00:02
はい、おはようございます。たからんです。
朝の選択物欲しいライブ始めたんですけれども、
今日何話そうかなーってすごい思ってて、タイトルもちょっと悩んで無理だったんですけど、
親子という他人っていう結局、結論どうに結びつけるかわからなかったんで、
ちょっとここだけ区切り出して、話し出してみようかと思いました。
ちょっとね、このタイトルだけだと結構いろんな方向に行っちゃうんですけど、
ちょっと今日まとまらない話しちゃうんですけど、
いろんな話とか自分の経験とか考えてた中で、
親子って不思議な関係だよねっていうのは、やっぱりちょっとよく思いますね。
やっぱり自分の家族、自分の親との関係とか、妻が妻と親との関係とか、
自分が自分の子供たちとの関係とかっていうのを、ちょっと思い浮かべるっていうのかな、考えてみて。
やっぱり親子って、もちろんこうね、生まれて血がつながって、血などがつながってなくても、
生活は多分一緒にしてることが多いと思っていて、
そういう中で一緒に暮らすからなのかな。
すごく結びつきとしては強いというか、切っても切れないみたいなところがあるんだけど、
でもやっぱ最終的他人だよねっていうところ。
他人だよねっていうのは、別に突き放してるわけではなくて、
人と人っていうのは、自分か他人かしかないから、
そういう自と他の関係性なんだけど、
その中で親子って形って特別というか、ちょっと変わってる関係性ですよねっていうのを、
何とも考え始めちゃったんですよね。
全然着地がないようなところに入り込もうとしちゃったんですけど。
何かきっかけはいろいろな話があって、
何個か配信聞かせてもらった中で、全然それぞれ結びつきないんですけど、
子どもの反抗議が来て、全然相手にしてもらえないとかね、
何も聞かれなくなっちゃってるとかっていう話とか、
子どもがすごく心配で、いつもなるべく近くにいてっていうふうにしたりとか、
何も起こらないように一生懸命サポートというか先回りというかしてるんだけど、
いざ子どもをほったらかすというか、出かけるっていうんですかね、
03:03
子どもを置いて、自分がいなくなってっていうのを、子どもが泣かれてもそういうのをしてみたら、
わりと戻ると大丈夫だったっていうような感じで、ちょっとたくましくなってくれるとかっていう話があったりとか、
そういう話を何名かのこととか聞いたりとかしてて、
特に親の立場から自分の子どもに対しては、
やっぱり心配というか、心配だったりとか、自分が献金したことをもとに、
子どもにいろいろ、片手にも幸せになってほしいという気持ちで、苦労しないようにとか、いろいろ考えるわけですけども、
親と子ってそうやって一生懸命やるけど、最終的にはやっぱり他人だから、
それぞれそれぞれ、結局それぞれはそれぞれで、やりたいようにやるしかないよねっていうか、
子育てという意味でいうと、自分なりに私が親として、親なりに考えてやってるんだから、
いろいろ何が正解、何が正解じゃない、はないって話ありますけど、
そのとおりというか、ただやってそれが運命じゃん、人生じゃんっていう感じでしかならないかな、
じゃなくて、それがいいんじゃないかなっていうふうに思うというところがあるんですよね。
変に、親だから子だからっていうことを、変な方向に突き詰めすぎちゃうと、なんか大変になっちゃう。
親に対して何も言えなかったりとか、うまく話せなかったりっていうのって、
微妙に変に近い他人だからっていうのがあるような気がする。
赤の他人だったら逆に話せるみたいなことってあるじゃないですか。
スタイフでこうやって喋ってることとかも結構そうだと思うんですけど、
他人だったら話せるけど、近すぎて話せないみたいなのは多分あると思ってて。
あとは、何でしょうね、他人だったらなるようになるっていうふうにやっぱり生きれるけど、
子供とか親とかだったら、変に意識しちゃって考えちゃうっていうことがあるのかなと思うんですよね。
それが悪いとも思わないけども、それで悩むことも結構ありますけど、
悩めるのも全然他人だったらここまでって切っちゃって、
それ以上関わらないよね。
割り切っちゃえばいいところっていうのが、割り切りきれないところがあるっていうのも
06:02
親子の変なというか、面白い関係かなと思うんですけど。
ごめんなさい、何が言いたいのかな。
親子であることの結びつきが強いことの喜びと葛藤とみたいなのがあって、
その中でふとちょっと自分を客観視して、
親と子っていう他人をやってるなっていうのをたまに俯瞰してみると、
なんかちょっと落ち着くっていうか、
こういうことやってるんだな自分みたいな感じで自分を見つめることがたまにありますね。
それやると、自分とか妻とか、妻が子供としてしてることとか、
ついつい髪が見えちゃったりとかっていうことがあっても、
それはその親子関係の中でいろいろ考えてそれぞれやってるんだよなって。
子供の反応とかも見ても、子供もなんか感じてるんだろうなっていうのは感じて、
自分対子供とか1対1の感じにすると、ちょっと感情的なところが表に出てきちゃうんですけど、
それはそれでいいと思うんですけど、なんか1回俯瞰してみて、
なんか親と子こんな感じでやってるなみたいなのをちょっと見ると、
なんか割と、あそこのうちの親と子はこんな感じでやってるなじゃないけど、
そんな感じなんだなっていうふうに何となく自分の中で、
そうだねで結論付けられる時が、結論は付けられるんだけど、
落ち着ける?落ち着けるのかな?
ちょっと感情的にワーってなってる状態が、自分の中で1回スンってなるって感じですね。
解決してるわけじゃない。別に落ち着いているわけじゃないんだけど、スンっていう感じになることがあって、
親子っていう他人っていうのを考えると、なんか面白いというのかな。
面白い。別に嬉しくない。別に嬉しいことばかりじゃないんですけど、
面白いというか、俯瞰的にスンっていう感じに見れることがあるなと思って、
たまにはそういうふうに見るのもいいかなっていうのと、
まあ大事かな、そういうふうに1回俯瞰してみて、
今自分こんな感じなんだなっていうのを感じながら進むのも大事かなっていうふうにちょっと思いました。
難しいですよね。
昨日絵本の話とかしたんですけど、絵本もね、絵本の話で、
ちっちゃい頃ね、子供とすごく関わってきて、大人になってもそれを話せるっていうのもいいなっていう話をしたんですけど、
09:08
そういうのも、子供の年齢とかとか、今も年が大きくなってきてからの関係とかって、
そういうのを見えてるからね、近すぎて見えてるから、なんか思うところっていうのもあったりすると思うんですよね。
そういうのが頭の中で巡るっていうのはちょっと、その経験があるからなんで、
面白い経験をしてるんだなっていうふうにちょっと思ったりしますね。
たまに一歩引いてみると。
あの子育ては面白いと思ってますが、いろいろあるなと思いました。
今日の洗濯物は全然まとまらなかったな。
ちょっとそんなことをふと思いついちゃったんで、ちょっとタイトルにしてみました。
今日も最後まで聞いていただいた方ありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。
それではまた会いましょう。