先に見てほしい。こんなにちゃんとNHKだからすごい画質よく撮ってるからさ。
須藤さんの作品って肉眼で見るのと、その高画質で画面で見たらまた、写真見たんですよ。何回のファイル?
クリアファイルがね。
クリアファイルもらって、すごいよく撮ってるから印刷だけど。
肉眼で、私老眼結構きついから、なかなか見づらい。
メガネをちゃんと描けないと見えないんだけど。
近くで見れば見るほど、言い方を選ばずにおぞましさを感じる、怖いくらいの成功さがあって。
そういう意味で超絶技巧って言われるところはあるんだろうなっていうのは。
超絶技巧っていう文脈で語るのは前回話したんですけど、
番組では明確にお茶の間の方に向けて言葉を使われてたんで、それの感想だよね。
今、小さな画面で見ちゃったけど、大きな画面でNHKの公開像度で見たらすごい迫力だなっていう想像。
昔住んでた世田谷のところにNHKの研究所がたまたまお散歩コースにあったんですけど、
8K放送とか誰でも見れるんだけど、あそこで見たら結構すごそう。
すごいなろうね。
すっげーでかいので8Kで見た。
8Kで見ると距離感が違うんですよ。
あとスピード、アイススケートちょうど見てたんですけど、ぬるっとした感じで、
回転してる人の顔の表情まで見えてて、肉眼だと絶対見えないから。
4回転をぬるぬると見るっていうのは変な気分になるけどね。
実際の本編では、前回のエピソードで須藤さんの今回の出品された作品で言うと、
均衡っていう中でも細かく分かれている聴筋であるとか単筋であるとか造眼っていう、
いろんな技術が複合的に入っている作品なんだって話でしたけど、
そこの各工程が全部とは言わないまでも、結構割と全体の手順を見せるっていう構成になってましたけど、
あれだけの作業を見せようと思ったら、10分くらいの尺でしたけど、なかなかですよね。
そうですね、もう半日6時間くらい撮影あったんでね。
ずっと見てるんですか?作業してるんですか?
いやいや、まず物撮りとか、今回は使わなかったですけど、普段どういう仕事をしているかとかも撮影したりとか、
他の作品も撮っておこうかとか言って、途中で坂本美宥さんが来られて、作業しているところを撮って、
帰られた後また撮り足りない作業のところを撮るみたいな。
思ってたより盛り上がって、もうちょっと芸能の仕事をされている方だし、
カメラ止まったら、もうマネージャーさんとメイクさんとかなと思ってたんですけど、
カメラ止まっている時の方が盛り上がっているんじゃないですかっていうのを、
ディレクターの人がカメラ回っている時に盛り上がりましょうかという感じだったので、
すごく興味を持ってくださって、マネージャーさんもメイクさんも積極的に質問してくださったので、
すごくいい時間だったんですよね。
すごいゲスの相方すると坂本美宥さんだったら須藤さんの作品買えそうですよね。
すっごいゲスです。
ちょっと彼女の年下ですけど、同年代らしい。
これは正しい言い方かわからないですけど、
自分が作品とか、もしくはやっていることを通して何を人生で果たしていきたいかとかって、
年々と共に変わっていったりするじゃないですか。
人生の今のタイミングが近いというのはね。
そこで共通点もあったのかなっていうのもあって、なのですごく盛り上がった。
坂本美宥さんが出ているのは、もともとずっと出ている?
ずっとに変わるじゃないですか。
去年は出ていた。
番組として出ているというより工芸展の?
工芸展のやつに坂本美宥さんは去年も出て。
今の日曜美術館のキャストの中でメインで出られている。
MCの方ですね。
美術館のちょっと不思議だったのが、日曜美術館って日曜日に美術館に行きましょうねみたいな。
勝手に私解釈。
美術館の展示の告知は兼ねているからね。
こういうの今やってますよとか、こういうアートありますよとか紹介をノマにする番組。
教育的な視点もあるけど、
工芸のなんで日曜美術館で出したんだろうっていうのが。
いいね。
その素朴な工芸展を美術館で説明っていうね。
そこから行きましょうか。
誰が答えられるの?
実はそういう話がちょっとあったんです。
大きい芸術の中で、工芸というジャンルは当然一つの大きいジャンルとしてあるじゃないですか。
その中で番組で工芸を特集するときって、だいたい昔のものなんです。
初音の長度がどういうふうに、そういう芸のメインになるんですけど、どういうふうに作られたかとか。
その時に語る人っていうのは学芸員なんだと。
だから一つの研究の成果だったりとか、もしくは主観が入っている意見だったりとかする中で、
工芸、特に伝統工芸のそういうものの中で、作者が自分のものについて喋れるっていうのは実はあんまりないんですよね。
だから切り口としてはすごく重要なんだと。
伝統工芸の回っていうのは。
毎年決まった時期に放送があって、それを楽しみに見てくださってる人もいるので。
だから今おっしゃったように、アーティストは特集があってね。
45分間一人の方をずっと流すとかっていうのもあるんですけど、
工芸ってなると本当にすごい長い時間の流れの中で、いろんな切り口で喋れてしまうので、
その中で今の特に工芸の中では若手って言われる僕たちの世代も含めた作り手が喋る時間がもらえるっていうのはね、
そういう意味で言うとすごく今回反響も大きかったんですよね。
それは須藤さんに感想が結構来たとか、見たっていう反響。
だからSNSとかで来ないですよ。
見たんですか。
見ましたみたいなの来ないですよ。
来ないですか。
知らない人からね。
たぶんゼロじゃなかったですけど、数件は来ましたけど、どんな人かわからないですけど。
やっぱり親とかね、全然こういう仕事じゃないんで、何やってるかもわからない。
息子が何やってるかも、どういう地位にいるかも、何をしているかも全くわからないような人間なんでね。
それぐらい日常的に触れてる人間じゃないので。
テレビで紹介されたっていうのが1個ね、基準としてはね。
喜んでましたね。
なんなら鳥っぽい扱いで、いろんな作家さんが紹介されてて、
ロケが入ってなくて、静止画ベースの作家さんもいる中で、結構伝え方に力が入ってたとも取れますよね。
最後はっていうふうに言うと、構成的には結構重要じゃん。
それで番組が締めで終わるんだ。
ご覧になる方の多くは毎年楽しみに見てくださってる方が多くて、
ということは必然的に知識もついてる、もしくは自分で研究もされてる方の中で、
やっぱりどうやって作ってるかわからないものを、なるだけ尺を多く取りたいっていうのがやっぱりだから、
これは一体何なんだと。
金属なのはわかってるけど、一体どうやって作ってるかも、何をしてるかも。
僕はちょっとこういうふうな錯覚を生かしてるとかって話もしたんでね。
どういうふうなとこに人間っていうのはどういうふうに感じるかとかっていうのって、
工芸で普段あんまり出てこないような話なので。
もうちょっと言うとわかりやすくもあると思う。
そっくりならそっくりだけでいいので。
だからそこに表現の話も当然色々あるんですけど、
表現の中でもどちらかというとデザインに近いような表現の話ですね。
柄のサイズをどうやったらバランスがいいかとか、左右のバランスがどうかとかっていうような話っていうのは、
もうちょっと抽象度が低いというか、より本当に可愛いかどうかぐらいの話なので、
難しい話にもなりにくいですし、
そういうので最後にメインで見えるような感じで伝えてくださったのがそういうことだと思うんですよね。
あと最後のメッセージ性はあったなって思う。
ただちょっと前回の話聞いてて、
その時代を感じさせないけれど、
やっぱりもうすでに明治ですごい人が、あの方何でしたっけ?
うんの正明さんね。
うんの正明さんの表現とその技術力、
パッと写真でしか私見てないけど、
それだけパッと見てもなんかすごいみたいなのが伝わるから、
その人っていうのがもういてっていう話を、
須藤さんが言って、
言ってたのがなんかもうすでに証明できる、こういうことはできるんだよっていうのを見せてくれてて、
もう君たちは環境が整ってるんだから安心してやりなさいよっていう風に、
須藤さんも多分それ誰かに向けて言ってるように聞こえたっていうか若手の人たちに。
で、なんかそれやっぱり工芸やってる人じゃなくて、
私が聞いてもすごい大事なメッセージがあって思ったから、
やっぱ最後にすごくいい。
もっとねいっぱい撮ったところはあったんだけど、
あれを編集の意図で残したのがメッセージあるなって話したよね。
だから番組上はね、坂本美宇さんが急に上の堂まで出たらっていう話をされたと思うんですけど、
あの前に僕がこの小林ラジオで1回目も2回目も多分いたと思うんですけど、
技術っていうのはより表現を開放するためにつけるべきであって、
っていう話は特に工芸作家としての顔のことだけを言うと、
やっぱりそれはすごく強く感じているので、その話をしたんですよね。
そのために技術がいるんだって。
多分ね、余計なこといっぱい言って長くなった。
全部切られたんだと思うんですけど。
唐突に坂本さんが急に高音の堂とかって言ってるような構成になってますけど、
実はその話をして、
ここで彼女が、つまり音域もより広く出せるようにもしなれば、
そういうことですよね。
作曲づくりとね。
曲がより自由にできるっていうことですよね。
例えばわかりやすかったですよね。
そうなんですね。
だからその話で言うとね、ちょっとワングリの話が逸れていきますけど、
新しい美を求めるような番組のタイトルがあったりとか。
もしくは新しい美だった。
僕の作品解説をしてくださった審査員の先生が一人、
学術担当と言って作り手ではなくて、研究をされている方が書いてくださったんですけど、
最後に新しい風が吹いたって書いてくださった。
それ書いてあったわ。
書いてあった。
一個、これ本当にいいのかっていう話が出たっていう、
先週後半しましたけど、
つまり新しい風が吹いてほしくない方もおられるわけじゃないですか。
っていう一つ、新しい風って表現っていうのは、
まさに自分が今の伝統工芸界の美意識に対して、
どういう立ち位置なのかっていうのを、
それぞれの作り手の方のスタンスというかね、
それは別に表明されるわけではないですけど、
実覚していくポイントになっていくと思うんで、
それを書いてくださったのはすごく嬉しいっていうのがある中でなんですけど、
僕個人的には自分の作品が一番伝統的だと思ってるんですよね。
会場に並んでる中で一番伝統的な要素が強いと思ってて、
他のものはすごく表現的だなというか、
現代工芸だなと感じてるんです。
それが新しい風だったりとか、もしくは新しい美だったりとか、
もしくは会場ですごく浮いてる状態になってるっていうのが、
どういう風にずれてきたんだろうというのは、
自分の認識と作家さんの認識がずれたこともそうですけど、
伝統工芸の話をずっと話してきましたけど、
先週も話してきましたけど、
技術力とか写実性とか、もしくは作画を使っていくのとかっていうのは、
ずっと駆使してきたものなんですよね。
工芸、形っていうのが。
だから明治期にすごく美術工芸が盛り上がったっていうのは、
番組でもお話してるんですけど、
でも振り返ると数十年なんですよ。
200年じゃないんです。数十年なんです。
美術工芸っていうのは盛り上がったのは。
その前はもっと大名に属してる人たちが、
すごいものを作ってただけであって。
ただやっぱり、
例えば、明治期の名工たちの効果の原型を掘ったりとか、
そういうこともされてるんですよね。
だからすごい技術力と表現力があって、
僕の作品を見て感動してくださる方、
それは非常にありがたいんですよね。
ただ本当の技術だけで言うと、
一度財布からコインを出して見ていただきたいんですよ。
本当にすごいんで、コインって。
それを昔は手で原型を掘ってたんだっていうのは。
今のじゃなくて、昔の。
昔の明治時期の。
でも今のも多分誰かが掘ってると思います。
例えば五円玉とかね。
確か国家公務員で工芸館とかしてますよね。
そうです、そうです。
お札の原型を掘ったりとか。
そんなのどこにあるの?
造幣局とか。
大阪の?
多分東京の造幣局に数人の工芸館っていう公務員の方が、
貯金とかの違法で、
今の新しい渋沢の一万円札の。
確かお札とコインが別なんですね。
コインは確か大阪で作ってる。
原型はその技館がおられるので。
本当にそうかわからないですけど。
工房があるってこと?
工房があるってことです。
それは今回出品された方の一人が、
勲章とかを作ってる方なんで。
大阪の造幣局で。
勲章とか。
勲章とかを。
その方も上勲で勲章もらってましたけど、
自分で作ったやつ。
伐伐の記念の、
ミャクミャクの500円効果とか。
いろんな仕事あるんですね。
それ聞いたら、
ミャクミャクの効果、
急にハットキャブの方で後悔して。
フレアン工場を作っておられる方がおっしゃってたのは、
自分はとにかくきっちりした直線を彫るっていうのが、
普段仕事でずっとやってきたから、
その方は四角を組み合わせたようなデザインの柿だったんですけど、
曲線より直線の方が得意だっていうのを、
ご本人はおっしゃってたんですよ。
やっぱりちょっと、
普段の仕事が出るんやっていうのを。
非常に上手なというか、
上から言うわけじゃないですけど、
さすがに技術力が高い。
これはわからないんですけど、
一般の方はね。
わかりにくいんですけど、
非常に技術力が高い方だったんで。
真っ直ぐやる方が難しいんですか?
どちらかということは、
どちらもどちらの難しさがあるので、
ただその方がやっとられたのは、
やっぱりすごい薄い板厚のところに造画していくっていうのをやられたので、
それは難しいんですよね。
普段の仕事が出ちゃうっていうのは、
表現的にいいことなのかどうなのか、
みたいなのはどうなんだろう?
僕、後輩で仏の聴規やってるやつがいるんですけど、
町で辛草を見たら、
あとここに何個辛草を足せるとか、
あれをもうちょっとここに足した方がいいとか、
考えてしまうらしいんですよ。
もう無意識に考えてしまうらしくて。
そんなもんですよね。
プロというか職人さんってそういうものなんで。
作品を作る時にそれが出るっていうのは、
良くも悪くも出ますよね。
無関係ではいられないでしょうね。
感覚的に。
さっきの須藤さんの話に戻ってたんですけど、
ある意味復古的な作風の須藤さんの作品が、
新しい風っていう風に捉えられる現象っていうのが、
須藤さんの目から見ると、
他に並んでるものって、
年代でいうとどのくらいの時代に出てきた潮流のものが、
今の伝統工芸店の主流のラインにある感じですか。
ある意味、すごく昔からあるんですよね。
それは明治より前から。
もっと平安とかもしかしたらもっと前とか、
あるようなもののずっと流れではあるんです。
これが今を見ると、
作家性がもうちょっと出てきているもののほうが今って多いので、
今というか明治期の頃、
美術っていう概念ができた頃ですよね、日本の中にね。
工芸っていうものがそもそも大名を抱えとかだったのが、
美術っていう概念が出てきて、そこに工芸も挑んでいった時に、
作家性を強く出すっていうのは戦略としても大事だったと思うんですよ。
産業革命もありますよね。
だからそれと並行して手仕事の価値をアップデートしないといけない。
技術の話だけ最初はついしてしまうんですけど、
技術の仕事だったらそれは職人さんなので、
自分は職人としても生きてきたし、今回作品を作る時は作家なので、
作家っていう時にこれどうだっていうのを出すんではなくて、
自分の表現に文化的なバックグラウンドを込めたいっていうのが、
伝統工芸の一国魅力かなと思ってるんでね。
それをやって、それが新しい風だって思うっていうのは、
もうちょっとこちらはこういうものはこういうもので、ずっと残してくるべきだったんじゃないかと思ってるんですよ。
見えないギャップをめっちゃ、僕も何とも言えんけど感じますね。
なんかさ、実質新しい風ではあるんじゃん。
そういうアプローチしてる人がさ、今回展覧会見たけど、
私ただ単に分かってない可能性90%あるんだけど、
あんまりそこまで伝統的な意味性をめちゃくちゃ入れ子のように入れているような作品ってあったのか。
須藤さんの作品は分かりやすく、さっき須藤さんが言ってた超絶技巧っていう文脈でも見れなくもないですよ。
なぜならばあたかも布が再現されているようなやつだから。
だから見どころがさらに深く奥行きがあるっていうことは話を聞いて保管をされる部分もあるしっていうところだよね。
そういう作品、他の作品との違いを今見てて。
僕がそう感じたのは、こんなに自分の話なんだと思ったんですね。
他の作家さんの作品を見たりとか、やろうとしていることを聞いたりとかしたときに、こんなに自分のことを喋るんだっていうのは、
個人的な話を、問題を話すんだっていう。
これは前回僕がゲストで呼んでいただいたシーズン2でしたっけ。
シオフさんが、これも覚えておられないと思いますけど、おっしゃってたのは、何台かに渡って一つの作品を作るようなことってないんですか?
言ってたね。
そう言ってたでしょ。
例えば呼吸美術館とか呼吸博物館とかってあるんですよね。
像下の玉みたいなやつとか。
それは確かになと思ったんですよ、あのときね。
だからすごく覚えてるんですけど。
俺はここまでやったで。
あと、続き頼もうかなっていうのが、
僕は明治期の職人さんたちがそうやって言ってると思ってるんで勝手に。
だから僕も自分がここまでやったよって。
誰がこの俺の人生を使ってここまでやった。
お前の人生を続きやるのに使わせてくれよっていうのを誰かが引き継いでくれるか探してるんですけど。
だから伝統ってそういうものだと思ってるんですよ、自分が。
その中で自分がっていうのをすごくおっしゃるんで。
特にすごく短期的な感動だったりとか。
この風景を見て感動したとか。
でも毎年毎年作っていくんですよ。
1年に1回あるので。
毎年出されてない方も多いですけど、毎年出されてる方もおられる中で。
1年の中でモチーフを決めて作っていくってなると。
こうなるかという。
俺がこう感じたんだみたいな話だけだと。
良い作品になっていくかっていうのはね。
大丈夫ですか?こんなこと放送して。
たぶん毎年作んなきゃいけないっていうある種の例えば。
締め切りがある状況に人間が置かれた時に。
目線って近くなりがちだよねみたいな話かなとも思ったのよ今の話って。
そうなると現代工芸って言っちゃっていいんじゃないと思った。
僕は会場でお話しする時にもお話しさせてもらった話なんですけど。
今回の模様っていうのは両方ボタンの模様なんですよね。
ボタンの花からこの模様まで一人で到達させたわけじゃないと思ってるんですよ。
すごい長い時間かけてこういう模様ですら出来上がっていったんだと思ってるんですよね。
だから伝統工芸の強みというか、歴史的な積み重ね、経験則みたいなものって
簡単には打ち勝っていけないんですよね。
そこの凄みはすごくあるんで、その運の正味がいかに凄いって言ったって
だけどいろんな古典を採用しながら作ってきた人なんですよね。
こんなのどうだって言って見たこともないものを生み出した人っていうわけではなくて
そのときしましたけど
何だろうな
紙のことでいうと
対立する概念として洋紙っていう
西洋の洋紙っていうのがありますけど
市場は相当混ざってるわけです
別に分離しないわけです
だから僕も紙扱ってて
これ和紙洋紙って聞かれたときに
和紙っぽい洋紙ですね
和紙っぽい洋紙
それも何の具体的な基準もなく言ってたりするんですけど
でもそういう感じで
そうねみたいな感じに
慣れちゃうところは
今の審査員の方があまり詳しくない分野を見ないといけない
状況と似てなくもないなとかって思ったり
今岩田さんの話聞いてすごく僕は感じたのは
明治期の美術工芸っていうのは
でもやっぱりそれも政府が旗を振ってた
だからそのときのエネルギーみたいな
一個の方向に向かってガーッと動いていこうとするっていうのは
やっぱりあるのかもしれないですね
だからもしかしたら今のホワホワした感じっていうのが
ある意味民主的という言い方があっているかわからないですけど
自治があるといったらあれですけど
それがいいのか悪いのかっていうのは
今の時点で判断することはないと思うので
それはそうかも
誰がやっているかって結構大きいと思っていて
文化庁がやっているのか外務省がやっているのか
全然やっぱり違ってきちゃいそうな気がする
今クールジャパンってまだやっているのかいって
まだやっているんですか?
やっています
続いています
変な豆知識もらったんだけど
前にも話したと思うけど
イギリスで失敗したからクールブリッドなくなったんだけど
だけど日本はなぜその名称で続けているかというと
外務省が日本のものを外に出したいということでやっている
クールブリッドってイギリス人が言うのは分かるんですよ
分かるという意味は
彼らが英語話者だから分かる
なんで日本人がクールジャパンって言わなきゃいけないのから
見直さないといけない
前例主義だから日本がクールブリッドうまくいったんで
一時だけたった数年しかやっていないんだよ
ブレアッションの時くらいにやって
それで音楽とか現代アートとかファッションも
イギリスは落ち目というかあまり注目されていなかったけど
今はまだ続いているじゃん
イギリスのファッションデザイナーとかも
音楽もだってさ
音楽は少し音楽よりでしたけど
イギリスの文脈はちょいちょい喋りました
あたかもクールブリッドのおかげみたいに
捉えられていけそういうことではなくて
各分野が頑張って続けてきているから
別にわざわざクールブリッド言わなくてもやれちゃうわけなんだけど
日本はそうでも言わないと
外に出す時にお金欲しいという仕組み
日本のファッションデザイナーとかも
全然外で活躍しているようで
実はそんなに出ていないんです
それで思い出したのが
須藤さんが前回の話で言っていたのと近いんですけど
タンというインド系のイギリス人がファッションでやる
防具の編集者とかがやるコンペティション形式の番組があったんですよね
そこに出てくる人とかで
ずっと自分の地元で服作ってましたという人もいれば
2,3組毎回いるのが
セントマーチンとかでパターニングも
ソーイングもがっちり積んできた人が絶対に残っているわけよ
それは須藤さんが言っていた
縫製とかって手抜けないじゃんっていう
ベーシックの基礎体力がそういう人たちとは違うんだよね
だから作りがいいわねとかっていう話があり
そこで波乱が起きたのが
ストリートファッションの回だったんですよね
黒人の審査員が静かに怒り狂って帰るって回があったんですけど
そこでやってた若い黒人の女の子2人組がいて
ブルックリンのニューヨークの郊外でもないところから来た
ほとんどストリートから来た子で
この子たちはすごいストリートの文脈分かっているし
めちゃめちゃ見どころがあるって言ってて
そのゲスト審査員ストリートの審査員がいて
他の人とかが全然見向きをしなかったのが
法制が荒かったんですよね
それってすごい絶妙な話だったんですよ
そこもイギリスとかが主導している
セントマーチンとかでがっつり基礎体力を
セントマーの人たちは法制がうまくないっていう
テイラーの勉強していたマックイーンとかが
セントマーチンとかのイメージがあるから
法制がうまいとか思っているけど
本当にピンキリ
あの番組に来ていたセントマーの子は
みんなうまいとは言われていたけどね
法制もパターニングも
たまたま
そういう選ばれ方
そういう推薦されていたんじゃない
セントマーチンも名前を言いたいから
RCAもセントマーも
イギリスでファッションで言うとかなりいいけど
RCAの人も西方めっちゃみんなうまいんですか
って言うと
西方のトレーニングしてこなかった人だって
ファッションいる
話戻すと
クールブリッドの賞味期限ってまだ続いてるんだっけ
の話なんだけど
終わったけど続いてる気がしてはいたんですよね
ファッションとかでも僕はね
だからアウェイキングになったっていう
その気づきを与えた
だから自分たちの持っている文化っていうのが
結構なんか海外でも
ちゃんと通用するっていう感覚を持てたきっかけだったっていうのが
クールっていう言葉でちゃんと表現できてましたよね
なんだけど
クールジャパンがどうして残念って言われがちかっていうと
そこがまだみんな実感として
クールジャパンって言って伝統工芸つけられても
クールとか言わないでほしいんですけどってなっちゃうし
外で通用するんだっていう感覚っていうところまでの話にならないじゃん
文化庁がやると全然クールジャパンにもならないから
ちょっとそれに関連して話になるかわからないんですけど
作品を売っていくっていうのは目標の一つだと思うんですね
作家にとってね
そこの感覚っていうのは
外務省なのかわからないですけど