大学受験の苦悩
こんにちは、たけのむです。昨日、知り切れとんぼになっちゃった自分のキャリアの話、2回目をちょっと話していきたいと思います。
前回、大学受験というところで、もともと国公立を目指してたんですが、センター試験があまり思わしくないというところで、
無理やり受けることもできたんでしょうけど、それこそ超地方の国公立大とか、それでも受けても二次試験で相当テントランドちょっと厳しいかもなぁみたいな感じだったので、
そのタイミングではね、もともと私立受ける予定ではあったんですけど、じゃあ私立受けるかという感じで受けたんですよね。
ただですね、今思えばバカだなっていう感じなんですけど、私立はですね、教科がかなり限られるんですよね、受ける教科。
理系の道に進もうと思っていたので、私立大学だと、理科と数学と英語とかだけで受けられたりするので、結構ね、もうみんなそこだけを勉強してるっていう人がね、結構いるんですよ。
で、国公立目指してるとね、まんべんなくやるので、パワーのかけ方がね、やっぱり違うメンツとやると、ちょっと遅れをとるというかね、
そんなにね、ここだけ特筆してできるとかっていうのがなかったので、私立大学もですね、
そうですね。そんなにめちゃめちゃいいところにはいけずっていう感じで、大阪のね、そこそこ評判のいい大学みたいなのをちょっと探して受けたという感じでしたね。
ただね、これね、もう結構全滅に近い形でですね、いろんなとこ落ちて何個受けたのかなぁ。ちょっと覚えてないですけど、4、5個受けた気がしますね。
で、今思えばね、1個受けるごとに2、3万は確かいったと思うんで、両親にはそれなりに受験料払ってもらったなっていう気が今更ながらしてるんですけれども。
まあ、それでね、結構落ちて落ちて、最後思ってた大学もね、実は落ちちゃってですね。
で、それの姉妹校がね、また大阪じゃないんですけど、姉妹校があって、そっちだったらいけますよみたいな連絡が来たんですよ。
で、「いやー、どうしようかなー。」とか思って、でもローギンするね、気力ももうなかったので、「うーん、じゃあもうそこ行くか。」っていう感じでね、本当に超小規模でそこに決めたんですけど。
決めた翌日だったかな。家でダラダラしてたんですけど、もともと受けた大阪の大学がね、補欠というか繰り上げで行けることになったんですよ。
で、情報系の学部だったので、そっちのほうがね、もちろんもともと行きたかった大学だったので、そこへ決めてそちらに進学するっていう形になりました。
大学生活のスタート
で、最初のね、1年だか2年だかは家から通ってたんですけれども、だんだんね、片道どれぐらい?1時間半ちょっとぐらいかな。
駅からね、結構大学までこれがまた歩くんですよね。
で、自転車とか使ってもいいんですけど、結構アップダウンがある道なので、だんだんめんどくさくなってですね、もう一人暮らしするかということで。
厳密に言うとね、一人暮らしじゃなくて、友達と住むんですよね。
友達っていうかね、当時は友達でもない知り合いぐらいの、友達の友達みたいな人がいたんですよね、大学で。
で、急にってわけじゃないな、私がたぶんね、一人暮らししようと考えてるっていう情報をたぶん誰かから聞いて、その子がね、私に声かけてきて、
で、男ですよ、もちろんね。で、「一緒に住まへん?」みたいな話になって、
じゃあ一緒に住むみたいな感じで、アパートを探すという感じで、新居というかね、初めての一人暮らしをするわけですね。
で、今だと、今で考えても安いと思うんですけど、何LDKかな、2DKですかね。
2DKのアパート、3階建て、4階建てとかのね、アパートに住むことになって、家賃がね、確か6万円ですね。
で、2人で接班して払うので、1人3万円っていうところに住むことになりました。
で、大学大阪なんですけど、実はね、その住んでる場所は京都っていう、ちょっと絶妙な場所に住むことになったんですけども、
そこでね、大学、そのタイミングだと、残り2年か3年かちょっと忘れましたけど、大学生活をスタートしましたというところで。
まあね、ほんと相当地堕落な生活をしてて、理系の大学って言ってもね、基本院に行くみたいな大学ではなかったので、院に行く人もいるはいるんですけど、
私の場合は、もちろん大学院なんて考えておらず。
で、授業も超低空飛行で、単位だけをなんとか取って卒業できればなっていう、そういう甘々な考えで大学生活をやってましたね。
当時はね、遊びと言えばゲームをすごいしてて、格闘ゲームですね。有名なところだとストリートファイターとかね。
ああいうゲームに明け暮れててですね。ギルギアっていうゲームに当時すーげーハマっててですね。
大学終わると、大学近くに住んでる友達の家にね、入り浸って、もう毎日夜まで格ゲーをするっていう生活でしたね。
まあ今思えばね、すーげー無駄な時間というかね、すごい無理な時間っていう感じはするんですけども。
まあ大学生活なんてそんな、日本の大学なんて特にそうだと思うんですけど、そんなもんかなということで、当時は。
でも楽しかったは楽しかったですかね。
お金はね、あんまなかったですね。
アルバイトはもちろんしてて、家からね、仕送り3万、月3万はもらってたんですよね。
学費は奨学金で払ってたので、毎月、親父からというか、実家からね、月3万だけはもらって、残りはアルバイトで苦眠してたっていう感じですね。
なので、アルバイトもしながら大学も行きながらっていう感じなので、当然ね、そんな学業に身が入るという感じではなかったんですけど、そんな感じで楽しく過ごしてて。
就職活動とキャリアの始まり
で、いざ就職活動ってね、当時はね、大学3年の秋か冬かぐらいから確か始めてましたかね。
理系の研究室に所属していると、なんか推薦とかもあるんですけど、
何でしたっけ、GDPじゃないな。大学のね、表提平均というかスコアがいい人は推薦もらえるんですけど、そんなのはね、花から無理だろうなと思って、推薦とかね、もう全然考えもしなくて、普通にね、就職活動をするというところでしたね。
で、地元というか関西近郊でずっと探してたんですよね。やっぱ当時からね、東京に出ようかとかっていう考えは基本なかったですね。
でもね、一見なんかね、MBC電機ってあるじゃないですか。一応ぼかしますが。MBC電機の、もうちょっと会社名も忘れましたけどね、を受けて、それはね、確か配属されたら東京だったんじゃないかな。
仕事内容的にはね、全然別に興味があるかないかというと別に、なんか興味も欠片もなかったんですけど、なんかね、やっぱ就職するときの一つのなんていうのかな、自分の真というか柱としては、やっぱりその大手志向というのがあったんですよね。
大手企業というか。なので、中小とかスタートアップとかは全然全く考えずに、少なくとも大手の冠がある会社っていうところをね、中心に探してましたね。
で、関西系で探していて、大学にね、その就職説明会とかで来てくれるんですよね、企業が。で、確かそこに来てた企業を第一志望として受けることになります。
大阪に今ね、もうその企業ないんですけど、もともとですね、SEO電機っていう会社があったんですよね。
当時結構従業員は10万人ぐらいいたかな。ちょっと忘れましたけど、グループ連結でね。で、SEO電機っていう会社のシステム子会社みたいなところに就職することになります。
で、特別ね、その会社が好きだったかどうかって全然関係なくてですね、あの会社やったら一生勤めることもできるだろうっていう、ちょっとね、浅はかな考えで入ったんですが、この会社がね、まさかゆくゆくは今もね、多分、法人格としては何だったかな、一応製造責任とかがあるので、多分法人格残してるんですけど。
私が入社したのが2000、何年だったかな。ちょっと忘れちゃいましたけど、2000の頭、それぐらいなんですけど、入社してからね、どれぐらい経ってからかな。
もともとはなんか中越地震とかでなんかちょっと傾き始めてとかだったと思うんですけど、SEO電機がね、もう見る見るうちに傾き始めるんですよね。
SEO電機は大阪の森口市っていうところに会社があったんですけど、今もね、建物はあるんですが、今は森口市役所に変わっちゃってますというところで、最近森口には行ってないんですけども、今も見ると懐かしいなっていう感じでそこを通るんですが。
SEO電機のIT子会社に入って、IT子会社って言ってもね、結局SEO電機の一部門みたいな扱いなんですよね。もともとは同じSEO電機から独立してできた会社みたいな感じなので、別会社っていうよりは本当に一部門としてやってたっていう感じですね。
で、そのSEO電機で初めてキャリアをね、スタートさせて、そこからですね、最初はですね、人事システム、いわゆるその人事ですね、人事が扱うシステムですね、そのシステムに配属をされました。
当時ね、大学上がりで、最初ね、確か集合研修で6ヶ月ぐらいは確か研修があるんですよね。それこそビジネスマナー研修だとか、名刺の渡し方とかね、電話の取り方とか、なんかロールプレイングしたりだとか、あとはプロジェクト研修とかもありましたね。
C言語やったりとかJavaやったりだとかっていうのもやった気がしますね。もう開幕忘れてますけども。
同期が20人ちょっとぐらいいたというところで、当時は本当に親会社の状況なんか全く気にしないというかね、興味もなかったですし、ふわふわこのまま仕事できたらなぐらいの感覚でしかなかったんですけれども、私のキャリアのスタートとしてはSEO電機の子会社というところでキャリアをスタートしていきました。
キャリアの話するとすぐ時間が経ってもう10分を超えちゃってるので、その入社してからの続きをまた今度話していきたいと思います。
本日は以上です。ありがとうございました。