1. ご当地ソングが好きすぎる
  2. 配信292:【対談】温泉ソムリ..
2025-08-13 1:00:51

配信292:【対談】温泉ソムリエ鎌田さんの思い出の街と音楽

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今回は対談企画!

青森の温泉ソムリエ鎌田さんに、思い出の街と音楽について聞きました。

 

【おたより募集中】

番組へのメッセージはこちらからお寄せください。

https://forms.gle/DmZKdjGR4Dwg7ng69


【番組紹介】

地名が出てくる歌のコレクターによる、偏愛に満ちた配信です。出来るだけ毎日配信しています。

国内唯一のご当地ソング専門のラジオ番組「ご当地ソング捜索隊」(府中コミュニティFMラジオフチューズ)のバックナンバーも、時々お届けします。ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。


【パーソナリティ】

◆ワタンド

本配信のメインパーソナリティ。地名が出てくる歌のコレクター。都市と音楽が大好き。多摩地域で暮らす。

◆しゃり

ラジオ放送のパーソナリティ。ご当地ソングは素人。オーストラリア在住のエンジニアで主にリモート参加。


【Twitter】

https://twitter.com/RRwatandia

【note】

https://note.com/localsong


サマリー

このエピソードには、音楽と仲間との思い出を語る鎌田さんが登場します。彼は自身のルーツや音楽の成り立ち、特に青森や仙台、東京での生活背景を踏まえ、音楽の歴史や影響力について深く掘り下げます。温泉ソムリエの鎌田さんは、自身の青春時代を振り返りつつ、カラオケや音楽の楽しみを語ります。また、音楽がどのように民謡や地域文化に影響を受けたかについても考察しています。さらに、鎌田さんは東京での音楽の思い出、特にグーズハウスやボカロの影響についても話します。地元青森に帰った後の音楽の変化や印象についても触れています。青森について語る中で、音楽と地域のつながりや文化的背景を深掘りし、青森の音楽シーンやアーティストとの触れ合い、故郷に戻ったことによる変化と感情が描かれます。彼は青森の民謡文化や音楽の魅力について語り、リスナーにその音楽的背景を紹介します。

鎌田さんの自己紹介
お晩です。この配信は、地名が出てくる歌のコレクター渡ンドがお届けする変愛に満ちた音声配信です。
番組が面白かったら、いいね、シェアもよろしくお願いします。 そんなわけで、今回は定期で開催しております
思い出の街と音楽というテーマで、シリーズもので対談企画をお届けしたいと思います。 そのわけで、今回ゲストが来てくれてます。
鎌田くんです。よろしくお願いします。 鎌田です。よろしくお願いします。
このポッドキャストのチューンレギュラーの鎌田くんが来てくれましたので。 ありがとうございます。いつも楽しみにやってます。
いつもありがとうございます。来てくれて。 そんなわけで、今回は思い出の街と音楽ということで、鎌田くんをお招きして聞いていくというところです。
この企画は、今まで住んでた街、思い出の街だとか、そこでどんな音楽を聴いていただとか、というのを人生も振り返りつつ、音楽編歴なんかをちょっと聞いていく企画です。
人によっていろいろ音楽、どんなとこを辿ってきたのかが違ってきて、それによって見えてくるものもあるなという感じの企画でございます。
そんなわけで、ゲストの鎌田くんにまずは自己紹介をお願いしてもいいでしょうか。 あと、今までどんなとこ住んでたよ、みたいなのも含めてちょっとお願いできますでしょうか。
改めて、鎌田と申します。今年年年男で、今年年男から一つ年を取る37歳になるところです。
今は青森県に住んでおりまして、今も青森県の津軽市というところにアパート借りて、夫婦で住んでおります。
僕は今個人事業主で仕事をしてまして、主に音声総盛り絵という活動をしてるんですけど、青森県内の音声のPRをしたりとか、記事を書いたりとか、
あと旅行業も持ってるので、旅行業の企画をしたりとかっていうのを、いろんな団体さんとか、
町とか市役所と協力しながら、そういう活動をしております。 どういうところに住んでたかっていうと、出身が青森県なので高校生までは青森に住んでいて、
大学で1回県外ということで仙台に出まして、 仙台の大学生時代に渡野さんと出会い、
今に至る、友情が含まれてるんですけど、 学生卒業した後は東京で就職をして、7年くらい過ごして、
2017年に地域おこし協力隊っていうので、弘前市に青森県にUターンしたみたいな感じになっております。
という感じですかね。
ありがとうございます。
そんなわけで、今までの住んでた場所というと、青森、仙台、東京、青森の4つっていうジャンルとしては4ブロックという感じですかね。
青森での思い出
そんな感じですね。
ありがとうございます。ちなみに青森は幼い頃住んでた場所と、今暮らしている場所はどんな感じですか?エリアとしては同じような場所なんですか?
市町村は違ってて、ざっくり言うとこの実があるではあるんですけど、
生まれたのは、今青森市に合併しちゃったんですけど、奈美岡町っていう町がありまして、結構小さい町で、そこに生まれて、結構山の方というか田んぼとかしかないようなところで育ちまして、
僕の生まれた小学校も今年でちょっと人数が少なくて廃校になってしまうんですけど、そういうところも寂しさもありながらという感じで、
今は青森県の津川市っていうところは、ここもそんなに人口多いわけじゃないんですけど、小川市とか、ちょっとこう西の方、青森県の西の方にある場所で、
ここも平和で穏やかな、ちょっと行けば海があったり、ちょっと行けば山があったりするようなところで、結構メロンとかスイカがよく摂れるところなんですけど、そういう町で今は暮らしております。
なるほど。青森の中でも近いと言いながらも少し異なるエリアでそれぞれ暮らしてきたという感じですね。
そうですね。変転としている感じです。
ありがとうございます。ちょっとそんなかんまたくんのこれまでの場所も踏まえつつ、ちょっと音楽編歴を聞いてみたいなと思うんですけども、どうですか?
何かこう、いつぐらいから音楽聴き始めたなとか、その原初の音楽楽しんだ記憶はいつぐらいかなとか、ちょっと音楽の古い思い出はどんなのか言いますか?
そうですね、別に僕は楽器をやってたとか、家にそういうのがあったとかっていうわけではないので、本当に純粋にほとんどの時間はJ-POPを聴いてというか日本の音楽を聴いて過ごしてるんですけど、
一番最初ってなると今パッと思いついたのは、ポケットビスケットって分かりますかね。当時の売り成りだったっけな。テレビのうっちゃんなんちゃんの番組があったんですけど、
その中で、うっちゃんとちあきと宇戸鈴木が組んで、ユニットを組んで音楽活動するというポケットビスケットというアーティストからいまして、それがすごいハマったんですよね、その頃っていうか。
いや、早ってたよね、ブンブン。
やっぱりそうですよね、はいはい。
で、なんかすごい今でも覚えてるのは、解散危機みたいなので、100万人署名集まらないと解散みたいな、あって、それに今コンページかFAXで署名しようみたいな感じだったと思うんだけど、
でも当時はまだうちに種となかったし、FAXだったらギリあるから、お母さんとかに頼んで、ここで申し込み用紙が手に入るらしいから、僕も署名送らせてくれていて、青森県の田舎から署名を送った記憶がありますね。
ポケビ解散しないでみたいな。
そうそうそうそう、100万人到達してほしいみたいな署名を送って。
でも、それをやりながら、ライバル団体でブラックビスケッツっていうのも出てきて、なんちゃんとアマノとビビアンスさんのライバルチームみたいなのが出てきて、
僕はポケビファンだったんですけど、圧倒的にポケビだけが好きで、やっぱ当時でも番組の作り的にそういうブラックビスケッツはポケビを追い詰めようとしたりとか、ゲームで負けたら解散だみたいなのをやらせたりするので、
それを純粋になんてひどい奴らなんだと思って見てたんですけど。
言うがたね、青森の少年会。
でも、結構ブラックビスケッツのタイミングとか流行ってたじゃないですか。
結構キャッチーな曲調で、僕の小学校の運動会で全校でダンスを踊るみたいなのが、そのタイミングが選ばれたんですよね、ブラックビスケッツの楽曲。
僕はブラックビスケッツすごい嫌いなのに、踊らされる羽目になって、すごい嫌々参加してたみたいなのが、結構原始的な音楽。
敵国の文化を踊らされる屈辱的な行事にされたがるような気持ちになって。
パワーをかけようと思ってたね。
本当にその通りですね。
僕はイエロイエローハッピーが聴きたいのに、みたいな感じで。
グリーンマンが聴きたいと。
グリーンマンはどうかわかんないけど。
初めて買ったCD、厳密にどれって覚えてないけど、たぶんその辺入ってきて、ポケットビスケッツの、それこそグリーンマンとかも家にCDあったと思うし。
音楽の成り立ち
パワーとか、レッドエンジェルとかその辺りがあった記憶がありますね。
それは音楽が好きだった?テレビの企画でタレントとして頑張れっていうよりは音楽として好きだった?
なぜか結構歌が好きというか、音楽が好き。
音楽ってまで認識してたかあれですけど、なんか口ずさんだりとか、いろんな人の曲を聴いて、別に上手でもないし、
結構うちで口ずさんでたら、お母さんにうるせえな音痴って言われて、すげえひでえ親だなって思った記憶もあるんですけど。
上手ねーって、素晴らしいなーって褒めてくれてもいい?
できればね、褒めて伸ばして欲しかったですけど、やかましいな音痴みたいな感じで言われて、すごい泣いた覚えがあるんですけど。
先生に突き落とす教育欲しいね。
そうだね、それにもめげずに口ずさんで。
歌うとか音楽の修行とかは結構好きだったのかなという感じですかね。
なるほど、そこが結構スタート地点というか、古くハマった思い出っていうところですね。
その頃はそんな感じだった。小学校のところとかはそんな感じでしたかね。
そこからスタートで劇的に聞くようになっていったのか、その以降とかはどうですか。
すごい覚えてるのは、中学校の時に、もちろんCDとかいっぱい気になったからといってすぐ変えたりする。
何でも変えるわけじゃないので、本当に気に入ったやつだっけ、ケミストリーとか。
中学校の時にちょうどデビューしてあったので、ケミストリーとか太田光とかをちょっと聞き始めたりしたんですけど、
中学校の時にラジオをたまたま聞く機会があって、
もう今終わっちゃったんですけど、FMのラジオでミュージックスクエアっていう番組があって、
毎日やってるんだけど、その月曜日から木曜日は普通にいろんな音楽かけて、
金曜日にミュージックスクエアっていう番組独自の、その週のトップ20みたいなやつを発表していくみたいな1時間半ぐらいの番組があったんですよね。
オリコンとか尻の売り上げとかを加味しながら、一応ミュージックスクエアのオリジナルみたいな感じで、
ちょっとずつ今週の20位みたいな感じで、どんどんカウントダウンしていくみたいなテレビとかでもあるけど、
それ以外はMCの人とかも好きで、要所要所で小ネタを重んだりするんですよね。
そのリクエストの声とか、こういう声がよく僕が集まりましたとか、この曲がずっと1位ですねみたいなのをやったりするんだけど、
それを当時やっぱりアナログなので、カセットテープに録音してたんですよ。
その金曜日の毎回金曜日の9時から10時半を録音して、それを1週間聴き続けるみたいな。
繰り返し?
そうそう。繰り返しです。
で、それを家に帰って宿題しながらとかテスト勉強しながら、それをPGMに勉強したりとかしてたんですけど、
一応その当時の流行はそれを追うことでおおよそ終えて。
20曲毎週リピートでやったらもう耳に刻み込まれて。
そうなんですよ。だから、次の週の木曜日とかにはもうリクエストのラジオネームまでも全部覚えてるみたいな感じで、
あ、次ここの人だなみたいなのとか。
リサイクル数にもなるんですね。
そうそう。
生活をしてて、だからなんかやけに広くミュージック芯を抑えてる中学生、高校生だったような気がします。
だから別にいっぱいそういうのに詳しいわけじゃないけど、クラスとかで喋ってても大よそだいたいついていけるみたいな。
みんなが言うような人は。
流行ってる曲とかで、別に僕そんな割とどっちかっていうと陰キャな大人しいグループだったんですけど、
別にそういう軽音部とかが歌ってる曲とかも口ずさんだりするし、
なんかちょっとこう、クラスの女子とかが、
例えばウインズとかね、当時だったらウインズの曲とかジャニーズの曲とかも何かこう、
なぜかあいつも口ずさんでるみたいな、かまたもなぜか知ってるみたいな感じで。
音楽のことはかまたに聞こうぜみたいな空気がクラス中で。
好きなんだねみたいな、音楽好きなんだみたいな感じの生活だったので。
たぶん中学校の時はまだうちの町にカラオケがなかったので、そういう小さな町だったので、
高校生になって広崎っていう町に進学っていうか通ってたんですけど、
広崎は何個かそういう高校生が行けるようなカラオケもあったので、
その辺で初めてカラオケに行って、なんか意外と大人しいと思ってたら、
なぜか歌えるみたいな、歌えるというより上手ではないけど、なんかいろんなジャンル歌えるためみたいな話。
で、なんか楽しんでたような気がしますね。
そのカラオケはクラスのいろんな友達とみんなと行って、
あ、結構かまた歌えるじゃんみたいな、一番高校生だったってこと?
なんかそうですね、クラス会みたいなので行ったりもしたし、仲良い友達で行ったりもしたけど、
別にかまた歌えるよねっていうほどではなかったですけど、別に上手ではなかったかなと思うけど、
割とカラオケ好きになり始めなりかけみたいなのがその辺だったかな。
なんかウィンズ好きな女子にも、ウィンズのことなら僕も話せるよみたいな感じで話しかけた人が特にいなかった?
そうですね、ちょっとそういうタイプの時代ではなかったので、
そうですね、今考えればね、そういう風にそんな高校生活が送りたかったなって思うんですけど、
特にそういうこともなく。
カラオケの思い出
かまた君と聞いて、やっぱカラオケが結構切り離せないというか、カラオケが好きなイメージが僕の中ではあるので、そこがカラオケにハマってるかって感じですね。
大学の頃我々知り合ったんですけども、その時にはもう結構カラオケ好きみたいなイメージがあったんで。
好きになったのはそうですね、本当に高校生ぐらいから初めてカラオケに行って、最初の頃は全然歌えないというか恥ずかしいなみたいな気持ちもあったんですけど、
回数を重ねるごとに、なんかちょっとこう、俺の歌を聴いてくれみたいな気持ちになって、
あんまりこう、今も、和田さんも多少そうかもしれないけど、声がそんなに低くならなかったというか、声が悪いしたけど結構高い声も出せてたので、
なんか割と歌うレンジが高くて、そうそうそう、当時のエルレガーデンとか当時から流行ってたりしたけど、エルレとか、
何だろうね、いろいろサスケとか当時流行り始めたアーティストとかも結構歌えたりしたので、
そういうので、割と声出てすごいねみたいな感じで、カラオケ楽しくなってきたっていう感じですかね。
ラジオで結構そこのミュージックスクエアで引き出しが広がったみたいなとこだったんだけど、
その後、音楽を仕入れる源みたいなのはどういう感じですか。大学入ってもラジオとかだったのか、その後はちょっとスタイル変わって。
変わったね、そうですね、やっぱりラジオはミュージックスクエアはね、なぜかやっぱり大学入ったら聴かなくなったので、
やっぱりちょっと家で勉強したりとかっていうお供に聴いてたなっていう要素が強いので、
外に出歩くチャランポランの大学生になってしまったので、
あんまり家で落ち着いて音楽聴くみたいなのはなくなっちゃったのかなと思うんですけど、
大学生の頃って、
新しく出会った話じゃないですか。
Cというなら、それこそTSUTAYAとかは近かったので、
TSUTAYAで借りてる枚数は大学生の頃が一番多かったかもしれないですね、CDを。
まだ、いわゆる今のネットサービスっていうか、
普通にApple MusicとかSpotifyとかっていうにはまだ早かったから、
まだ始まってなかったから使ってはなかったし、
一応CDではあったんだけど、
多分本当にCDを借りて先生とMP3プレイヤーとかに落としてみたいなのの、
ギリギリまだそのくらいやってたかなっていう感じでしたね。
じゃあTSUTAYAで見て、新しい知ってるアーティストのシンプル出たら書いてみるかとか、
ランキング上映画書いてみるかみたいな感じ。
なるほどね。
ちょっと話が遡っちゃうんだけど、
ちなみに親の影響って音楽面であったりする?
親が聴いてた曲ってあったなとか。
親の影響で言うと、
まず父親がZardがすごい好きで、
Zard…やたらZardが家に…
ちなみに言うと、
父親は割と手広くて、クラシックとかのCDもあったし、
ジャズも何枚かはあったし、
少しビートルズとか、
それやっぱりちょっとうちの親世代ぐらいの流行ったローリングストーンズとかのCDもあったりしたんだけど、
多分多かったのはZardが、
Zardは必ずベストアルバムとかカッコアルバムとか買ってて、
それを車で聴いてるうちに、
僕もZardは結構今でも聴いたり好きになりましたね。
Zardのボーカルの坂井泉さんもすごい綺麗な人で、
CDのジャケットを、
当時ガラケーがスマホに始めた時で、
当時の父がそのCDのジャケットを摂写してこのガラケーで写真撮って、
それを待ち受け画面にしてたのを、
それをまたこの母親がたまたま見つけて、
なんかこう浮気っていうか、
その女誰なの?
そうそうそうそう。
待ち受けの女誰?
とってもちょっと分かりづらい、
絶妙に隠し撮りしたみたいな。
女の写真が。
なんか愛引きしてるのかしらみたいな感じで。
横向きの写真みたいなの多そう。
そうそうそうそう。
引きの写真が多い。
そういう騒動が一時期ありましたけど、
なんか親の影響で多分一番大きいのはZardとか、
あとは井上洋水とかは、
車でずっと流してたなと思って聴いてましたね、僕も。
ジャンルもなんか広くてかつ優しげな曲が多いですね。
そうですね。
どっちかというと音楽は父親がよく聴いてて、
あんまり口数は少ない感じの父だったんですけど、
割といろんなことに興味があって、
親の音楽の影響
いろいろ聴いてたりしてましたね。
いいですね。
みんなこれまでこの企画やってお話聞くと、
やっぱり親が聴いてたのを小さい頃聴いてみたいなことを聴くことも多いなと思ったんで、
自分もちょっと車の中で聴いた音楽っていうのが結構一つ、
小さい頃の思い出ってあるから、
なんかあるんじゃないかなと思って。
ちなみに何なんですか?
うちの親は結構演歌とか歌謡曲みたいな感じだね。
あと母親は佐田雅史とか、
あとかぐやい、南光雪とか、フォークって感じかな。
なるほどね。そうですよね。世代的には。
そうね。そういうのが多かったかな。
だからちょっとそれで小さい頃聴いてた、
結構佐田雅史とかは地名が出てくるとよく歌ってるんだよ。
長崎出身なんだけど。
なるほど。はいはい。
あと父親が聴いてたような音楽でも、
大阪、道頓堀がどちらかみたいなやつとかは覚えてたりして、
なんかね、ちょっとそこで種は撒かれた感じだったかもしれないね。
東京での音楽体験
おー。なるほどね。今の地域の歌の研究者としての種が、
車の中で肌組まれてた要素もあるんですか。
違った感じがあるかもしれないね。
好きなジャンルになったかって言ったらあんまり相当違うかもしれないけど、
思い出がね。それはわかる気がしますね。
そうね。全く同じの好きになるというよりは、
みんなどこか影響を受けるぐらいな感じだかもしれない。
なるほど。ありがとうございます。
その大学行って、その後東京に行ったりもしつつだけど、
その後、音楽の変化とかの動きはどうですか。
なんかこの話をしてもいいのかあれですけど、
大学で僕たちはこのよさこいサーフェルの。
隠してないで。
よさこいを踊る先輩後輩ということでやったんですけど、
そのよさこいなんてそのモロじゃないですか。
その民謡みたいなのを、
民謡を必ず楽曲に何秒以上入れてくださいみたいなルールでやるっていうことも、
すごい僕としては新鮮だったし、
なんかそもそも民謡っていうのがすごい新鮮だったので、
だからその先代で多分一緒に踊ったチームでも、
ラッセララッセラっていう青森ねぶたの掛け声を、
名物としてというかチームの決まり文句として採用してたり、
チームで一緒に踊ったりしてたんですけど、
僕としてはやっぱりそのラッセララッセラって、
こういう切り取られ方するんだっていうのがやっぱり、
結構地元民としてはやっぱり、
僕ももちろん青森ねぶたは子供の時からずっと見てたので、
もうそれだけにしか使われないフレーズというかリズムだと思ってて、
青森県民でもやっぱり一年のうちでその7日間しか多分聞かないみたいな人はほとんどなので、
でもなんかこうやってよさこいの中デッキ使われるとおしゃれというか、
またちょっと違う魅力があるんだなっていうのは初めてそこで知ったので、
よさこい時代は結構なんか全然違う意味で、
いろんな日本の音楽というか日本の民謡とか、
リズムみたいなのに触れる機会で面白かったですね。そういう意味では。
そうですね。やっぱり、
基本各地の民謡に触れるみたいなことで、
地域の文化を民謡を通じてとか、
掛け声みたいので知るみたいなことは多かったなと思いますね。
なんかあのなんだっけ、
最太郎節か。
大量歌い込みとかだとえんやどっとえんやどっとっていう掛け声が入ってるんだけど、
あれなんかも初めて知った時は何の独り言だろうみたいな感じだったんだけど、
他ではあんまり出てこない掛け声で、
この曲だけの節だったりするのかなと思うとなんかすごい尊いというか掛け替えのない、
地域文化が詰まってるんだなみたいなことを感じたりもするので、
結構掛け声とか言い回しは知られざるエッセンスが詰まってるなって気がしますね。
いや本当にね、そうなんですよ。なんか当時はさ、別にそういうの説明もなく、
ただとにかく曲、この曲がかかったらこの動きを知ろうみたいな感じだったじゃないですか。
こう言えみたいな。
そうそう。恥をかきたくなかったら必死に振りを覚えろみたいな感じだったんで。
意味とか背景とか全然知らなくて、今でもあの民謡だったんだみたいなのって今やっと気づくみたいなのあるんですよね。
テレビとかで歌ってたりとか、公博とかで歌ってたりすると、
このフレーズってあの掛け声だったんだみたいな、ここから来てるんだみたいなのが今やっとわかるっていうのが結構多くて、
そういう意味ではちょっと面白い体験だったなと思いますね。
そうね、何気なくポロって入ってたものが、
一応というか、ものがいろいろそこに詰まってるなって気がしますね。
地元っぽく、実は地元っぽいみたいな、津軽三味線なんかもさ、
やっぱ三味線の音っていうと青森っていうイメージが僕はあるんだけども、あれなんかもね、
青森の民謡なんかだと当たり前のようにバックミュージックが三味線みたいなのがあったりするのかなって気がするんだけど、
結構強烈な青森らしさが一つなのかなって気がするんでね。
そうですね、なんかやっぱりそういうのも、
他のシーンで聞いて初めてやっぱり、
って思う。
アラバキーとか、
会場で聞いたりとか、CMで聞いたりとか、
よさこせが坂井の中で聞いたりとかして、
こんなに津軽三味線って色が付くんだなっていうか、
色色が現れるんだなっていう感じ。
そっちではね、やっぱり、
あんまりありがたみがわからなくて、
まあその辺で聞こえてくる。
近くて、そうそうそうですね。
日常に溢れたものっていう感じですね。
聞こえてきたりとか、そうそうそう。
そういうのは面白かったですね、離れた方が。
はいはい、気づくところがあるってことですね。
そういう意味では、何かいざこの町に住んだから、この歌というよりは離れたから気づくみたいなものが確かにあるのかもしれないですね。
そうね、なんか結構切り取りやすいというか、
洋装だけでもまちこち行ったりするんだなっていうのは実感してましたね。
ちょっと話も進むけれども、
社会人になって、その後青井にも帰ったりすることになるんだけども、
なんかその東京だから、
社会人になって疲れた大人になったから疲れた曲を聴く人とか、
ふるさと帰ろうかなと思ったから、
ふるさとの曲を聴いてみようかなみたいな、
社会人になるとまあそういう環境の変化があったりする中で、
音楽が影響があったなとかいうのってあります?
東京出てからは、
そうね、なんか音楽に触れる、
特にライブに触れる機会はやっぱり一番多かったかなと思うんですけど、
フェスとかも初めて行ったんで、東京に住んでから。
本当にライブとか単独ライブとかも仙台にいるときはほとんど行ったことなくて、
ZEPP仙台とかも普通にライブとしては行ったことなかったので。
踊りに行く場所だと思ってた。
やさこいのイベントで行く場所だったので。
東京来てから本当に会社の人も結構、
ライブ行こうよとかって言ってくれたりしたし、
そういう大学の友達とかも結構ね、
東京の音楽体験
一緒に行ったりフェス行ったりしたので、
本当に生の音楽に触れるっていうのは一番、
東京はやっぱりすごいなっていう感じでしたかね。
でも前半というか、最初の方はやっぱり、
普通に純粋にそういういろんな人の曲聴いたりとか、
多分当時から入り始めたバックナンバーとか、
あと魚クションとか、結構その辺は好きで、
単独ライブとかフェスで聴きに行ったりとかしてたんですけど、
あとはね、東京で覚えてるのは、
グーズハウスがやっぱりハマってたんじゃないですか。
YouTubeで音楽カバーをするシンガー集団みたいなグーズハウスっていうのが、
シンガーハウスに住んでる男女みたいな感じですかね。
そうですね、そういうコンセプトでやって、
週に1回なのか、もっとか、YouTubeでカバーとかオリジナル曲を配信していくみたいなの。
すごい人気出て行った。
そういう人たちは結構小さいライブハウスとかでもライブやってたりしたので、
当時の友達とかグッピーとかに誘われて、
最初聴きに行ったのはきっかけで、
でも、その思い出は結構ありますね。
夏の海の家イベントみたいなところとかでも歌ったりしたし、
聴きに行ったりしたし、
そういうの、こういう距離感で聴けるんだなっていうのは、東京の。
メジャーアーティストのどでかい箱のライブとはまたちょっと違った、近い距離感で。
ライブハウスってこういうものなんだなとか、
終わった後握手できるんだとかっていうのは、その時初めて味わったので。
YouTube時代の音楽の楽しみ方的な感じかもしれないね。
大きいメジャーアーティストだけじゃなくて、自分が好きになってもちょっと半アマチュアみたいな人のところを応援できる。
そうだね、たぶんその走りで。
まあそれで言うと、今思い出したけど、ニコニコ動画とか当時やっぱりすごい流行ってたので歌ってみたとか、
いわゆるアマチュアからでも歌手活動というかシンガーとして活躍してたりとか人気だった人とかが結構出てきて、
僕も結構それを追いかけてたりだかなと思いますね。
ウースハウスがいいなと思ったポイントとかって何?
アマチュア感みたいな、知ってる曲を歌ってくれるみたいなのがあったのか、
それともパリピみたいな感じで良かったのか。
別にパリピって感じではないんですよね。
そこまでキラキラ。
やってることはすごいリア充感あるけど、
キャラクターとしてはすごいそれぞれ魅力的で、
割と静かな人も多くて、
これでもいけるかも感がちょっと。
これでもいけるかも感というか、
存在としては身近に感じるような感じで、
それを全部で7人くらいだったのかな?
7人くらいが楽曲によってメンバー入れ替えながらとか楽器入れ替えながら、
いろんなアーティストの曲をカバーして、
今は幼少で自分たちの曲もやるみたいなのは、
やっぱりあんまりそういう音楽活動っていうのを見たことなかったので、
なんか新しいな、YouTubeで発信してみたいな。
カバーとかで歌ってみたみたいな感じでもありつつ、
楽器の演奏とかもだいぶ本人たちなりでアレンジも結構聞かせてる。
こういう解釈あるんだみたいな曲も結構多い。
そう、まさにそんな感じ。
雰囲気がガラッと変える楽曲とかもあって、
逆にそこで、たぶんバックナンバーとか最初そこで知ったんですよね。
グッズハウスが高根の花子さんをやってて、
いい曲だなと思って、オリジナルの曲を聴いたら、
素敵な曲がいっぱいあるなと思ってた。
そういう曲を知るとか、人を知るきっかけにもなってたので、
しばらくの間はすごいずっと聴いてたような気がします。
そうか、グッズハウスが結構ラジオじゃないけれども、
ボカロと音楽の変化
いろんな曲を接点になるみたいなのがあるのかもね。
そうだね。ちょうどラジオとか聴かなくなってたタイミングだったけど、
そういうのをYouTubeで聴き、
グッズハウスのチャンネルを通して知り始めるみたいなのが、
当時の2010年代とか、そんくらいだったような気がしますね。
なるほど。
ボカロも結構好きだったよなっていうイメージがあくまでもあるんですけども、
その辺はどういった曲好きだったのとか、
どういったポイントが楽しかったのとかありますか?
大学の頃から社会人にかけて、
たぶんニコニコとかボカロとかがハマってたんですけど、
ボカロの良いところね、
すごい思い出に残ってるのは、
たぶんこれもしかしたら前、
ボカロさんのラジオに出してもらった時にもかけたかもしれないですけど、
シャーマンキングのテーマで、
シャーマンキングの中の劇中か劇中かというか、
作品の中に出てくるオソレザン・ルボワールっていう曲が、
ニコニコ動画から最初は本当にファンの人が作った曲としてかかったんだけど、
それを本当に本家というか、シャーマンキングの本家が発見して、
ついには土屋奈の声優さんが実際に歌うっていう、
オソレザン・ルボワールの声優さんが歌うということで、
土屋奈の声優?
土屋奈ってちょっと怖いお姉さん?
今のでニワカブリが割れてしまって、
その中にニコニコ動画から始まって、
本家本元の方でCDが発売されるみたいな流れを見せたりしてたので、
すごいですね。
それもある意味、さっきのYouTubeじゃないけど、
身近なところからというか、自分たちの身近なところで起こっていくこととか、
ニコニコなんて本当に歌い手さんがいっぱいいて、
いろんな人がいろんなアレンジをして、
曲を出してそれをみんなで聴いてみたいなのがあったりとか、
だからそういう意味でボカロ、初音ミクとか、
鏡音輪廉とかの曲とかもすごい好きになって、
だんだんね、当時本当に流行った曲しかカラオケ入ってなかったけど、
どんどんボカロの市民権というか、
勢力がやっぱり拡大していって、
すごいカラオケでもいっぱい曲入ってるので、
そういう楽しさはありましたね。
メジャーデビューしてないボカロの曲とかも結構カラオケには入ったりするもんね。
割と新しいボカロの曲とか、
逆に結構マニアックかなと思ってたけど、
カラオケで歌えるんだっていうのが結構多いので。
ボカロは確かにアマチュア音楽がメジャーシーンと繋がってるっていうか、
そこと行き来できるような音楽の世界が広がった分野だったなっていうのがすごい。
音楽的な特徴も確かにありはするんだけれども、
そういった音楽業界みたいなところが大きく変わった感じもしたのも面白かったなって気がしますね。
青森での音楽の印象
そうなんですよね。
最初はそういう、
もっと最初はね、
どっちかっていうと技術なというか、
不自然に近い的な。
AC音とかね。
それはそれですごい耳に残るいい感じだったんですけど、
それがどんどんハマっていって、
逆にメジャーになっていって、
もうちょっと後の話だけど、
バンプオブチキンとハズレミクとか一緒に楽曲を出したりとか、
そういう演出とかもどんどん良くなっていったので、
そういうのを見れたのはすごい幸せだったなと思いますね。
なんか熱狂もあったなと思っていて、
ニコニコ動画の中で、
新しい音楽が出てきたぞみたいな感じもあったような気がして、
カプタ君と一緒に行ったやつかちょっと分からないんだけどさ、
年末のライブで、
ひとりでバンドを見たときに、
実際のアクトの前に、
リハ演奏みたいなのをしてて、
そのリハ演奏でやってたのが、
ボカロからメジャーにデビューしたアーティストだったんだけども、
ウラオモテラバーズかなんかだったかな、
リハで演奏したら、
そっちがみんなワーって盛り上がってて、
メジャーデビューの音楽というよりは、
ボカロP時代にやってた曲の方から、
みんな多分ファンが繋がってたりして、
ボカロPの曲だ!みたいな感じで、
ワーってなったのが印象的で、
そこがひとつね、
今日はボカロはあったなという気がしてて、
そこが面白いなって思いますね。
そうですね、ひとり絵の大垢Pの時ですね、
多分この大垢として作って、
とても残念ながら亡くなってしまった、
大垢さんですけど、
そうですね、その辺はやっぱりすごく、
本当にビッグなところで、
予熱検視とか出てきましたけど、
何組もそういう、
ハニーワークスとか、
ボカロとかニコニコから始まって、
メジャーシリーズに出ていった人、
どんどん増えていったので、
そういうのを一番、
初めにというか、
まさに物語にしたような感覚はありましたよね。
面白かったなという気がしますね。
なるほど、そうですね。
そんな流れでさらに時を進めますと、
里帰りもして、
里帰りって言っていいのか、
Uターンして、
思い返ってきたっていうので、
今に至るという感じですけど、
どうですか?
青森にいざ帰ってきてみて、
かつ、暮らしもだいぶ変わってきた中で、
音楽が今になっても、
ちょっと新しく聞くようなものが出てきたりするのか、
ある程度変わってなかったりするのか、
感じるところはありますか?
そうですね。
自分の中で一番印象的なのは、
雨晒しがやっぱりすごい、
こっちに帰ってきてから、
雨晒しは。
雨晒しを一番最初に聞いたのは、
東京に住んでた時に、
カウントダウンジャパンだったと思うんだけど、
5日の年のカウントダウンジャパンで、
雨晒しを聞いたんですけど、
正直その時はね、
まだ実際は思いに帰るかどうかは全然決めてない時で、
雨晒しの音楽性というよりも、
ライブの演出とかもすごい凝ってるので、
いろんなスクリーン使ったりとか、
実際に顔見せなかったりとかっていうのが、
その印象は残ってるんだけど、
音楽性は正直当時の自分はあまりわからなくて、
結構すごい失礼な言い方をすると、
森から生まれるとこういう感じの音楽になっちゃうのかなみたいな、
結構内向きな世界観ではね、内向的ではね。
やっぱり暗い、どっちかというと、
もちろん他のカウントダウンジャパンのアーティストに比べたら、
やっぱり盛り上がりとかそういうわけではないので、
やっぱりこういう世界観なのかっていうくらいしか、
当時の自分は理解できなかったんですけど、
帰ってきてから、
帰ってきてから1回青森でツアーで青森のライブやってくれたので、
それを気に入ったんですけど、
それがなんかめちゃくちゃ良くて、
なんかその地方青森で生まれ育って、
都会にみんなどうせ都会に行っちゃうんだろうみたいな曲とか、
青森はどんどん錆びれていく一方だよみたいなのとか、
あれはもうちょっとこう夢を追って破れてしまった、
それでも捨てきれないものがあるみたいな楽曲がやっぱり多いかなと思うんですけど、
それがやっぱりこうすごい分かるようになったというか、
刺さるようになったというか、
別に夢破れて東京から思い入れを出したわけではないですけど、
どっちかというとこう、
転職っていうかね、
新しい夢としてね。
そうそうそう。
都会に就かれてみたいなところもありつつ、
それにしてもステップアップなのかあれなのかわからないですけど、
でもなんかすごい理解できる、
青森と音楽の関係
他の友人とかでやっぱり東京に出てずっと帰ってこない人もいるし、
逆に青森で頑張ろうって思ってたけど、
ちょっとこう別の街に行ってしまった人とかもいるので、
そういうのを見れば見るほどやっぱり、
雨晒しの曲がすごい刺さるようになって、
こういう音楽っていうか、
これは確かに青森から生まれる楽曲だなっていうふうに、
どんどん思えるようになったという感じですね。
青森だからこその感情みたいなのがやっぱりあるのかね。
これも鎌田くんに教えてもらった歌の流れだけども、
古くも松村和子さんかな、
帰ってこいよがあったりとか、
よしいくぞさんのオラ東京さんいく台にしても、
やっぱり遠く離れた、東京と隔絶した街っていうか、
東京と違う場所だっていう感じの位置づけとして歌われることが多いなと思ってて、
あんまりそういうのって他の、
例えば山口県とか、それこそ鹿児島県とか、
そういうのではなくて、青森ぐらいなんじゃないかなって気がして、
そういう切り取られ方をし続けてる最果ての街みたいなところって、
北海道ともちょっと違ってて、
なんかそれって確かに青森独特の地理的な要因もあったりとか、
寒い街っていうようなところの特性であったりとかいうのもあって、
青森らしい要素がかなり強烈にあるんだろう、
昔からあったんだろうなっていうのはすごい感じるところですね。
地域とアーティストのつながり
なんかね、何がそうさせるのかは、
まだわからないところもあるんですけど、
今でもあると思います。
東京からはちょっと離れてるというか、
中央、メインストリームからは離れてるし、
ある意味で動いていかれてるけど、
俺らはここにいるみたいなソウルな。
それはね、結構音楽もそうだし、
それこそダザイユとかが一番有名ですけど、
そういう文学作品とかも結構そうだし、
アートとか胸形思考とか、
そういう東京に置いていかれてることは自覚してるけど、
東京にゲームをする気はないみたいな感じで、
我々が正しいというわけじゃないけど、
我々はこうなんだみたいなのは今でもあると思いますね。
良くも悪くもというか、いろんな面で。
そういう意味で言うと、
そういう人たちが集まってきてる地域性なのかなという感じもします。
天沢市の歌って結構東京の地名もよく出てきて、
東京の歌もあるなと思ってたんだけど、
あんまりそれはただの東京の歌だなとしか思ってなかったんだけど、
もしかしたら今聴いてて、
青森らしい東京の聞き捉え方をしてるのかもなって、
気がしてきて。
なるほどね。
ちょっと東京ふざけんな的な気持ちだったり、
東京はちょっとやっぱり違うなみたいな、
ちょっとひいた目線なのかわからないけども、
そういったものがもしかしたら、
天沢市の描く東京にはあるのかもなと思って、
改めて歌詞を見直したいなって今聴いてて思いました。
そうですね。
もちろん憧れもあるし、リスペクトもあるし、
という感情もありながら、
なんかこう深めるところがあるのかなっていう、
不思議なものですなという印象がありますね。
素晴らしい。
じゃあ結構天沢市はここ本当に戻ってきたからは、
結構一つ大きな印象深いアーティストですね。
そうそう。
でもね、あとはそれをはじめ、
やっぱ結構音楽、
音楽盛んな街なのかなっていう、
住んでるからわかるのもあるんですけど、
それこそりんご娘とかも今もかなり大きくなってて、
それこそ大輪さんとかがいた時代のりんご娘がやっぱり人気すごかったけど、
今も代替わりしてからもこっちの楽曲とかCMソングとか、
ライブソングとかバンバン歌ってるし、
あとはね、さっきのグーズハウスの当時のリーダーの大津さんも広崎の出身なんですよね、青森県の。
僕も協力隊の地域保守協力隊だったいわき地区っていうところの出身なんですよ、
旧いわき町の出身で、
当時はね、それ全然、青森出身なんだぐらいはなんかどうかで聞いたかもしれないけど、
東京にいた時はそういうの知らなくて、
で、帰ってきてから、大津さんって今も音楽活動は東京ではやってなくて、
大津さん自身も青森に帰ってきてるというか、こっちのタレントみたいになってるんですけど、
こっちで会ったりしたんですよね、普通に。
一時期、普通に働いてたりして、
とある温泉で、温泉場でっていうか、
こっちが地元なので、いわき地区のそういうお店で働いてたりして、
そこで僕初めて会って、
え、大津さんなんですかみたいな、あの大津さんですかみたいになって、
でもね、結構普通に何回か飲んだりして、
すごい良い人っていうか、
当時は別にそんな、もう音楽活動も一旦休止されてたので、
普通に市町民として飲んでたっていう感じなんですけど、
グッズハウスじゃあ聞きに行きましたよみたいな話した。
そうそう、知った知った。
そこから友達っぽくなった。
そうだね、なんかちょっと若干自慢できる、
あんまり今言わないようにはしてたけど、
今となってはね、今もちょっとこう活動再開してだいぶ経つんですけど、
今はもうすごいラジオ、こっちでラジオもやってるし、
テレビもしょっちゅう出てるし、
今も人気の勢いのあるおしゃれお兄さんみたいになってます。
グッズハウスの中のゴタゴタの話も聞いたりして。
まあちょっとちょっと教えてもらったりもしたりと。
まあでもね、別に今となっては、
グッズハウスのメンバー、当時のメンバー、
当時のメンバーっていうか今のメンバーも別に交流もあるので、
一緒にまた撮影したりとか、新しく動画撮ったりもしてて、
だからすごい楽しそうに。
ボーカル混ぜてくださいよみたいな。
そうですね、なんかふざけて言ったけど、
ハハハみたいな感じで終わりました。
カラオケ行きましょうよって言ったんですけど、
ハイハイみたいな感じでした。
来てもせず、来てもせず。
大人な対応だったってことですね。
いや、いいですね。
音楽、ちょっと遠い存在だと思ってた音楽の人とか、
アーティストの人と結構近づけたりとか、
こっちでもイベントとか、
フェスって大規模じゃないけど、
音楽イベントみたいのがいっぱいあるので、
そういうところにもちろんリンゴ娘とか、
ダイズさんとか、
音楽に触れる機会はすごい、
こっちでも全然、むしろなんか距離感はすごい近づいたので。
そうそう、どんどん近い、自分と本当に自分ごとになっていくっていうか、
距離の近い存在になってくる感じがしますね。
いいですね。
現代的かもしれないね。
そう、そう、そう。
なんか、ちょっと、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
なんか、
現代的かもしれないね。
地域活動を通じて、
本当のアーティストと一緒に何か仕事したりとか、
なんか、
なんか、
近くなってくってのが。
なるほど。
そうですね、今一緒にっていうか、
たまに、
こっちでだけ放送されてる夕方の
番組で、
音声番組、
音声番組っていうか、
夕方の番組の中に音声コーナーがあって、
で、それもタマシン屋さんっていう青森出身の
ペニーさん、
あの、ワハハ本舗のボカスカジャンの
メンバーとしてやられてる
タマシン屋さんと一緒にこう、
温泉入りに行くみたいな番組にたまに呼んでもらうんですけど、
タマシン屋さんも、
まあ、もちろんずっと
ワハハのベテランなので、
東京でずっと活動してたんですけど、
ここ2年ぐらいは森にも結構軸足を移してて、
で、楽曲とかも、
こっちの企業のCMソングとか、
こっちの、それこそローカル鉄道、
コンナン鉄道っていう、
鉄道の発信音、
到着ベル、
ホームで流れる楽曲を歌ってたりするので、
なんかあの、
ボカスカジャンって昔学校へ行ってみたな、
みたいな記憶があったんですけど、
その本人と一緒に風呂入ってるなとか、
一緒に風呂入ってるね、すごい不思議な気がする。
CDを買ったりとか、
そうそうしてる、
まあ、楽しいは寒いかな、
前アンウェーシーでライブしてたんで、
見に行ったりしたんですけど、
なんかこれくらいの距離感で、
こういう人と、
なんか有名人に会えるんだなとか、
アシストに会えるんだなっていうのは、
なんか帰ってきてならではだったかもしれないなと思います。
カラオケと音楽の楽しみ
いやーいいですね。
そうか。
そういう意味では結構これまでの動き、
変遷を通じて、
鎌田くんの音楽分野が広がってったともまた違くて、
一つなんかね、
自分ごとにどんどん近づいて、
距離が近づいてったような感じのところを聞いてて思いました。
そうね、なんか繋がってた部分があるのかなっていう気もするし、
だから今でも音楽は大事な存在で楽しんでいます。
カラオケは今でも行くんですか?
行きますね、今でも。
それは奥さんと一緒に行くとか友達と?
そうね、奥さんとも行くし、
友達とも行くし、
こっちね、それこそ、
本当にそういうのにはまだ出たことないんですけど、
お祭りのカラオケ大会みたいなの、
こっちの歌自慢たちが出るみたいなカラオケ大会とか、
いっぱいあるんですよ、
コピー入りでも、
ちょっと勇気がなくて、
どっちかというと地域の常連さんとかが出てるような催しなので、
ちょっとまだ出れてはないんですけど、
でも温泉旅館でちょっと身内で歌合戦みたいなのとかは、
ちょっと呼んでもらって一緒に歌ったりしたので、
人前で披露だ。
なんかね、カラオケ好きみたいですね、みんな。
楽しい。
そこもいいね。
スナックもやっぱりまだある、
地元のスナックみたいな感じであって、
地元のスナックはやっぱり、
基本みんな一緒になって歌うみたいな感じなので、
スナックでは僕割と、
いつちょっとうまいんじゃないかみたいな感じで、
たまに言われたりして、
スナック結構好きですね。
いいですね、確かにあって、
可愛がられそうでね、
ママとかから。
いいじゃないの、歌いたいな感じでね。
この間夏祭りでやってたな、カラオケ大会。
それこそ元々の、
おっちゃんが演歌とか歌ってて、
リンダリンダ歌ってる人は若めの曲歌ってんなみたいな感じだった。
時間サイクルだったね。
古いのが多かったね。
ああいうのにね、
この前あれなんですよね、津軽市で、
僕の住んでる町で、
など自慢も来てて、
6月ぐらいかな、
先月ぐらいに放送されて、
別に出たわけじゃないんですけど、
それを見に行って、
すごい予選で僕初めて見たんですけど、
など自慢の予選。
すごい盛り上がってて、
200組かな、
処理先行で200組ぐらい受かって、
本当に一節ずつ、
どんどん歌っていくみたいな感じなんだけど、
予選の見学だけでも、
見学だけでもいっぱい人集まってて、
みんな応援し合って、
青森の音楽文化
地域の知ってる人たちもやっぱりいたりするので、
そういう、
結構みんな歌好きなのかな、
みたいな感じはしますね。
だからお客とか行く機会も多いし、
そういうイベントも多い。
青森は民謡も圧倒的に多いんだよね。
かつ、演歌とかになるときには、
地名を関する歌は、
今でも津軽とかが入ってるだけで、
出やすい。
やっぱその歌文化が、
古くからあるっていうところなのかもね。
どうなんですかね。
確かにね、
そういう民謡文化とか、
地域音楽みたいなのは、
結構盛んなのかもしれない。
なるほど。
ありがとうございます。
学びがありました、たくさん。
ぜひ、
フュードワークに、
ぜひお持ちしてますんで、
ご案内しますんで。
その他、
ここまでによらず、
言い損ねた話ありますか?
これまでの編劇で。
もっと、
全然話せないかなと思ったんですけど、
思ったより、
テーマっぽい話もちょいちょい差し込むことができて、
めちゃめちゃ差し込まれました。
いい感じで、
僕の音楽編劇を伝えてきたんじゃないかと思います。
ありがとうございます。
これから青森の番組出たりするときに、
音楽の話になれば、
このポッドキャストで全部喋ってるんで、
これ聞いてくださいっていう感じで、
青森に、
この回を広めておいてください。
そうですね。
僕のホームページに貼っておきます。
音楽関係の方はこちらを。
そうですね。
鎌田くんにポッドキャスト出て、
ラジオ出てもらうたびに、
青森の人が流入してこないかなっていうのを期待しているので、
今回も期待して待ちたいと思います。
そうですね。
そうですよね。
僕も何とか流し込みたいと思ってます。
この番組をもっと広げたいなと。
プチューと青森でよく聞かれてる番組を目指してるんで。
そうですよね。
でも、
ポッドキャスト僕はファンで聞いてますから。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ポッドキャストの交流
こんな感じでお届けしてきました、
思い出の街と音楽。
今回は鎌田くんをゲストにお届けしました。
また、
ポッドキャストもぜひ遊びにいつでも来てください。
はい。
そんな感じでありがとうございました。
またお会いいたしましょう。
おばんでした。
01:00:51

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