1. たねと暮らす Living with Seeds
  2. #52 つづき【ゲスト回】原体験..

前回の、手島光司さんインタビューの続きです。

  • 手島光司さんが、南山城村高尾に住むことになった原体験とは?
  • 妻みちこさんのこと、仕事ってなんだ?
  • 転職と多様な環境のなかで学んだこと
  • 死と老いについて
  • これは傑作だ
  • アフタートーク


妻・美智子さんのインタビュー回: #23 処暑の巻!ゲスト回♪移住してギャラリー10年:手島美智子さんに聞く「やっぱり人がおもしろい!」

https://anchor.fm/tanetokurasu/episodes/23-e1692h0



イベント告知→

  • 6/14(水)〜 たねの会@移住交流スペースやまんなか
  • 南山城村アコギ部「風をあつめて」ほぼ毎日曜日〜@田山婦人の家
  • 二條流煎茶道 南山城村お茶をおいしく飲む会 第2と第4水(8月はお休み) 午後1時〜


興味のあるイベントがあれば、Instagram@tanenotoshukan までお問い合わせください


村における季節と自然への愛着
村の季節で一番好きなのは、いつですか?
いつもいいけど、春の匂いってものすごく好きやね。
これは別に村でなくたってね。
いや、でも、デスマさんとか、ほら、シダレザクラ臭くて、梅が臭くて。
でももうちょっと前の、早春のね。
その前の。
ちょっと、なんか春になるなっていうね。
動き始めた。
いよいよ季節が、動き出すな、一年が始まるなっていう感じ。
正月じゃなくてね。
2月の初めぐらいみたいな感じ。
時々、ぷーっと、なんか春の香りが。
湧き上がってくる。
なんかこう、世紀がこう、みなぎってくるっていう感じが。
あるんや。
秋は秋でまたいいんだけどね。
ものが、食べ物がいっぱいできてね。
やっぱりお米が実る。
お米が実るときね。
なんとも言えない高揚感がありますね。
景色としても。
戦時中の疎開体験
農業とかでも一切されたことなかったんですか?
今は。
ないですね。
今まで。
めちゃくちゃちっちゃいときも。
大阪の街の中のカメラ屋さんっていうか、カメラ。
カメラ屋っていうかね、通りはカメラっていうか、
写真を、カメラ持ってる人ってほとんど少ないし、
それを写真撮って、自分でそのフィルムの現像をしてもらって、
それを写真に焼き付けるっていう、焼いて。
そういうことをやってたんやね。
利用者って多く限られたりね、その通り。
農業経験って全くない。
そうなんですね。
ただ、大阪でそういうことをやってたのは、
親はやってたけど、私は昭和15年の前から15年から、
もう翌年に太平洋戦争でしょ、16年。
昭和19年の終わり頃、昭和20年の3月に大阪大空襲ですからね。
もうどんどんアメリカの飛行機が来てた。
5歳?5歳このとき?
うん、だからね。だから僕は5歳になる前に疎開してるんですよ。
私の上の兄弟はみんな学童疎開で、学校行ってたから、
学童疎開でいろんなところ、滋賀県とか行ってたんだけど、
僕とすぐ上の姉はまだ学校行ってなかったんで、
学童疎開してなくて、家でしょ。
大阪危ないって言うんで、親の親戚の大木の島っていう山の中へ疎開にしたんですよ。
それがだから5歳になる前で、
結局小学校の3年生まではそこにいてたから、かなり長いことおったんですよ。
4年くらいいたのかな?
疎開するまでの期間ってほとんど記憶ないんですよ。
田舎での生活と自給自足の意義
まだ小さいから。
その頃すごくいろんなことがあった気がしましたよね。
こういう経験したことが。
9歳くらいになるまでの。
それはもちろん農業自身は私自身は知らない。
けど周りはそうだから。
そうでしょうね。
もちろん沖の島は田舎だと思いますしね。
田舎もいいところ。
その後は一回も行かずですか?
沖の島はその後何回か行きました。
何か原風景としてあるんですか?
ありますよ。
私のだから、原体験はそこや。
ここの場所を見つけるのもそういうところがもしかしたら影響されているわけですか?
そこまでは思ってなかったけども、
だから少々不便なところは全然驚かない。
ある程度の年齢でいくと、田舎で暮らすと結構リスクがあるなと思うんです。
田舎で生活しない間とか、医療のアクセスがしづらくなったりとかあるんですけど、
でも手島さん69歳くらいでこちらに来られたというのは、
やっぱりなかなか面白いと思いますし。
まあまあ今とは全然な。
もっと元気やったから。
今でも元気ですよ。
今でも十分元気だと思うんですけど。
やっぱりちょっと馬力が必要ですよね。
だからあんまり立ち取ってたのはしんどいね。
ある程度こう。
さらにこういうふうに動物を飼う、農業をする、農業というかたたけたんぼやをするっていう、
その辺のバイタリティーは本当にすごいなとは。
やっぱり自分でものを作って食べるとかね。
必要なものを自分で作るとか。
買うにしてもね。
できるだけ自分でできるようにしようと。
自分で作ったものをどうできれば美味しかったりしますよね。
本当に。
そういうことが人間の生活力を高めるんじゃないかな。
別の言い方をすると脳の活性化を促すって。
なんかやっぱり環境なんだなとは思うんですね。
都会は都会内の環境がある。
もちろんコンビニがあって便利な世の中っていう。
田舎は確かにないんですけど、
人間ってそれに対応しようとする。
そこですよね。
その環境で人間の力を高めてくれる観点はやっぱり
僕らも引っ越してきている感じがしますね。
なんかこれしたら美味しいものができるんじゃないかとか。
これ自分たちで作ってみようかとか。
家があるとか広さがあるとかっていうのは
やっぱり何よりも買えがたい豊かなことかなと思えるんですよね。
家にこだわれていたっていうのはすごくよくわかります。
なんかやりたいことができる広さがあるとかね。
スペースがあるとか。
街で何かものを作ろうとしても音が出る。
ほこりが出る。
どうでもいいけど、隣の人から
あいつ何してるんだろうって見られる。
意外。
こういうところだと何にもなるもん。
村人見てますけども。
これ好きやろ。
なんかやってるなっていう。
高尾はまた村の中でちょっと特殊な気もする。
ここは一番田舎やで。
この村の中ではね。
独自の感じですよね。ここはここで。
ここと川が一時的にあるから。
結構離れてますね。
勢力圏が違かったんですよ。
ここは甲府寺の省園やったって話。
そうなんですか。
長野甲府寺の。
甲府寺の。
今も何かつながりはあるんですか?
それは知らん。
甲府寺、でかいね。
甲府寺の勢力圏内。
昔の省園ってやつ。
そこの寮だよ。
里山での生活と歴史
なんかお米は甲府寺に収めるみたいな感じ。
ここはお米なんてないから、炭から。
木材的な。
山の産物や。
面白いね。県境っていうところがちょっと入り混じってる感じがする。
山の道がまたあったのかもしれないね。
そうやね。
ここから奈良へ行くのは、
今は都道になんです。
村道か。
だけど歩いていく道がたくさんあったみたいで。
今でも地図みたいなのが書いてあるけど、
一切には道ないですよ。
だって車の道でも迷うぐらい、
あれこれあるけどどっかにはつながってるみたいな感じがするから。
結構古い時代から人は住んでたみたいだね。
今度長丘さんにお話聞くことに。
誰?
長丘さん。川下。
ああ、はいはい。
長丘さん。
まず一回お話聞こうっていう風になってるんですよ。
こんな木入れおもちゃ作って。
ああ、そうそう。竹とんぼみたいなのとかも作ってあるね。
奪ってくれたりとか。
無料館はいかがだったんですか?
あったんですね。
地域の保存活動と家庭生活
長いことあったんですか?
割に長いことあったな。
というか僕は来てからやから。
始まって?
いやいや、始まったのもっと前やと思うけど。
もっと前から?
でも、あの方退職してからやりだしたよ。
いろんなものを集めたのよ、おそらく。
ちょうどだから、みんながいろんなものを手放してる時期っていうか。
ああ、そうかもね。
もったいないなって思われて。
どうやって人が工夫して暮らしてきたかみたいなことにはやっぱりすごく興味があるから。
何見てももったいないなっていうか。
そうやって守る活動っていうか、面白いやろって言って見せたがる人がいるのは宝やなって。
宝やなって思うんですけどね。
下手したらな、我が家もそれに近いけど、ゴミ屋敷になるね。
でもね、その思ってる人にとってゴミじゃない間はゴミじゃないからね。
そのスピーカーって思うな。
これは僕が自分で作ったスピーカー。
もうスピーカー自身が壊れたから。
同じスピーカーを買って高め込みはいけるんだけど、もうこれを作ってないし。
同じサイズのやつを買って。
この2つはなるんですよ。
これは今聞いてるやつで。
さっきこれがなってた。
ギャラリーもやめてくれた。
物置にしようかなと思ったけど物置はもったいないなと思って。
もったいない、もったいない。
これで緑にしたんです。
ちょうどこれがあったからね。
読書会もできるし。
上は宿泊もできるし。
農博とかはやんないんですか?
興味ないですか?
りんなさんが連れてくるからいいか。
UUFをやろうと思ってたんやけど。
今からでも?
そうなんですか?
弘前君にやってもらったらいいんじゃないの?
家内はもう一つそういうのはね。
家内の協力なかったり。
僕らのみちこさんのインタビューは
2021年8月
2年前近いかな?
2年もだろうかな。
2年近いな。
あれからそんたつんかなって感じますね。
なかなかアクティブな方々だなと思ってますよね。
ずっとそばで徹島さんを見続けられてて
どういう感じだったんですかね。
ギャラリーをやってる?
ギャラリーはアクティブだったけど
今はもう全然自信がないからね。
料理も頼るな。
煮たてする料理はいいんやけど
うちは冷凍物が多いやん。
冷凍餃子を焼くとか
苦手なの?
苦手。
私が全部やって
読むのがめんどくさい。
読まない。
水いらない。
水いるのとかあるやん。
あんたやって。
今日は餃子やし、今日はやって。
あんたやったらやれや。
間違えたらおいしいないと思うから。
人間関係と自己認識
かわいいです、それは。
別の見方をするとずむんやね。
頼ることによって
頼ると
あるやんか
人間って頼られると
面倒見ざるを得んやん。
だから自分出てきても
私出てきてこうやって倒れたら
楽やん。
食べれる相手であれば。
するもんないほうがいいですか?
だからそこは微妙やと思うね。
あんまり頼られると
めんどくさい。
しかし全く頼られないと
なんで一緒にいるのかなってなりますね。
それはまあ幸福。
あんまり
あんたおらんの私は
一人で生きていけるっていうのは
たとえできたとしてもはっきりしたら
やっぱり夫婦の関係は良くない。
人がいっぱいいると
ちょっと和らぐこともあったのかな。
二人きりとか一人だけにならんほうが
いいなって思うことが多いです。
一人で何人分もやると
しんどいなってなるかなって思うな。
結局ね
人に対して
苛立ちとか怒りとかっていう
感情を
自分を見てるんだよね、あれ。
わかります。
人って自分の鏡やもんね。
そうですね。
その人を通して自分を見てるわけで。
それはある。
だからそういう人がいないと
自分ってわからないしね。
そうですね。
そういう人がいることで
自分を認識することができるか。
そうなんです。
怒ってる自分に疲れるときって
そういうことなのかな。
改めて自分を見てるかもしれないけどね。
それでがっかりしてる自分というか。
そういうのありますよね。
みちこさんギャラリーされてて
瀬島さんは研究をずっとされてる。
それぞれ基本的には
好きなことを仕事にするということ
好きなことをやられてた感じですか。
でも彼女は
ギャラリーをやったのは
50・・・
今年だって30年。
始めるってなったとき
瀬島さんどんな感じだったんですか。
何か始めたなみたいな感じ?
何かやり始めた?
ギャラリー?
子供が
下のほうが東京行ったし
他に何もすることなくなってしまった。
仲の良い人みたいな。
まだ私
働きに行くとか言って
そうそう、いっぺん行ってやったわ。
3日で帰ってきてやったわ。
そもそもできるみたいな感じ。
帰ったら3日で
2年やめて。
結構積極的な
運転免許もそのときに
色々試行錯誤
彼女は仕事してたと思ったんだね。
あの人は面白いね。
どういうことですか?
仕事って
仕事っていう定義は
やっぱり
ある程度の稼ぎがないと
仕事って言わないんじゃん。
仕事って
仕事っていう定義は
やっぱり
ある程度の稼ぎがないと
うーん
稼いでないからとか
仕事でないと
言わないんだけど
私ずっと仕事してましたと
仕事の報酬とプロフェッショナル
30年間
仕事してたって言われると
どうかな
好きなことしてただけやん
としか思えない
としか思えない
でも
外に対して仕事してたって言ったら
やっぱり
報酬
稼ぎ高は別として
ある程度の報酬をもらえる
仕事をしてた
仕事イコール
うーん
まあお金で
その仕事の
値打ちを判断するっていうのは
例えば子育てなんて
お金の
他の人に対して
向かって仕事してたんです
ある程度その見返りを
もらった上で
そこは家事と子育ては違うでしょ
本質的に
人に喜ばれたかどうか
専門分野で働くことの利点
お金もらったかどうか
でもない
私が自分の仕事と決めて
これは
こんだけやる
誰に言われても
私の仕事としてやり切る
って決めてやったことが
ミチコさんの仕事だ
っていう
そのつもりで言ってるんやと思うけど
ミチコさんに育てられた
アーティストの人とかも
いてあがって
世の中の役に立たなかったら
言ってるわけじゃない
それはやっぱり仕事の便利が
違うんやな
でも違うって
ミチコさんしか言えないこと
そこって結構面白みな
重要というか
いいと思いますよ
でも一般社会では
普通に言って
そこがやっぱアートとかアーティストの
面白さじゃないですか
誰かに理解されるとかそういうことじゃない
やりたいことやって
それが仕事です
そこにプロフェッショナル
神秘画みたいなものがあったりとか
しかもそれを続けるってことの
やっぱめちゃくちゃ
しんどいとは思うんですよね
なんか一時期
30年やりましたじゃなくて
30年やったかって思うと
だいぶ
すげえなと
僕もそういう意味では
人のことは言えないけどね
自分の好きな
仕事として
僕の場合はちゃんと給料もらってたから
この給料が
自分の仕事に見合うとか見合わないとかって
そういうことを考えたことは一切なかった
とにかく
機関が今思ったら夢のような
好きなことできる
しかもちゃんと給料くれ
家族を養うだけの給料はとにかく
くれはる
さすがに歳もとってきたし
だから
いつまでも女子で
っていうのも
問題やなと思ったし
それに
やっぱり後輩が
いっぱい来るわけね
新たにね
そこは
のかなあかん
スティップアップしなあかん
だから何回か
もちろんそういう
僕も
狭い流体力学の
空気力学の
そういう狭い分野の
研究室で
それは面白い
それはそれなりにね
だけどそこの世界に
閉じこもってる
そこの世界だけ
協力大っていうのは
いろんなそういう専門家がいるわけ
教員にそれを
要請するわけやから
いろんな
まあ要するに
教科でいうと
国語、社会理科、算数
それほか
音楽
あらゆる分野の
学問領域に
いろんな人
その中の
もちろんみんな狭い分野の
専門家
だけどそれは
それなりに
失礼
みんな各自
狭い領域やけども
あるところを
極めている人が
いるわけです
そういう人たちと
教科大学では
接することってほとんどない
親しければ
そうではないんですが
教育大学って狭い
120人くらいの教員だから
で、まあ
教育会とか委員会とかで
一緒になる
自然に友達になって
いろいろ話す
お互いにね
そういう専門領域の人
その専門の内容は
わからないけども多少
教えてもらえるし
それから
物の考え方とか
そういうのも
自然に吸収できる
自分が
いかに狭い分野で
働くのか分かるし
こんないろんな
頭で分かるんじゃなくて
実際付き合って
肌感覚で
世界が広がるし
なるほど
学者って
自分の専門でも
いくじゃないですか
総合的な視点の重要性
自分の専門じゃないんで
っていう言葉をよく聞くことがあるんです
まあそうだろうとは思うんですけども
もっとやっぱり
人分地というか
総合的な目で見ていかないと
やっぱりそういうのも
大切だよと
思うところもあるんですけど
僕自身も仕事の面でも
そうだと思っていまして
植木屋だから植木屋だけではない
とは思うんですけど
他の異なった業種とか
異なったジャンルのものって
ちゃんと吸収していく
まあそうやね
特に
植木屋さんって
一般の人を
相手にして
もちろんその専門の
ところもあるんやろうけど
まあ普通はね
そういう人の見方っていうのを
理解できるようになる
それで色んな魅力が広がるとか
人間的にちょっと厚みが広がっていくとか
そういう研究職に関しても
老いと死について
なんかやっぱり
面白いなと思いますね
吉島さんその
こんなの聞いたんですけど
老いとか死とかって
考えたことはありますか?
改めて
老くなったことあるし
あんまり
考えてないな
あの面白いと
思います
養老武志先生
あの先生も
自分自身は全然
尋問しないとか
そんなの
別に若い頃と今まで何だか
変わりはない
僕もあんまり
意識したことない
体力とか
老いを感じることはあってもね
死を恐れるとか
自分が死ぬことに
里山に移住し未来を模索する
真面目に考えたら
結局ね
死とかっていうのは
どこから来るのかといったら
二人との比較やっているわけなんです
常に自分というものから
ものを見てるから
自分が絶対やる
近くに若い人がいるとか
若い人が
囲まれているとか
お前は年寄りは言われているとか
そういう環境がない限りは
自分自身も
意識しない
そうだなと思った
6年
以前勤めていたところ
増援会社の親方が
すごくハラスメントというか
年齢に対する
あったわけです
お前はこの年になっているのに
こんなことできひんのかみたいなことを
それは精神的なダメージが大きかったなと
思うんですよね
確かに
私が40歳に入った時とか
30歳後半の時に
周りの20代の若い子が
子どもたちを呼んだりとかして
自分はこういう年齢なんだと
過剰に意識する
今聞くと
本当に分かりやすいけど
それはその師匠が
自分の老いを
めちゃくちゃ感じていて
ぶつけていたんだなと
今聞いても完全にそうなんだ
本当にそれを
ぶつけずにはおられなかった
だろうなと
社会の基盤みたいなのが
そういうところだった
いくつになったらこうして
いくつになったら子どもを産んで
いくつになったら何年して
一万人の旅自体も
奪わせてやまないじゃないですか
そんな話がありましたよね
そういう時代なので
年齢意識するのはもちろん
あったりもするんですけど
しかしみたいな
そういうもので
社会が
つながっていたというか
社会が成り立っていた
ある年代は
年代ごとの役名みたいなのがあって
例えばここでもね
いわゆる昔は
戸主っていうのは
今でも戸籍筆頭人とか
ある年齢になったら
陰境になって戸主が
変わる
お父さんが亡くなったわけでもない
ちゃんと
代替わりする
代替わりを
そういうのはあるみたいね
例えば
空の掃除とか
空の薬とか
そんなんで
お父さんの代ではなくて
次の代
それが代替わりになる
年代ごとに役割があって
だからお前
英都市してなんや
という言い方される
社会的役割の下で
社会的役割の下で
そういう言葉が出てくる
今から村でやりたいこと
みんなでやりたいことあります?
みんなでやりたいこと
いわゆる
中間地
例えば米を作るなんて
非能率的やから
ええ
まあそうですね
でも
生産する喜びってあるやんから
労働の喜び
一方どんどん
米作りやめてるの
村の人はね
結構板も
空いてきてんの
今までつぶれとこは
山の谷間のとことかやけど
今年作ろうか
作ろうか言ってる
お前の棚
僕は畑のお前
そこもやってないし
その向こう側も今年からやめようとしたし
そういうところがどんどん
そんなに条件悪くないと
やめてしまうね
そういうところを
僕は今
やってるのは
ここに移住してきた人
と一緒にやってる
それ以外の人も来てるけど
それをもっとね
都会、町に
暮らしてる人が
来て一緒にやれたらな
とは思うな
機械とかも
どんどん余ってきてるしね
もちろん機械でなくたって
手作業でもできるしね
そういうのをもっと
広められたらいいなとは思う
最近僕は
お金の交換じゃない生き方
できないだろうかと
模索してるんです
お金って交換するものじゃないですか
労働とお金って
そうじゃないところで
実験的にいろいろ
物々交換とかするんです
お金と豊かさについて
お仕事する
何かもらうみたいなもので
普通に何でもいいんですけどね
できる人
できない人はもちろんいるんです
関係性があって
でもお金の方が
楽やったりする場合もあるじゃないですか
そう
結局
お金を返して物々交換してる
そういうことですからね
返すか返さないか
みたいな
稼いでも税金で取られるか
とか思っちゃうと
違う生き方が
できるんじゃないか
全部否定するわけじゃないんです
もちろんお金が
世界というのがありながらの中で
ということで
一番嫌なのは
お金を
目的化してしまう
お金と
交換できるものが
目的であるはずでしょ
だけど
お金自身を目的に
してしまう
それは
終局は
だけど
よく
宝くじで1億円当たったら
何買うっていう
話ですよね
果て
1億円当たったら
別に何も買うものなかったわ
ある人は
その1億円を稼ぐためでしょ
何でも稼ぐ
それが豊かなのかどうか
そういう意味では
こういうところに住んでいると
むつむつ交換というのが
安定と
行われば
物で返すだけじゃなくて
いろんな形で返せる
物だけじゃなくて
見えない物もあったりします
豊かなんですよね
そういう豊かさが
可能性としては
面白かったり
面白かったですね
流体力学の話みたいな
気がしてきたんです
そう?
動物は流れる
そうなんだけど
多分わからないんですけど
私は本当に物理とか苦手で
だけど
その視点を定めて
流れていくものを
捉えるということと
ここに住んで
木に足をつけて
できることをしながら
いろんなものを交換していたり
なるようになっていく
みたいなことが
すごくつながっている気がして
大変な人間だね
流体力が
現代人間自体は
ウヨウヨしている
形ないものを捉えていくことって
今の世界でも一緒だなと
思いますし
ある一瞬でも
決めたところを
見る眼差しというか
それがあるんだなと
思うんですけどね
そういうのを
研究するために
流れの可視化というのを
やっていたんですよ
でも
空気の流れって見えない
見えないですよね
だから何かが揺れるとか
例えば熱があるとか
だからこうやって煙があるから
空気が流れている
というのがあるけど
僕は
極超音速の流れで
超速い流れなんだけど
それも
見えない
ロケットの場合は
見えるんですよ
高温ガスで
燃焼ガスで
煙が出るし
赤い
だけど
普通は見えない
見るためにどうするか
というのを
やっていたんですけど
面白くて
まあ
レーザーを使うんですけどね
レーザーで
レーザーにちょっとだけ
別の分子を
混ぜ込んでおいて
それでレーザーで
当てると
レーザーのエネルギーを
吸って
別のレーザーの波長とは
違う
光を出すんですけどね
それで見えるんです
そういうことをやっていた
だから
面白くてね
手島工事アート作品とか
見たいです
そう
何かあるんですか
ある
可視化した写真があるんですよ
時間できたら昔のやつ
クランに入れてあるんやけど
そういうのをきれいに
プリントして
貼っておきたいなとは思っている
やりましょう
それ自体っていうのは
圧縮と膨張に関する現象について
アーティスティックな感じなんですか
アーティスティックじゃないけど
僕にとっては
別に
普通のことやけど
買いまみれないものじゃないですか
専門部以外の人にとっては
何やこれ面白いなって
思うかもしれない
何かそう思いますか
僕が一番
自分で
傑作やなと思っている
写真があって
それはね
機体を急に膨張させると
冷えるんですよ
機体を急に膨張させると
空気が
ふわっと広がると
冷える
そうやな
自然現象でいうと
圧縮すると熱くなる
圧縮すると熱くなる
縮めると
ほら
ディーゼルエンジン
エンジンは火花で
点火しているんですよ
ディーゼルエンジンは圧縮で
点火しているんですよ
圧縮っていうのは
空気を圧縮すると
温度が上がった時に
燃料をぽっと吹っ込むと
バッと燃える
さらに圧縮が上がるから
ピストンが
それの反対ってことですか
反対は
膨張すると
冷えるんですよ
炭酸ガスを
炭酸ガスのボンベから
ふわっと引き出すと
ドライアイスで
なるほど
うんうんうん
それを小さいノズルっていうのは
穴からバーッと吹き出してやると
バーッと広がって
あるところで
凍っちゃうの
凍りやできない
その写真を
撮ったことがあって
面白い実験してたんですね
それはね
あの
過冷却の状態
過冷却っていうのは
その温度は
自然とのつながり
実際はもっと早く
ドライアイスが凍るんだけど
さらに温度が下がってから
突然
ブワッと凍る
その過冷却がね
その写真を
撮ったんだけど
それは面白い
一番
いい写真やな
と思った
いつか日の目が
出しましょう
そうしましょう
それは口で説明しても
分からなくなる
実際のもの
なんで
聞いてくださってるんですか
って聞いてみたかった
なんで?
最初は聞いてくださいって
言ったんですよね
ラジオを
聞いてくれてる理由
聞いてくれている
理由が
どうしたんですか
みたいな
内田夫妻が
面白い
こういうことをやってる
っていうのを知って
ここへ
村へ来て
何回
カメのやつを聞いたのかな
大社に
それからずっと過去を
ほとんど
聞いたんちゃう
何を
聞いてくださってるかな
みたいなことは
知りたいなと思って
例えば
何面白いと思ったのかな
とか
やりとりは面白い
やりとりは
その話
主人公というか
お客さんが
多かったでしょ
お客さんの話もあれだったけど
掛け合いというか
話し方とか
それはなかなか
面白いな
そうなんですね
ありがたいことですね
これ面白い
やりとりやな
そうか
僕らの工夫にはない
コミュニケーションのやり方
みたいな
それは
外を意識してるから
っていうのはもちろんあるよね
そうですね
それから言って
他人行為
なんか
面白いな
まだやってていいですかね
やってると思うよ
だんだん
24世紀じゃ全然なくなってきて
そうやな
最初はだいぶ頑張ったんですけど
でも
ええかっていうと困って
あれ?
出てけ
あんなにしとる
なんか一個
あんまりそう
24世紀って
早めにやってくるんですよね
でもなんとなく
去年の
今頃何してたかな
みたいなのって
やっぱり絶対思い出されへんし
記録しとかんかったら
それで
この時
この人とこんな話したなとか
あの季節
こんなイベントしたな
みたいなのが
残っていくのは
結構面白いことで
なんか自分が変わったのも
わかるし
どっちどっちですけど
感心するわ
いやいやいや
とんでもない
その時その人の
その言葉みたいなのが
一瞬しかないわけなので
それを記録できるっていう
幸せってのは感じますよね
そうなんですよ
思い出を記録することの価値
今日も何度メモしようかなって
思ったけど
録音撮れてることにして
それはもちろん編集するわけね
編集しないとね
今日これで2時間半ぐらい
喋ってる
いいんですけどこのままでも
竹嶋さんと喋ったもんねきっと
そういうのになるし
みちこさんのが合わせて聞くとかも
だいぶ面白いと思うんだよ
なんだこの夫婦は
すげーなみたいな
そうなの
毎回ね
ゲストの方に
聞いてるんですが
おすすめの
ゲスト
おすすめのゲストか
この人の話聞いてみたいな
とか
あのさ
せっかくだから
村に
村で育って村で住んでる
っていう人に
ゲストにしてる
外からの人ばっかりだもん
そうですね
まちこさんは村の人ですけど
まちこさんハイブリッド
ザ・ハイブリッド
外様ですからね
というと例えば
誰でしょうね
例えば
前村長の手中さん
お会いしたことないんですけどね
それはね僕もそんなに
個人的にそんなに親しくないわけだから
そうですか
村長としてってこと
そうそうそう
そういう見方で
村をどう見てるのか
だから
我々みたいな外様
我々外から来た人間が
でしょ
村の人から見たら勝手なこと言ってる
そうです
だけどずっと村に
この村に対して責任持ってる
気持ちの上で
そういう人たちは
気持ちとか本音とか
我々に対する見方とか
いうのが
聞き出せたら
面白いかなと
おーすごい
ご紹介くださるんですか
紹介はしますけどね
こういう人たちがいるよ
この村の現状をどう考えて
あの人は村長
8年ぐらい
元村長は
村はこんなに高齢化して
人口が減ってきている
ということに対する
思い中の
我々以上の
当然だから
そういうのを
なかなか面と向かって
聞けないじゃない
我々にとっての
重要なことですね
小手島康二さんのインタビューを
お届けしました
村の現状、住民の思い
さて
楽しかったね
5月14日土曜日だったかな
インタビューさせてもらったのが
ちょうど夕方から雨が降りだして
結構ちょっと
ひんやりかなその日は
もうちょっと寒いぐらいの感じだったよね
夜中ちょっと雨が降ってた感じが
その中で
あの囲炉裏の部屋
っていうのがまたすごく良くて
もうねカエルの大合唱
だよね外が
雨の音と
あといろいろ
パチパチっていう
弾ける音と
なんか火を囲みながら
ゆっくり喋ったっていう
感覚がすごくあるかな
確かに
今日は何のお話が
面白かった
そうね
あのー
手島さんの家
あのー
住まわれてるところ小民家
あの周りの田んぼとか
畑とか
あと
飼ってる動物たち
なんかあのー
本当にこうすごく景色も良くて
手島さんすごい
楽園を作り上げたっていう
感覚がすごくあって
何度かちょっとお邪魔させて
頂いてるとかして
でー
あのー田んぼもこう
何人かで
手伝ってもらったりとか
たくさんいつも人が集まってやってる
感じがあって
でー
なんか
すごく魅力的なの分かるんだけど
なんかその厳選みたいなところは
どこにあるんだろうなとかってすごく思ってたことがあって
うん
でー
どういう仕事を
されてたかも全く知らずだったので
今回改めて
話を聞けて
でーずっと
研究をされてて
龍体力学の先生だったよね
そう龍体力学っていう
物理学
なんか勝手に
私は文学系の
哲学とか
何やろう
なんかねそういう文系な
イメージを勝手に思ってたんだけど
全然違いました
しかも実験とかして
そう
空気の
流れを
空気とか水とかね
でも元は
船乗りになりたかったって言ってたね
それも面白かったね
面白かったよね
しかもさやっぱり
楽しかったって言ってたからね
50年くらいかな
ずっと多分研究されてて
すごく楽しくてっていうか
手島さんってやっぱこう
楽しむ
センスがあるっていうかさ
うん
リテラシーがあるっていうか
楽しみ方をよく分かってらっしゃるんだな
っていうのはすごくあって
改めて村に移住されて
自分が
作りたいものを作って
たくさんいろんな人も
集まる魅力ってのが
そういうことなんだなと思ったし
あとなんだかこう
インタビューをしつつなんだけど
とても
僕たちの話をゆっくり聞いてくれてる
なんかその安心感みたいなの
感じることができたなと思ってて
うん
なんかこう
話を聞いてもらってる感じ
がなんか
そういうところが
あったなと思って
自分でこうフラットな
人っていうか
どんなこともすごく
なんか学び
の姿勢を
持ってる人で
その種の会にもね
よく来てくださるんだけど
すごいなんでもね
自分で作ってはるし
動物もたくさん飼ってるし
お家もね自分でいっぱい
手直しして直したりとか
なんだけど
すごく謙虚っていうか
本当にこう
いつでも学んで
すごいなって言える人っていう
ところがね
本当にあったかいし
すごく尊敬できるな
っていうのが改めて
なんか改めて
なんで鷹王なんですか
っていうこととかも
聞いてみて
移住先を
いろんなところ探したけど
やっぱり
なかなかねピンと来ない
ところが多い中で
あの場所だったんだ
っていうことを
あのカエルの大合唱と
雨の音と
で翌朝のね
なんか
外に出たときの感じ
っていうのが
わーってなったね
手島さんの仕事と研究
あんまだから
好きな季節を聞けたのもよかったかな
春の早春の香りが
立ち上ってくるときが
すごい好き
あの場所はでもそうかもしれないな
そういうの感じやすいというか
一気に動き始める感
っていうのを
感じることができる場所だな
とは思うしね
村の中でもうちらが住んでるところより
かなり
牧地というか
山の雰囲気
気配が強いっていう
生き物の領域だな
っていう
感じが強いところだった
あとやっぱりこの
なんていうんだろう
自分
自分の年上の方
それはまあ
いずれ自分が同じような年齢には
絶対なっていくもんやし
順番だろうって思いつつ
そういう
手島さん今80代
80代でああいう
生き方してるっていうのはやっぱり僕にとっては
すごい希望だなと思えたし
老いと死について
いつか
手島さんみたいな生き方
同じように80代を迎えられたら
それはすごい素晴らしいことだな
って
それをすぐ
身近で
見ることができる
っていうかさ
親切することができる
方っていうのは
これ以上のものはないなっていう感じ
そうやね
一泊ね
夫婦の人間的なところについて
そこの2階のロフトのとこに
泊めさせてもらって
翌朝
奥さんのみちこさんにお会いできたんだけど
その時に
あの人面白いでしょ
って言ってもらったの
そうですよね
って
意外にあの人
面白いでしょって
言う感じが
あるなと思って
みちこさん厳しいところがあったけどな
そうやけどね
そこの人間的なところって
面白かったけど
どの夫婦もそういうことは
もちろんあるし
やっぱなんか
僕そこのところでやっぱ
すごく尊敬してる
そうやね
っていうのを感じるし
かっこいいなって思うね
それぞれがそれぞれ好きなように
好きなことを楽しみながら
生きてきたっていう
やっぱり素敵な2人だな
っていうのが改めて
思えたなと
次回のインタビューについて
思います
それでねなんと
最後に
えっと
次どんな人にインタビューしたらいいですか
って質問したんだよね
あしたね
それが面白かったのよね
うん
地元の方?
ペアリー
例えば元村長の方
そういうような方
みたいな風に言ってたね
これはなかなか実現したら
面白いなと思って
そうですね
つながっていくといいなと
ぜひ感想とかね
そうですね
どういう風に聞いてくれたかな
っていうのを
教えてもらえたら嬉しい
うん
ということで
次の
次回は多分もう
田植えも終わってるかな
6月
入るかもしれないね
そんな感じで
夏だね
近づいてきてるかなと
いう頃かなと
うんうん
お体ご自愛くださいね
そうですねまた暑い夏がやってくるので
うん
そういう風に
いい夏を迎えましょう
また
はいまた次回
さよなら
01:03:51

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