ビジュアル系の発展とピエロ
日々考察-ヒビコウラジオ。このチャンネルでは、広島でサラリーマンをやっているたしずんが、日頃の出来事に対して、あれこれと考察を加えていきます。
はい、ちょっと外で収録しているので、車の音とか入ると思います。ご了承ください。
えーと、今回、第249回ということで、今回のテーマがV系の常識を変えたピエロというバンドについて語らせてくれということで、
考察は考察でも、今日はね、真面目な考察ではなくてね、音楽のお話です。
V系という言葉、ご存知ですか?
まあ、ビジュアル系ということなんですけど、ビジュアル系、皆さんご存知でしょうか?
まあね、1990年ぐらいから、ビジュアル系バンドというのが出現するようになりました。
おそらく最も有名なのが、Xジャパンというバンドだと思います。
まあね、もともとXというバンド名だったんだけど、別の国にXというバンドがもうすでにいたんですよ。
なので、日本のXですよということですよね。Xジャパンに改名しましたと。
1900年に行ったXジャパンは、ちょっと今調べますね。
1982年に結成。おーすごいね。そんな昔からやられてたんですね。
1989年にメジャーデビュー。僕と同い年ですね。
なるほどね。で、そうですね。
あとは、えっと、あ、なるほど。バクチク。
なるほどね。バクチクっていうバンドも有名ですよね。
それから、あとは、そこまでメジャーシーンに出まくってた有名なバンドはそこまで多くないかな。
ベランジェとかね、結構ビジュアル系界隈ではかなり伝説のバンドって感じですけど、有名ですよね。
1989年に結成。ルナシー。おーいいですね。やっぱりルナシーが有名ですよね。
まあ、そんな感じで、えっと、結構ビジュアル系がメジャーシーンで流行った時期があったみたいですね。
Xとルナシーですよね、やっぱり。
で、あとは黒夢。なるほどね。黒夢ね。結構流行りましたよね、多分ね。
僕はリアルタイム世代じゃないんですけど、やっぱりちょっと年上の人、40前後の人たちにビジュアル系って聞くと、まあXが一番。
で、ルナシー、黒夢って感じかな。
で、まあその後、ラルク・アンシエルっていうね、今でも有名なロックバンド出てきます。
で、この人らはビジュアル系ではないらしいんですけど、一応、なんていうのかな、あの、ビジュアル系が好きな人たちから支持されてたという感じらしいです。
本人らはね、ビジュアル系じゃないですって言い張ってるらしいんだけど、
あの、やっぱり当時の音楽番組とか音楽雑誌で、ビジュアル系を好んで扱っている、そういうメディアにはやっぱりラルク・アンシエルは頻繁に登場してたらしいですね。
あと、僕の好きなラクリ・マクリスティーとか、いましたね、ファナティッククライシスとかね。
あの、あの人、あの人なんだっけ、しばらくちょっと止めて考えて思い出しました。ガクトさんのマリス・ミゼルっていうロックバンドですね。
なるほどね。それから、シャム・シェイド、ラピュータ、いましたね。ルアージュ、カリガリとか懐かしいな。
で、あの、女装しているイザムさんっていう人が有名なシャズナですよね。
今でもずっと現役で止まらずに活動し続けているのがプラスティック・トゥリーっていうバンドですけど、あ、すいません、もう5分以上話してるな。
今回はね、ピエロっていうバンドです。ピエロは事務所的にはルナシーとかと一緒。あとはラクリ・マクリスティー、シャズナとも一緒ですね。プラスティック・トゥリーとも一緒だな。
ピエロっていうバンドなんですけど、1900…何年だっけ?94年に結成…98年の9月…あ、もう忘れたな。9月10日だったっけ?メジャーデビューなんですよね。
結構ね、ピエロってすごくて、インディーズの頃にアルバム1枚とミニアルバム1枚とシングル1枚の合計3枚しかCD出してないんですよね。で、メジャーデビューしてます。
メジャーデビューと初期の活動
最後のシングル、最後にシングル出したんですけど、もうメジャーデビューに繋がるシングルみたいな感じで出したんですよね。
9月10日にメジャーデビュー。当時レコード会社が東芝EMIっていう、東芝系列の有名なとこですよね。そこと契約しました。
東芝EMIが何年ぶりだったかな?最初のデビュー曲のミュージックビデオに予算1000万円かけたらしいんですよね。誰々以来何年ぶりみたいな。当時は話題になったらしいです。僕はリアルタイムじゃないんですけど。
そうそうね。ですから、結構期待されてデビューしたっていう感じらしいです。
1999年の4月に日本武道館でワンマンライブするんですよね。
メジャーデビューしてから単独で日本武道館のライブをした日数が当時の最短記録だったらしいです。
6ヶ月と何日だったかな?6ヶ月と2週間くらいでしたね。
まあ面白くて、1999年、ロストラダムスの大予言の年ですよね。
99年の7月になんとかの魔王が生まれるみたいな。
そういうお話だったんですけど、メジャーデビュー98年にして、99年に初めてのアルバムを出すんですよね。
1枚目のアルバムのタイトルがフィナーレという、終わるんかいっていう感じのアルバムを99年の7月に出すんですよね。
だからめちゃめちゃ世相を反映して狙ってるなっていう感じ。面白かったんですよ。
ちなみにね、ちょっと話前後するけど、アルバム出す前にシングル4枚出してるんですよね。
4枚全部オリコントップ10入りしてるんですよね。
結構ね、ビジュアル系が当時流行ってて注目されてたっていう感じらしいです。
3枚目のハルカっていうシングルがテレビアニメのオープニングテーマに採用されたりしてました。
あ、エンディングか。
ちなみにオープニングテーマがシャズナだったかな、確か。
神風怪盗ジャンヌっていうアニメですけど、結構見たことある人多いと思います。
で、7月にフジキューハイランドで野外ライブしたんですよね。
これもデビューしてからフジキューできて1万人以上かなの屋外ライブを開催するまでの日数が
市場何番目とかの速さだったとかね。
で、あと、なんだっけ、なんとかっていうイベントか、夏フェスに呼ばれたんですよ。
今はサマーソニック、略してサマソニッテっていうでっかい夏フェスになってるんですけど、
当時別の名前で、結構イケてる洋楽とか、Jロックのめっちゃ流行ってる人らの中にピエロが呼ばれてるわけですよね。
マリリンマンソンっていう有名な人いますよね、あの人がゲストで来てたんですけど、洋楽ファンがめっちゃ集まってたんですよ。
で、そのイベントで洋楽ファンをめちゃめちゃバカにする発言をして、当時めっちゃ炎上したとかね、言ってたし。
あとはね、その頃に、テレビ朝日のミュージックステーションだったかな、ミュージックステーションでライブをやってたんですけど、
なんかね、機材めちゃめちゃ壊したんですよ。
ボーカルのキリトさんがね、マイクスタンドを叩き壊す、へし折るのが好きで、
いつもパフォーマンスでやるんですけど、それ許可取らずにマイクスタンドぶっ壊して、
で、ついでになんかね、ステージのなんか壊したらしいんですよ。
で、テレビ朝日はデキンになってたと。
そんな話らしいです。
あと宗教的なね、センシティブな話題をテーマにした歌とか歌ってるんで、
そういうのもあってね、やっぱりテレビ朝日は左左右系の放送局なんで、ちょっとそこが慎重に扱われてて、
しばらくデキン状態が続いてたらしいっていう話もなんかね、インタビューで見ましたね。
あとはね、ヘイヘイヘイとかね、結構出てましたね。NHKのポップジャムとかね。
その頃に、ライバルでディル・ワン・グレイっていう、
あの、ヘイヘイヘイとか出てましたよね。
で、その時にね、
その頃に、ライバルでディル・ワン・グレイっていうビジュアル系バンドが出てくるんですよね。
99年とか、2000年ぐらいだったかな。
ディル・ワン・グレイって今ではもうアメリカでツアーやるぐらいのめちゃめちゃ大御所なんですけど、
まあ当時はね、ピエロとライバル関係だったらしい。
まあでも、メンバー同士が配立してたとかじゃなくて、
斬新なライブ配信と影響
なんか派閥でピエロ派とディル派がいたとか、そんな話を聞いたことがあります。
で、えっとね、99年の年末に、クリスマスの時期だな。
あの、ライブ配信でライブをするっていうことをやりました。
当時初めての試みだったらしいです。
えっとまだね、パソコンもWindows98とかで、
回線もダイヤルアップ接続っていう電話回線ですよね、確かね。
そういう時に、ピエロっていうロックバンドがライブ映像を同時配信したんですよね。
すごい今までなくて、めちゃめちゃ話題になったらしいです。
どれくらい話題になったかというと、
ライブ始まるまでの1ヶ月ぐらいの間に、
インターネットの掲示板ができて、
その掲示板サイトのアクセスが集中しすぎてパンクしたことがあるっていう、
それが伝説のライブなんですよ。
都内某所で、しかもね無観客でやってるんですよね。
インターネットと、あとなんだっけ、ワウワウか。
ワウワウで生中継か。
で、無観客でやったと。
99年の12月20何日にやったわけです。
で、そのライブの最後の曲が終わって、
そのボーカルのね、最後のMCで、
今から2時間後にね、なんかライブをしますと。
どこだったっけな、新宿か。
新宿のアルタ前でライブをしますと。
そういう話になって、許可取ってないのに、
ゲリラでね、ゲリラライブをやったわけです。
だから、タシズンのゲリラライブっていう言葉に対する憧れは、
このピエロのね、新宿アルタを乗っ取った、
あのゲリラライブなんですよね。
ちなみに各地、日本各地で、映画館でその同時中継みたいな、
やってたんですよ。
だからファンの人は、映画館でライブ同時に見てたらしいです。
これやってましたよね、ライブビューイングって。
桃黒とかが結構やってましたよね。
チケット取れないから、全国の映画館で同時配信するみたいな。
結構ね、時代を先取りしてたんですよね。
で、だからね、その時に、
本物を見たくても見れないファンの人たちが、
ライブやりますって言った時にね、東京とかの会場、映画館で見てる人らは、
もうすぐ行くわけですよ。
発表した瞬間に、みんなダーって、その会場に押し寄せて、
将棋倒しが起きて、それでね、怪我した人が何人もいたんですよね。
だから、本物を見たくても見れないファンの人たちが、
怪我した人が何人もいたんですよね。
だから、本当に人間のそういう欲求に、
欲求の怖さを改めて実感しましたみたいな。
で、怪我した人に公式で謝罪入れたりしてますけどもちろん。
そのライブのテーマが、
クリーチャー、怪物っていう、
そういうテーマだったんですよ。
だから、
ピエロの影響力
ライブ会場でファンの人らがね、
獣になっていくみたいな。
そこを予言してた。
で、ライブのために、
渋谷のアルタマエをね、
みんなで暴れてるわけですよ。
そういうイベントをやったと。
長くなっちゃいましたけど、本当にね、
当時、ビジュアル系界隈をざわつかせた大事件だったらしい。
って感じですね。
2000年に西武ドームで、
3万人動員したライブをやって、
何だっけ、
単独でのドーム公演も、
メジャーデビューから最短記録だったらしいですね、当時は。
みたいなことがあって、花々しいデビューだったんですよ。
復活ライブとイベント
で、やっぱりね、盛り上がったらその後落ち込む時期もあって、
なおかつね、過去にすごいことやりすぎてたんで、
メンバーがすごいプレッシャーを感じて、
曲作れなくなった人がいたと。
ということで、2006年にね、いきなり解散したわけですね。
そうそうそう。
2006年に解散したんで、
私は、2006年は当時ね、高校2年生ですから、
当然ね、リアルタイムで参戦できなかったわけです。
で、突然ね、2014年に、
復活したわけですよね。
8年ぶりにね、
2014年の10月に復活ライブをやりました。
埼玉スーパーアリーナ、2days。
2日目はね、満席ですね。
まあそんなことがあって、
私は社会人だったんで、
結構ね、お金貯めて一生懸命、
苦面してね、行きましたね、その2days。
めちゃめちゃ良かったんですよね。
まあ、えっと、
で、そっから、
えっとね、2017年ですよね。
3年後の2017年に、
ディル・アン・グレイっていう、
当時ライバルだったバンドと、
2組でイベントをやりますと。
これもね、ビジュアル系界隈をざわつかせた大事件だったんですよ。
2017年の頃って、
もうディル・アン・グレイって、
それこそアメリカでも、
ツアーやったりしてる、
すごい売れ筋の人らなんですよ。
売れっ子、ビジュアル系バンド。
年齢的にも中堅だし、
あの大御所で、それがピエロの復活ライブで、
一緒にね、イベントやると。
で、まあすごく盛り上がったわけです。
盛り上がって、
そっからね、静かにしてたんですよね。
で、2024年にその、
ディル・アン・グレイさんとの対バン再びっていうので、
2024年の10月。
2回目のイベントをやったわけです。
これに私は参加したわけですね。
2017年はね、転職活動をしてて、
ガチでお金がなかったんですよね。
だから、本当に行けなくて、
泣く泣く見送ったんですけど、
まあその悔しさがあったんで、
2024年の復活祭に、
ピエロの音楽とメッセージ
7年ぶりってことで、
参加したんですけど、
あの、
2024年の復活祭に、
7年ぶりってことで、
参加したわけです。
僕としては、2014年の復活ライブ以来、
10年ぶり。
人生で2回目のライブ。
めちゃめちゃ感動してましたね。
で、まあこれで、
この人らは正式に解散かな、みたいな。
思ってたら、
あの、
なんとね、
2025年の2月に、
ワンマンやりますと。
えーってなって、
まあ、
それを見てですね、
これは絶対行かないといけないなと。
ということで、
そのライブに行ってきました。
で、まあこれが私のね、
最新の状況なんですよ。
まあ、実はね、5月。
この配信が、
この放送が配信されてるぐらいの日に、
ちょうど、
ケイロのね、
ワンマンライブもう1回やるんですよ。
で、
だから私もう行けないんだけど、
さすがに。
えーと、
本当関東に住んでたら絶対行ってるのになーって感じで、
うん。
まあそっから先は本当に、
活動の予定は何も入ってませんと。
で、お互い、
全員ね、メンバー全員、
今現役で、
別の、ね、
別の団体とか組織で、
音楽活動してるから、
えーと、
音楽活動してますっていう、
そこまで宣言してるんですよ。
特に、ギターのね、
アイジさんなんかは、
LMCっていう、
あの、ユニット2人でやってて、
すごいんですよね。
台湾とか香港で、
ライブするような。
しかもそれ最近、
なんですよね。
何月だったっけ?
3月ぐらいに、
アジアツアーみたいなのやって、
そう、台湾とか香港とかね、
その時期になっちゃって。
うん。
まあだから、やっぱり、
各々の活動に専念するってことで、
復活祭はこれで終わりですって言って、
まあ次が、
あるとも言えないし、
ないとも言えませんと。
ということでね、
熱く語ってますけど、
このピエロっていうバンドのね、
歌詞がすごいんですよね。
曲もね、
ビジュアル系にしてはね、
すごくJ-POP寄りの曲調で、
めちゃめちゃ聞き取りやすいし、
うん。
なんかね、すごく、
えっと、
過激な発言をよくしてるんですけど、
いろいろ追いかけていくと、
全然人を傷つけない、
耳が痛いことを言うっていう感じ。
なので、
やっぱりね、
その歌詞と曲、
これの、
なんていうかな、
強調で、
今聴いてもね、
めちゃめちゃ新鮮に聴こえるんですよね。
もう30年前の歌なのに、
全然聴けるんですよね。
だから、
まあね、ぜひ、
このピエロっていうロックバンドね、
サブスクで聴いてみてほしいです。
まあボーカルのね、
キリトさんがね、
あのYouTubeとかもやってるし、
ツイッターもね、
可愛い書き込みしてて、
その教祖、
教祖キリトが、
こんな可愛いこと言うんだなっていう、
僕はすごくね、
新鮮な驚きをね、
日々感じています。
教祖様なんですよね、
キリトさんは。
まあ本当に宗教団体って感じですよ。
ライブがね、
振付があって、
ファンがね、
みんな同じ動きをするんですよね。
これは宗教だっていう感じ。
ですから、
やっぱり、
メンバー一人一人のね、
発言とか見ても、
すごくね、
ファンのことを大切にする、
ファンっていうか、
この世の中の全ての人に対してね、
敬意を持ってね、
誰も傷つけない、
そういう言葉をね、
言ってるんで、
なんか、
かっこいいなと思って、
まあそういうことで、
もし今後、
やるのであれば、
ぜひ追いかけていきたいなっていう風に思ってます。
まあ、こんなね、
あの、
ウィジャル系ロックバンドピエロっていう、
こんなすごい人もいたんだよっていう、
今日はね、その話をどうしてもしたくて、
はい、
収録いたしました。
まあこんな感じで、
たまにはね、
趣味の配信とかもね、
やっていけたら、
いいんじゃないかなって思ってます。
はい、すいません。
長い時間、ありがとうございました。
25分も話しちゃってるな。
しかも結構早口で喋ってますね。
テンション上がって。
はい。
ということで、
日々考察日々考ラジオ、
第249回の放送、
VKの常識を変えたピエロというバンドについて、
語らせてくれ、
というお話をいたしました。
ここまで聞いてくれてありがとうございました。