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おはようございます、ヒデジです。3回目の配信になります。
双子パパのライフデザイン、今日もゆるっとお届けしていきます。
今日のテーマは、少し重めではあるんですけど、
自分の会社員の人生で、社畜的なところを味わったところから転職をしたんですけど、
その時のお話をしたいなと思っています。
長くなりそうなので、前後編で分けてお届けします。
その前にちょっと雑談なんですけど、
昨日の9月29日の加藤博之先生のボイシーの配信で、
新型信長様とサラバラバールカンパニーさんが登壇されていて、
お子様の話をされていて、すごく興味深く聞いていたんですけど、
加藤先生のお子様も大きくなられて、
少し素っ気なくなってきたっていうような内容の話があったんですけど、
自分に置き換えた時には、今娘たちが2年生、小学2年生なんで、
まだね、私にすごく甘えてくるところがあるんですけど、
そのうちね、素っ気なくなるんだろうなっていうのを想像すると、
今の時間大事だなっていうのをね、すごく考えましたね。
あとちょっと面白いっていうか、興味深いのが、
お父さん、この父親が何て呼ばれてるのかなって結構、
いろんな家族によって違うと思うんですけど、
加藤先生のところ、カンカンって呼ばれてるっていうのはね、
すごく可愛いなっていうか、思ってて。
自分もですね、普通じゃないというか、
大体これ双子パパって言ってるからパパって呼ばれてるかなと思ったら、
全然そんなことなくて、予備しててですね、
ひでえって言われるんですよね。
今2年生ですけど、年長さんぐらい、うちの年長さんぐらいから、
いつからか片方が言い出して、
急にどうしたのって言ったら、いいじゃん別にみたいな感じで。
そしたら2人ともひでえ来てーとか、
なんかね、そうなりましたね。
面白いんで、このまま行ってどこまで行くかなと思ってるんですけど、
友達夫婦と遊んだときにも、
え、何ひでえって呼ばれてんの?みたいな変な空気になりまして、
そうだよーって言って。
どうなんですかね、一般的な家族はね、パパとかね、お父さんとかね、
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呼ばれてますけどね。
たまにいますよね、きっとね。あんまりちょっと見ないんですけど。
皆さんは、お子さんいらっしゃる方なんかはね、なんて呼ばれてますかね。
なんかそれ気になるなというか。
まあ面白いなとは思ってますね。
はいはい、ということでちょっと雑談です。
今日は社宿時代っていうとこなんですけど、
私の経歴をね、簡単に話す必要があるんだろうなと思っているので。
私は日本大卒を5年通って卒業した後に、
大手の機械メーカーの子会社に就職しまして、
そこでは機械のメンテナンスをやる部隊に配属されて、
これで13年ほどはやってましたね。
その13年のうちの最初の半分は国内のお客さんで、
残り後半は海外のお客さんでした。
転勤も何回か繰り返ししてて、
入社して2年目くらいから、
私が入社した時、東京の本社の方に配属というか形だったんですけど、
翌年から名古屋の方の支店に行きまして、
名古屋に3年間住んで、またその後東京に戻されて、
2年ほど東京で働いた後に、
ちょっとその会社、親会社は大きな大手の会社で、
100%子会社なんですけど、会社は別ですけど、
人事システムとかいろいろと、親会社と同じようなところがあるんですが、
2013年、2014年のところに、
グローバル人材が不足してるみたいなのが、
崩壊というか、結構社会全体的にも言われてたようには思うんですけど、
それに対してそういう人材を育てていこうという、
プロジェクトみたいなものが発足されて、
グローバル人材の育成プログラムみたいな話で、
私がそこに参加することになりまして、
2年間ですね、シンガポールに住んでたんですよ。
勤務して、
シンガポールにあった支店というか支社、現地法人ですね。
そこで働いた上で戻ってきて、
あとは海外のお客さんを担当していくっていうので、
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そんな流れで13年働いてました。
で、
何ですかね、その時の部門っていうのは結構私は働きやすくて、
みんないい人だったしなんですけど、
結構貢献しちゃったというか、
会社員としての階段もどんどん登っていっちゃっててですね。
で、13年働いて、その次の14年目の時に、
やってた会社の事業っていうのが結構衰退するようなものだったんですよ。
競合も結構強いですし、
自分の会社は割と弱い立場なものですから、
市場のシェアを取っていくのっていうか難しいような状況。
新しい一手を打たなきゃっていうことで、
親会社の方も考えて、
新規事業部みたいなものを作ったんですよね。
既存の技術を使って違う業界に展開していくっていう話なんですけど、
そこの部門に当てがわれまして、
元々いた畑から抜かれたような感じなんですよね。
会社の次の先を見据えるためだということで、
よく言えば選ばれたというか、
任されたというかね、
こいつならやってくれるんだろうみたいな感じだったのかもしれないですけど、
新しい畑に行った時には、
そこからが14年目なんですけど、
そこからチャッチャ地区でしたね。
そこのトップの人は今まで自分が関わってない人だったんですけど、
パワハラを何回も言われてるような人。
報告されてですね。
それで辞めた人も何人かいるみたいな。
だけどその人は降りないんですよね。
そしたらどんどん上に行くんですよ。
何見てるんだろうなと思って、さらに上はね。
もう仕切りしようがなかったんですけど、
そんな人の下に入ってきてしまいまして、
何やるかというとマシンキーの授業なんですけど、
これがですね、私はもう本当に平等勝てるというか、
なんでこんなプランなんだろうって。
そこに新しい部門の私は営業とサービスと見積もり部隊とか、
そういう既存の事業の時は4部門ぐらいの組織でやってたことを
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自分一人の課を持たされてですね。
課長職で当てがわれちゃったんですよ。
その課でその4つぐらいの機能を持たされてですね。
日々分間隔の会議を、分単位の会議をやって、
トイレに行く暇もなかったりとか。
なのでね、完全に社畜ですね。
お使い倒されるというかね。
それがお客さんのためになってたりとか、
一つやりがいみたいなものを感じられたらすごく、
もしかしたら良かったのかもしれないんですけど、
良かないかもしれないけど、全くそれがないんですよね。
結局その働いてた時って、その新規事業を組織として、
親会社としてもグループの中で新しい事業をやりますっていうのをね、
社内でも言いながら。
で、何じゃあしてくんだみたいなのを、
毎月経営会議があるんで、そこに報告していくんですよ。
新しい畑に行ったトップの人。
で、私は一つの中間管理職として、
他にもいっぱい課長とか部課長がいるんですけど、
そういう人たちと経営会議に発表する会議資料を、
毎月毎月期日に追われながら作るんですよね。
もうそれが仕事でしたね。
パワーポイントを使い倒して、パワーポイントが使えるようになりましたね。
全く意味ないですよ。
そんな日を過ごしてて、完全に内向きなんですよね。
その上で売り上げの数字はもう決まってて、
それ達成するためにどうするんだっていうのを自分たちが動くっていうね。
で、そのプランも非常に、全然これ再現性ないだろうっていうね。
1台も売ったことないのに、それを200台今年売りなさいとかって言われるんですよ。
1台か何かね、売れてから事業にしていくならわからない。
まあ、ちょっとこんな厚くなっちゃうんですけど、
完全にこれ無理だと思って、
今年の1月に新しい組織できたんですけど、
もう3月ぐらいには転職決めましたね。
転職決めて、日々残業も11時とかまで毎日やるような、
幸い土日は一応休んでたんですけど。
そんな日の中でも毎朝起きてですね、
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転職の準備を頑張ってやってましたね。
これで結局11月に転職したんですよね。
面接を8月、5月ぐらいから準備した、
夏、8月で面接をいっぱい受けて、
決まって、11月には転職したんですけど、
辞めますって言った時もですね、
なんかすごい頑張ってたのに、みたいなこと言われて、
これはもう転職するために頑張ったんじゃと思って。
他には全然そういう素振りを全く見せないでいってきたんですけど。
まあいいのかよくわかんないですけど。
そんなんで、もう13分話してますけどね、
暑くなって、っていう経緯があってですね、
転職をしました。
転職する時に何を一番重要視したかっていうところなんですけど、
前の会社は、最初にお話ししたんですけど、
私も転勤が結構あって、いわゆる総合職っていう扱いで、
一般職っていう方はね、その職業所、その場所で大体移動はないんですけど、
総合職なんで、あっち行ったりこっち行ったり、
またまた海外に行けっていうのもあって、
自分はそれも経験していったんで、
もうそれはいいやと思って。
結局家族との時間がなくなったのが本当に痛いなと思ってましたね。
だから新しいところ、会社を探すときは、
転職がないっていう条件に入れて、
これ結構少ないんですよ、当然だと思うんですけどね。
ただ、最近そういう流れが増えてきたっていうのもありますよね。
転職したくないっていう若者も増えてきたというか、
新卒でも多分そういう条件が増えてきてるんだと思うんですけど、
転職をしないっていうこと、移動がないってことですね。
っていうところを条件に挟まして、今神奈川県っていうところで働けると。
しかも今結構仕事は自分のエリアに近いところで
直行直起みたいな形で働けてるっていうところがあって、
それがもともと募集要項に書かれた会社にまず転職したんですけど、
家族との時間を取れるためにはそうしたいなと。
転勤して何がいけないかっていうのはあるあるんですけど、
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家族で移動すれば家族との時間はそれなりに確保できるかなとは思うんですけど、
その頃から当然私も不動産をやりたいなと思ってたし、
あんまり転々としていくっていうのは、
なおさ、海外に行けなって言われたらどうしていいかわかんないなと思って、
やっぱりそこに留まりたいっていう気持ちがあったんで、
転職、転職じゃない、移動なし。
移動なしの条件でしたね。
ということで、それでなんとか転職ができまして、今に至るんですけど、
それが3年前の話。
ということで前半はここまでで、後半はまた転職して、
今後どういう教訓が得られたかという話ができればなと思います。
じゃあ今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
よければフォローやコメントいただけると嬉しいです。
それではまた次回の配信でお会いしましょう。
ありがとうございました。