きっかけはですね、僕は10代の頃にグラフィティアートをすごく好きで、
自分の知人が千社札って神社物画に貼ってある写真で撮ったのを本にして販売して、
こういう日本のグラフィティみたいな感じで紹介してて、こういう世界があるんだと思って、
それからいろんな神社に行って、意識しながら見るようにしてたら、すごいかっこいいなと思って。
自分のオリジナルの作りたいと思って、浅草とかに行けば勝手なイメージで作れるのかなと思って、
ほんと一日中ずっと作れるところを探したんですけど、結局なくて、探せなくて。
その当時ってインターネットとかもあんまほとんど普及されてないっていうか、
情報がないんですよね。
あんまネットっていうかウェブサイト持ってなさそうだもんね。
浅草の工房さんとか。
そう、そもそも。
イエローページに載ってたらラッキーぐらいじゃない?
自分でタウンページとかでいろいろ調べて、2,3件そういう工房が出てて、
数件連絡したら、1件目のところで高橋工房行ってくれって言われて、
2件目のところは工房にお邪魔して作業してるのとかも見学させてもらったんですけど、
その方も高橋工房行ってくれって言ってるんじゃない?
2人の方が言うってことは何かあるのかなと思って、高橋工房の門を叩いたっていう感じですね。
なるほど。その高橋工房は連絡先を教えてもらったって感じ?
そうですね。その時に教えていただいて連絡したって感じ。
その最初の高橋工房が行けない、向こうからしたら突然若者から電話が来たって感じ?
自分が電話した初めに高橋工房を教えてくれた方が先に話を通しててくれたんだよ。
そうじゃない?びっくりしちゃうね。
どこに興味ある子から連絡いくんでっていうので。
そういう話って今だったらあるか分かんないけど、よくある話だったんですか?当時は。
どうなんですかね。ちょっと様子は分かんないんですけど。
でも、初め自分が高橋工房に電話して、また連絡するって言われて、
すぐ連絡くるのかなと思って待ってたら半年くらい経ってた。
半年。
半年も待てないというか早く自分で彫りたいという気持ちは強くて、
専門の道具屋さんに自分で調べて連絡して道具を買おうかなと思った時に高橋工房から連絡が来たんですよ。
注文しようかなと思った前の日くらいに。
すごい。
なんか引き入れ早いけど、不思議な感じ。
道具ってそんなに何を買ったらいいかも分かんない。
分かんなかったんですけど、そこのカタログとかでなんとなくセットみたいなのがあったんで、
そういうのを買ってスタートしようかなと思って。
一番初めに高橋工房に電話した時に、木版画って僕やったことなかったんですよ。
やったことないんだったら変な癖がついちゃうから変にスタートしないでっていうので、
それを守って半年間くらいずっと連絡車で彫らないようなのを守ってたんですけど、
半年も我慢できなくなって、やろうかなと思ってた時に連絡来て。
その半年間で何が起きてたの?
それ以前になんですけど、聞き手にとってその前はグラフィティが好きでっていう
サラッと言ってたグラフィティなんですけど、まずグラフィティは言える範囲でなんですけど、
ヒップホップカルチャーというか、壁にスプレー缶で絵を描くという。
みんな多分知ってるから大丈夫。
もともと違法行為じゃないですか。
なのでそういうところでなんとなく気を使ってしまう。
グラフィティライターであるってことは言っていいのかは気を使っちゃう。
さっき実は収録前にちょっと早めにおしゃべりさせていただいて、
写真を当時の見せてもらったかなりガチ。
もうスタイルがはっきりしてる、しっかりしたスタイルを持ってるグラフィティをやられてたツネさんでした。
岩田さんはまだ見れてない。
そういうのもデザインとしてありますよね。
そういう専用写真を洩石になられたので、
ご自分でデザインしたものも掘ったり、
依頼を受けて掘ったりどっちもやってるって感じですか?
今ですか?当時ですか?
今はごく一部の仲良い人の戦車札はやらせてもらってますね。
デザインしたり、文字は専門の書家がいるんで。
専門の書家が。
デザインと掘りはやるって感じです。
面白いですね。
そこに書家もいなきゃいけない。
書家も登場しましたね。
浮世絵で言う絵師が書家になったって感じですね。
今のお話を伺う限りだと、
戦車札始まりで木版画に興味を持ち、
浅草のタウンページを頼りに最終的には今の工房に行き、
すぐにそこの工房でたぶん戦車札をやってる工房ではなかったんですよね。
本来の目的がまだ達成すぐにはされない。
違えたってことはなかった?
本当にすごい閉鎖的な世界で、どういう世界か全然わからなかったんで、
本当に言われるがまま、そういうもんなんだと思って、
なんとか技術をつけたいなっていう。
早く修行が始まってほしいなっていう、それだけでしたね。
すごいですね。
倉田氏ラジオでいろんな方にお話聞いてるんですけど、
僕その瞬間の話が一番好きで、
今までのことは全部変な話に投げ出して、
これしか考えられないぐらいのことを話される方がたまにいるんですけど。
でもその瞬間だよね。
そのグラフィティっていうところで文字に興味があるっていうのがもともと、
やっぱりグラフィティを自分で作るから興味が出るんだよね。
なんかシンプルにかっこいいって本当に強く思って。
そういうの大事だよね。
かっこいいって思える感覚ってだんだんなくなっていくじゃないですか。
それもそうだし多分、僕想像で言ってますけど、
グラフィティライターの頃も、それこそスタイルウォーズって話ありましたけど、
いろんなスタイルを見て自分のスタイルを考えてて、
その中でも相当頭の中で何がかっこいいの、トライアランドエラーがすごいいっぱいあったという風に想像してて、
常さんの中で。
これがかっこいい、これはいいけどダサいなとか、
ひたすらそういうのがあって、
製写札のかっこよさに気づくアンテナがすでに鍛えられてるみたいな。
そんな風にも聞けますけどね。
そのほうも気になるね。
製写札ばグラフィティだっていう。
もうそれは普通には出てない。
絶版で古本とかでちょっとプレネがついてる時あるかもしれない。
Amazonのマーケットプレイスで運満いいえんみたいな。
私が昔やってたやつ。
マリオブックスにもないし。
頑張って古本屋さん巡りして。
その本に手に取りたい方は。
最初の話でもあったんですけど、
それで十数年修行が続いていくわけですよね。
工芸みたいな世界でそれが短いのか長いのかわからないんですけど、
その間ってそんなにスルッと過ぎるものですか?
時間ですか?
例えば一人前になるのにどれくらいかかるような世界でしょうか?
ずっと修行って感じでなんじゃないですか。年期が明けても。
10年くらいはやったら少しできるかなって感じじゃないですか。
そうなんですね。
工房入って師匠はちゃんと聞けば何でも教えてくれる人がいたわけではないですか?
修行中はほんと基本雑用ばっかなんですよ。
今じゃちょっと考えられない感じだと思うんですけど。
親方にいろんな手伝いっていうかやって、
あとはひたすら見て習う。見習いって感じで。
見て家帰って空いてる時間とかで稽古掘りっていう、
稽古、スキルを上げるための自習練みたいなのをするんですよ。
それがある程度できてくると親方が本番仕事の目立たないところ、
薄い色とかからこれちょっと手伝ってとか、
絵とは直接関係ない周りを削る作業、さらいって言うんですけど、
そのさらいの仕事とかを本番やらせてもらうっていう感じで。
でも自分は当時稽古掘りの期間が結構長くて、
うちの中ではすごく厳しい人だったんで、
本番のさらいができるっていうだけでもめちゃくちゃ嬉しかったです。
横に小さく数字が書いてあるんですよ。板の。
自分がこれ掘ってって言われる。板の例えば2.5とか。
これ掘ったら2500円もらえるよっていう。
自分で逆算して、覚え方がこれは結構細かいから4とかって書いてあるんですよ。
そういうのを自分で逆算して、このぐらい時間かけれるなとか。
確かに一応お仕事で時間かけすぎても。
だからその値段が作業量を目安みたいなところを。
そういうシステムだね。
何でもやりましたよ、本当に修行中は。
何だろうって。
今じゃ言えないことがあるっていう。
でも本当に、あの時代があったから今の人生に深みがあるっていうか、
自分自身にいろいろ習うことがいっぱいありましたね。
今も若手というか、例えば常さんの下に今誰かついてるとかそういうことは?
自分の下にはいないんですけど、よその法律師の方は何人か若手の新しい弟子みたいにいます。
じゃあそこは業界の中で横のつながりがわりとしっかりあるっていう感じなんですか?
もう組み合いっていうかみんな仲良しなんで、みんな知ってるっていう感じですね。
東京だと荒川区って、木版画だけじゃなくて、いろんな伝統工芸にすごい力を入れてて、
いろんな人材育成とかすごく熱心にやってますね。
すぐなら荒川区じゃん、東京。
荒川区だと女性勤動課もこれからスタートしたいっていう人に毎月いくらとか、
教える人にも毎月いくらとか、そういう制度を設けてますね。
それが本当にいろんな業種の伝統工芸に全部やってるんで、すごい強力的な区だと思います。
そうなんですか。荒川区って涙橋あるの荒川区でしたっけ?
明日の城とか。
一般的なイメージだと土屋っぽいイメージが荒川区ってあったので、そういう側面が。
下町ですよね。
他の区では聞いたことないですね。
そういう工房もないからしょうがないっちゃしょうがないのか。
例えば東京芸大の近くの台東区とか、屋根線とかに金属のことしか知らないんですけど、高値の職人さんとかいっぱいいるエリアとか。
台東区とかも職人さんとかが自社物価とかの器具とかを作ってるところが集まってる地域があって、
でも今津田さんの話聞く限り台東区こそそういうのをちゃんとやらないといけないんじゃないかと思ったんですね。
意外だった。今でもちゃんとサポートのシステムがあるっていうのが意外だった。
全くないのかと思ってて、どうやってみんなサバイブしてるのかなっていう。
基本的にはどうサバイブするとか、助成金をもらうまでに価値が認めてもらえないとか、そういう話が耳だこぐらい工芸のいろんな分野ですごい多いんで。
すごい言い方が安直なんですけど、多分めちゃめちゃ大変だと思うんですけど、楽しそうだなって僕は思って聞いてました。
10何年やってても楽しい。
これ以上楽しいことあんのかなっていうぐらい楽しいですね。
毎日やってても。
毎日やりたいって本当にずっと。
もう時間が許される限りやりたい。
例えばグラフィティアートとかだと、たぶん彫るっていう作業よりも完成形に対してダイレクトな気がするんですよ。
スプレーでシャーッと描いたものが、それがもう一つの完成形じゃないですか。
でも彫り師って一つの分業化された工程ではあるわけじゃないですか。
自分で手を動かしたものが結果まで結びつくダイレクトさみたいなところで言うと、ちょっとグラフィティアートより遠い感じがするんですけど。
その楽しさって何ですかね。
楽しさですか。
まずキーなんで、家で製版できるっていうのをですね、まず一つは。
あと、グラフィティとか見てると一本の気持ちいい線みたいなのがあるんですけど。
浮世絵とかも油絵とかとはまた違うと思うんですけど。
すごい洗礼されてるデザインだと思うんですよ。
美人画とかオークビエとかって線が本当シンプルで。
そういう線がグラフィティも浮世絵も気持ちいいっていうのが結構共通だったかもしれないですね。
その気持ちいい線を描いているときに、
気持ちいいっていうのが結構共通だったかもしれないですね。
その気持ちいい線を木を削って細い美しい線を描くって、
それこそ前回のエピソードでオーストリアの木版がざっくりしてたみたいな話と共通したんですけど、
めちゃくちゃ根気のいる作業というか、想像する間に山の部分がポキッと折れちゃいそうな細い線とか、そんな感じがするんですけど。
毎回自分の限界よりちょっと挑戦したいっていう感じで毎回やってて、
もちろんうまくいかないときもあるんですけど、
毎回限界を超えたいなっていうので、やっぱり超えれたときの達成感みたいなのがすごいあるんで、
そういうのが快感になっちゃってるのかもしれないですね。
作ってる間にやっぱりうまくいってるなーで、ちょっとしたときにポキッとなっちゃったりとか。
線が欠けちゃうときもほんとごく稀にあるんですけど、
それを欠けてないようにまた埋め切っていって、穴を掘って同じ材料の木を埋めるんですよ。
なるほど。
で、全くわからないようにするっていう。
そういうリカバーする技法もあるんだ。
そのリカバリもすごい難しいんですよね。
そうですよね。
ちょっと想像つかないですね。
リカバリできるってわかってもそれも大変だから、
そのリスクを追ってまでできたときの、スポーツみたいな感じの新しい技ができるような。
技なのかな?
オリンピック見過ぎか?
いや、そんなに見てないと思うけど。
スケボーで何回転できたみたいな。
そうそう。
常スペシャル的な。
それだけ繊細だから、やっぱり木の状態が変わっていくっていうのはやっぱり大変なことだと思うんだけど。