2025-06-21 14:21

My Career Overview④ #128

サマリー

このエピソードでは、たけのむ氏のキャリアの変遷が追われ、S用電機からパナソニックグループへの移行や、その中でのIT関連の業務について語られています。また、工場や拠点の移動、組織の変化についての印象が述べられています。

S用電機からピナソニックグループへ
こんにちは、たけのむです。昨日一昨日と合わせて、4万歩ぐらい遊びに行って歩いたので、今日は足がゴーなんですけども、前回の続きで、S用からピナソニックグループになって、またキャリアが変わってっていう、
やってる内容自体は変わらずっていう感じで、相変わらずIT系の仕事。そのときはS用電気のシステムのお盛りをしてたので、あまり変わらずっていうところだったんですけど、
仕事してるときの建物が変わって、当時は最初は森口市、今は森口市役所になってる建物があるんですけども、それの横っちょっちょが隣にもう一丁ビルがあって、そこにしばらく仕事をしてたんですよね。
Pグループになってから、しばらくはまだそこで仕事をしてたんですけども、そこから人数がごっそり減って、その後、一部メンバーは、あれどうなったんだったかな。ちょっともうはっきり記憶してないんですけどね。
一部メンバーは多分カドマ。言わずとしれたPソニックの本社のあるカドマですね。カドマってPがドーンとあるんで、カドマといえばPっていう感じなんですよね、このメーカー界隈でいくと。
それ以外カドマってあんまり特色がない気がするんですけど。なので、一部のメンバーはカドマに行って。
私はSO電機のレガシー系というか、昔から出してる古い商品のCSっていうんですかね、カスタマーサービスというか、それ系のITを担当してたので、なのでしばらくはまだSO電機の拠点に勤めるっていうことになるんですよね。
で、SO電機は大阪界隈でいくと、工場何個かあるんですけれども、これまたドローカルの隅野堂っていう場所があって、隅野堂は確か町の名前にもなってる、確か山陽町っていう町名だったと思うんですけども。
そこに工場というか倉庫、あれ工場もあったかな。でかい土地がどーんとあるんですよね。そこに建物が何個かあって、私が行ったときはそこも人がだいぶ減ってて。
で、確かビデオカメラの事業部は売却されただったかな。
で、SO電機の隅野堂、支社というか何でしょうね、隅野堂工場っていうのかな。
そこの一角に勤めることになるんですよね。
今までオフィスビルにいたので、工場の拠点に行くっていうのはそれが初めてでしたね。
場所は駅からも徒歩15分ぐらいあるかな。ちょっと不便な場所なんですけど、いいこともあって、食堂とかはめっちゃ安かったですね。
いわゆる工場勤務者が福利構成の一環として結構食堂は安いんですよね。
当時、うどんとか80円、120円、それぐらいで食えた気がしますね。
最初はその拠点もSOの人たちでごった返ししてたんで人はたくさんいたんですけれども、そこから事業売却だとか転席だとかもろもろあって、みるみる人が入っていくんですよね。
みんなあれはどこに行ったんでしょうね。
私は業種がITだったので、あんまりそこまで現場レベルの人たちと関わり合いがなかったんですけども、本当に1,2年ぐらいですかね。
1,2年ぐらいで今まで人が結構ごった返ししてたんですけど、だんだん人がどんどん減ってきて、もう知ってる顔だけになってくるんですよね。
本当にどでかい工場なんですけど、今思えば人が減るというか会社がなくなるというのはまさにこういうことなんだなというのを実感しますけど。
なので、数少ない生き残り語り目としてそのキャリアを継続させていくわけですけども。
SEO電機っていう名前はその時は今も法人格としては確か残ってて、PPグループのSEO電機みたいな位置づけですね。
そういう形で仕事を続けてましたね。
工場勤務の経験
やっぱり人が減っていくので、元SEOの偉い人たちは合併するとやっぱり頭2つはいらないというか、偉い人たちほど別の場所に行ってしまうんですよね。
我々のような下々の兵隊は別に会社関わってもあんまりコンクリフトというかぶつからないんですけど、
例えば役員とかね。
SEOの役員がそのままスライドするかというとそうではなくて、基本的にはやっぱりどこかに行くっていう感じですね。
それは別の会社って感じですけどね。
自分で見つけたりもあるでしょうし、それは諸々って感じですけど。
なので自分たちの事業部の偉いさんたちも1人減り2人減りということで、
残ってたのは、課長部長レベルはまだ残ってましたかね。
そんな感じでね、徐々に人も減って、だんだん工場もガラッガラになってきてですね。
倉庫とかも多分ね、もう備品とかはどんどん別倉庫に移してたのかな。
そんな感じで、消えゆく山陽町の行方を見てるというわけで。
時は経て、今その山陽町に、その拠点というか工場があるかというともうなくて、
今どうなってるのかな。私がこの間ちょっと通りかかり見たときは本当にだだっぴろい土地になってましたね。
一時期はイオンができるとかいう話もあったんですけど、それはどうなったのかな。
なので、地名としては山陽町ってもう名前は出してるんですけども、
エス用がね、どんどんどんどん減って、私がそこで過ごして2年か3年ぐらい経って、
門真での新たな挑戦
いよいよ門真に行くということになるんですよね。
門真は門真でね、ちょっと不便な場所にあってですね。
森口市から歩くか、大日っていう駅から歩いていくという、またまた不便な場所で、これも駅から歩いて15分ぐらいですね。
朝とかはね、やっぱりもうPの人たちでごった返してるので、もう更新ですよね、駅からはね。
自転車で行ったりバイクで行ったり、ちょこちょこそんなこともしてたんですけども。
ある程度立って、Pのね、もう本社ですよね。
M下幸之助の銅像がドーンと噴水の前に立っててですね。
でっかい門庇というかね、主営さんが立ってて、そこに門真村にね、乗り込んでいくわけですけども。
やっぱりね、上司というか事業部長レベルとかはPの人たちになってるんですよね。
で、またこのPがね、ややこしくって、昔で言うね、M下伝さんとM下伝公っていうね、
なんていうのかな、もう本当に派閥というか別会社ですよね。
伝さん伝公っていう言い方をしてましたけども、その二派閥だけでもね、人が入り混じってないというか、若干派閥じみてるんですよね。
で、私の角間でね、しばらく仕事をする場所は伝さんと伝公が入り混じったIT部門なんですよね。
けど伝さんは伝さんでITの仕組みを持ってるし伝公は伝公でね、ITの仕組みを持ってるっていう、さながらなんていうのかな。
サイロ型のITシステムを構築管理してたので、まだ文化も違うんですよね。
申請のルートも違うというか、ITシステムって、本番リリースをするときに承認ルートというか手続きがあるんですけれども、
伝さん系の仕組みと伝公系の仕組みで全然違うというところもあって、
最初はね、Pになっただけでもわけがわからんのに、さらに伝さん伝公ってなんやねんっていう話でね、全然わからんなりにね、
四苦八苦、七点抜刀してた記憶がありますね。
やっぱり人間関係がね、本当にもうなんていうのかな、ゼロスタートというかね。
元SOの仲間も何人かいますけど、それは本当に少数派なんでね。
完全に少数派ということで、毎日釈迦を歌って、毎日朝礼で3分間スピーチみたいなね、これは当番ですけどね。
やってというところで、まさか自分がPグループの一員になるとはという感じで、
イメージは、Pグループの人たちはちょっとシュッとしてるイメージで、なんかちょっとお高く止まってるイメージがあったんですけど、
入ってみるとね、意外とあんまりそんなことなくて、本当に関西の企業やなっていう感じはしたんですけど、
また東京の使者とはちょっと雰囲気違うと思うんですけどね。
このPEに入ってからはやっぱり事業部長レベル、役員とかがやっぱりすごい細かくてですね、
ITの仕事って意外とですね、自分でシステムというかプログラムをポチポチするというよりは、
どっちかというと管理とか偉い産業の説明というかね、資料をパワーポイントで作ってそれを説明したりするんですけど、
その仕事が意外と多いんですよね。
またこのPEの資料が多くて、パワーポイントで30枚50枚はザラっていう感じで、
そんなに作ってももうちゃんと読んでへんやろっていう感じはするんですけど、
なのでPEに行ってその文化が変わるので、本当に毎日毎日パワーポイントを書いてるっていう、そんな仕事が続きましたね。
その門真に行ってからのキャリアは、どれくらいかな、あれも2,3年ぐらいかな。
門真本社に2,3年、4年ぐらいかな、席としてはね。
そこからまたちょっと拠点が移動するんですよね。
これは関心の移動とかじゃなくて、部門ごと場所が、次はね、また京橋にあるOBP、大阪ビジネスパークっていうね、これまたピナソニックタワーがあるんですよね。
で、そっちにね、今度は場所を移してというところで、そっちの方がね、住んでる場所からはすごい近かったので、
門真村にいるよりはね、すごい助かったっていう感じなんですけども。
ここまで話してみて、キャリアとしては、私のPグループのキャリアは結構終盤戦を迎えていくんですよね。
あんまり仕事でどうこうあったからっていうわけではないんですけども、
ちょっとOBPに次は拠点を移して、
今日も10分以上話したので、ちょっと次の回ぐらいで、次ぐらいで終わるかな。
そんな話をまた続けていきたいと思います。
本日は以上です。ありがとうございました。
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