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2024-11-06 11:07

186 日記 | 今井むつみ著『学力喪失』を借りました

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2024年11月6日、水曜日の声日記です。

今日は大学に行って授業を行いました。その前に図書館に寄り、予約していた本を受け取りました。受け取ったのは、慶応義塾大学の今井むつみ教授が書かれた『学力喪失——認知科学による回復への道筋』(岩波新書)という本で、今年出版されたものです。

なぜこの本を読もうと思ったのかと言いますと、先週、NHKラジオの早朝番組「明日へのことば」で今井教授が赤ちゃんの言葉の習得について話しているのを偶然耳にしたからです。その日は早く目が覚めて、寝床でラジオを聴いていたところ、たまたまこの放送が流れていたのです。赤ちゃんは、親が特に教えようとしなくても、遊びの中で自然に言葉を覚えていくものです。赤ちゃんが持つこの驚くべき学習能力について今井教授が研究されていると知り、興味を持ちました。ちなみに、この方は昨年『言語の本質』という新書も出されており、今回のラジオもその関連のインタビューだったようです。

その今井教授が、今年『学力喪失』というタイトルの本を出されたのですが、このタイトルについては少し引っかかるところがあります。少し誤解を招く可能性があるので、もう少しわかりやすいタイトルでもよかったのではと思います。この本のテーマは、「なぜ子どもたち、あるいは大人も含めて、学ぶ力を失ってしまうのか」という問題です。赤ちゃんは生まれながらに学ぶ力を持っていますが、学校に通うようになると次第にその力を失っていくというのが「学力喪失」の現象です。つまり、学校は学力を高める場ではなく、逆に学力を奪ってしまう場になっているのではないか、という問題提起なのです。

「学力喪失」というと、『算数ができない大学生』などのように、学力の低下をセンセーショナルに取り上げる類の本を連想してしまうかもしれません。しかし、この本はそういったものではなく、算数や読解力といった基礎学力がなぜ十分に身につかないのかを認知科学の観点から分析したものです。また、学ぶ力を失わないためにどのような教育が理想なのかについても述べられています。

私にとって非常に共感できる点は、学びが本来「遊び」であるべきだということです。遊びとは、失敗を恐れずにいろいろなことに挑戦し、それ自体を楽しむ行為です。必ずしも「遊び」そのものに限らず、一般に学びとされることも、楽しんで行えるものであれば「遊び」として成立するのです。つまり、ただ苦しくても頑張って取り組むのではなく、面白くてやらずにはいられない、そんな学びこそが理想です。そういった学びであれば、学ぶ力は失われないでしょう。

この本は心理学や認知科学に基づいて書かれているため、具体的な教育方法については触れられていません。ですから、その点については他の専門家が考えるべき課題ですが、学びのあるべき姿については十分明らかにされています。私は今日この本を借りたばかりで、各章のまとめをざっと読んだだけですが、それでも多くの人にぜひ読んでほしい一冊だと思い、ここで紹介したいと思いました。

今日は曇りで少し寒い秋の一日でした。また、アメリカでは昨日から大統領選挙の投票が始まり、先ほどのニュースでトランプ氏の当選確実との報道がありました。今後、アメリカや世界がどう変わるのか注視していきたいと思います。

最後に、私が昨年の11月7日にポッドキャストを始めてから明日で1年になります。少し慣れてきたものの、まだまだスムーズに話せないので、これからも精進していきたいです。

(AIによる要約)

今井むつみ『学力喪失——認知科学による回復への道筋』岩波新書,2024.9

#声日記 #学ぶ力

サマリー

今井むつみ著の『学力喪失』は、赤ん坊が持つ学ぶ力が学校教育によって失われる過程を探求し、遊びを重視した学びの大切さを訴えています。著者は認知科学を用いて、子どもたちが基礎学力を身につけられない理由を明らかにし、学びを奪わない育て方について提案しています。

学力喪失の研究
2024年11月6日水曜日の声日記です。
今日大学に行きまして授業をやったんですけれども、その前に図書館に寄りまして予約をしていた本を受け取りました。
その本というのは、今井むつみさんという慶応義塾大学の教授の方が書いた『学力喪失——認知科学による回復への道筋』というタイトルの岩波新書で、今年出たばかりの本です。
まずなぜこの本を読もうと思ったかと言いますと、この今井さんという方がNHKのラジオ深夜日の早朝にやっている番組、「明日へのことば」というコーナーに出ていて、
赤ちゃんがどのようにして言葉を習得するかという話をしていたんですね。
その日、先週なんですけれども、なぜか早く目が覚めて、寝床でラジオをよくつけるんですが、そこでたまたまやっていたので聞きました。
赤ん坊というのは、特に親が言葉を教えようというふうにすることもなく、言ってみれば遊びの中で言葉を覚えていくわけですね。
ちゃんとしゃべれるようになっていく、素晴らしい学習能力を持っているわけですけれども、どうして赤ん坊はそのようにして言葉を学ぶことができるのかということを研究されている方で、
昨年ですかね、『言語の本質』という新書を出版されたようですね。それに関連してのインタビュー番組だったようですけれども。
この方がですね、今年『学力喪失』という非常にショッキングというか、ショッキングでもないんですけれども、よく言われることかもしれませんが、
そういうタイトルの本を出した。このタイトルは私はあまり良くないタイトルかなと思うんですね。ちょっと誤解を招きやすいタイトルなので、もうちょっと分かりやすいタイトルの方が良かったかなと思うんですけれども。
要するにこの本で扱っているのは、なぜ子どもは、というか大人もなんでしょうけれども、学ぶ力を失ってしまっているのかということなんですね。
なぜという疑問が出てくるのは、赤ん坊は学ぶ力を持っているわけです。生まれながらにして持っている。そういう存在なのに、学校に行って勉強をするようになると学ぶ力を失っていく。これが学力喪失と言われていることなんですね。
つまり学校というのは学力をつける場所ではなくて、学力を奪う場所だということなんだろうと思うんです。学力喪失というと何か、学力が低い人を非難するようなニュアンスを感じてしまうんですね。
『算数ができない大学生』みたいな本もありましたけれども、いかに子どもが、あるいは大きくなっても、簡単なことができないのかということを調査で明らかにして、それをセンセーショナルに騒ぎ立てる。
そういうものはこれまでいくらもありましたので、その類かというふうに誤解されてしまうと残念だなと思うんですけれども。
この本は全然そういう本ではなくて、子どもが、この本では算数、数学とそれから読解力ですね、これを問題にしていますけれども、
いわゆる基礎学力というものを身につけられなかった子どもたちがどうしてそうなってしまっているのかということを認知科学の方法で明らかにしている、そういう本です。
単にどうして学ぶ力が失われてしまったのかということだけではなくて、その学ぶ力をもともと持っているわけですから、それを奪わないような、そういう育て方、学ばせ方というものはどういうものなのかということについても書かれています。
これはですね、私がずっと思ってきたことと非常にマッチする結論でした。
遊びとしての学び
つまり、学びというのは遊びであるべきだということなんですね。
遊びというのは失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジして、それ自体を楽しむ、そういう行為ですね。
これはいわゆる遊びだけではなくて、普通は学ぶことというふうに考えられていることも遊びになり得るわけです。
つまり、いわゆる勉強のようなですね、辛くても頑張ってやるようなそういう学びではなくて、面白くて仕方がなくてやらずにはいられないような学びですね。
そういうものもあるわけです。
そういう学びがいいということですね。そういう学びをしていれば、学ぶ力は失われないと。
こういうことなので、今のですね、学校教育のあり方を大きく変えていかなければ、そういう学びはできないだろうということになるわけですが、
この本はですね、心理学あるいは認知科学の本ですので、教育学的なですね、そういう方法論などについてはですね、あまり書かれていませんけれども。
だから、それは他の人がやはり考えるべき問題なわけですけれども。
でも、どういう学びを目指すべきなのかということについては十分明確に明らかにされているのではないかと思いまして、
これはですね、私まだ今日借りたばっかりで、各章のまとめのところをざっと広い読みしただけでこんなことを語ってますけれども、
本当はちゃんとですね、全部読んでから紹介した方がいいのかもしれませんが。
ともかくこの本はとてもいい本で、多くの人が読んで売るところが大きい本だと思いますので、なるべく早く多くの方に知らせたいなというか、紹介したいなというふうに思いまして、
今日語ってみました。
今日はですね、曇りのちょっと寒い感じの秋の日になってきたなという感じなんですが、
アメリカでは昨日から大統領選挙の投票があり、先ほどのニュースでトランプ氏の当選確実のニュースをやっていました。
これからアメリカどうなるのでしょうか。そしてまた世界は何らかの影響を受けるのではないかと思いますけどね。
それから私個人としては、ちょうど去年の明日というんでしょうか、11月7日が最初のポッドキャスト配信日なので、
その1日前ということで、ポッドキャストやって1年が経ったということなんですね。
1年やってちょっと慣れたかなと思いますけれども、まだまだスラスラしゃべれないので、精進が必要だなというふうに思っています。
ということで、それではまた。
11:07

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