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2024-02-15 11:10

27 コメント | 講義-レポート形式の大人数授業について

サマリー

たかはしはじめさんはnoteの去年の記事で大学の大人数授業とレポートについての問題点を指摘していますが、それにコメントしています。

大学の授業とレポート問題
私、たかはしはじめさんのnoteのオンラインサロンに入っていまして、それで、たかはしさんがnoteにたくさん書かれている記事を古いところから順を追って読んでいるんですが、
なかなか先に進まないので、ずいぶんまだ古いところなんですけれども、たまたま、これだいぶ飛ばしてということになりますが、去年の、つまり2023年の7月19日付けで、次のような記事が掲載されています。
「【元学長の体験的大学論】人工知能と少子化時代の大学の生き残りかた」というタイトルのものでして、ここではですね、ChatGPTというのが出てきて大騒ぎになった昨年の、その多くの大学で大騒ぎしていた、
それに対する、かなり冷めた目でのコメントというふうになっています。
私の大学でもそうでしたが、ChatGPTを使いますと、これまでのレポート課題、簡単に人工知能にレポートを書かせて、それをコピー&ペーストで提出すればもう済んでしまう、そういう時代になってしまいました。
そこで、人工知能で書いたかどうか、どうチェックするかとかですね、人工知能を使っては書けないような課題をどうすれば出せるかとかですね、そんな議論がいろいろなされました。
もうレポートなんていうのは、そういうことではダメなので、ChatGPTに書かせられてしまうということですかね。
ですので、教室でですね、手書きで何の参照もなしにレポートというか、小論文のようなものを時間内に書かせるべきだ、なんていう話も出てきています。
計算問題を出して電卓でやらせないように、教室で筆算で計算をさせるというようなことと同じ発想ですが、小学生に計算の仕方を教える上では、そういうことが必要なのかもしれません。
それと似たようなことを大学でやるのもどうなのかなというふうに私などは思いました。
それともかく、たかはしさんはですね、この状況においてどうすればいいと考えているかと言いますと、
ChatGPTということが問題になるのであれば、それを大いに使っていいから、それを使って一番いいレポートを学生に書かせると。
つまり、道具の一つとしてChatGPTを使って、それでどれだけいいレポートが書けるか、それを見るという、そういうのがいいのではないかという発想で、
私も似たような発想をしているんですけれども、ただたかはしさんはそれよりもさらに根本的にですね、
講義をして、その講義をちゃんと受けてですね、勉強しているかどうかを確かめるために、それなりのレポートを書かせるということ自体がですね、もうおかしいんじゃないかと。
大教室でですね、大勢の学生を集めて、そこで教員が一方的に話をする。
こういう大学の講義というもの自体をもうやめた方がいいんじゃないかという、そういうご意見です。
じゃあどうするかというと、それはオンライン、オンデマンドのビデオなり何なりで提供すると。
学生はそれを好きなとき、好きな場所で見ればよいと。そういう考えです。
教員もですね、毎年毎年、あるいは1学期の間にも何回も同じ講義をするというのではなくて、一度行った講義はですね、それを繰り返す必要があるのであれば、そのままあるいはマイナーチェンジをして学生に提供すればいい。
その浮いた分のですね、エネルギーと時間をもっと違うことに使えばいいではないかということですね。
じゃあどういうことに使うべきかというと、それは学生個人個人に対してですね、教員が関わっていく、そういうある種、個人、ないし少人数の教育だということだと思うんですけどね。
この考え方、私も非常に共感するところがありまして、そうなればいいなというふうに思っています。
オンライン授業の提供
さらには学生にビデオを提供するというのも、これはオンラインでやるわけですから別に学生だけに限らなくてもいいわけで、一般にですね、一般公開して学生以外の人にも利用できるようにする、そうしたほうがいいんじゃないかと。
もちろんそれは無料で公開するということもあるかもしれませんが、お金を払って大学に来ている学生のことを考えるならば、一般公開する場合は有料でということになるのかもしれません。
ということで、たまたま私が目にした文章なんですけれども、非常に共感するところが多かったんですけれども。
ただ若干ですね、意見を異にするということではないかもしれませんが、ちょっと私には引っかかったところは、オンラインの講義、これは単に知識を伝達するだけのものなんだから、
短答式のですね、つまり短い答えで答えられるような、そういうテストを課して、それで成績をつければよいというような、そういうことがちょっと書かれていたように思うんですが、私はそれすらもう必要ないんじゃないかというふうに思っているんですね。
それは、そういうことをするということは何らかの知識をですね、記憶するということを要求しているんじゃないかと思うんです。
もしかしたら参照可ということにすれば、記憶は必要ないのかもしれませんが、ともかく知識というものを頭の中に入れるということが大事だという発想に基づいているような気がするんですが、
それ必要なんだろうかと。別に講義で、講義ビデオで見たものをですね、一度見て、で、それ忘れてしまっても別にいいんじゃないかなというふうに思うんですね。
で、他の配信で話しましたけれども、外山滋比古さんの『思考の整理学』なんかで書いてあることですが、学んだこと、これを忘れるということが大事だと。
もちろん100%全部忘れてしまったらば、あまり意味がないのかもしれませんけど、それでもいいんじゃないかと私は思うんですけど。
でも、ほとんど100学んだうち99忘れてもですね、1つ残れば、そしてその残った1つというものがですね、非常に大事なものになってくるのではないかなと。
ですので、100学んだらば、100とは言わないまでも50とか80とかはちゃんと覚えてなきゃいけないというような、そういうことを強制するような試験というものはやらないほうがいいんじゃないかなというふうに私は思いまして。
で、実際私の授業ではそういった記憶に関する要求は一切してないんですね。
何かを覚えてなきゃいけないということは、私は一切学生に課していないんです。
じゃあ何をしているかというと、一応講義ビデオを見させるんですけども、そこから何を感じたか、そこから何を考えたか、それを書いてくださいと。
講義ビデオで言っている知識は一切書かなくても良いと、むしろ書くと良くないと。
学生の中にはですね、講義ビデオを文字化したものをChatGPTで要約させたようなですね、そういうようなものを書いてくる学生もたまにいるんですけども、
そういうのが出てきますと私はもう非常に不愉快になりまして、不機嫌な態度を取りたくないんですけども取ってしまうことがあります。
私が求めているのはそういうもんじゃないんだと、私が言ったことは全然繰り返す必要はないと、そういうことを学生には言っています。
ということで、たかはしさんの去年の7月19日に公開されましたnoteの記事に関する感想、コメントでした。
それではまた。
11:10

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

しっかりとお読みくださり本当にありがとうございます。 短答式の話は、どうしても試験をしたいのであればということなんですけどね。ちなみにそれだけで成績をつければよいとはまったく考えていません。念のため。 一番いいのは口頭試問なんですけどね。大人数だと限界がありますね。オンライン化オンデマンド化を進めれば、大人数の授業も消えてなくなっていくと思うんですけどね。

たな たな
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