2025-06-20 16:19

My Career Overview③ #127

サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、たけのむさんが自身のキャリアの始まりや企業での経験を振り返ります。特にS用電気での人事システムの業務や、ピナソニックとの関係について語り、企業の変遷と自身の成長を考察しています。自己のキャリアを振り返り、50歳以上の方々が仕事を失う危機について触れています。また、S用電気グループからピナソニックグループへの変遷や、職場文化の違いについても語られています。

キャリアのスタート
こんにちは、たけのむです。
昨日話していた、キャリアオーバービューということで、続きを話していきたいと思います。
ちょっと外から撮っているので、音質は悪いかもしれないんですけど、
一応このピンマイクに、モフモフみたいなやつを付けてやっているので、
風切り音とかはいらないと思うんですけども、ちょっと雑音は入っちゃうかもって感じですね。
今は東通商店街というところ、大阪梅田の東通商店街というところを歩いています。
昔から、いつからかな、中学生くらいから結構梅田に遊びに行くことが多くて、
この東通商店街っていうのは思い出の地なんですよね。
ちょっとそんなところで話しながらということですけども、
昨日、キャリア、どこまで話したっけな。
これやってて思うんですけど、前回どこまで話したっけ問題がありますね。
なので、なんかちょっと遡って、頭出しのために聞いたほうがいい気はするんですけど、
多分ね、昨日話してたのは、S用電気、S用電気ね。
城本カレントがやってたS用電気ですね。
そこのIT部門に入社したっていう話までをしたと思います。
そこから私のキャリアというか、社外人生活がスタートしてっていうところなんだけども、
最初は人事システムっていうところに配属されるんですよね。
賃貸管理システムとか書届けとかね。
あとは何かな、人事評価する評価システムとか、
あとは確定居室年金計算するシステムとか。
そういうのを取り扱う部署に配属されてっていうところで、
これがあんま興味がわかずにですね。
当時はシステムって言ってもオープン系っていう、いわゆる何ていうのかな、
ホストと対極にあるオープン系っていう仕組みですね。
そこに結構切り替わっていく最中だったっていうこともあって、
一番最初はIBMホストっていう汎用機ですよね、いわゆる。
その仕組みを触ることになって、興味ないながらもやってたんですよね。
今とは違ってもちろんみんなリアル出社なので、
私の時はもう部署に配属っていうのはなかった。
各界にタバコ吸う場所があったっていう感じですね。
私当初はタバコを吸ってたので、
喫煙所に行ってはタバコ吸って部署戻ってっていうね、
まさに昭和スタイルな感じで働いてましたね。
あの時はタバコ吸ってる人多かったですよ、本当にね。
今でこそだいぶ減って、
加熱式じゃないとどこでも吸えるっていう環境にはならないと。
パチンコ屋さんとかでもね、
最近禁煙のパチンコ屋さん、今東戸に商店街歩いてますけど、
加熱式だけOKとかいう看板があったりして、
いわゆるアイコスだけとか吸えるっていう感じなんですけど、
昔は普通の紙巻きをみんな吸ってたっていう感じで、
あの頃は吸わない人からしたら結構時刻だったんじゃないかなっていうのが推察されるというところで、
私も昔はタバコ吸ってて皆さんご迷惑おかけしましたという感じですね。
そこに人事システムに配属されて、のらりくらりとね、
あまり大した向上心もなく日々をこなすというところで、
人事システムで仕事をしてました。
企業の変遷
あとはSAPとかもそのタイミングで触ったりしましたね。
SAPってドイツかな。
ドイツのERPパッケージみたいな感じなんですけども、
いろんなモジュールというかいろんな機能を持った、
どでかいシステムですね。
それの人事モジュールを担当して、仕組みを担当してましたね。
もう完全にトランザクションコールとかも忘れちゃってますけども、
ITの技術者としてキャリアをスタートしたというところで、
そこでも当時は飲み会とかが結構あったんですよね。
飲み会も面白いんですよね。
割と近しいメンバーっていうか先輩とかね、
結構その当時は一つ上二つ上とかね、
結構人数先輩いたので、
その中でも仲のいい先輩とかとしょっちゅう飲みに行くと。
森口はね、今でこそね、
居酒屋どんぐらいあるのか知らないですけど、
飲みに行く場所は結構あって、
どこの飲み屋に行ってもS用の人は絶対いるという感じでしたね。
なのであんまり、なんていうのかな、
バイネームでの仕事の愚痴はね、
その辺で言うと危険な感じもあったんですけども、
そんな感じで森口生活を楽しんでいたというところですね。
そうですね、入社してから3年目か4年目ぐらいですかね、
その時はね、たぶん私人事システムから移動して、
なんで移動したかというとですね、
人事システムの部署にいたんですけど、
そこのね、同じ部署の人と結婚することになってですね、
結婚するとね、大体どっちかが部署移動になるんですよね。
その時に結婚したので一人部署移動ということで、
私はちょっと別の業務システムみたいなものを担当している部署に移動になって、
人事システムとは畑が変わったという感じになりました。
それがたぶん2009年ぐらいかな、
その時ぐらいからSOの景気がね、たぶん下り坂になってきてですね、
そのタイミングぐらいから社内ではね、
私はあんまりその当時はニュースとか新聞とか全然読んでなかったんですけども、
怪しくなってきたというところですね。
今思えばね、そのぐらいから下り坂っていう感じで、
そこからキャリアが変わったというか、
キャリア自体は大きくは変わってないんですけど、会社の行く末が変わって、
ずっと私個人的には森口に通うもんだろうと思ってたんですが、
そこからね、いろいろ激動になってくるわけですね。
もうちょっとね、何年かとかは忘れちゃったんですけど、
ここからね、大阪の家電というかね、大企業は、
S用電気とピナソニック、Pね、ピナソニックっていう会社があるんですよね。
これも一応の伏せ字ですが。
そんな話が出るまで全然知らなかったんですけど、
PとSって、実はね、兄弟会社というかね、そんな感じなんですよね。
創業者の娘向が確かS用の創業者。
なんかそんな感じなんですよ。
これもね、当時そんな話が出るまで全く知らなかったというか、
歴史なんかね、大してみんな興味がないので、そういう感じでね。
で、どうやらどうやらS用電気はピナソニックと一緒になるんじゃないかという報道とかもね、され始めたんですよね。
当時のイメージでいくと、そうですね、関西で言うと、
阪神百貨店と阪急百貨店ってあるんですけど、
阪神百貨店はね、ちょっと私のイメージですよ。
なんかちょっと関西感が強いんですけど、阪急百貨店でちょっとね、洒落た感じなんですよね。
なので、阪神百貨店と阪急百貨店。
阪神百貨店と阪急百貨店もね、多分今一緒になったんじゃなかったっけ?
阪神阪急ホールディングスか、そんな会社の名前になってた気がするんですけど。
なのでね、S用は大阪の企業って感じなんですけど、
Pはね、ピナソニックは、なんかね、ちょっとこじゃれだというかね、
ちょっとシュッとした感じの企業のイメージが強かったんですよね。
なのでね、S用とPって、なんかちょっと若干対立とは言わないですけど、
やっぱちょっと違う会社だよね、みたいなことはあったんですよね。
個人的な成長
でもどうやらね、一緒になるらしいというか、買収されるらしいというか。
ただまぁそこからね、結構動きがあってですね。
私当時20代かな、だったので、生きのほうにルート、生存ルートだったんですけど、
これね、もう本当に、なんていうのかな、
その時にその年齢になってるからっていう理由しかないと思うんですけど、
ちょっとどういうルールだったかは覚えてないんですけど、
50オーバーの人はね、結構行き場をなくしたんですよね。
要はね、Pに行っても与える仕事がないと。
特にそのPとSでね、ピナソニックとS用電機でね、
共に家電部もやってるし、
特に関節部門っていうのはね、やっぱりバッティングしていくんですよね。
人事総務もそうですし、私たちのようなIT部門も関節部門みたいなもんなんですよね。
直接ね、物を作って売ってっていう会社っていうか部門ではなくて、
関節的な利益を提供するというところで、
IT部門もこういう形で買収というか合併するので、
規模が縮小されるというところで、
50オーバーの人たちは行き場をなくすというか、
こっちの会社とこっちの会社だったら受け入れ先あるよみたいな感じで圧戦はされてたんですよ。
ただ給与はね、保証は最初の何年間だけとか、
多分そんな感じだと思うんですけど、
外資の大手、これは何か当て字がしようがないですけど、
IBM系とかね。
あとは国内での大手SIRでFG2とかね。
ほとんど言ってる気がするんですけど。
あとはね、ちょっと変わったところで言うと、
今スマホとかそっちもやってるR10とかね。
でも本当に行き場がなくなってというか、
自分で選択肢辞める人もいて、
辞めて雑貨屋すんねんとかっていう人もいましたね。
雑貨屋って暮らしていけんのかなとか、
その時ちょっと思った気はするんですけど、
50ぐらいとかだったんで、
多分ね、あのタイミングってね、
上乗せ退職金みたいな感じで結構もらえたと思うので、
そういう意味だとね、いきなりお金には困らなかったかもしれないですね。
っていうこともあって、
私はね、その生き残りルートということで、
晴れてというか、何というかですけども、
S用電気グループからピナソニックグループでね、
ランクアップか何なのか分からないですけど、
変わるという事件というかありましたね。
そう考えるとね、S用に入ったと思ったら、
いつの間にかピナソニックになってたというところで、
これはね、もう想像することももちろんできなかったというところで、
そこからは私はピナソニックグループの一員として仕事をするわけです。
その時もね、会社としてはピナソニック本体にいたわけじゃなくって、
これまたピナソニックのIT会社、IT部門みたいなところにいたので、
法人としてはね、一応別法人ですね。
給助体系とかはね、もう完全にイコール、福利構成のイコールなんで、
自立上なんか同じ社員みたいな感じの取り扱いでしたね。
いきなりやる仕事が変わるわけではなくって、
もともとね、S用でやってたシステムの重りだとか、
開発管理だとかね、その辺りをすることになっていくんですけども。
まあちょっとね、変わったところといえば、
S用の時はね、そんな文化なかったんですけど、
ピナソニックはね、毎朝、毎朝ですよ、歌を歌うんですよね。
社歌、いわゆる社歌。
校歌みたいなもんですね。
なので、毎朝9時になると音楽がスピーカーから流れてくるんですよね。
まあ今でも歌える気がするな。
カラオケにも入ってるので、ぜひ気になる方はいるわけないんですけど、
カラオケで探してみてもらえればって感じなんですけども、
いきなりね、歌を歌わされるということで、やっぱりね、
M下コーノスケっていうのはね、
異人の扱いみたいな感じですよね、日本ではね。
なので、その時はやっぱり宗教じみてんなみたいな感じでね、
ちょっと思った記憶がありますけれども、
徐々にね、その歌を歌うのにも慣れていくというところで、
でもね、ここからまたね、会社の形が結構変わっていくんですよね。
その時はSグループからPグループになってっていうところで、
人もね、ごっそりいなくなって、
生き残ったメンバーどれぐらいなのかな?
その時からいくと、残ってるメンバーで多分半分もいないのかな?とかね。
自分は別にそのままのルートだったんであんまり気にしなかったんですけど、
同期とかもね、別のグループ行ったりとか、
辞めて転職したりとかもいましたけどね。
そういう意味だとね、未来英語同じ会社に勤めるなんていうのはね、
昭和の幻想というか。
なので、ちょっとグループが変わって、
仕事、キャリアがまた分岐していくというところで、
結構話してますね。
もう15分話してるので、またね、ちょっと続き、
ピナグループの一員となって、
毎朝歌う歌う人生になってからの続きはまた話してみたいと思います。
本日は以上です。ありがとうございました。
16:19

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