2025-06-23 17:31

My Career Overview⑤ #130

サマリー

このエピソードでは、たけのむが自身のキャリアを振り返り、大阪の隅野堂やOBPといった地名、希望退職や外部出向といった働き方について詳しく話します。また、日本企業における雇用の特性や、IT部門での経験に基づく職務内容にも触れています。さらに、OBPでの育休やキャリアについての経験が語られ、育児と仕事の両立の難しさが紹介されます。妻の独立や仕事のスタイルについても触れられ、個々のキャリア形成に関する考察がなされます。

大阪とキャリアの導入
こんにちは、たけのむです。
大阪はですね、朝からゲリラ豪雨というか、すごい大雨が降っていてですね、保育園に毎朝自転車で送っているわけなんですけど、見事にかえぎ、雨に降られましたね。
朝一というか、戻ってすぐ打ち合わせがあったので急いで着替えて、こういうときマンションなんですけど、浴室乾燥機があるとすごい便利ですよね。
着ている服が、夏場の薄い服というか、乾きやすい服なので、浴室乾燥機に入れていれば、ものの1時間もしないうちに乾くという感じですね。
梅雨がもう終わったのかなと思ってたら、多分今週は結構雨模様のところが多いみたいで、またちょっと梅雨が戻ってくるのかという、憂鬱な気分の1週間の始まりです。
今日はキャリアの話の続きというところで、前回、隅野堂というローカルな地名でわからないと思うんですが、大阪在住以外の人はね、隅野堂からOBP、大阪ビジネスパーク、これは京橋というところですね。
隅野堂から角間、角間からOBPか、という話ですね。
ちょっと思い出した話でいくと、SOがPグループになったタイミングで、後半というかね、希望退職を募ってたんですよね。
日本の会社ってクビにはなかなかできないですよね。
SOは電気連合かな。大きなローソがあって、そこに守られてるというか所属してる人が組合員が大半なので、
明日から来なくていいですとかはもちろんできないわけですよね。それは法律的にも違反なのかな。
海外とかだとね、よくドラマで見ますけど、段ボール箱に物詰めてもその日中にYour Fireとかやって、クビで出されるっていうことがあると思うんですけど、
日本はそういう制度は適用できないので、だから窓際族というか働かないおじさんとかね、よく話題になりますけど。
それはよしやしあるというところなんですが。
希望退職を募るのと、面談が一人一人ありましたね。
私当時はいくつかな、30過ぎとかだったかな。
それぐらいだったんですけど、面談があってですね、退職しますかどうしますかみたいな面談なんですよね。
そのタイミングで辞めると、退職金いくらいくら上乗せですみたいな話も。
当時にしては珍しい、女性の部長が私の上司だったんですけども、その部長から別室に呼ばれてですね、
どうしますかっていう話と、会社としては残ってほしいですっていうのを言われた記憶がありますね。
これは結局その一人一人に伝えて、たぶん50オーバーの人とかは会社としてはポジションがないですみたいな説明をしたりしてたみたいですね、周りから聞くと。
私は就労意思というかね、継続して働きたいですというところで回答しましたね。
聞くところによるとポジションないですって言われた人でも、いややっぱり残りたいですって言った人もいたらしくて。
そういう人はどうなるかというとですね、その後Pグループで席があるかというと、席はあるんですけれども、外部に出向みたいな感じで仕事を外に出向させられてましたね。
これは出向先は様々で、本当に全然業種の違うことをやらされてた人もいましたね。
それは希望とかに関わらず。
ここはちょっと難しいですけど、全員を全員守ることがなかなか難しいので。
それでも外部出向させられても、結局給料はそのPグループというか、もともとSOグループの給料体系でもらえるので、決してその給料面では別に礼遇されてるわけじゃないんですけど、
やっぱりちょっと言いづらいですよね。外部出向させられてるっていう、何ていうのかな、自己肯定感もやっぱり下がっちゃいますし。
でもね、これ私の知り合いでも外部出向させられてた人もいたんですけど、最終的にどさくさに紛れてって言ったら言葉悪いんですけど、
最終的にPのソームじゃないけど、そういうポジションに戻った人いましたね。
それでもやっぱり外部出向してる間はしんどかったって言ってましたね。立ち仕事だったって言ってましたね。もともとデスク白の人だったんですけど、何をしてたって言ってたかな、ちょっと忘れちゃいましたけどね。
それでもね、日本企業って首ですってならないだけマシな気はしますけどね。いきなりほっぽり出されて、自分で仕事探してくれっていうのはまずないので。
大体は希望退職、もし受け入れますっていう人だったら、3ヶ月間の間に転職支援制度みたいなのが使えて、普通の転職とかよりも全然転職しやすい、そういう支援サービスみたいなのがあったりもしましたね。
それでもね、もともとSOで入社した人たちは一生SOで勤め上げる気だったと思うので、40後半とかになってた人は選択肢としては結構厳しかったものがあるかもしれないですね。
昨日じゃないな、一昨日か、喋ってなかったんですけど、そういえば別室に呼ばれてワンオワンというかね、一対一で女性の部長とそんな話をしたなっていうのを思い出したので、ちょっと補足をしました。
私はね、その年齢的なものもあって、生存ルートでね、角間に、Pのお膝元ね、角間に行って、Pグループの一員としてキャリアを継続させて、その後、ロケーション的に、部署とか変わってないんですけど、Pの本社って結構手狭なんですよね、オフィスが。
Pグループってね、一つの会社じゃなくて、本当にね、いろんな事業会社の集合体なんですよね。
IT部門での職務内容
グローバルでいくと、多分社員数は20万人ぐらいいるんですけど、皆さんね、Pグループって何売ってるかって、一つは家電ですよね。
白物っていうところは結構薄いですけど、一応白物、黒物。白物っていうのがいわゆる炊飯器とか冷蔵庫とか、昔は白かったんですよね、白物家電って。
イメージですけどね。黒物っていうのが、いわゆるビデオとかテレビとかそういう系ですよね。あとカメラとかもかな。
いわゆる白物家電、黒物家電、最近のPでいくとビューティ家電、ドライヤーとか美顔器とかですよね。
あと空気清浄機とか扇風機とか、そういういわゆる家電っていうのもやってるんですけど、Pはね、かなり手広くというか、いろんな事業会社がね、
合わさってきてるので、今言った家電系は基本的には電算、いわゆるM下電算の製品なんですよね。
M下電光系はもうちょっとですね、B to Bよりというか、例えば住宅建てるPホームってありますよね。
本当に丸ごと家、Pで建てるっていう、結構高いんですよね。
1回ね、Pホームで家建てたらいくらになるのかみたいなの見ましたけど、当時で7000万ぐらいしたかな。
多分ね、今建てると、それは物にもよりますけど、それこそ8000、9000とかするんじゃないですかね。
Pで丸ごと家が建つってことはですね、キッチンとかもそうですし、電材っていう材料系というかね、電材、建材、その辺ね、Pやってるんですよね。
なのでね、Pで働いてますって一言で言っても、じゃあどこの事業会社で働いてるのか、どこの部門で働いてるのかによってね、全然職種は違うんですよね。
私の場合はですね、IT部門で働いてたので、どこの事業会社向けに働いてるかって決まってるわけではないんですけど、
それでも私はどちらかというとCRM系というかね、顧客接点系の仕事をしてたので、そちらのITを担当してたっていう感じですね。
場所がね、角間からOBPっていう大阪ビジネスパークのツイン21。確かそんなビル名だった。なんか双子ビルというかね、2つビルがあって、37階か38階建てですかね。
そこの36階とかにね、席を構えることになって、気分的にはね、いいんですけど、朝エレベーターが混むとかね、ご飯食べに行くってなったら、そのちょっと後したらコロナとかがね、入り出してなんか食堂が閉鎖されたりだとかあって、
朝もコンビニで買って持っていかないとご飯がありつけないというか、食べに行くことはもちろんできるんですけど、休憩時間の間にね、なかなかやりづらいという感じでしたね。
でもね、そのOBPは私の住んでる駅から4駅?5駅?それぐらいで1本で行けるので、通勤としては非常に楽でしたね。
OBPでの育休とキャリア
カドマはね、オフィスがね、わりと年季入ってるんですよね。一応ね、改築して綺麗な感じにはなってるんですけど、そういう意味でもね、OBPの方が全然綺麗でしたね。
東京だとね、こういう高層ビルにオフィスを構えるっていうことはあると思うんですけど、大阪っていうかね、PとかSとかね、勤めてるとそんなにね、高層のビルに事務所を構えたことはあまりなくてですね。
そういう意味でもね、気分は良かったんですけど。なんですけど、やってる仕事はね、別に変わるわけじゃなかったんですが、そのOBPでね、勤め始めました。
で、そこからですね、OBPに移ってからそうですね、私の場合は子どもが生まれた、だったかな。あの時カドマだったかな。ちょっと忘れたんですけど。
で、私は育休とかも取ったので、長男の時が約半年とか、次男の時はほぼほぼ1年かな。保育園に入れる入れないっていうので全然違うんですよね。
あと、生まれるタイミング、あれもね、何とかしてほしいんですけど、この大阪の場合、大阪市の場合は、生後半年経ってないとそもそも預けれないんですよね、保育園に。
なので、それまでは家で見ないとね、もちろんいけないわけで。次男の時はね、4月のタイミングとかに上手いこと入れないというか、そのタイミングで半年経ってないと無理なので。
で、結果的に1年かかりましたね。で、妻はね、もうその頃は独立してたので、もともと妻とは同期というかね、同じ会社の人間だったんですけど、彼女はFG2ルートにね、確か、そうですね、行って。
で、その後、もう自分で会社をということで独立して、彼女は今でも自分の会社をやってるっていう感じで、私とは違ってね、なんか花々しいキャリアを築いているわけですね。
はい。と言ってもね、やってる業種はITというか、私と同じようなIT職能なんですけども、私はそういう、なんていうのかな、そこまでやる気力というかね、能力ももちろんないので。
なので、今でも会社説明をしてるんですけれども。なのでうちはね、育休は私がメインでとって、長男の時は2人とも一応育休をとって。
で、次男の時はね、もう妻は産んだその日から働いてた気がしますね、確かね。
産員にパソコン3台ぐらい持ち込んで打ち合わせとかね、産む直前とかもしてた気もするんですけど。
一応ね、法的には産んでから何週間だったかな。まあ仕事したらダメなはずなんですけど。
それはもう自分の会社でやってるんでね、もうそこは自分の采配次第というか。
肉体労働じゃないのでね、パソコン仕事なので、あとはTeamsとかでね、コミュニケーションを取ったりだとかは、産んだその日の晩とかもね、電話してた気もしますけど。
そこはだいぶ個人差が出ると思うんですけど、結構もう鉄人じみた体力というかね、そんな感じで働いてましたね。
なのでOBPに移って育休ね、私が何回か長男次男ととって。
私の場合ね、長男次男で育休とって、結局育休期間で1年半ぐらいは社会人生活やってないんですけど、
キャリアとしてはね、あんまりレール外れてしまったみたいな感じはなかったですかね。
幸いにしてというかね、やっぱりね、私ぐらいの年代って結構貴重なんですよね。
なので、課長一歩手前ぐらいの年代ですかね。
早い人はね、40兆位ぐらいで課長になったりもするんですけど。
私のそのスピニングでの最終キャリアは係長なので、係長って何ていうのかな、課長の一歩手前みたいな感じで、次課長を受けてくれみたいな感じの場所ですね。
なので、まあそうですね、転職することになるんですけど、転職する多分その年には多分課長試験があったんじゃないかなと勝手に想像してるんですが。
なので、OBPで勤め始めて育休とって、もう一つね、私の中では前職というか、Pグループにいたときにね、イベントがあるんですけど。
次男の育休から復帰したタイミングでね、ちょっと大きめのというかね、個人的には大きめのイベントがありました。
というところで、なんか今日で終わるかなと思ったんですけども、もうちょっと17分ぐらい話しているので、続きはまたね、ちょっと次回、またマイキャリアオーバービューということで話してみたいと思います。
妻のキャリアと仕事のスタイル
本日は以上です。ありがとうございました。
17:31

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