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短歌でおしゃべり、北詰若菜です。
このポッドキャストは、好きな歌人の方の短歌や、自分で作った短歌について、勝手にあれこれ想像しながらおしゃべりしています。
今回は、ゾッとするような少女の可憐さを歌った短歌をご紹介します。
それでは本日の短歌をご紹介します。
真夜中にキラキラ座る少女たち
箱詰めされる球体として
真夜中にキラキラ座る少女たち
箱詰めされる球体として
この歌は、東直子さんの短歌です。
東直子さんは、現代短歌でとても有名な方なので、ご存知の方もいるかもしれませんけれども、
私がこの短歌でおしゃべりの1話目、1エピソード目でご紹介した、
本村ひろいさんの海亀の短歌があるんですけれども、
その短歌を、見つけた、その載ってた本が、
短歌があるじゃないかっていう本なんですけれども、
その本の中に、この東直子さんの今回ご紹介する、
真夜中にキラキラ座る少女たち、箱詰めされる球体としてという短歌が掲載されていました。
私はその短歌があるじゃないかっていう本の中で、
一番は、一番最初にご紹介した本村さんの短歌にとても感銘を受けたんですけれども、
その次ぐらいに、この東直子さんの箱詰めされる球体としてっていう歌にとても衝撃を受けました。
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この短歌のお題が、確かキラキラだったと思うんですね。
キラキラっていうのを歌に読み込むっていうお題で、東さんが作られたんだと思うんですけれども、
なんか東さんが考える少女とはっていうのが、ここに詰まっているのかなというふうに感じました。
少女って言うと、だいたい何ですかね、
普通だったら可愛いものとか、例えばアニメの世界だったら萌えだったりとか、なんかキャピキャピしてるとか、
そういうイメージが結構多いのかなと思うんですけれども、
この前半はキラキラ座る少女たちっていう、少女の輝いてるような感じを発動させるんですけど、
下の句で箱詰めされる球体だとは思うんですけれども、
私がこの言葉から受けるイメージっていうのは、
なんかこう、生前と少女たちが体育座りみたいなのをさせられて、箱詰めされてる状況ってどういうふうに感じますか。
なんか学校のようなイメージがあって、
一人一人はキラキラ光ってるんだけど、それが学校という規律の中で、ある意味縛られた環境の中で箱詰めされているっていうのが、
なんかこう、なんでしょうね。
箱詰めされることで集団として扱われるような補正がちょっと消えちゃいますよね。
その感じっていうのが。
なんか私はこの歌を見たときちょっとゾッとしたんですね。
確かその単価があるじゃないかという本の中でも、他の方の票というのはゾッとするみたいな感じの意見が書いてあったかと思います。
なんかその少女の、一見華やかで自由そうに見えるんだけれども、
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少女という枠にはめられて、
学校という集団の枠にはめられて、
実はなんかいろんな制限があるっていうふうにこの歌を読んで思いました。
そういうなんか一見自由そうなんだけど、その中にあるなんか自由そうな、
あんまりなんか外国のことはよくは知らないですけど、
特に日本とかってなんかそういう規律性を重んじたりするので、
そういう枠組み、箱詰めされるその箱の枠組みっていうのにはめられがちなんじゃないかなと思いました。
制服っていうのもそうですよね。
海外で制服ある学校って本当のなんかお金持ちのなんか優秀正しい私立のなんたらスクールみたいなところしかないと思うんですけど、
なんかその制服というその規律にも収めて、
少女っていうイメージ、勝手にこう社会が作っている少女とは可憐で、
なんですかね、自由で華やかでみたいなおしとやかでとか、
なんかそういう勝手なイメージ少女という肩書にも箱詰めされて、
なんかちょっとゾッとしました。
なんかそれがすごく感じられる歌だなぁと思いました。
最後のこの球体としてっていうのはちょっとなんか自分の中でまだ言葉にできないんですけど、
ただ箱詰めされるっていうよりもその球体としてっていう言葉があることで、
なんかより奇妙な感じ。
少女が座っている、座らされている箱詰めが球体としてあるって、
もう物体が歪んじゃっているので、なんかそのぐにゃって曲がる感じ。
なんかすごく、うーん、なんでしょうね。
あのなんだっけ、あれですね。
だりとか時計が歪んだりしてますよね、絵の中で。
ルネマグリットとかああいうのを助長させている気がしました。
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はい、単歌でおしゃべりいかがでしたでしょうか。
今回は真夜中にキラキラ座る少女たち。
箱詰めされる球体として、東尚子さんの単歌をご紹介しました。
単歌でおしゃべり、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
ではまた聞いてくださいね。バイバイ。