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はい、どうもこんにちは、たからんです。
えー、ちょっと最近めっちゃくちゃ暑いですね。
暑さのせいか、ちょっとエアコンのせいかなんですけども、ちょっと喉やられちゃいまして、
ちょっと声が、いつも以上に低かったりしてるかもしれないんですけども、
ちょっとご容赦いただきたいなと思います。
ちょっと体調ね、気をつけていきたいですね。
今日はですね、今週末の土曜日の7月25日に、
ちょっと私あるイベントに参加するので、東京に行ってこようかなと思ってます。
それがですね、映画の上映会なんですね。
小学校、それは小さな社会っていうドキュメンタリー映画なんですけれども、
こちらがですね、たぶんちょっとしばらく前に話題になった映画だったと思います。
去年末ぐらいだったですかね。
私もすごくこれ気になってたんですけど、ちょっと見逃しちゃってて、
で、見たいなと思って、最近ちょうど見たいなと思って調べたら、
もう全然上映ってもうやってないんですね。終わっちゃってて。
で、実習上映とかそういうのがあったらっていう感じだったけど、そういう情報もなくて、
あーしまったな、ちょっと予定付けて見ればよかったなってすごく思ってたんですよ。
そしたらなんとですね、ある方が上映会をしてくれるという情報が目に留まりました。
子育て教育コミュニティ、つみきの代表の古内慎吾先生なんですけども、
私の配信でもご紹介したことがあるかもしれないんですけど、
私ね、この慎吾先生めちゃくちゃ尊敬してる方の一人なんですね。
SNSやってる中で出会った方で、
このつみきっていうコミュニティも何年か前に参加させてもらって、
いろいろ活動させてもらったことがあるんですけど、
私ちょっと前にね、このチャンネルもおもんぱかりラジオとかおもんぱからないラジオとかいろいろ言ってましたけども、
おもんぱかるっていう言葉っていうのを教えてくれた先生ですね。
言葉自体はなんとなく頭の中にあったけど、
私自身が相手のことを理解するでもなく、分かったつもりにならない、分かれない、分かることはできないんだけど、
私が分かっていない何かをあなたは持ってるよねっていうような、そういうところに気を回す。
で、それを前提に接するっていうのかな。
そういう気持ち、心持ちを持つことが大事だなと思っていて、
それがおもんぱかるであるっていうことをある場面でね、ちょうど話してくれたことがあって、
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すごく私おもんぱかるって言葉が好きなんですよね。
その先生がですね、今回この小学校それは小さな社会の上映会を開いてくれるっていう話がありまして、
参加申し込みをしました。
しかもですね、これ結構、私も今度初見なのでまだ見てないんですけども、
毎評判というか何かの記事というかっていうのを見たときに、
結構賛否両論があったっていう話なんですよね。
日本の小学校の様子をドキュメンタリーで撮ったもので、
なんか海外ではこの日本の教育の仕方っていうのがすごく絶賛されて評判になって、
なんかこのショート編の映画がアカデミー賞にノミネートされたりとか、
そういう評価もあったという話なんですよね。
なんだけど、中にはいわゆる集団行動というか、
ちょっとごめんなさい、中身見てないんで、
そういうコメントがあったような気がするという話なんですけど、
集団行動的なところとか、何かをやらせるみたいなところの場面があったような、
そういう場面があって、こういう教育が良くないというふうに思っている人もいるという中で、
なんだろう、ちょっとまだ見てないけど、
昔って言っていいのかわからないけど、
日本の小学校、中学校も含めてだけど、
日本の教育、学校の教育というものが紹介されているものだというふうに理解しています。
理解しているというか、そうなんだろうなと思っています。
この主催の慎吾先生なんですけど、
今回のこの会はただ映画を見て終わりじゃなくて、
映画を見てその後対話をするというフェーズがあるんですけど、
対話も賛否両論があることを踏まえた上で、
両方の意見を、
表現が難しいし、実際どういうふうにやられるのかわからないんですけど、
両方の意見をちゃんと感じ取れるものにしたいというニュアンスを感じました。
ちょっと書かれていたのは、
この上映会は過去に何度もいろいろな場所でされているんだけども、
結局同室の人が集まりやすい、
その場では同室の意見になりやすいということが、
結構ある場面が多く、そういう例があったということなんですよね。
これは賛否両論という中で、
こういう教育、日本の教育のことで誇れるよねというふうに思う人たちが集まって、
こういうところがいいよね、こういうところがいいよねという話。
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もちろんその中で全く批判的な意見がないわけではないと思うけど、
そっち側に流れていく。
多分そういう意思を発している人が上映して、
そこにその人に好きな人が集まる。
そういう同室の空間になりますよね。
逆に今の学校教育がダメだという批判的な意見を元に
集まってきた人がいたりすると、
こんな個人を尊重しない集団的な一律教育みたいなのはダメだという人たちが集まれば、
そういう意見になって、そろそろ帰っていかなきゃいけないというので盛り上がって、
気持ちよくなって帰るということになるというようなことが起こりやすくなって、
起こっていたところもあったという中で、
そういうふうにはしたくないというようなことがコメントというか宣伝文というか説明文の中とかにもありました。
私はその言い方というのがとても大事だなと思っていて、
やっぱり、例えば私はですね、私は公教育を変えたいというふうに思っているんですね。
公教育というのは、要は学校ですね。国とか社会が準備しているみんなが行く学校。
公立校、メインは私は公立校のことに意識が入っているんですけど、
私立も含めてかもしれないけど、それと違いがあるとすれば、
例えばフリースクールとかオルタナティブスクールとかといっている、
要は学校外で教育なり学びの場を設けるというところとは違うところですね。
私の中では今あるフリースクールというのが今どんどん増えていると思うし、
そういうところで行く選択肢も増えていると思いますね。
そういうのは今の学校とかの確立的なやり方に対して、
そこに苦しみを抱いている子たちがいて、
そういうのを救済というか、居場所というか選択肢として別のものが必要というのは確かにその通りだと思っていて、
そういうのが今必要だから今作るというのはとても大事だと思うんですよ。
なんだけど、じゃあ、いわゆる普通の学校、公教育というのが、
ダメな部分があるから変えなきゃというのを思っているのは私もそうなんですけど、
何がダメで変えなきゃいけないかというか、そっちを変えるということをしていきたいと思うんですよね。
なんでかな、なんでかなというのはちゃんと考えなきゃいけないんですけど、
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私の中では、やっぱり日本の教育のシステムというのって、
一つ、なんていうんだろう、日本人の文、日本人という文化というか精神というか、
何かを醸成することにちゃんと寄与していると思うんですよね。
というよりも教育自体が人を作ることだから、やっぱり教育によって、
今私たちが生きているこの日本という国がそのままできていると思うので、
それが前提で今自分たちが生きている部分が少なからずあるというか、たくさんあると思うんですよ。
それが多分、悪いところはそれは目に入るから、
こういうのはダメだ、こういうのは良くないというふうに言うのは簡単なんですけど、
良いところというか、当たり前に今自分が生きている文化になっていて、
自分がそれを当たり前として享受しているというの、
自分がそれを前提で生きている、それによっかかっている、
要は自分は気づいていないけれども、
それを前提で生きているから何の苦労もしなくて済んでいるということがあって、
日本社会の作りとか文化とか精神論とか何だか分からないんですけども、
何かあると思うんですよ。
だから一概に高教育ダメだというのとはちょっと違うと思うんですよね。
だから高教育というか、
周りに合わせるとか同調するとかというのが良くないとよく言われますけど、
本当かなという気持ちがしていて、
同調圧力と言うけど難しいですよね。
同調しなければ個人主義でバラバラでいいのかという話。
それを全面的に推奨するのであれば、
個人は個人で全部自分のことは自分でやるということにしましょうよね。
相手のことなんかどうでもいいし、
相手が何を考えているか分からないから、
もう相手にはできないよってなったら、
かなりきつい生き方になると思うんですよね。
自分だけで何とかするって。
私は別に人を助けなくもらわない。
自分だけで生きていますよという人がいたらそれは嘘だと思っていて、
そんなわけないじゃん。
日本というか人間社会の中でそういうことが起こり得ないと思っていて、
誰かが何かをしたものの中で生きているわけですよね。
というのがある。
自分だけがそういうふうに自分だけで生きているつもりでも、
周りが強調して何かを準備している社会があるから、
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生きていけるんでしょうというのはあるはずなんですよ。
だからその辺のバランスというか、
何かが極端に違うんじゃない?
この部分を残しながら、
こういう考え方で違う形で教育というのかな、
子どもの経験の場というのを用意することが大事なんじゃない?
みたいなことが多分あるように気がしているんですよ。
だからそれは別にどこにあってもいいんだけど、
学校の中にいなくてもいいのかもしれないんだけど、
学校の中にいないんだったら、
例えば学校にいる時間をもっと短くして、
外での経験ができる時間を増やすとか、
本当に高教育がダメだというのだったら、
高教育を本気でぶっ潰すとか、
そこまでやるからですよね。
やっぱり広く一般的に、
多くの人、多くの子どもが通うことになるというシステムがあるのであれば、
そこを変えるのはすごく大変なんですけど、
そこがうまく変わることができれば、
そのフリースクールとか他の部分とも連携しながら、
選択肢として増えながら、
だけどやっぱり別に高教育に至って大丈夫というのを作る方が、
社会全体への影響といいますか、
社会全体を良くするには、そうしていくことになるのかなと思うんですよね。
仮に高教育が今ダメだ、
外で教育することがいいというものができたとして、
そうしたら単純に格差が生まれるだけじゃないですか。
だからそれは何だろうな、
やっぱり段階的な今の現時点での対処療法であって、
妙な言い方をすれば一時しのぎであって、
やっぱり恒久的に、継続的に未来に向けて言い方を作るには、
高教育を何とかしなきゃいけないんじゃないかなという気はしています。
というのが一応ありますね。
そう思うので、だから今回の小学校それと小さい社会というのって、
見た上で自分が何を感じるかなんですよね。
何が良いと思って何が良くないと思うのか。
それからその後の対話の中で、他の人にはどう見えていて、
他の人は何が良いと思って何が悪いと思っているのか、
みたいな話ができるんじゃないかなというふうにすごく思っています。
そういう場作りを慎吾先生はすごくしてくれる人だと思っている。
一生懸命準備してくれているんだと思うので、
そういう視点を知る、自分の視点を確認することと、
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いろんな他の人の視点を確認することというのをしていきたいなと思うんですよね。
だからすごく楽しみですね。
教育のあり方っていろいろあるけれども、私の教育、学校だけじゃなくてですね、
子供が、子供がというと、子供が主人公みたいに聞こえるんですけど、
人がなんですよね。
その子供が大きくなって私たちと同じ立場になる人が、
どういう経験が詰める場所があったほうがいいかというのを考えたいというのがすごくあって、
別に学校じゃなくてもいいかもしれないけど、それを考えるにあたって、
やっぱり今の学校、しかも海外からそんなに稀有な、珍しいものとして
称賛されるというか、評価があるというのって一体何なのか、
世界の教育ってどうなっているのというところかですね、
そういうところにもちょっと目を向けて、
自分たちが住んでいる日本の教育というのが、
どういうものでどうなったらいいのかなというのを考えたいなというふうに思っています。
すみません、長くしゃべったら喉がちょっとやばいみたいで、
聞きづらくなっちゃったと思うんですけども、
そんなことで今週末、楽しみにしているんですが、
まだ席が余っているっぽいんですよ。
もしお時間がある方が少しでもいれば、
一緒に参加したいなというか、お勧めしたいなというふうに思いますね。
ちょっと待ってくださいね。
申し込みのPTXのリンクを概要欄に貼ったコードもので、
ぜひおそごうつく方は一緒にお話できたらなと思います。
7月25日の午後1時半からですね、
場所はですね、東京都の世田谷区にある
清浄学園書棟学校というところですね。
ここでこの会場、体育館とかになるのかな。
公道ってありますね。公道で上映されるそうです。
上映会、上映チケットと、
その後の懇親会に合わせたチケットみたいなのがありまして、
上映会は2000円かな。
懇親会がプラスの2500円で4500円という感じになっていますね。
映画の上映は1時半から3時20分くらいまであって、
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休憩挟んでそこから1時間半の本気のワークショップというのがあって、
そこが対話会になっています。
ここまでが1つ、たぶん参加の2000円のチケットの中で、
その後5時半くらいから7時くらいまでは
希望者の参加した人の懇親会になるという感じになっているみたいですね。
これね、2000円ってすごい、何て言うんだろうな、
破格という言い方はちょっと語弊がある気がするんですけど、
本当に映画を見るだけでもすごく価値があると思うんですけど、
そこに対話の場というのがあるというのはすごくいい機会だと思うので、
ぜひ参加してほしいのと、やっぱり全部埋まってほしいですね。
もうちょっとチケットがまだ残っているみたいで、
これ最大100人まで席があるという話でしたけれども、
教育に本気でぶつかっていくという人たちが100人集まると
すごく面白い場になるだろうなと思っているので、
興味がある方はぜひチェックしてみてください。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気付きのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
すみません、喉が。すみませんでした。はい、また会いましょう。