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日々考察-ヒビコウラジオ
このチャンネルでは、広島でサラリーマンをやっているたしづんが、日常の出来事について、あれこれと考察をしていきます。
中学のテニス部に入る
第250回の放送ということで、今回のテーマがね、部活についてというお話です。
えーっと、ちょっとね、騒がしいところで収録しているので、雑音が入っているかもしれません。申し訳ございません。
えーっと、10の倍数の放送回は、結構自分語りをすることが多いんですよね。
それで、今回が、私が今まで経験してきた部活だったり、スポーツの話をしようと思います。
えーっと、スポーツね、子供の頃、習い事のようなスポーツは一切したことがありませんでした。
えー、外で友達と遊ぶっていうのはよくやってたんですけど、
本当に、おもちゃのバットとボールで野球ごっこみたいな、そんなんとかドッジボールとか、キックベースなんかも好んでやってましたけど、
そういう感じで、遊びでスポーツをすることはたくさんありました。
ただ、しっかり競技としてのスポーツっていうのはね、やったことがなかったんですよね。
初めて、えーっと、そういうしっかりとしたスポーツをやったのが、中学校のテニス部です。
まあ、親からは、できれば運動部に入りなさいと、そういう要望がありまして、
えーっと、まあ、姉が同じ中学に通っている2つ上の学年だったんですよ。
ですから、いろいろな部活の雰囲気だったりとか、そういうのを聞いてたんですよね。
えー、で、最終的にテニス部に入ることを決めました。
理由は、テニス部は真面目な人が、真面目な部員が多い。
そして先生も熱血教師であると。
なので、しっかりとした部活をやりたいのであれば、テニス部がいいんじゃないかと。
で、なおかつ、お金もかかりにくいと。
野球とかに比べて、えー、かかる金額が少ない。
サッカーとかも意外とお金かかるって言ってたんで、
野球とかサッカーは、小学校の遊びとか体育の授業で、
もう周りより才能がないのがわかっていました。
なので、まあ、スポーツをやるんだったら、
そういうメジャー競技じゃないものがいいかなと思っていました。
中学の部活で、まあ、特に父親からは、
剣道とか柔道みたいな武道がいいんじゃないかって言われてたんですよね。
なので、テニス部に入るって最初に伝えたときに、
大丈夫か、そんな軟弱な競技でって言われたんですよ。
本当失礼な話ですよね。
日本中のテニス部の部員全員に謝ってほしいっていう感じですけど、
まあ、テニス部みんな素人ですよね。
子供の頃から習い事でテニスをするっていうのは、
まあ、都会ではあるのかもしれませんが、
うちの地元ではなかったんですよね。
広島県東広島市ですけど、
東広島でそこまで熱心にテニスをやってるっていう人はね、
あんまりいなかったですね。
素人の状態で始めるわけです。
基礎トレーニングがね、3ヶ月くらいあるんですよ。
なので、全くラケットを触らせてもらえませんでした。
厳しい練習と反抗
というか、テニス部に入ったのに、
ラケットの注文をしたのが6月とかだったんですよね。
で、そのラケットを触らせてもらって、
ラケットの注文をしたのが6月とかだったんですよね。
なので、基礎からしっかり固めてっていうところで、
基礎トレーニングばっかりやって、
コートに入れてもらったのが、
1年生の夏休みの後半だったと思います。
テニスコートに入れてもらえなくて、
外でひたすらボールを、
手で投げてもらったボールを打つみたいな、
そんな練習しかしなかったんですよね。
で、テニス部って本当に熱血教師の先生で、
毎日練習してくださるんですよ。
もう土日は必ず、午前中全部練習。
だから朝の7時半から昼の12時半までの5時間とか、
それくらいでやってました。
それを土日やって、
平日も毎日放課後に、朝練と放課後か。
やってました。
今思うと、その先生がとんでもないブラックロードされてたなって。
今となっては本当頭が全く上がらないですよね。
ただ当時は中学も荒れてる中学で、
私も一人前に反抗期でした。
なので先生によく反発して、
バレないように手を抜いたりサボったり、
そんなことはよくやっていましたね。
そんなことをしてるから、
テニスの実力も上がらなくてですね。
いつも一緒に練習するメンバーとか、
チームを組むメンバーが不良のやつばっかりなんですよ。
私よりもさらに練習サボってるようなやつらばっかりのチームに、
私のような地味なやつがポツンといるんですよね。
だからテニス部のメンバーの中からは、
僕はそういう、
なんていうんですかね、
弱いくせに悪ぶってるやつみたいな、
そんな変なイメージを持たれていたみたいですね。
ただただ、実は、
ただただ実力がないから、
練習真面目にやってない者同士で、
ペア組まされたりしてただけなんですよね。
ただ、
3年間、3年というか2年の夏までの2年半、
しっかり続けたんですよね。
やっぱりどこかで諦めたら、
なんていうんですかね、
あいつ諦めたやつだって、
そういうふうに周りから白い目で見られそうな気がして、
それが嫌だったんですよ。
特に家族からは、
部活は最後までしっかりやり通すやつなんだって、
そんなふうに認めてもらいたかったっていうのがあります。
夏休みに週7で毎日練習をしてまして、
その夏休みの過ごし方を見てですね、
うちの親父も、
そんだけテニスよく頑張れるなって認めてくれました。
もうちょっと認めてくれる言葉をかけてほしかったんですけど、
プライドがあったのか、
よくそんだけやるよなと一言だけ言ってくれて、
お盆を過ぎたあたりですよね。
お盆も3日しか休みがなくて、
13日から15日までの3日間のみ休み。
で、お盆の練習終わったぐらいの時期に、
親父が言うわけです。
今の時代に、
2000何年に、
こんだけスポコンみたいな部活やるのはナンセンスだって、
そこまで言ってました。
本当それぐらい毎日毎日練習、夏休みしていました。
おそらく毎朝母親が早起きして朝ごはん作ってくれて、
水筒とかも用意してくれて、
そういう負担をかけていたので、
それに対する親父の気遣いだったんじゃないかなって、
今では思っています。
しかもそうは言っても先生にずっと反抗ばっかりしてて、
実力がつかなかったんですよね。
だからいつもチック大会の2回戦とか3回戦止まりで、
3回戦より先に進んだことがなかったので、
そのまま引退を迎えたんですよね。
達成感と高校生活
とにかく中学のテニス部で不良に囲まれていたおかげで、
学年の不良からいじめられるみたいなことはあんまりなかったんですよね。
友達の友達みたいな感じで、
そこまでひどい扱いを受けることはなかったので、
それが一番良かったかなっていうぐらいですよね、本当に。
それとなんやかんやつらくても、
経えていれば達成感があるんだっていう、
そういう経験を早めに積むことができました。
なので中学のテニス部って本当に続けただけだったんですけど、
形だけでも続けてて良かったなって思います。
そんなことがあって、
僕は本当に自分の中学生の時代を思い出して、
高校のテニス部はですね、
中学とは打って変わってというか、
練習場所が全然ないそんな部活だったんですよね。
なので結構、
自分の中学生の時代を思い出して、
自分の中学生の時代を思い出して、
自分の中学生の時代を思い出して、
結構公園とか空き地で、
高校時代のテニス部
なんとなくボレーの練習をしたりとか、
そんなことをしてて、
全然実力がつかなかったんですよね。
高校の頃は真面目にやってやろうと意気込んで入部したものの、
全然練習ができなかったってことで、
次第にやる気を失っていってですね、
結局不真面目な部活の進め方になっちゃったみたいなとこがありました。
ただ、2年の夏で、
先輩が引退した時にですね、
次の台ってことで、
次の台の部長を決めますよね。
副部長を誰にしようってなった時に、
お前やらんかって言われたわけです。
僕もやりたかったんで、
やりたいって言って、
私は副部長になりました。
そこからですよね、
周りの人を見る目がすごく変わりました。
部員一人一人がどんな考えを持って部活に取り組んでいるか、
こういうことを一つ一つインタビューするようになりました。
その結果、
いろんなメンバーの立場を尊重しつつ、
周りというか全体の人に
周りというか全体の動きも
しっかりと取っていかないといけないというか、
部としての動きというのも整えていかないといけない。
そういう個人と全体というののバランスというか、
うまいこと調整役みたいなのを
副部長としてやっていました。
徐々にできるようになっていったんですよね。
ですから、高校のテニス部の時のその経験で、
後々ものすごく仕事をするようになってからプラスに働いた、
そんな経験だったと思っています。
当時の高校のテニス部で、
いろんな立場のメンバーをしっかりまとめて、
なおかつ部全体としてはこういう動きにしないといけないという、
そこの折り合いをつけるという作業をですね、
高校のテニス部の副部長として、
大学とその後の運動
そういう気持ちで取り組むことができました。
ですから、なんとなくリーダー気質があるんですよね、私は。
今の私は特に会社の部署の中ではそんなに上の立場ではありません。
ありませんが、なんとなくリーダー的ポジションをずっとやっているということでですね、
出世はできなくなったけどリーダーとしての道を歩んでいきますという放送も過去に撮ったことがあります。
そんな感じで、立場は下っ端だけどリーダーとして一人一人のメンバーとですね、
しっかりと向き合っていきつつ、全体としてどのように動いていくべきか、
これをですね、非常に自ら考えてそういう動きをとると。
上から頼まれなくてもそういう動きをとるということができるようになった。
そういう面で非常に高校の部活はやっていてよかったなと思っています。
なお、高校がですね、なんとなく進学校っぽいところに入って、
勉強が忙しかったんですよね。宿題がめちゃめちゃ出るんですよ。
ですから、テニス部は練習場所を確保できないという話もあったように、
部活が結構緩かったんですよ。なので帰ってから宿題とかもしっかりやることができたんですけど、
それ以外の運動部はみんな全国を目指しているような気持ちで取り組んでいる人たちばかりなんで、
家に帰ったら疲れ果ててみんな宿題をしないという現象が起きていましたね。
ですから、ちなみにというか、テニス部に所属していたおかげで、
勉強の実力もそこそこ伸ばすことができてよかったかなと思います。
家の実家がとても経済的に厳しかったので、大学なんか行けないんじゃないかなって覚悟していたんですけど、
県外のここの大学に行ってみたいなって憧れが何校かあったんですよ。
あったんですけど、大学に行けるとしたら家から通える広島大学だけだなって親に言われた段階で、
あ、そっかと思って広島大学に行くための勉強しかしなかったというのが正直なところですね。
高校の頃にしっかり高校1年、2年って真面目に取り組んでいたので、
いざ広島大学だったら通ってもいいよって親に言われたときに、行けるわって思えたのでよかったです。
成績が足りていなかったら、もし広島大学は無理じゃないって思ってしまったようなことがあったらどうなってただろうって。
ちょっとね、今となってはそこがすごく怖いなと思ったりもしています。
まあまあそんなことで、テニスしかやったことないんですよ。
その後、大学の飲みがめちゃめちゃ激しいテニスサークルっていう風に話が続いていくわけです。
ずっとテニスしかやったことがなくて、社会人になっても地域のテニスサークルみたいにずっと所属し続けているんですよね。
ですから、最近はテニス以外のスポーツも新しく始めてみたいなって、そう思うこともあります。
何かね、また楽しそうな競技を見つけたら、見つけ次第ですね、取り組んでみたいなと、そんな風に思います。
今回の放送、私が部活でどんな風に過ごしていたかと、そのようなことをね、長々とお話をいたしました。
ということで、日々考察日々考ラジオ第250回の放送、今回は私たしずんの部活についてお伝えしました。
ここまで聞いてくれてありがとうございました。