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2024-07-18 23:31

#561 身近な人ほど話を「聴く」のは難しい

皆さんからの人生相談にお答えしています。
心がやすらぐ、前向きなメッセージをお届け!

#551[対談]夫のささいな発言に謎の怒りが止まりません
https://stand.fm/episodes/6671261177909c8674d00372

【放送のもくじ】
オープニング
レター:気持ちをすっきりして手放せました
身近な人ほど話を「聴く」のは難しい
傾聴は奥が深い
身近な人には自分のエゴが出やすい
まとめとエンディング

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#夫婦 #レター返信 #心理カウンセラー #傾聴

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サマリー

最近の気づきでは、身近な人ほど話を聴くのは難しいと感じています。男性は問題解決型で共感しない傾向がありますが、女性は共感してほしいだけの場合があります。心理カウンセリングでは、傾聴だけでなく、自分の声も重要視されます。身近な人ほど話を聴くのは難しいという実感があります。

身近な人ほど話を聴くのは難しい
みなさんこんにちは、わたなべ大輝です。このチャンネルでは、リスナーの皆さんからいただいた様々なご相談に対して、「自分を満たして自分らしく生きる」をテーマに心理カウンセラーである、わたなべ夫婦がお答えしていきます。
今回のテーマなんですけど、「身近な人ほど話を聴くのは難しい」という僕自身の最近の気づき、考えをシェアさせていただこうかなと思ってます。
その前に、一通ね、レターいただいているので、こちらをご紹介したいと思います。ぜひね、最後までお付き合いください。
はい、じゃあレターなんですけども、なべとむねむさあちゃんです。この方ね、第551、第551回の
夫のね、些細な発言に謎の怒りが止まりませんっていうね、あの夫婦対談でお送りした回にご相談いただいた方から続報ということでね、レター感想をいただいてますのでご紹介します。
さあちゃんですね。第551回、夫の泥棒みたいに怒りのレターを送ったものです。お二人でお話ししてくださりありがとうございました。
この方ね、朝のランニング出かけるときに全身真っ黒の服を着て、まあまあもう黒やけど、全部真っ黒やけどいいかと思ってランニング行こうかなと思ったところ、
夫にね、泥棒みたいと、その服がね、その格好が泥棒みたいって発言があって、なんかそれを受けてやたらなんか怒っちゃったと、イライラモヤモヤしちゃった。
もう自分でもわからんぐらいね、なんでこんなモヤモヤすんにゃろうっていうことで、この気持ちは何なんだろうかということでご相談いただいたんですけども、はい。
放送を受けてですね、感想をいただきました。まず一つ目に、その日ランニングをあまりしたくなかったのはその通りだと思いました。
乗り気じゃなかったけど、早よ行こう。とりあえず適当に着替えて、かわいくない格好だけど朝だしまあいいかという気持ちでした。
そもそもランニングにウキウキでね、出かけるっていう感じじゃなくて、まあ行かなあかんなと、早よ行こうかと、しゃあないなっていう、ちょっとこう、そういうね、マインドやったってことですよね。
二つ目、自分にとって身だし並みを整えることの大切さ、生きるか死ぬかレベルも確かにと納得でした。
アラートが鳴るっていう由美さんの表現がめちゃくちゃしっくりきて、あの時の自分の感情をやっと消化できそうです。
そして身だし並みが大切だと自分の中にある価値観はどこから来ているのか、過去の経験から掘ってみたら思い当たることもありまして、
そうだったんだ、そういうことかと、これまた負に落ちて、すべてが繋がって、だからあんなに怒りが湧いたんだと自分の感情が理解できました。
すごいですね、そこまでもう内省されてね、自分の中深掘りされて。
本当にありがとうございます。由美さんもおっしゃっていた通り、これでスッキリして手放せます。気づかせてくれてありがとうございました。
はい、というさあちゃんのレターです。ありがとうございます。
まあほんま生きるか死ぬか、それぐらい大事なことだったのかもしれないんですよね、さあちゃんにとってね、この身だし並みを整える。
だから、まあかわいくないかっこいいけどあさだし一家っていうのはもう最大限の妥協。
ね、もうしゃあないと、やなんはわかってるけど、まあ一家って言った矢先に泥棒みたいって指摘されたのは、
なんていうかな、もう一大事なんですよね、一大事。で、まあその前の放送でもね話してた通り、その生きるか死ぬかレベルで大事な価値観であるというのを、
まあなんか自覚してたり意識のレベルで感じてたら、そんだけ大事なことやのに、まあ泥棒みたいって言われるのが嫌やとか。
ね、そもそもそれぐらい大事な価値観なんやったら、まあかわいくないけど一家って妥協せんと、ちゃんとそこをしっかりしようねと。
身だし並みもね、ちゃんとお着の服で出かけようよってちょっと立ち止まれたりとか、まあわからん、こう自分なりにね、何かこうそこに向き合ってあげることができるかもしれないですけど、
これ厄介なのがやっぱ無意識とか潜在意識とか、その自分がこう思考して考えてるのよりももっと深いところで勝手に思ってしまってたりすることなんですよね。
これはもうみんな、お金少なかれある僕もね、あるんですけど、無意識のうちにそういう判断、思考になってる、価値観になってるっていう。
で、それに支配されてしまうと、やっぱどっかでちょっとこうしんどいなって感じたりとか、ほんまはね、ほんまはこうしたいなと思ってるのに何かできひんな、何かそうさせない自分がいるなってこう引っ張られたりすることもあって。
まあそのね、自分の中にある大切な価値観を見てあげて、ああそういうことだったんかって気づくことで、
例えばさあちゃんのように、そういうことかってふに落ちて、すべてがつながって、そんな自分がいたんやって、何かこう分かってあげられる気持ちが落ち着く、
そんな感覚になったりすることもあるんですよね。これ結構カウンセリングとか、心理的なセラピーとかでも起こったりすることなんですけど、
ああ、こうやったんや、みたいな、気づきみたいな、ふに落ちる、つながっていくみたいな感覚が得られたりすることもあるんですけど、
さあちゃんのね、レッターいただいて、僕らのお話聞いて、ちょっとこうどうかなって考えられて、何かつながった感覚があって納得できた。
自分の気持ちが理解できて、ちょっと落ち着いたっていうことであれば、それはね、良かったなって思います。
はい、あれからね、感想、レッターいただきありがとうございました。
さて、というわけで本題なんですけども、身近な人ほど話を聞くのは難しいっていうことですね。
これ、まあちょっと僕最近、あ、そういうことかって実感したんですけども、
男性と女性のコミュニケーションスタイルの違い
よくね、例えばですよ、男はね、問題解決型で共感しないと。
何か相談してもすぐああしたらこうしたらというと、女は違う。ただただ聞いてほしいだけやと、共感してほしいだけ。
うちの彼氏は、うちの夫は、何か話振ってもすぐああしたらこうしたらって言って、全然私の気持ち理解してくれない、寄り添ってくれないっていう話はよくあると思うんですよ。
そういう放送も今まで何回かしたこともあります。そういうご相談をいただいたこともあります。
よく男は女はって言って、なかなか話を共感するのか問題解決なのかみたいなので、男女の違いみたいなんで語られたりもして。
うちの家庭でもそういうことはよく起こります。
はい、僕が問題解決型で、ユミが共感してほしい、でも僕が問題解決としてああしたらこうしたらみたいなを言ってしまって、もう今そんなんええねんっていうのはついこの間もありました。
それぐらい別にそうじゃない家庭もあると思うんですが、そういうケースって結構多いと思います。
これ男女に限らないですよ。一応ね、よくある話として男女っていうのを言ったんですけど、女性同士の会話でもすぐああしたらこうしたらって言っちゃう人もいると思うし、
ねんを聞いてほしいのにみたいなこともあると思うし、男性同士の会話であってもあると思います。
でね、この現象を最近学んで実践しているカウンセリング心理学っていう観点から説明するとまた違った見方ができて面白いなと思ったんで、ちょっとお話ししたいんですよ。
僕自身、カウンセリング心理学を学んで実際もやり始めています。
それは何をやり始めてるかっていうと、人様のお話を聞かせていただくっていうことなんですよね。聞くっていうことです。
で、その心理カウンセラーっていうお仕事が何であるかっていうと、その人の話を聞かせていただくっていうことに、
そのあり方であったり、姿勢であったり、あるいは聞き方であったりっていうのに、プロとしてのお金もいただく価値がしっかりあるからこそ、心理カウンセラーっていう職業がちゃんと成り立ってる。
聞いてほしいっていう需要があるし、聞かせていただくっていう価値の提供ができるっていうことで、職業としても成り立ってると思うんですよね。
なので、その人の話を聞くっていうことが意外と奥深いんですよ。
誰でもできる、難しいっていうのが、大変ですよとか誰でもできるわけじゃないんですよっていうのを強調したいんじゃなくて、奥が深いっていうことが言いたいんですよ。
で、この間の心理学に関してお話しした放送でもちょっとしゃべった、補足で書いたんかな。書かせてもらった通り、心理学って言ってもいろんな心理学があるし、
カウンセリングって言ってもいろんなカウンセリングのやり方とかその時代によって違ったりもするし、その考え方、人の考え方とかによっても違うので、
一概に全員そうっていうのは言えないんですが、僕が今やってる心理学カウンセリングでは、傾聴って言われるようなあり方が結構大事にされてるんですよね。傾聴。
この傾聴って言葉は結構聞いたことある人は多いと思います。割と浸透している言葉、傾くに聞くですね。
と書いて傾聴なんですけども、これを結構大事にしてますと。傾聴って言うとどういうイメージですかね。
否定せず聞くんでしょうとかね。うんうん、はいはいって言ってとりあえず聞いとけばいいんでしょうとか。
相手が言ったことを概しにしたらいいんでしょうって、ちょっとご存知の方はもしかしたらそう思われるかもしれないですが、
実はその傾聴って、僕が今やってる分野でいくと、全然それじゃ足りないというか、それが傾聴とは言い難い、実はあり方なんですよ。
どっちかというと、昔の時代の傾聴みたいな感じで、ただただ聞いてりゃいいんでしょうみたいな姿勢は、僕が求めてる傾聴とは違うんですと。
ちょっと想像してほしいんですけど、否定されないっていうのは確かに嬉しいですよね。
何か話した時に、いやそれは違うでしょうって言われたら、え?ってドキッとしちゃうと思うんですけど、
そうですかそうですかって否定せず聞いてもらえるのは嬉しいと思うんですけど、
そうですかしか相手が言わんかったとしたらどうですか?
ほんまに話聞いてるって思うと思うんですよ。
何かこういうことがあってとかああいうこと思ってとか言って、そうですかそうですか、はいはいそうですかしか言わんかったら聞いてる話って私の気持ちわかってるって思うと思うんですけど、
いやそうなんですよ。ただただ吐い吐い否定せず吐い吐い言ってりゃいいかっていうとそうじゃないんですよ。
ちゃんと相手の話に関心を寄せて
あなたのありのままを受け止めますよっていう姿勢
そしてあなたが感じてることを
まるであなたかのように感じさせてもらう
心理カウンセリングにおける傾聴と自己対話
そしてそれは自分を消して
こう聞いてる相手になるんじゃなくて
自分の今の感情とか気持ちも感じながら
相手のお話であったり
感情気持ちも感じてっていう
もうなんか双方向の対話も結構難しい
専門的な話になってるんですけど
自分とも対話しながら
相手とも心の対話をしながらっていう
もう二人で築いていく時間っていう感じなんですよ
経長ってそれぐらい奥深いものなんですね
僕の捉え方としては
だからまあどういうことって思われたかもしんないですけど
ただただはいはいそうですねそうですねって聞くだけ
聞き方、言い方の問題じゃないし
相手が例えばこんなことがありましたって言った時に
そんなことがあったんですねって
単純に概しする悲しかったんですって言ったら
悲しかったんですねって
その技法としてスキルやり方として
単に概ししたらいいよとか言う
そんな話ではなくてかなり深いんですよ
だからこそ難しさっていうのがあるし
なんかこうスキル本を読んだら
明日からできるようになるかっていうと
そうじゃなくて自分との対話でもあるので
ほんまに自分と向き合いながら
何ら培っていくというか
ある意味一生一生の旅みたいなのが
このカウンセリングであり
慶長でありっていう心のことなのかなっていうのを
最近捉えてるんですよね
でね実際こうカウンセリングであったり
人のお話を聞かせてもらう時に
自分の声っていうのもね
やっぱり聞こえてくるんですよ
カウンセラーと言っても
なんか神様仏様ではないので
同じ人間なんですよ
同じ人間なんで話をね
慶長させてもらうと言っても
自分の心の声っていうのは出てくるんですよね
それは例えば
ほんまに辛そうやなって
寄り添うような言葉かもしれんし
一方でなんでそんなに悩まれてんにゃろうって
ちょっとフラットに思ってしまう自分もいたり
それやったらこうしたらいいのにって
どういう行動したら良さそうかって
アドバイスしたくなる自分が出てきたりもするんですよ
でその時にじゃあこうしたらいいやんって
言っちゃうのはそれはもうカウンセラー
カウンセリングではなくて
ただの友達いらんアドバイスされる
友達と喋ってるのと一緒なんで
それはしないんですよね
身近な人との関係の複雑さ
もしこうしたらいいのに
例えばね仕事辛くて辞めようか
悩んでるんですって言われた時に
そんな辞めたらいいやんって
もし思っちゃったとしても
その思っちゃった自分にも寄り添いながら
じゃあ今の目の前のこの人と
どう関わっていこうかってするのが
まあ慶長的な在り方
そこでもう辞めたらいいやんって
ポーンって言っちゃうのは
お友達との会話なんですよね
っていうね
なんかその本来だから
自己対話しながらってのはそういうことなんですよ
出てきたものに対して
自分の気持ちにも寄り添いながら
じゃあどうするかっていう
まあそんな在り方なのではないかと
捉えていますと
でですよ
あの最初の話に戻りまして
そのアドバイスね
いらんアドバイスするとか
気持ちに寄り添って欲しいのにとかね
いう話があった時に
それじゃあ日常生活でできんのかって言うと
まあなかなか難しいなって思ったんですよ
いやそれはね
みんながみんなカウンセラーのような
カウンセリングのような会話を
日常の中で家庭の中で
常にせなあかんかって言うと
そんなことはないですよ
それこそ人間なんで別にね
いつでもその慶長的な在り方でいなあかんのかって
そうじゃないけども
でも一方でだからその気持ちに寄り添う
ただただ共感して欲しいだけやのに
みたいなそのだけやのにが
結構その奥深いよというか
高度な時もあるよっていうことを
なんかつくづく思ったんですよ
でなんで高度難しくなっちゃうかって言うと
これね身近な人ほど難しい
気がするんですよ
心許してる分寄り添える共感できる
そばにいれるっていう
その寄り添えるね力も高いんですけど
寄り添いきれない可能性も高いって言うかな
だからまあ両面あるみたいなで
なんでかって言うと
慶長的な在り方と聞く寄り添い
身近な人じゃないですか
身近な人なんで自分の理解とか
エゴが出やすいんですよ
身近な人ほど全然関係のない人やったら
ある意味フラットに
その人の状況を見れたりしますよね
だから例えばこうやってレターいただくっていうのは
まああの匿名でもね送っていただけますし
どなたかっていうのは
僕は存じ上げないことが多いので
フラットに家族がね
レター送ってきたとかお友達
リアルのお友達とか
普段から関わってる人が
レター送ってきたってなると
この人こういう人やしなとか
普段こういうふうに自分も関わるから
こうやなあやなとか
自分の市場がね入っちゃったりすることもあると思うんですけど
こうやってレターで匿名で送っていただくことで
フラットに客観的に見れるっていうのは
あるかもしれないですよね
もっと言うとさっき仕事を辞めるみたいな話を
ちらと例に挙げましたけど
なんかしんどくてね
仕事辞めたいんです
辞めるか迷ってるんですって話聞いた時に
フラットな関係で捉えて
自分のエゴを出さずにね
自分の利害とか市場を出さずに
寄り添って傾聴できたら
その人の気持ちに100%集中していけるかなと思うんですけど
それが例えば自分の家族やったとしたら
仕事辞められたら困るって自分が思っちゃったりとか
自分も頑張ってんのに
辞めたいなんて言うなんてずるいとか
仕事辞めてまた次の仕事探すとか
いうことになったら
生活不安定なりそうで嫌やなとか
逆に今勤めてる仕事が気に入ってないから
早く辞めてこういう仕事ついて欲しいなって
思ってたりとか
その人に対してその人の気持ちじゃなくて
自分のエゴが入りやすいですよ
身近な人って
そういう自分のエゴというか自分の気持ち
こうして欲しいなとか
ああして欲しいなみたいなとか
いつもこうやのにとかね
なんかそういう部分を持ちながら聞こうとすると
やっぱ寄り添うっていうのがなかなか難しい
こじれちゃうっていうんかな
っていうことにもなるんですよね
身近な人との難しい会話
だから身近な人ほど話を傾聴する
フラットにでも気持ちに寄り添って聞くっていうのは
難しいなでこの前も弓がね
妻の弓班がなんかちょっとこう
もやもやしする出来事があって
それは僕に対してじゃなくて
なんかあることがあって
もやもやしてるみたいなことがあって
でちょっと聞いてみたいな感じで
まあもやもやねして貼ったんで
明らかに気持ちがちょっと落ち着いてない感じで
まあどういうことがあったんかっていうの
話してくれたんですけど
それでね僕はじゃあこうしたらっていうのを
あのすぐ言っちゃったんですよね
でそうするともっとね
まず気持ち受け止めてよみたいな話になって
余計あちゃってなっちゃったんですけど
それね僕がなんでじゃあこうしたらって
すぐ言っちゃったかっていうと
僕の英語があったんですよ
多分何かって言うと
ハーンとね一緒に暮らしてて
やっぱりできるだけ
ハーンが穏やかに過ごしてほしいし
まあ少なくともイライラしたりね
もやもや抱えるよりも穏やかに
まあ楽しくできれば過ごしたい
でそれは弓が穏やかに過ごしてくれることで
僕も穏やかになりますし
同じね空間で生活してるわけだから
早くもやもやは解消してあげたいって
思っちゃってるんですよ
だからその気持ちに寄り添うことよりも
まずこうしたらいいやんっていう
解決の方をすぐ
すぐそこにね行こうとするみたいな
あこういう自分のエゴあったなーって思って
まあそれを反省したんですけど
いやーまあ出るよねと
うーん身近な人ほどね
慶長というやつはね奥が深いなと思った
出来事でした
だからどうするとかね
だからどうしたらいいっていう
結論は特にないんですけど
うんもうこれは日々精進ですなーっていう話で
まあまあでもねなんかこう
やっぱ自分が出てたんやなっていう捉え方
なんか僕にとって新鮮というか
あーそっかーってなったんですよ
なんかその聞くなんていうかな
その気持ちがね分からない人
共感できない人ね
私の気持ちなんで分かってくれないのとかね
自分はね相手の気持ちが分からない人なんや
人の気持ちに寄り添えない人なんやとかね
思われてる方も
もしかしたらいらっしゃるかもしれないんですが
とかまあ男女の違いみたいなね
脳の違いでとかいう
まあそんなもあると思うんですけど
まあ気長っていう観点で捉え直すと
んーまあそのあり方
聞く寄り添うっていうあり方は
結構奥が深かったりするんで
んーまあ身近な人であればあるほど
逆にその聞く寄り添うっていうのが
難しい側面もあるよなと
そんなことを思ったんで
今回の放送でちょっと気づいたことを
シェアしてみました
聞いていただいてありがとうございます
はいまあ特に結論はないんですけどね
こんなことを思いましたっていうのが結論です
えーというわけで今回の放送以上で
最後までお聞きいただきありがとうございます
えー放送へのねレターをお待ちしてます
感想やご質問あるいはご相談なんでも大丈夫です
アプリから気軽に送ってください
それではまた次回の放送でお会いしましょう
ほな
23:31

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