って大切だと