2025-05-31 08:30

生き様を見せてくれる先人達に感謝〜☺️✨

近所の鞄店が、75年の歴史に幕を下ろしました。
お若く見える店主の奥様と話しました。
こんな風に感謝して幕を下ろすことができる生き方、
そんな風にありたいと感じます😊

#中野ブロードウェイ #中野

サマリー

このエピソードでは、長年営業していたカバン屋の閉店を通じて、先人たちの生き様に感謝の意を表しています。閉店セールでの体験や店主との交流を通じて、年齢を重ねることの素晴らしさが語られています。

カバン屋の閉店
MCで、日本メンター協会オフィシャルパートナーのたまここと今岩子がお送りする、毎日がちょっと楽しくなる3分フリートーク。
今日は、生き様を見せてくれる先人達に感謝。そんな話です。
私の住んでいるエリアで、長く続いてきたカバン屋さん。そこが、本日5月31日をもって閉店となります。
今ちょうど午後6時なんですけれども、6時が閉店の時間ということで、多分これでお店が終わってしまったということだと思います。
本当に長らくお疲れ様でございました。私は、そのお店にそんなに頻繁に足を運んでいたかというと、決してそうではありません。
お店の場所は、中野のブロードウェイの1階。これはまた本当に古い商業施設兼住居という、当時としてはすごくモダンな建物だったわけですが、そこの一角にこのバッグ屋さん、カバン屋さんはあるんですね。
閉店セールというのが張り出されて、私はそれで初めてお店の中に入りました。前から品質のいいものを置いていらっしゃるお店だなとは思っていたんですが、あんまりそこに入ってみようという気分には、今までなぜかならなかったんですね。
閉店セールというのを見てから、私は2、3回そこに足を運びました。そしてバッグとか定期入れとか、それから名刺入れなどをちょこちょこと買いました。
今日も最終日ということで気になって行ってみたんですけれども、また買ってしまいました。
本当にね、革の匂いのするとてもいいものなんだなということがとてもわかります。ブランドじゃないんですけどね、でもすごくいいものだなということはわかるんですよね、こんな私でも。
店主の奥様らしき方とちょっと立ち話をしました。
今日でおしまいなんですよね、とお声掛けしたら、そうなんですって。でもその閉店のタイミングを決めるのがとても難しかったというようなことをおっしゃいました。
でもね、自分の体調との相談でもうこれがギリギリだったと思うというふうにおっしゃいました。
奥様すごくお若く見えるんですよ。
ご主人の方は多分なんかお病気をされたかなっていうようなちょっとお安になっている印象だったんですけれども、そのご主人にちょっとお若い奥様なのかなというふうに思っていたんですけれども、
なんとその奥様もう80超えてるのよっておっしゃったんですよね。
そんなふうに全然見えませんねっていうふうにお声掛けしたんですけれども、とにかくそんなふうにとてもなんていうかハツラツとして若々しくいらっしゃる80代にお会いするだけで、やっぱりなんかこんなふうに年を重ねられるっていうのはいいことだなって感じました。
今日はお店にお孫さんらしきお子さんが女の子が2人ねカウンターの中に入っていていらっしゃいませとか言っていて、なんかそれもとても微笑ましかったです。
私はそのお子さんにねこれくださいって言って、まあもちろん手続きは奥様とご主人がやってくださったんですけれども、もう全然別に今まで親しかったわけでもなんでもない他人ではあるんですけれども、
お店を失礼するときにお疲れ様でございましたってつい頭を下げてあちらも笑顔を返してくださって、そんなやり取りがちょっと嬉しかったなというふうに感じました。
先人たちの生き様
先輩たちがそうやって生き様を見せてくれることっていうのは私たちにとても何か心の安心というんでしょうかね。
そんなものを与えてくれるなというふうに感じました。
さて、閉店のご挨拶というのが貼ってありました。それをちょっと写メに撮ってきたんでごめんなさい勝手ながら読ませていただこうと思います。
これすごくいい文章だなって思ったんですね。了解撮ってないんですけどいいよね。これを読ませていただいて今日の配信はおしまいにしようと思います。
閉店のご挨拶。1950年、昭和25年、当店はこの中野の地にてカバン業を始めました。
この年は100円札の流通が高かったのですが、多かったってことですかね。
インフレがひどく政府は1000円札の発行を始めた時代でございました。
これが聖徳太子の肖像を描いた新1000円札だったのです。
戦後間もない頃ということもあって、日本そのものが戦火復興していく瀬戸際の空気が漂っていたとはいえ、人々の表情には平和に包まれた安土感が支配しつつあったような気がいたします。
創業者である私の父は、七人兄弟の四男として生まれ、14歳でカバン職人としてまさに転職ともいえる道を歩み始めました。
手に職をつけなければ生きていけない時代と判断した父は、中学を中退してまでその道を選択したようです。
妥協を嫌う性格はカバンの製作には十分に発揮されたようで、数年で販売可能な商品を世に出すことができたと申しておりました。
しかし、世はすでに太平洋戦争という闇に突入していく、まことに忌まわしい時代を迎えようとしておりました。
晩年、貴重な青春の7年間を戦争によって奪われた風雲を大変悔しがっておりました。
死と隣り合わせの7年間、彼の頭の中にはどのような思いが描かれていたのか。
今となっては知ることがかないません。
幸い家族のもとへ生きて帰還できただけでも幸運なことではなかったかと思います。
その父親が中野で始めましたカバン業は地味ながら順調に育ち、1966年という年を迎えます。
つまり、ブロードウェイが竣工をオープンした年になります。
店舗と住居を同一の建物に包み込んだこの画期的なショッピングセンターは、その後年齢を重ね発展を続けてきました。
同時に当店も創業者の後をついで、私どもが今日まで営業を続けてくることができました。
しかしながら、例外なく打ち寄せる年の波には、私にも訪れ、ついに2度まで大病に襲われ、今回の決断の経緯となりました。
75年という当店の歴史に幕を下ろす決心はしたものの、過ぎ去った日々が瞬くように、私の後ろ髪を引くようで現実にたじろぐ迷いが私の心の中で漂っております。
ともあれ、第二の人生の幕開けをするという気持ちで、自らを鼓舞しているところです。
75年という月日を共に歩み、ご愛顧いただきました多くのお客様の笑顔と交わした会話の数々は、かけがえのない私どもの記憶の財産として決して忘れることのできない人生の言霊となりました。
始めがあれば終わりがあるのは必然でございます。
この現実を素直に受け入れ、明日ある幸せを願い、そしてご引きいただきました皆様の幸せあることを心より願い、締めくくりの挨拶とさせていただきます。
皆様、昭和、平成、令和と誠に長い間お世話になり、心より感謝、御礼申し上げます。
バッグショップ 青木 店主
08:30

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