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どうもこんばんは、たからんです。
今回はですね、親が子供に対して、別に親がじゃなくてもいいんだけど、子供に対してこうなってほしいとか、こうやってほしいとか、やらせてほしいとか、いろいろあると思うんですけども、
それって、大抵どっちでも良くなるというか意味なくなるよね、という風に思ったという話です。
あとはどういうことかというと、例えばですね、大体今はこう大人が子供にこれを学ばさなきゃいけないみたいなのがあったりするじゃないですか。
例えばこう英会話とかね、そういうのがあったりとか、最近で言うとプログラミング…なんだっけ、プログラミング教育とか、みたいな話とかあったりとかね、したり。
もうちょっと前かな、最近はどうなんかな、やってると思うんですけど、という話があった時に、そういうのって要するに、
俺たちは大人がやってなくて、今困ってる話だよね、というような気がしてて。
で、子供にやらさなきゃいけないって話になってるけど、逆に言うと、当の子供にとっては今やったところですよ、英会話やったところでプログラミングやったところで、
多分もう流れ見てればわかると思うけど、そんなもんAIが出てきればね、勝手にもう自動翻訳なんかスマホでできるようになったりとかもするだろうし、
プログラムはプログラムが作るようになっていくみたいな話もあるだろうし、ってなってくるんで、
今足りないと思ってることは今の子供というよりも今の大人に足りなかったこと。
で、大人が足りないと思ってやらせたところで、ある意味じゃもう遅いし、大人の時代で遅いんだから、子供にやらせたところで遅いし、
逆にもっと世の中進んで、そんなところの問題じゃないところが問題になってくるんじゃないかなって気がしてます。
それは何なのか今はわかんないけどね。
なので、だからといって別に英語するのとかプログラムするのとか無駄だとは思わないんですけど、
でもそこに技術的なスキルとしての、今英語でやっておけば英語で困ることがないとかね、
プログラムができるようになっていけばプログラマーといろんなプログラムでできるようになるとかっていう、
小手先の技術で何かできるものがある、何かの職業に就けるとか、そういう単純な話で勉強しようとか、
何か習わせようとかするのは無駄かなと思います。
ただ、英語は英語で、やっぱり英語っていうのは言語であって、言葉として人とコミュニケーションを取るっていうものとして、
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言語を学ぶって、文化を学ぶことにもなるし、コミュニケーションの手段として喋れるようになるっていうこともあるし、
別にスマホで英語の会話はできますよ、きっと。
だけどそれを肉性で目の前の人とパッと喋れるっていうのは、意味が通じるっていうだけじゃない意味があったりするとかっていうのがあると思うんで、
そういうところとかはやっぱりやっておいてよかったと思うところもあるよねっていう感じで学ぶっていうのが意味があるかなと思います。
プログラムも、プログラムそのものは結局コンピューターを作るんですけど、
プログラミング学習って論理的な考え方、物の考え方をするっていう訓練なんですよね。
物事を分解して考えられるようになって、順序と繰り返しと条件分岐。
プログラムってこの論理的思考っていうその3個なんですけど、物事を分解して考えられるようになる。
そうするとここの部分はこういうのがあるよね、このところはちょっと足りてないよねとか、でもこうすればこれ強くできるよねとかっていうような、
それはプログラムを作ることじゃなくて生活の中で自分の考え方で応用できることとしては使えるようになると思うんで、
そういう意味で考え方というかを学ぶっていう意味にはいいかなと思う。
スキルとして今学ぼうってしてるって、スキルはどんどん人物化していくので、
今学ぶの意味はあるけども、それで終わりじゃなくて、その後何が必要で何がなくなるのかっていうのを自分で見なきゃいけないから、
今やってることはいいけども、やっぱりそれをある程度使えるようになったりとかなった時にどんなふうに生きたいか、
生かすっていうよりはそれがあってなんかいい豊かさ、人生が膨らむ感じっていうふうに使いたいっていうところがあるみたいな感じのところを
何かやりたいっていう子供がいる時にはそういうところを持ってほしいなっていうふうに思ったりしますね。
特に勉強系だったりするとね。そんな気がします。
大人になっても今から勉強っていうのがあって、大人にとってはどっちかというと新しく知りたいということも勉強あるだろうし、
自分この辺やってこなかったとかできてなかったなっていうところをもう一回ちゃんとやってみたいみたいなので学ぶとか習うとかっていうこともあるかもしれないんですけど、
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それはやっぱりもちろんスキルを身につけるっていうのも一つだと思うんですけど、
物の見え方が広がるとか、人生、自分の生きる中でちょっと豊かな広がりを持ちたいっていうようなのがあると学ぶことっていうことの意味があるよなっていうふうに思ったりするんで、
そんな感じで楽しくなるような、楽しくなる?やっぱり豊かになるっていう気持ちがいると心が豊かになるっていうのがつまらないセリフだなってなっちゃうんですけど、
やっぱり世界が広がるかな、私最後によく言ってるけど、世界が広がるものをやっていきたい、新しくやっていきたいっていうのはいいかなって思いますね。
なので子供にあれをやってこれをどんどん身につけてっていうふうに詰め込むような感じにするともったいないと思うんで、
そこを通じて楽しい、楽しい通じて世界が広がったみたいな感じになるのがいいのかなと思いますね。
それは習い事でも何でも、習い事じゃなくても何なら遊びでも経験が全部そうなるかなと思うんで、そんなのだったら意味があるかなと思うけどね。
そんなことをちょっと今塾のお迎えで、塾が終わるのを待っている間に話してみました。
塾も習い事ですが、勉強知識を詰め込んでいますが、それはそれで面白い部分もあると思うので、
塾の待ち時間が結構あるので、いろいろ考えて収録していきたいなと思っています。
というわけで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。