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2024-06-17 11:01

97 日記 | 『イノセント・ピープル』の戯曲を読みました

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6月17日月曜日の声日記。「今日のテレビ面から」を配信。TanaRadio Magazine 第1号をnoteにも掲載。畑澤聖悟作『イノセント・ピープル〜原爆を作った男たちの65年〜』の戯曲を読了。

96 情報 | 6/17 今日のテレビ面から

TanaRadio Magazine No.1: 映画『オッペンハイマー』特集 (LISTEN)

TanaRadio Magazine No.1: 映画『オッペンハイマー』特集 (note)

畑澤聖悟『畑澤聖悟戯曲集 1』(論創社,2024年)

#声日記 #テレビ #イノセントピープル #オッペンハイマー

サマリー

6月17日月曜日の声日記では、新しいニュース番組が昨日から始まりました。また、TanaRadio Magazineの第1号では、映画『オッペンハイマー』の特集が行われ、演劇『イノセント・ピープル』の戯曲が読み終えられました。

新しいニュース番組とTanaRadio Magazine
6月17日月曜日の声日記です。
今日は午前中授業がありましたが、その前の少しの時間を使いまして、
今日のテレビ面からという、昨日から始めました新しいニュース番組というんでしょうか、情報番組というんでしょうか、
その日にやるテレビを紹介するという、そういう配信を行いました。
これとても簡単にできまして、私毎朝新聞を録るとテレビ面を見まして、ざっと見て面白そうなものに丸をつけてビデオで予約録画するんですけれども、
その丸をつけたものをただ読み上げて配信するという、それだけのエピソードなんですけれども、とりあえず2日やってみました。
それから、昨日ですね、TanaRadio Magazineという新しいチャンネルを作りまして、そのマガジン雑誌の第1号として、
映画『オッペンハイマー』特集ということで、これまで私がオッペンハイマーに関して語ってきた様々なエピソードを集めまして、一つのマガジンを作ってみました。
このLISTENでマガジンを作るというアイディアは、はじめさんから教えていただいたもので、早速試してみております。
この概要欄にエピソードをたくさん貼り付けるんですが、それをただコピー&ペーストでnoteというオンラインサービスがありますが、こちらの記事に利用しまして、そちらからもLISTENのエピソードを聞けるようにしてみました。
おそらく私のこの配信に興味を持たれる方の数は、LISTENよりもnoteの方が多いんではないかなというふうに思っていまして、これでLISTENの方の再生回数も少し増えるかなというふうに期待をしています。
それから今日あったことで、ここで語っておきたいのは、『イノセント・ピープル』というタイトルの演劇があるんですけれども、これ今年の3月に10年以上の間隔があったと思いますけれども、再演がなされました。
私はその10年以上前、初演が2010年だったと思いますけれども、その時観ています。
その演劇の脚本を書いたのが畑澤誠吾さんという方で、この方の戯曲集が今年出版されまして、それを購入してそこに収められています
『イノセント・ピープル』の戯曲をやっと今日読み終わりました。
何か変わったところがあるのかなというふうに思って読んでいましたが、もう10年以上前に見た演劇なので、ちょっともう記憶も定かではなく、違いはよくわかりませんでしたけれども、
私が記憶している演劇と同じようなことが、当然ですけれども、書かれていました。
そして前に観たことをまた思い出して、観た印象を思い出しながら読むことができました。
この『イノセント・ピープル』という演劇は何を描いたものかと言いますと、アメリカの原爆開発計画、マンハッタン計画に関わった5人の若者、
その生涯というんでしょうか、原爆開発に関わっているときから、つまり戦時中から戦後ですね、2010年(←2020年と言っていますが間違いです)までの65年間を描いています。
ですから戦時中は20代の若者だったんですけれども、2010年になりますと90歳ぐらいの老人にまでなるということで、役者の方も、役作りなかなか大変な役だったと思うんですけれども、
もちろんその間にはどんどん亡くなっていく人もいまして、でも主人公的な役の人は最後まで出てきます。老人として出てくるんですけれどもね。
戦後どう生きてきたかということが描かれています。映画『オッペンハイマー』、これが今年春に日本で公開されましたけれども、このオッペンハイマーの映画もやはり戦時中の原爆開発から戦後まで描いていまして、
原爆開発に関わった科学者がどう生きたかということを描いている。その点ではこの『イノセント・ピープル』と非常によく似ていますが、もちろんこの描く視点が全く違うので、
全くまた別の問題を、いろいろと考えさせてくれるそういうものだったと思います。
映画『オッペンハイマー』の方は、オッペンハイマーのある種の悲劇的な運命を描いていまして、それで言ってみれば国家に翻弄される科学者という、そういう感じだと思います。
これはオッペンハイマー個人が「原爆の父」などと言われていますけれども、でもやはり原爆というものは国家が作っていったものだと。つまり国家の問題というものが非常に強く感じられるような、そういう作品になっていたかなと。
これは解釈ですけれどもね、一つの解釈ですけれども。それに対して『イノセント・ピープル』は、個人のある種の倫理観のようなもの、これを問題にしている、そういう作品です。
大きなテーマが、なぜアメリカ人は謝罪しないのかという、こういう点なんですね。この点を非常に深く追及している、そういう演劇でして、映画『オッペンハイマー』とはまた全然違う観点で。
そういうことで言えば、これは日本的な問題意識と言っていいかもしれませんね。
常に原爆関係の人が日本に来ますと、謝罪するか、謝罪したかというようなことが問題にされますけれども、おそらくアメリカではそういうことは問題にならないのではないでしょうか。
そもそもなんで日本に謝罪しなければいけないんだという、そういう考えでしょうからね。
この畑澤さんはしかし、そこに非常に大きな違和感を感じて、なぜアメリカ人は謝罪しないのかということを深く追及しているという、そういう演劇になっているので、とても興味深いです。
何かですね、加害行為に協力した人の罪の意識とか、それに関する振る舞いですね、謝るかどうかというようなことっていうのは、やはり個人の問題ですよね。
個人がどう考え、どう振る舞うかということは、たとえ国家に根本的な責任があったとしてもですね、やはり問うことができる、そういう問題なのではないかなというふうに、この演劇を観て、
考えさせられました。
ということで、今日の声日記、これで終わりにします。
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