復職と面談
こんにちは、たけのむです。
ちょっと久々にですね、キャリアの話の続きをやっていきたいと思うんですけども、
前回ちょっと話をしたのが、Pグループになって、
OBP、大阪ビジネスパークっていうビルがあるんですけれども、
そこ勤務になってから、その後一つイベントというか、話がありましたというところで確か終わってたと思うんですけれども、
それは何かっていうと、次男の育休取得終わった後ですね、
復職するときにいつも面談みたいなのがあるんですよね。
面談って言ってもね、部長がね、私の何歳上かな。
結構若くして部長になった人がいてですね、3つか4つぐらい上かな。
でもね、Pグループの中ではその年齢で部長っていうのは相当早い方だと思いますね。
ちょうどね、もう人材が結構不足しててっていう世代ではあるんですけども、
その部長とですね、しょっちゅう飲みに行く仲なんでね、
上司部下っていうよりは本当のいわゆる先輩後輩みたいな間柄の人がいたんですけれども、
確かね、その復職する前に一回その先輩と部長と飲みに行く機会があって、
で、そこでですね、復職、確か1ヶ月前とかにね、
時間作ってちょっと飲みに行ったことがあったんですけど、
そのタイミングでですね、戻ってきたら本社ですね、
Pの本社にね、出向してほしいっていう話をね、確か言われたんですよね。
で、本社と自分たちの間柄っていうのは、
大きくそんなに会社が違うっていうわけではなくて、
一応法人としては別なんですけど、
ちょっと部署をね、本社側のITの部署に行ってほしいみたいな感じのお願いをされたんですよね。
で、背景にはですね、本社側のITの部署に1人ですね、
うちの会社から出向してる、それこそ50も半ばとかだったかなっていう人がいたんですけど、
そういう人がね、会社を辞めることになったので、
その人の代わりとしてそのポジションに入ってほしいっていうことを言われたんですよね。
で、キャリアルートとしては悪くないキャリアルートで、
一応ね、あんまりその福利構成とか何も変わらないので、
そんなに行ったからどうこうっていうわけではないんですけど、
本社にね、出向って、そんなに別に本社に行きたくないとか、
行きたいとかっていうのも全然なかったんですけど、
その時はね、仕事が変わるわけではなくって、
本社のIT部署の人間として仕事をしていくっていうぐらいだったので、
大きくね、キャリアが変わるわけではないなっていう感じで受け取ってはいたんですけど、
ただ問題はですね、場所が遠い。
いろんな事業部があって、本社って言ってもね、
勤めがいろんな場所で勤めてる人がいるんですけど、
このですね、本社のポジションが滋賀県のですね、
草津っていう、それこそね、あれはどこだ、
同志社とかがあるんだったかな、ちょっと忘れましたけど、
まあ何しか遠いんですよね。
で、リモートでやってくれていいよっていう話は、
もちろん本社側のメンバーからも言われてたんですけど、
それでもね、周期とは言わないですけど、
たまに行くってなると、草津までね、
草津って滋賀県の草津ね、まで行かないといけないので、
いやーそれが遠いなっていうふうにちょっと思ってたんですよね。
まあでも別に出向すること自体はね、別に拒否をすることなく出向して、
出向してね、リモートなんであんまり、
滋賀県草津への出向
なんていうのかな、生活がめちゃめちゃ変わるわけではなかったんですけど、
まあ滋賀県に行くってなると、朝子どもを送ってからですね、
それからの移動にさせてもらってたので、
もう着くのがね、昼手前とかでしたね。
だいたいね、うちの駅から2時間ぐらいドア通ドアで
たぶんかかるんですよね。
草津駅だったかな、JRの。
そこに行って、さらにそこからね、
Pソニック行きバスみたいなのが出てるんですよ。
で、それに揺られて20分ぐらいかな。
でっかい工場とかがあるんでね、
どうしても場所がね、そういう敵地というか田舎の方なんですよね。
それはね、いた仕方なかったなという感じではあるんですけど。
で、そっちのIT部門に着任して、
仕事的には元自分がいた会社の人間たちと、
ちょっと役割が違う形で仕事をすることになるっていう、
本社側から支持をする側に回ったっていう感じですね。
なのでね、昔のメンバーと離れることはなかったんですけど、
立場が変わって仕事をすることになって、
そこに復職してから、
それからですね、あんまりもともと、
Pの仕事が嫌だとかどうだとかっていうわけではなかったんですけど、
ちょっとね、よからぬさらなるキャリアアップをね、
考え始めてたのが、
休職っていうかあれですかね、育休の時だったかな。
いつぐらいからそれをちょっと考えてたかわからないんですけど、
仕事内容的には別に不満とかはなかったんですけど、
漠然とね、給料を上げていく行為っていうことをすると、
Pでそのままスキルアップして昇格していってもいいんですけど、
やっぱりね、事業会社っていうかメーカー系って給料がね、
結構限られるんですよね。
課長でようやく桁が変わるとかそんな感じだとは思うんですけど、
ただITの世界を見ると、
マネジメントラインにつかなくてもね、
それぐらいの給料をもらっているところはザラにあるんで、
なので一応ね、そういうところを狙っていくかっていう、
よからぬ考えがその頃に浮かんでてですね。
しかもね、ちょうど転職市場が結構活気だったんですよね。
で、何の気なしにそのタイミングぐらいで職務経歴書とかね、
その辺をアップデートし始めて、
ちょっとお試しでリクルートエージェントとかね、
そっち系に登録したんですよね。
登録するとですね、人材なんというか、
ちょうどこのぐらいの世代って、
多分どこの会社も結構求人の規定があってですね、
結構オファーみたいなのが来るんですよね。
オファーっていうのもね、DM地味なオファーみたいなのもあるので、
それはね、いろいろって感じなんですけれども。
で、その企業をちょっと眺めてて、
本当にね、冷やかし半分って言ったら、
転職の決断
それぞれの会社さんに悪いんですけど、
本当にそんな感じで、ポチポチスマホで
専攻とかをね、職務経歴書出したりとか、
お勧めてたんですよね。
で、この後ね、私はこのS用電機から入って、
Pグループになってはいるんですけど、
新卒から何年かな、22歳とかから、
それこそね、40手前ぐらいまで勤めてた。
17年とか勤めてたのかな。
そのグループをね、去ることになります。
一度もね、やっぱり転職したことがなかったっていうのは、
自分の一つのコンプレックスみたいなものがあってですね。
一度はね、やっぱり転職してみたいっていうのがあったんですよね、漠然と。
で、その当時がちょっと40手前ぐらいで、
65歳とか70歳ぐらいまでね、働いていく時代だと思うので、
それまでね、Pグループが安泰かというとちょっと怪しいなって個人的には思ってたんですよね。
普通に考えたらね、それだけでかいグループは潰れへんやろっていう感じではあると思うんですけど、
やっぱり自分個人としてはね、
SEO電機がそういう形で解体されたっていうのを目の当たりにしてるので、
そこでね、ちょっと危機感というか、
なんかもう一回ね、もう一回というか、
一回ちょっとね、転職して、キャリアにね、
一つ転職したっていうキャリアルート記録をね、
残しておこうと思ったのも一つ理由ですね。
まあね、やっぱり元Pのメンバーからはね、すごい残念がられましたけどね、やっぱり。
本社出向でね、これからっていうこともあったし、
ちょうどこれからマネジメントラインに入ったかどうかは別ですけど、
最終ポジションが係長だったんで、
多分その後本社側で課長としてやっていってほしいみたいな感じだったと思うので、
そこはね、会社側の意向と個人の意向と、
あとはそうですね、その時のタイミングみたいなものもありますよね。
それが上手いこと、かみ合ったゆえに転職したっていう感じで、
出向して、どれくらい経ってからかな?
1年か2年か経ってから退職するということを、
当時の上司、さっき言ってた中野井部長にね、伝えて、
退職手続きを取って、いざ転職っていう感じで。
そういう形で私のSヨーPグループのキャリアとしては終了を迎えました。
一旦区切りとしてはね、そんな形で私のキャリアっていうところを話をしてみました。
転職してからの話もあるんですけど、
それは今の会社ということもあるので、話すかどうかは別として、
今日はそんなところで話を終わりたいと思います。
ありがとうございました。