1. たねと暮らす Living with Seeds
  2. #52 【ゲスト回】センセイは船..

イベント告知→ 内田家の田植え5/28(日)、たねの会6/14(水) Instagram「たねのとしゅかん」でご案内します


2年越しの企画♡満を辞してご登場🈵 南山城村の移住者の大先輩で、村の奥地=高尾地区でテシマワンダーランドとも言うべき、自給自足を目指す素敵な暮らしの実践者、手島光司さんにお話を伺いました。

手島さんのご自宅の民家で、囲炉裏の火を囲みながら酒を飲み交わし、外の虫と蛙の大合唱、さらに雨が重なりワイルド感ただよう収録をお楽しみください〜(収録は2023/5/13でした)


まずはパート1、手島センセイが、なんのセンセイなのか?子供のころの話から進路、仕事、家族、旅、そして村にやってくるまでの奇跡的な軌跡について、じっくりお聞きしました。パート2に続きます。


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#移住 #田舎暮らし

手島さんの経歴
たねと暮らす
まあ、そんなわけで、えっと、何ですかね。
あ、たねと暮らすですよ。
たねと暮らすの、今回はですね、
5月後半、
じゃん!
正満!
やってまいりましたね、正満。
やってまいりましたね。
去年正満のあたりやったんじゃん、田植えしたのは。
そうそう、だから今年も同じぐらいやんね、やっぱり。
あ、そうか。ちょっと遅れてる。
でも正満は14日か15日ぐらいあるから。
あ、そういうことやね。正満ウィーク。
うんうん、まあ15日か。
そうね、田植えの時期ですね。
うん、そうなんですよ。めっちゃ急激に暑くなってきて。
これでやっと稲が少し大きくなってくれるかなって。
なってくれるかな。今何センチぐらい?
10センチある?
えー、物によるかな。なんかちっちゃいのはちっちゃいな。
だいぶちっちゃいよね、7、8センチ。
やっぱ寒いかな。
なんか栄養が足りひんのかな。
去年あれぐらいで田植えしたよね、でも多分。
あんなやったっけ?もうちょっと大きくなかった?
あ、わからんけど。
今日ぐらいからすごく夏日になってきてるので、
このまま苗もぐんぐん大きくなってくれたら、
嬉しいということです。
助かるなと。
助かるね。
思いつつ、今回のゲスト。
あ、そうです。今回はゲスト会ということで、
手島浩二さんをゲストに迎えました。
というかまた迎えたと言いつつお邪魔する形式の。
あそこ何か名前あるのかな?
いろりのお部屋。
いやー、知らない。
なんかね、昔ギャラリーだった。
奥さんのギャラリーやって張った場所を改築というか。
結構ね、扉張り替えたりとか、
いろりを持ち込んだり、
改装を加えて、
趣味のお部屋みたいにしてるところにお邪魔して、
手島さんのお話を聞いたんですが、
一番最初にうちら移住してくる前かな?
にお会いした手島浩二さんに。
2年越しで。
2年前に奥さんのみちこさん、
ギャラリーをされてた奥さんのインタビューをさせていただいて、
いつか旦那さん、浩二さんにお話しようと思ってたので。
今回やっとお話が聞けたっていうことで。
そうですね。
インタビューをお聞きください。
今お幾つでしたっけ?
2ですね。
82歳。奥さんも一緒?
彼女が今ちょうど82歳。
僕は今月83歳になるんです。
彼女は来年の3月に83歳になるから。
10ヶ月くらい違うから。
同じクラスだったんですか?
中学の時はね。
中学一緒ってすごいな。
そうか。
長い付き合いですね。
いやいや、そのくらいだよな。
大学入った後に何かで終わってということですね。
82歳、83歳になってる。
そう、83歳ですね。
ここの裏に来たのがどれくらいの時ですか?
69ですね。
2010年ですから。
14年?
14年。
14年目ですね、今年でね。
手島さん、大阪出身って聞いたんですけど、
どういうお仕事?
お仕事何をされてたんですかね?
親ですか?
手島さん自身?
僕自身は大学の教師、研究者ですね。
流体力学について
仕事っていうか。
そうなんですか、管理職というよりも研究の方?
管理職は最後の方に管理職をやっただけで、
僕は研究者のつもりなんですけどね、ずっと。
管理職になったら研究できなくなるからね。
そう、そう、いますよね。
管理職ってよく言うけど、それに一般企業の管理職と、
世間で言う管理職と大学の管理職と、
また違いますか?
ずいぶん違うんですよ。
そういう名前であるだけで、
学校の先生もおそらくそうやと思うんだけど、
校長さんは管理職でしょ?
学校の先生ってよく鍋蓋って言うんですか?
鍋蓋?
鍋蓋はつまみがあるやん。
あとは平で。
鍋蓋のところは、これは管理職。
あとみんな一緒。
一般の企業の形があるのは、
管理職と言ったって部下がおるわけじゃなくて、
ましてや大学なんて、みんな個性のある人たちが
いっぱい集まってるわけでしょ?
それぞれの専門家でもあるしね、
大学の分野では偉い人なんですね。
偉いとみなさん思ってるわけ。
それを管理するなんてね、不可能ですから。
だからああいうところでは、
管理職じゃないのが一番楽。
自分の好きなことをしてたら。
しかし長いこといたらやらなあかんくなってくるわけ。
まあまあそういうことですね。
誰かがやらないとしょうがない。
ちなみに何の先生だったんですか?
何の先生というか、何を研究されていたんですか?
僕は流体力学。
流体力学。
しかも流体っていうのは、
流体っていうのは要するに、
物が動くと形を変えるんです。
物体の運動はニュートンの力学、
物っていうのはニュートン力学で動きがある。
移動のエネルギーとか。
そういうのを記述することができますよね。
例えばこれ橋が動くっていうのは、
橋そのものの形変わらないんじゃない?
そうですね。
これは動くとか落ちるとか飛んでいくとか。
でも流体の場合は流体自身が変形する。
薪とかもそうですか?
薪?
違うんです。もっと水とかですね。
水そう。水とか空気とか。
そういう変形できるもの。
木は違うんですか?
木は個体だから。
木が燃えて、
燃えたら木体になるからそれは流体ですね。
薪はそうなんかなと思ったんですけど。
そうかそういう意味ではね。
でも薪のほうが個体ですから、
個体は変形はするかもしれないけど、
バラバラになって木の幹の部分が枝の部分にはいかないでしょ。
でも水とか空気とかはここにあったものはこっち。
入れ替わることは当然あるし、
順番というのはないやん。
そういうのを流体、流動的とかって言うでしょ。
そういうものの運動。
木の体で企画。
流体力学への興味の始まり
だから見方から言うとね、
こういう変形しないものも基本的に変形しない。
これだって変形はするのよ。曲がるとか。
だけどそういう変形しないものの力学は、
その物体に視点を当てて見てるわ。
流体の運動の場合は、
私自身が一個一個の分子がどう動いているかなんて記述できないから、
流体の塊がどう動いているか。
あるいはそこに次から来ている流体。
流体が動いていったらそこ隙間ができるでしょ。
次からどんどん来ますからね。
見ながらどういう流体が流れてきているかっていうのを見るわ。
そういう見方が違うんですよ。記述するしかない。
さっきもう一度言うと、物が動いているのを物を追っかけて運動を見るか、
あるところに視点を固定して、次から次に来る流体を見ている。
定点で観測するってことですね。
定点観測。
動きながらじゃないってことですね。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にやらずっていうやつ。
川は流れてるけど、さっき見てた水はどこか向こうの方に行ってる。
流れてるのはその前、向こうの方から来たんです。
向こうのやつの運動は、あ、向こう行ったなってそれを追っかけて見てる。
物体図として。
そこが同じ物理現象、運動を見てるんだけど、
流体力学と個体の運動を見てるのと違うんですよ。
分かってもらえたかな。
なんとなく分かったんですけど、分かったつもりになってましたが、
なんでそれに惹かれたっていうか、なんでそれを研究することにしたんですか?
それはね、なんでそういうことになったかというと。
もともとそういう物理現象に興味があったんですか?
最初ね、実は船乗りになりたいと思った。
ちょっと待ってくださいよ。船乗り?
それはまあ、いろいろあったから。
船乗りってのは何ですか?漁師ではなくて船員?
船を操縦するのか?
釣るとかでもなくて?
釣るのではなく、船を運転する人になりたい?
それは若かり頃ですか?
本当は今もですか?
高校の時、新学期目でやったんですね。
私の親は写真を扱う商売してた。
カメラとか、カメラの材料、写真の材料とかね。
小学校しか出てなくて、当時としては普通なのかもしれない。
田舎で、あれは鳥取県なのかな?堺港って。
そうですね。
あそこの出身なんだけど。
鳥取かな?
鳥取ですね、堺港はね。
そこの出身なんだけど、小学校出て、
当時のコニシロク写真っていう、コニシロク商売って言ったかな。
今は、その後桜、コニカになって、桜が増えるの。
桜と富士とやったりさ。
ありました。
それから今はコニカ・ミノルタっていう会社だけどね。
そのコニシロク商売っていう、そういうところへで希望となって、
その後自分で写真関係の仕事をして。
当時の写真っていうのは、やっぱり近代技術の結晶なんですよ。
カメラにしても、観光材料にしてもね。
だから、そういうことに、父親は紋則教に行ってて、
そういうエンジニアに育てたいと、自分の子供をね。
そういうので、私は工事っていうのを、光と司がやってる。
そういう意気込めってなってたんですか。
当時、戦前だったんだけど、レンズ工事を作りたい。
友達と一緒に満州で作ろうっていう。
満州にも行ったみたい。
そういう時に生まれた子だったので、名前をそういう風にした。
だから、親はそれを期待してたっていうのがあって、
エンジニアになろうと。将来はコニシロックかキャノンか、
なんかそういうとこへ。
またはレンズ工場のね。
そういうとこへというのがあったよね。
だけど、あんまりそれは興味なくて、
船乗りから航空工学科へ
突然船員になりたいと思った。
それはね、どうも親からされた話だと、
親の親父親、要するにおじいさんでしたね。
船員やったんですよ。
坂井港から沖の島へ行く沖丸っていう船の船員。
あまりいい話はなかったけど、とにかく船員だったっていう話だった。
船ええなって。
先日さっき沖の島へ疎開してたから、
沖丸っていうのも乗ったことあるし。
自分のルーツ的な気もするし。
船乗りになりたいなって思ったんだけど、
当時船乗りになろうと思うと、
小船学校、神戸小船と東京小船っていうのがあって、
どっちも吸収されたから、
神戸小船は神戸大学になったし、
東京小船は東京海洋大学だから、
そこに行かないとなれない。
エンジニアは機関科っていうのと、
航海科っていうのがあったから、
エンジニアなのもただ機関科で、
僕は船乗りっていうのがあって、
機関上では面白くない、船長になりたいと思ってた。
ところが目が良くないとだめだ。
視力1.0で裸眼で、以上ないとだめだ。
なかった?
なかった。もうすでにその時は禁止やったから。
機関科はなぁと思って、
同じあれやったら航空演じがうか。
そこで航空学科目指そうということになった。
航空工学科って言って、
兄弟の航空工学科を受験して、何とか取ったんですね。
航空工学科に入ったら当然、
飛行機や空中飛ぶわけやから空気力学を勉強した。
将来は流体力学をやるんです。
必修科目ですからね。
流体力学をやるようになったんです。
それがきっかけなんですね。
世界一周からの田舎暮らし
船乗りからまた違う方向に飛んでいきましたね。
船乗りだって流体力学は水やから。
でも速度が全然違います。
そこで流体力学が面白いみたいになったんですか?
流体力学って、
水なんかは流れがゆっくりですよね。
空気力学の場合は速い流れの方が主で。
空気力学でも流れの遅いところは水とそんなに変わらない。
密度が違うだけだから。
当時、僕は高校2年だったかな。
ソ連が人工衛星ってあるから、スプートの方。
で、アメリカが慌てたよね。
宇宙工学時代と航空宇宙研究
宇宙工学がかかってた時代が。
ちょうどその頃にアメリカは航空宇宙をなんとかせない感じで、
ものすごく金も出したし、研究もしてたんだ。
日本は航空も宇宙も全く戦後潰されてますからね。
でも将来はこれやっていうのも漠然とあって。
たまたま大学の研究室の配属。
配属されたっていうか自分で寄付をしていったんだけど、
その先生が、やっぱりこれからは宇宙や。
推進の先生で、推進工学校だっていうところですね。
ロケットの推進ですね。
その方はロケットの専門家ではなかったんだけど、
要するに高速、ロケットって高速で機体を吹き飛ばして、
その反動で飛んでいらっしゃる。
そういう高速の空気力学が大事だと言われて、
新しい装置やらいろんなものを作ってあったんですよね。
それに惹かれていって。
その当時、僕が初めて聞いたのは、超音速って知ってる?
超音速。
音を超えるという。
音を超える速さ。
それほど難しく、特殊な言葉ではないと思うんですよ。
飛行機が超音速を超えたのが第二次世界大戦の終わりものらしい。
超音速と極超音速の研究
たまたまアメリカの戦闘機が垂直に降りていったときに超音速。
音速異常になって。
音速異常になると省液波ができて、もう少し舵の性能とか空気抵抗も大きくなるそうです。
それでも耐えられるんですか?
耐えられる。音の壁を突破できる。
音の壁を突破すると超音速になる。
ところが、その通り僕が学生時代の今日、極超音速。
極。極端。
さらに速いというか、超えていくと思う。
でも今は新聞でも極超音速って読んだことないですか?
あるんですかね。
あるんですか。
ロシアもそうやけど、アメリカも極超音速ミサイルって開発で。
ついこの間、ウクライナがソ連の極超音速、ソ連じゃない、ロシアの極超音速ミサイルを撃ち落としたっていうニュースもあった。
今、新聞では極超音速って出てるんだけど、その極超音速なんてことが、ここ数年ですよ、新聞で出したのは。
僕が学生時代、その先生は極超音速っていう。
僕は実は極超音速の空気離脚をやってたんです。
マジですか。極超音速。
直接空気研究とは関係なかったんだけど。
でもその基礎研究というか、元になってるもの。
ちょうどね、人工衛星を打ち上げたりして、人工衛星はダメだとそのまま大気に落ちて燃えつけるんだけど、
スペースシャトルっていうのが1980年の月に行った。
70年だよね、月に行ったんだね。
あの頃スペースシャトルっていうのがあって、こう行って、人を乗せて帰ってくるのね。
その時に大気圏に入ってくるわけですよ。
そうすると、当然ものすごい速度ですからね、極超音速なんですよね。
そうすると空気との摩擦でどんどん温度が上がっていくわけ。
火の玉みたいになってるわけ。
極超音速になるっていうことは要するに運動エネルギーを熱エネルギーに変えてるわけだから、
ものすごい温度が上がるわけですよね。
そういうのを実験室で再現したりする、そういう研究をしてたんです。
そうなんですね。今の航空研究、航空砲握とか、宇宙航握とかの大持ちとなるようなことを、
そういう基礎研究をやってたんです。
50年くらい前からやってた。
世界一周旅行と砂漠の思い出
別にそういうのとは全く関係なかったし、そういう要請もなかったから。
ただ、全く興味本位というか、アメリカの受け売りみたいなところがあったよね。
最先端のアメリカですからね。
でもそれ自身は面白いんですよ。
やっぱり機体が高温になったらどうなるか、空気が高温になったらどうなるか。
船乗りの夢はもう一切?
もちろん。
船乗らずですか?
世界一周はしましたよ。
したんですか?
世界一周は何でしたんですか?
ピースボートってあるんですよ。
ピースボートいたんですね。
それもずっと何ヶ月か?
101日ですね。
それはいつ頃に行ったんですか?
大学の生活の最後4年ほど管理職やったんで、むちゃくちゃ忙しかったんですよ。
研究できへんし、面白ないし。
でもとにかく仕事やからやってたんですよ。
最後退職したら何ヶ月かリラックスして、と思って。
それで前年に申し込んだのかな。
もうどうせ辞めるし、退職して。
3月にして、5月に行ったかな。
5月から3ヶ月。
一人?
いちこさんと一緒じゃなくて。
彼女はギャラリーやってたし。
夫婦で来てる人たくさんいてたけど、
一人っていうのがまたね、いい子して、窓もない。
窓ない?
窓もない、一番安いところ。
いいですね。
3ヶ月かな。結構足りないな。
印象に残っていることとか。
一番印象に残っているのはね、
アラビアのロレンスの撮影したとこ。
レバノン。
シリア?
シリアでもない。シリアはこっちだから。
そこでね、砂漠なんですよ。
砂漠も定住しない。
定住してないんですね。
そういう民族のところへ行って。
そこへ行ったときに、家から電話がかかってきたんですよ。
携帯に。
携帯に?
用事はあったから。
この砂漠の真ん中で、なんで家から電話がかかってきたの?
びっくりする。
日本から国際電話がかかって。
国際電話っていうか、携帯にかかって。
びっくりした。
世界って不思議ですよね。
あれはびっくりした。
忘れられない。
世界一周の旅で忘れられない思い出は、
砂漠の真ん中で家から電話がかかってきた。携帯に。
すごいことに。
置かれている環境と文明みたいなものが違和感を感じたものでしょうね。
引き戻されるけど、そこの面白さはやっぱり、
今この時代に生きる面白さそのままというか、
どこに行っても繋がれるっていうか、繋がることができるっていうか、
例えば、船に乗っている間、携帯なんか無理だよ。
船乗り人生
高い金払って、衛星放送か分かった?
衛星電話みたいな。
そういうのがあるんだよね。
それを頼めば、家に電話しかできないけど、
海の上では無理だよ。
町へ行って、真っ先に住むのは、
どんな町でも田舎の、田舎のっていうか、田舎ではないのかな。
港町にあるネットカフェではないんだけど、
ネットの場所があって、
コンフィータを使えるのは、インターネットに繋がるんだよ。
だから、そこでメールをチェックしたり、メールチェックできるしね。
あれは便利だったね。
電話ももちろん、
電話ももちろん、
携帯も通じないところもあったけど、
アラスカはあかんかと思った。
一応、船乗りは1年間。
行きました。船に乗って。
目的達成。
もういいですか?もう行きたくない?
いや、そりゃ行けたらいいよ。
行きたいよ。
目的達成。
もういいですか?もう行きたくない?
いや、そりゃ行けたらいいけど、今3ヶ月留守できないやん。
せやな、いろんな動物おるけど。
行きたかったら、じゃあ森さんよろしくとか、
みんなで頑張りで行けんことはないと思う。
行きたくないですね。
今一晩でも結構大変やろね。
そうか。
そもそもこの村に来た理由ってなんですか?
だから、もともと仕事終わったらね、
仕事終わったら大学、
追い出されますからね、文句なしに。
よっぽど業績上げてて有名人になってればね、
そういうことはないんやろうけど。
でも最近ですよ、これ結構大学にね、
残れるようになったもん。
結構いろんな名目で残ってはるんですよ。
特別教授とか、特別なんとかっていう名目を付けてね、
残れるようになったんです。
うん。
日本の大学は基本的に、
小学校でしょ、小学校だし、
小学校でもあかんかったんちゃうかな。
そこで教えるとか、研究室持つことはダメちゃうかな。
ダメやったことは。
今はあれだよね。
アメリカの大学はその点、
僕も知ってるノーベル賞も得た人なんで、
80歳くつでまだ研究室持ってたもんね。
だってね、何かがすごいできなくなるわけじゃないですもんね。
年齢に乗ったらね。
だけどもう大学の決まりで辞めさせられるというか。
辞められる。
僕なんかは特に実験もやってたしね、
実験やってたら、そこに場所でなんといえない。
できないね。
規模によるけどね。
できないから、装置もいるし。
辞めたらもうすべて。
辞めるしかないとか。
そういうのもまあいいんだけど、別に辞めたら辞めたりする気にするし。
生意気なこと言うよ。
自分の力で生きたいなと思う。
自分の力って言う。
自分の力って言うのはおこがましいよな。
いや、全然そんなことないと思いますよ。
どういうところかって言うところなんですけど、
別にお金稼ぐことも自分の力だと思うんですし、
自分、食べるものを作っていくのも自分の力かなとは思うんですが、
宇都島さんで言う自分の力って言うと。
どういうところか。
血に足をのついた生き方。
一つ、住まいに対する欲求不満みたいなのをずっと持ってたと思う。
一つは。
家。
そう。
生まれて、もともと土地があって、
先祖代々家があって、
それに住んでたというような人もおられるでしょうけどね。
移り住む先
私なんかは、
おやこの鳥取の田舎にいて、
おやこの町の田舎にいて、
おやこの町の田舎にいて、
おやこの鳥取の田舎にいて、
東京に行って、大阪へ商売を始めて、
その大阪で私、生まれたので、
そこも釈迦だったし、
戦争中は、
戦争中というか、
終戦間際に疎開して、田舎に疎開して、
それから大阪へ帰ってきて、
いろんなところ、ほとんど釈迦を点々として、
子供の時からずっと、
数年ずつぐらいで点拠を繰り出して、
常に移動する。
京都行って、下宿でしょ。
下宿を何回か点々として、
それから結婚して、公明宿舎に住んで、
神奈川へ行って、神奈川から帰ってきて、
スイタに住んで、
スイタを含めて、また京都へ行ったんだけど、
京都が30年ぐらい、結局トータル住んでるのかな、
そこが今まで一番長かった。
それまで、スイタの家なんて、
高層の9階、高層のアパートでしょ。
京都も30年住んでたけど、
そこも行ったら、長屋みたいなところで、
鉄筋の長屋やから、庭が多少ついてたけど、
そこが一番庭があって、
でも、車一台車庫作ったら、
もうちょっとしか空きスペースだよね。
そういうところに住んでいると、
もうちょっと地に足のついた、地面のある、
そういうところに住みたいと思う。
自力で生きる意義
やっぱりそういう、長屋みたいなところに住んでいると、
もちろん、人との繋がりは密接になるけど、
ただ、今のあれって、
町に住んでても、隣近所同士って、
そんなに密接にはないですよ。
務め人の場合ね、
昼ぐらいはいいなって思ったりしますし、
ほとんど付き合えないやん。
マンションで会い物とかも特に、
薄いよね、多分。
本当に、意味で住まい、地域も、
ひっくり返すと住まいっていう、
そういう感じじゃないですか。
自分で生きたいっていう、
自分の力で、
僕はマシンだけど、自分の力で地についた、
物理的にも、食べ物もそうやけど、
そういうのも自分でした。
そういう生活っていうのは、
仕事という制約がなければね、できるんだよね。
なるほど。
そういうことで、田舎に。
見つけ出すのがここだったんですね。
結果的にはここになった。
そういうのをずっと、
不動産の探索
勤めてるときから探してた。
そういうのがないかな。
他の方法はどこかあったんですか?
ありましたね。いろんなとこ行った。
勤めてるときに一度ここも来てるの。
南山市って、
不動産貿易。
一番最初に会ったのはね、
それは退職してからやな。
柿井さんに会ったんだけど、
その前に同線房に来たことがある。
名前に惹かれてね。
面白い名前があって。
でも、同線房の雰囲気、悪くはないんだけども、
田舎っていう感じしないよね。
かつての農村っていう感じしない。
それほど魅力を感じなかった。
その他、例えば、
旅先の地域巡り
京都の北の方ね。
宮本。
行ってそうやもん。
宮本とかに行ってそうやなと思って。
宮本も行ったし、北の方も行ったし、
綾部とかね。
田んごとか行かなかったんですか?
田んごの近くまで。
宮津。
田んごはちょっと寒いな。
ちょっと待ってください。
鷹尾だいぶ寒いですけど、
何を言っておっしゃいますか?
なるほど。
寒いかなと思ったんですけど。
南の方は飛鳥の村の近くまで。
いそう。飛鳥にもいそう。
吉野とかは?
吉野もいっぺん行ったことあるけど、
ちょっと山奥やなと思った。
おいしいっておもしろいです。
ここも山奥。
山奥。
すごいな。
43:42

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