田名部茜の紹介
今回のGOOD NEIGHBOR GOOD CULTUREは、遠野市に住んでいる田名部 茜さんに来ていただいてます。よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
茜ちゃんは、今遠野に住んでいて、もともと僕も、茜ちゃんとは知り合いでというか、
茜ちゃんが遠野に来る前に同じ町に住んでて、一緒に仕事をするというか、
一緒に仕事をしたりすることもあったような感じだったので、よく知っているんですが、
でも最近、茜ちゃんには全然、茜ちゃんが遠野に来てからとか、
茜ちゃんが遠野で何をしてるのかみたいなのは、あんまりよく分かってなくて、
ぜひそれも含めて聞けたらいいなと思っています。
お願いします。
お願いします。
ということで、最初にお互いの関係性みたいなのを話したんですけど、
改めて、茜ちゃんがどんな人なのかを、
まず最初にちょっとだけ簡単に自己紹介をしてもらったらと思いますので、お願いします。
簡単になるかな。
今知っていることかな、まずは。
今知っていること。
私は学生の頃から百姓とか農家の生き方を志して、
去年遠野に来ました。
去年の春に遠野に来て、
その前は隣の東亜町で2年間農業研修をしていて、
ずっと遠野でやりたいというのがあったので、
去年の春にようやく来れて、
ちょっとずつ田んぼと畑を遠野で始めているというものです。
遠野との出会い
出身は?
出身は神奈川県です。
神奈川出身で、遠野に住み始めているのは2024年の春。
2024年の春から。
なるほど。
この番組も今回お願いをしたときに聞いてくれたというのを聞いていて、
ありがとうございます。
ありがとうございます。
それこそ多分朱音ちゃんが仲良い人たちもすごくいっぱい出てくれている。
そうですね、出てて、なのですごい面白かったです。
普段そういう話を聞くことはないから、面白かったな。
ありがとうございます。
同じように朱音ちゃんにも、
このグッドネイバー、グッドカルチャーが遠野に移住をするとか、
あとは移住することに興味を持ってくれるような人たちに、
情報を届けられたらという番組なので、
改めて朱音ちゃんにもこの遠野に来るまでの経緯とか、
なんで遠野に住み始めているのかというのを改めて聞けたらと思っています。
神奈川出身で、そこから遠野に来るまでとか、
遠野との係りを持ち始めたきっかけみたいなのをまず聞けたらと思うんですけど、
いいですか?
初めて来たのが、小学生の時で、
その時に多分千葉県とか、カッパ部首都がいたのかな。
そういう観光地と言われるところも行ったし、
風景の中を走って、その印象が多分小学生だったけど、
なんか強く残ってて、
その後、大学生の時にもう一回来て、
それは遠野で、その時、ゲストハウスみたいな、
自給自足をしながら、旅人が旅を楽しめるような宿を作ろうとしている人がいて、
その回収作業みたいなやつが面白そうだなと思って来たのが、
再来かな、2回目かな。
その時にも、やっぱりいいとこだなというのはずっと思ってて、
っていう関わりがあったかな。
大学生の時、何年生の時?結構早い段階で。
2年生とかだったかな。だから、20歳前後の時かな。
きっかけとしては、遠野に行きたいっていうのが先にあったのか、
でも単純に遠野とか場所は関係なく、
ゲストハウスを作るってプロジェクトが面白そうみたいな感じだったのか。
でもその時、そういうDIYとか当時流行りがしてた時だったし、
っていうのに興味を持っていたのと、
だけどそれが遠野でたまたま見つけられたからっていうのは両方あったかな。
1回行ったことがあって、すごく思い入れがあるというか、
好きな街という印象もあったし、そのプロジェクトもあったし。
その時の、茜ちゃんと僕は年も近くで、
だから茜ちゃん大学生の時は年代で言うと、2013年とか14年とかから。
14年あたりかな。
そうだよね、タイミングがあったと思う。
その時に、僕自分自身も遠野に関わり始めるのが2015年とか2016年とかで、
東大元暮らしっていうウェブメディアがあって、
いろんな日本の面白い、
ちょっとそのメディアが何と言ってたかが正確には表現できるかわからないんだけど、
日本の面白い楽しい地域の特集を毎回作っていくようなメディアで、
それの中でも多分唯一岩手で取り上げられてたのが遠野市で、
なのでゲストハウスのプロジェクトをされてた方もそうだし、
あとこのポッドキャストでも第1回目に出てもらっている松田奈々人さんとかもそうだし、
そういった方、ちょうどその辺り、2014年、2015年、2016年あたりに、
遠野に引っ越してきた人たちのことをインタビューしているウェブメディアがあって、
結構その中の人たちか、あとそのゲストハウスのプロジェクトされてる以外の方とも、
結構あかねちゃんがなんか交流を持ってたっていうか。
その時はどうだったかな。
でもそう、そのプロジェクトに来て、
このポッドキャストに出てらっしゃる松田奈々人さんとか、
あとは、その他にも会った方はいるかな。
ファンウォーカルトの津吉さんも、その時と同じ。
で、なんかその時にそう会った人たちが、当時私20歳前後で、
普通に大学通ってたら、
そのままきっと将来考えるなら就職してとか、
っていうのを考えてたと思うんだけど、
やっぱ地方でいれば、遠野に限らずあちこち行った時に、
農業やっていく生き方があるんだとか、自営業で生きていく人がいるんだとか、
っていう生き方とかをする選択肢を広げてくれたのが、
その遠野の方々でもあったので、
津吉さんとか奈々さんに会ったのはすごく大きかったかな。
そうだよね。本当に目の前の人たちのやってる仕事とか、
生き方とか働き方みたいなのが、
どこかの場所にいるだけだと少し狭まれてしまうような形もあるけど、
でも本当にいろんなことをしてる人たちが、今もそうかもしれないし、
当時の遠野もすごい多かったというか。
農業への道
そうだね。
その後、大学でそういった経験もあって、
卒業した後はどうなっているのか。
卒業した後は、その時に岩手にご縁ができて、
大学卒業して一旦、欧州市の協力隊になって、
たくみ君ともその時に出会ったんですけど、
その時は観光推進員という形で、
外から来た人がその町を紹介してくださいということで動いてたんですけど、
ずっと自分で手を動かして何かを生み出したいというので、
農家さんとかそういうことの方に興味がどんどん強くなってきて、
一旦それで協力隊は3年やらずに辞めてしまったんだけど、
その後も。
そんなに詳しくなくてもいいね。
その後、欧州市で来て、
欧州市は1年はいた?
1年と2ヶ月、3ヶ月くらいはいて、
その後はまた神奈川に戻ったりとかして、
でもさらにそこからさっき話したみたいに、
その次が東亜の農業研修になる。
その後、何箇所か農家さんを回って働いたりして、
どこかで研修をまずしたいと思って、
その時、東亜町に来る前にもう一つ青森県の弘前市にある農場があって、
そこもすごい素晴らしい考え方とやり方でやってる農場なんですけど、
そこで半年間、研修というか住み込みで一緒に作業させてもらって、
研修はやっぱり時間かけてやるものだと思ったので、
もっともっと具体的に自分がどこでどうやって住みたいか考えたら、
やっぱり岩手だという風になって、
岩手で本当にありがたいことに、
パーマカルチャーと自然栽培という形で、
自分が目指したいやり方でやってらっしゃる、
ウレシパモシリさんという農場があったので、
そこで研修ができて、という流れかな。
それこそウレシパモシリさんの研修の時に、
この番組の古松さん、古松自然農園の古松さんたちにも、
二人にも出てもらっていて、古松さんたちとは一緒だった、
どっちかと一緒だったんだよね。
そうだね、双子のお兄さんの信さんと、一年だけ被っている。
改めてウレシパモシリさんで、パーマカルチャーとか、
当時は住み込みしながら?
そうだね、一年目は住み込みで。
すごい。そこでやった後に東野でやることになった。
しかもそもそもなんで農業を始めようと思った時に、
岩手だと思ったとか、
あとだから、自分の場所を持って農業を営むみたいなことは、
今東野が初めてってことだもんね。
その研修とかはあったけど。
それがなんで農業するなら岩手とか、さらに東野?
みたいなのになったかっていう。
それはなんでなんだろう?
なんでなんでしょうね。
すごいね、皆さんに聞かれるけど。
でも私自身があんまり大事なところというか、
あんまり考えないで決める人なので、
どこで行きたいとかっていうのを、
東野への移住と経験
考えて場所を決めるとかじゃなくて、
今までの経験とか体感を感じたもので、
ピンっていうので選んじゃう人なので、
やっぱり幼い時に来たっていうのもあったし、
二十歳前後の時に来て、
いいなって思える大人がいたっていう、
それがすごい自分の中でずっとずっとあったから、
だから岩手の中でもやっぱり東野がいいっていうのが強かったので。
なるほど。
伝わるかな?
伝わりますね。
だからどちらかっていうと、
何かを組み立ててとか順序立ててとか、
計画してここに来たってことじゃなくて、
何度か東野に来てたような、
何度か東野に来ていた今までの経験とかが、
やっぱりすごく自分の中に落とし込まれてて、
なんかすごいいい状態になってて、
パッと候補の中に来たとか。
逆にあとはあれだね、
本当に今でこそいろんなとこ、
街で移住者をサポートするシーンとかもあったり、
魅力はどこでも素晴らしいと思うんですよ。
あまり選んでる暇もないなというか、
もともと自分の中ではここがいいっていうのがあったから、
他を見る隙を作らなくていいなっていうのもあったかな。
なんか条件で並べて検索しようと思うと、
きっとすごいいろんなものが出てきたり、
逆に情報だけで見ちゃうと近く見えちゃったりとか、
全然判断できない状態になるかもしれない。
それで2024年の春に東野に引っ越してきてて、
改めて東野でどんなことをしてるか教えてください。
全然でもどんなこともまだまだできてないのが、
動物と一緒に行う農業
正直に今日話そうと思って。
どんなこともまだまだできてないんですけど、
去年来て今年もやっていることとしては、
まず田んぼを、
私一人じゃなくて一緒にやってる人がいるんですけど、
牛で耕す、馬で耕す、
白柿っていう作業も動物と一緒に、
機械を使わないでやるっていうことをしています。
やっていることとしては。
今ここでやってるのは田んぼ、
米を作るっていう感じなのかな?畑も?
畑は畑もこの近くにもっと小さく化してもらってるんですけど、
そこは自分がやりたい豆をやってるんですけど、
そっちは、去年は馬をやっている岩間さんという方と一緒に、
ちょっと作業を一緒にやってもらったんですけど、
主に動物とやっているのはここの田んぼ。
岩間さんの説明も正確にできるかわからないけど、
土のでバハンって、
例えば木を切ったものを馬が一緒に運んできてとか、
馬行とかもやってるのかな?
田んぼを耕したり畑を耕したり、馬と一緒に何かをするっていうことを、
結構ずっとやってらっしゃる、
遠野出身で遠野に住んでらっしゃる岩間さんがいて、
今岩間さんと岩間さんのところで、
修行?修行?
岩間さんとはどういう?
そうですよね。
手伝ってもらってるみたいなことなのかな?
教えてもらってるっていうことかな。
岩間さんと出会ったのが、
うれしぱもしりさん。
戸羽町で研修してたときに出会って、
うれしぱもしりさんは普通にトラクター使って田んぼ耕したりしてるんですけど、
でもやっぱりそこの農園さんもゆくゆくは動物と一緒に考えてて、
たまたま岩間さんが戸羽町の農園に、
ワークショップという形で馬行に来ていたんですね。
そのときに私は初めて馬で耕すというやり方を教えて、
岩間さんという方にも始めたんですけど、
そのときは自分が将来じゃあ馬でやりたいか、
牛でやりたいかというのは全く知らなかったし、
報道もしてなかったんですけど、
いざやってみると、
なんて面白いんだっていう、
その面白さを教えてくれて、
本当に縁あって戸羽町に来て、
たまたま一緒にやってもらえる環境があったから、
できたっていうのがあるんですけど、
そうですね。
そもそもあかねちゃん、
できてないことは多いけど、
僕が言うことじゃないですけど、
できてないことは多いのかもしれないけど、
そもそも何をやろうとして戸羽町に来てたとか、
単純にその農業っていう話、
例えば田んぼやりたいとか滝をやりたいみたいなことが来てるのか、
やってる米作りとかは、
今は岩間さんに教えてもらいながら、
馬が耕したりとか、
一緒にやってるって言ってた方が、
牛と一緒に耕したりとか、
動物と一緒に何かをやることもやったりだとか、
お米の作り方もそれこそブレシパモシリさんがやってるような、
なんて言ったらいいんだ、
農業の課題と収穫
例えば有機とか無農薬とか、
そういう栽培の仕方になるんですか?
そうですね、なるべく農薬、化学肥料を使わずに、
作るっていう米の作り方をしてて、
農業をするって言っても、
本当にいろんな種類があったり、
方向性があったり、
そういういろんな幅があると思っていて、
その中でも何をやろうとしているのか、
そうですよね。
いやでも本当にそこは正直なところ、
今探り探りっていう感じで、
農業研修の時はそういうのも考えながらやってたんですけど、
実際じゃあ自分で新しい土地にやってきて、
何で生計を立てるかっていうのは、
すごく難しいなっていうのを、
去年も感じたし、今年も感じているところ。
どれだけ自分が、
例えばやりたい、
肥料を使わなかったり、農薬を使わないやり方で、
機械も使わないってなると、
畑とか田んぼに費やす時間がこんなにもあるのか、
その間は現金収入はないし、
経済活動的な収入が入ってくるものはできていないよね。
っていうのを去年もう痛いくらい痛感して、
じゃあどうやって、
私は農業研修という形で研修したけど、
人にもよく言われるんですけど、
あなたは農業がやりたいんですかって言われて、
たぶん私は農業はまず今はできないと思うんですよ。
なりわいとしてのね。
だから、
でも最低限の食べるものは自分で作りたいっていうのは変わらないから、
積極自粛は、まずそれはベースにしたいっていうのはあるかな。
どちらかっていうと、農作物を作って、
それを販売してっていうことよりかは、
自分の食べる分とか、自分たちの食べる分みたいなのを、
自分で作るっていうことをやりたい。
まずはですね。
今は実際に作っているお米とか豆とかはどうなっている?
まだ保管状態。
去年採れた米とかは自分で食べたりとか。
あとは知人にお裾分けしたりとか。
それこそ田んぼのやり方も、
本当にあかねちゃん本人からという噂で聞いているだけだけど、
あかねちゃんの田んぼを手伝った人は周りにいっぱいいたりして、
田植えとか忙しいタイミング、
人の手が必要なときはいろんな人に手伝ってもらいながらやっている。
田植えと、あとは稲刈りもかな。
それは本当に知人、自分の周りの知人に声をかけて、
手伝ってもらっている。
でも本当に移住してきた場所でというか、
新しい土地で新しい生活が始まるということも、
慣れていくのにというか、
何か基盤を作っていくのにはすごく時間が必要な気もするし、
余計に農業だと土地にすごい結びついた行いというか、
なりわいだと思うから、
そもそもこの土地を見つけるのも大変じゃないかとか、
貸してくれる人とかを探すのも大変だろうし、
土地を持つということはその近くの人たちとの関わりも持つことになるから、
そことの関係性みたいなのがすごいいっぱいあって、
複雑そうとか難しそうみたいなイメージがあるけど、どうなんですか?
そうなんでしょうね。
本当にね。
いやでも本当そういうのは、
新しく入る人は難しいなって思います。
私はたまたま岩間さんと牛をやっている林さんという方が
東野にいたから、私を東野に引っ張ってくれる人がいたので、
畑もそうやって仲介で紹介してくれる方たちがいたから、
来てすぐ始めることができたけど、
自分でそれを一から開拓してっていうのは本当に難しいと思う。
すごい良い場所だよね。
今まさに田んぼの前で収穫してるんですけど。
ここも私が借りているというより、
この上が林さんが放牧しているエリアなんですけど、
そこのすぐ下で。
そっか、じゃああの向こう側に牛たちがいるんだ。
そうね、今いるか。
もうちょっと奥なんですけど。
そっか、その下で。
だんだんというか、山斜面になっていって。
その一枚下にあるという田んぼはやっぱり見えないもんね。
こっちからその下にあるから。
そうだね。
農業の挑戦
だから本当にすごいと思います。
この面積の田んぼ、だって田んぼも大変だよね。
いやいやいや。
そんなことないですか。
自分が頑張るとこは意外とちょっとで。
他の坂本さんもそうだと思うんですけど、
人間が手を貸してあげれば、
こちらが持っているほど弱くないというか。
だから本当にちょこっとやって、あとはどうぞどうぞっていう感じ。
すっごい手をかけて、手をかけてっていうのとはまた違うというか。
そうだね、その田穀とか、最初の田おこし、しろかきとか、田植え、収穫は全部手作業で。
そういうところで手をかけるという意味はあるんですけど、
でもそんなにだからといって田んぼに時間を取られるかと言われると、
そうでもないと思います。
そうなんだ。
勝手なイメージだと草取りがとか草刈りがとか、
他の米以外の生き物の強さみたいなのをバランスをどう作るのかみたいな。
大変さがあるようなイメージなんだけど、そうなんだね。
でも私まだ2年目だから全然全然わからないんだよね。
そっかそうだよね。だから1回はまず米ができてるけど、
また今年は今作っている途中だし。
米は何を?
米は、私が小豆でできたあんことお豆腐がすごい好きで、
自分の人生に必要なものとして。
あんこと豆腐。
そうそう。それをゆくゆくは自分で作りたいから作ってるっていう感じです。
もう収穫は1回はできて、保管されてるっていうのは収穫ができてるってこと?
そうですね。去年取れたやつね。
だからそういうのも去年取れたお米もそうだけど、
売るのは考えたいところではあって、
ちょっとでもそれがお小遣いになるのなら売りたいと思うんだけど、
そういう売る時間とかどうやって売るかっていうのも、
去年は試し試しでやったので、
今年以降はちょっとずつ考えながらやろうとは思っているところかな。
今本当に2年目でまたいろんなことをやろうとしている途中だと思うんだけど、
あれ程度その一区切りというか、
あかねちゃん的などういう状態になっているのが理想とか、
今思い描いているものはあるんですか?
あるんですけど、
ちょっとだいぶ遠くなりそう。
それはどういう状態?
どういう状態だろう。
自給自足ができて終わりじゃない気がして、私の場合はね。
今は一人でやっているけど、
家族ができちゃったらもうそれで手一杯になっちゃうかもしれないけど、
自分がこうやって動物とか人と一緒に作った作物で、
それが私の場合は特にお米とお豆なんだけど、
例えば小豆で、
ちょっと話変わっちゃうけど、
すごい大好きな長生堂さんの、
長生堂製菓さんという和菓子屋さんがあって、
こんなちっちゃいきび団子があるんですけど、
その一個で私はすごい幸せになるというか、
人の心はこれ一個だけど、すごいこだわって作ってるから、
すごい温かくできるものなんだなって思うんだけど、
多分私もそういうことをどこかでよくよくはしたいと思っていて、
それもその地に根付いたものだし、
豪華なものじゃなくて、
頑張って自分たちで作れるものでやりたいと思うんだけど、
そうだね。だから、自分は例えばお米であんこができて、
お豆腐ができて、それが商売とかなりわいにできなくても、
作って隣の人にあげて幸せにできるぐらいの人になりたいっていうのがあるのと、
でもそれを遠野でやりたいっていうのが、
すごいゆくゆくはなりたいっていうのかな。
だからそれをやっていくためには、まずは作物が作れるっていう状態もそうなんだろうし、
それをどうやって何か作っていくとか、
それをどう渡していくかみたいなことを、これから順番にやっていくみたいなことなんですかね。
そうだと思います。おばあちゃんになっちゃいそうだけど、そんなことしたら。
でもすごい、確かにこれ音声のやつだからだけど、
すごいあかねちゃんのSNSなのかな。
実際に幕を押しているところとか、
作物をやっている他の人が撮っている写真だったり動画みたいなのをすごい見させてもらっていて、
やっぱりすごく着実にやっている感じはすごいなと思って近くで見ているので、
すごい気になります。どう作られていくのかとか。
そもそも保管されているその米と豆たちも気になるけど。
ありがとうございます。
ちょっとじゃあ1回目はこんな形にして、ちょっと区切りをつけて、
2回目はまたこの後編も撮れたらと思うので、前編はここで終わりたいと思います。
地域貢献の希望
ありがとうございました。
ありがとうございました。