私は、授業で学生に私の講義ビデオを視聴させまして、そのビデオに関する感想を課題として提出させています。
これを毎週行いまして、毎週の授業の最初では、その学生が提出した課題をオンラインでクラスの中で共有させまして、いいなと思ったものにはいいねをつけさせて、そのいいねがたくさんついたものを私が取り上げて、読み上げ、そしてコメントするということを行っています。
その中で、私がちょっと違和感を感じまして、学生に話したことをここで紹介したいと思うんです。
まずはですね、私のコメントから聞いてもらいたいんですが、そもそも私は学生に何を求めているかということを知っていただくために、まず、設問を紹介します。
私は講義ビデオを見た後に、次のようなものを書くように言っています。
読み上げますと、「第3週の教材を学ぶことにより、新たに気づかされたことや感じたこと、これまでよりも深く理解できたこと、関連して考えさせられたことなどを具体的に書いてください。
授業に関連した感想、意見、質問などを自由に書いてください」。
このような設問です。
ここでは第3週の教材に関して書いてもらうという、そういう設定でした。
そして、それについて学生が書いたもので、クラスの中でたくさんのいいねをもらったものを私は紹介したんですけれども、その文章は学生が書いたものですので、ここでは紹介できませんが、
それに対して私がどのようなコメントをしたかということは、その授業のビデオを作ってありまして、それをここで再生することで紹介することができますので、ちょっと紹介したいと思います。
「この感想、感想というのかな、この文章、とてもよくまとまっていますね。
ビデオで学んだことをうまく言葉に表現してくれていまして、まとめとしてはとてもよく書けていると思います。
そのことを多くの人がいいねという判断をして、これがトップに来たんだと思いますけれども。
でも私としてはこの文章、よく書けてはいるんですが、ちょっと物足りない感じもしますね。
というのは、こういったここに書かれているいろいろなことを知った上で、この文章を書いた方が何を感じたかということは書かれていないからです。
総花的にビデオの内容をうまくまとめてありますが、その中で特にどこに関心を持ったのか。
一か所だけでいいんです。こんなにたくさん書く必要はないので、一つを取り上げてそこに関してもっと自分の言葉で自分の感じたことを書いてくれたらば、もっとよかったかなというふうに思いました。
実際にそうしたかどうかはわかりませんが、最近よく使える人工知能、これを使ってデータを入れてまとめさせると、こういうような非常にきれいにまとめられた文章が出てくるんですが、もっと人間らしいと言いましょうかね。
つまり、うまくできていないほうがいいんです。文章として整っていないほうがむしろいいんですね。そういう文章を私は読みたいなというふうに思っているんですけどね」。
はい、こんな感じのコメントですね。学生がいいというふうに言っているトップに来たものですので、文章としては確かによく書けていたんですけれども、しかし私が求めていた講義ビデオを見て感じたこと、そしてそこから触発されて考えたこと、
というものが自分の言葉で語られているようには思えなかったんですね。非常に抽象的な表現で、文章としてはきれいにまとまっています。
私は人工知能、ChatGPTなどを使っていろいろ文章を生成させたことがありますので、人工知能が生成する文章の特徴というのはある程度把握しているんですが、基本的に非常に抽象的なんですね。言葉の上ではうまくまとまっていますけれども、そこに心がこもっていないというか、そういう感じがしました。
これは本当に私の感覚で感じるものなので、なかなかどこがどうなっているのかというのは表現しにくいんですが、読めばだいたいわかります。
学生が書いた文章もですね、本当に人工知能に書かせたかどうかはわかりませんけれども、そのような感じを受ける文章だったので、そういう文章を見ると思わず私は何か言いたくなってしまうんです。
このような文章が他の学生から見てもいいというふうに判断されるということはどういうことなんだろうか、というふうに考えたんですね。
これは、今の学生のある種の価値観というか、あるいは行動パターンというか、思考パターンですかね、考えですので、それと関係があるのではないかというふうに思い始めていまして、