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2025-09-13 10:20

できなくていい、の「て」はいらない

配信中に話していた
教員支援ネットワークT-KNITの配信です
https://stand.fm/episodes/68c49c68e17afb19723903a1
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00:07
はい、おはようございます。たからんです。
今日は9月13日の土曜日ですけれども、
朝は今8時半ぐらいかな、8時半ちょっと前ぐらいなんですけども、
今日はまた朝から娘のですね、部活の練習があって、
運動場に連れて行くというので、今送ってきてるところですね。
30分ぐらいかかって帰ってきた1時間で、またお迎えにも行くというのでね。
それだけで1日の2時間が溶けていくという、そんな感じですけれども。
今日はね、朝の、今8時になりましたけど、朝の毎朝6時45分から、
私が参加している教育関係のコミュニティで、
教員支援ネットワークティニットっていうNPO法人があるんですけども、
そこでね、スタッフの朝毎日代表のソルティさんという方がね、
配信、ラジオしてくれてます。
そこのちょっとの中で出てきた話題で、
できないことをできなくていいんだよっていう話に、
そんな形の話が出てきたんで、
ちょっと紹介して思ったことを話そうかなと思ってますけども。
結構、今までのというか、昔の教育というかは、
いろいろ自分でできるようになろうなっていうふうに話が、
パターンが多いかなというふうに思うんですよね。
苦手な教科があって、得意な教科もあって、
苦手をどんどん克服していこうじゃないけども、
得意は伸ばしてっていうところがあって、
自分で何でもできるようになる方がよく見られる。
だからね、いろんな教科とかものがありますけども、
いろいろいっぱいできた方がすごいいい人に見られがちだったり、
評価が高くなる。
全ての点数が高いみたいな話になって評価が高く見られるんですけども。
大人になってもですね、いろんな肩書き、何ができるとかですね、
資格を取ったりとか、何とか持ってますみたいな、
何とかできますっていうのを目指して、
自分が何ができます、何ができますっていうのを積み上げていく、
っていうようなことを目指しがちなんだけど、
今の最近の世の中というのかな、
最近はできないことを出していく。
できないことを恥ずかしく思う必要はないっていうことがあるよねっていう話が出てました。
あえてというかね、できなくていい、できないことがあって、
それでいいんだよっていう話だったんです。
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そういう話題だったんですけど、ちょっとうまく言えないな。
そういう話だったんですよね。
それはよくわかるなっていうふうに私も聞きながら思ったんですけども、
ちょっと私が引っかかっていることがあって、
できなくていい。
できなくてもいいっていうか、できないことができなくてもいい。
このてってとこがね、いつもね、引っかかるんですよ。
できなくてもいいよねっていうか、
で、それってなんか、できないってちょっとマイナスな感じだけど、
それでもいいよねっていうニュアンスがありましたよね。
できなくていい。
ちょっと似たようなやつよく言われる、みんな違ってみんないいってやつがあるんですけど、
私もこれちょっとあまり好きじゃない言葉で、みんな違ってみんないいっていうところ。
違うのが、まず違うのがネガティブに捉えられている。
できないのがネガティブに捉えられているということがまず前提であると思っていて、
前提の言葉だと思っていて。
でもネガティブだけど、それでもいいよね。
でもっていうところが入っているのがその手に入っていると思うんですよね。
私これちょっとね、ちょっとこの言葉は過渡期というか、まだまだだなっていうふうにちょっと思っていて、
できたくていいわけでも、違っていいわけでもなくて、
できないものはできないであって、違うものは違うであって、
ただのそれは事実なだけなんですよっていうところ。
そこに良いも悪いもないと思っているっていうのかな。
そういう捉え方のほうがいいと思うんだよね。
変に使われることがあるんですよ。
できなくたっていいじゃん、別にみんな違ったっていいじゃんっていうような、
言葉が独りやる気して、
なんていうんだろうな。
できなくていいんですよ。違っていいんですよ。
だけど、それをね、言葉が合っているかわからないけど、
逆手にとってというか、そんなつもりがないんだとしても、
それが言い訳、ちょっとうまく言葉にできないな。
わかります?わかんないと思うんですけど。
そういう感じがするんですね。
私の中では、できないことはできないっていうことを
自分の中でちゃんと把握することがただ大事なことであって、
自分はこういうことができるんだな、こういうことができないな、苦手だな、
それをできるようになりたいと思うのも自由だし、
ここはもうできない、私はやらないほうがいいとか、
ここは誰かできる人を仲間を見つけて頼むっていうことを
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誰かと組んだほうがいいとか、
そういう次に何かが達成したいことがあって、
そこで必要なことが自分ができないがあって、
その状態からどう進もうかっていうことを考えられるようになること自体が大事なんであって、
できないからできるようにならなきゃ一択じゃないよね。
できなくたって別にいいじゃん。一択じゃないよねっていうのかな。
そこはただの事実でまず捉えて、そこから先だよねっていう感じがするんですよ。
人と違っていいよね、違ったっていいじゃんっていうんじゃなくて、
違うんだなっていうことを事実として捉えていて、
じゃあ相手はどういうことが分かっているんだろう、
自分はどういうことが分かってないんだろうとか、
違いがあるんだとすればどこに違いがあるんだろう、そこがあるんだろうとか、
じゃあこの二人でどうやって進めていこうか、
それぞれ違うことをやったほうがいいだろうかとか、
その次に繋がるためのベースの考え方として、
ただ違いとかただできるできないっていうのを事実として把握することだけだと思うんですね。
そこに優劣とかポジティブ・ネガティブっていうのをいちいち乗っけちゃうと、
そこで思考が、変な結論が出ちゃうっていう感じになっちゃうから、
それだと新しい中の次に一歩進めないよねって感じがするんで、
そこの先入観みたいなところを取っ払えばいいんじゃない、
今のところ結構そういう、できなくちゃねっていうようなイメージが強く、
強い教育をされてきがちだから、
その先入観、まずは取っ払おうねっていうところで、
まずは取っ払おうねの今フェーズなので、
何々しなくていいよねっていう言葉が出ていると思います。
手って言葉が世の中から別にもうなくなれば、
もっと自然にそれぞれが互いの違いとか互いの出来ができないっていうのを感じあって、
そっからどうするっていう意識で人と人とが協力し合うというか、
何かを考える、もっとその先考えるっていうふうに動くんじゃないかなっていう感じがしてますね。
今は手があるうちは個人プレイになるようなイメージがあります。
それぞれそれぞれそれぞれそれぞれっていう感じで、
他の人は他の人みたいな感じになっちゃうと思うんで、
そこはそれでもいいというような話ではなくて、
何かもうちょっと自然に受け止めて、
あ、それできるんだ、あ、俺できないんだよね、
ちょっとやってもらえないとか、教えてもらえないとか、
何かそんなふうにやっていくっていうものの進め方、
チームワークの作り方っていうのが進めばいいなと思って聞いていました。
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はい、何かどうですか、何かわかるかな。
私はそういうふうに思って、何かこう人との違いっていうのを楽しむ、
うまく自分の中でも消化して、
相手とのうまい、一言で言えばパートナーシップって話になっちゃうんですけど、
が作れるといいなっていうことを色々模索しながら、
めっちゃ難しいですね、全然。
意見が違ったら全然合わないんだもん、合わない、めんどくさい、
えーもう何で合わないの、分かんないの、みたいなところから結局はなるんで、
そこがめっちゃ大変なんですけど、
そういうのをやっていきたいなっていうような感じで思ってますね。
はい、ということで、もうすぐお家に着きますので、
今日はその準備をして、また子供たちを迎えて、
でもね、その後久々に家族旅行に行く予定なんですよ、この土日は。
はい、なのでそれはそれでまた話ができたらなと思っています。
はい、ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
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