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2025-12-26 17:52

【祖父の他界に想う】自分のルーツ


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サマリー

祖父の他界をきっかけに、家族との再会を通して、自分のルーツや子育てに対する考え方を深く考察します。祖父との思い出や幼少期の体験が、今の自分にどのような影響を与えているかを振り返ります。祖父の他界を通じて、さまざまな経験が自分を形作っていることに気づくエピソードです。祖父から受け継いだ価値観や経験が、子供たちにも影響を与えたいという思いが語られます。

祖父の他界による影響
はい、どうもこんにちは、たからんです。
ここしばらく全然SNSも発信もできてなかったんですけれども、
というのもその一つの理由にですね、先週、私の祖父が他界しまして、
私の母方の祖父なんですけれども、自分にとってはもう最後のおじいちゃんといいますか、
父方の方も両祖父母、亡くなっておりまして、母方の祖母も結構前に他界されているので、
おじいちゃん、おばちゃん、亡くなっちゃったなというところなんですよね。
この祖父とも、祖父は98歳の誕生日、自分の誕生日になられたその日に亡くなられたんですけれども、
晩年はこの10年間くらいですね、あんまりほとんど会ってなかったと思います。
88歳のベージュのお祝いの時に、親族で集まってという時に会って、
だいぶ年取ったというか、感じたなという時だったんですけれども、
それもあって、そこから日常とかもあったりもしたので、施設で暮らしているという状態だったので、
おじいが一番子供として見ていたという感じでして、私の方とはあまり接触がなかったんですが、
思い起こしてみて、それからいろんな親族と久々に会ってみたりして、そこで話を聞いてみたいな話の中で、
すごく自分のルーツとか、自分の子育てというか子どもに対する考え方とか、
あとは別の親族に会った、いとこたちに会ったことによる今の子育ての状況とかみたいな話が、
いろんなところで見えた話がありまして、いくつか紹介させていただこうかなと思っています。
幼少期の思い出
一つ目がですね、この細い一つ、その1個目にしようかなと思ったんですけど、
子育てに関しては、子育てに関しては、子育てに関しては、子育てに関しては、
私のルーツですね。私のルーツでもあり、子どもの頃の幼少期の経験って結構その人が形作るんじゃないかなというふうに思ったという話です。
祖父はですね、先ほど晩年はあまり会わなかったとは言ったんですけれども、
子どものときですね、もう本当に幼少期一番ちっちゃいときから、
正月には母方の祖父の家に行くというのを毎年やっていたし、正月だけじゃなくて、たまにですね、行ったりはしたんですね。
県内ではあったので、ちょっと遠いんですけど、県内ではあったので、たまに行くということはあってありました。
1個すごい言ったって言うと、
子どもの頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃の頃
ありました。
1個すごい言ったっていう思い出ではですね、私は小学校3年生のときに自分一人で電車乗り継いで
おじいちゃん家の家に行くっていうので、電車乗り継いで歩いてっていうのをやりましたね。
そのとき、その頃ってもう携帯電話とかもない時代ですから、結構電車乗るっていうこと自体も初めてだったし、
その陶芸で一人で行くっていう小学校3年生も一人で初めてだったんですけども、
当時読んでいた本がありまして、有事の大冒険っていう本があったんですよ。
主人公が小3、小4の中で、夏休みに田舎のおじいちゃん家に一人で行くっていうお話でね、
それに触発れてというか、それやったらいいじゃんみたいな感じの親とも話になって一人で行きましたね。
その後携帯電話はなかったんですけども、アマチュア無線っていうのがあるんですよ。
トランシーバーみたいなやつで無線機っていうのがありまして、このおじいちゃんが無線をやってたりしたんですね。
昔というか、やってて。
それを知って父が無線をやり始めて、あれやこれやっていう感じでですね、
我が家全員無線の免許取ってやったっていう感じになってましたね。
私小学校2年の時に無線の免許取ったんですけども、
意外と選択問題みたいな感じで、要は暗記しちゃえば取れたような感じではあったんですけどね。
一生懸命いろんな問題解いてやりましたけども、結構取れちゃいましたね。
無線機持ってたんで、その無線機を今の携帯電話代わりにして、
電車着きましたっていう通信をおじいちゃんとしながら、
おじいちゃん家に向かったというイメージが、思い出があります。
その無線の話もそうなんですけども、理科の学校の先生で、理科の先生だったんですよね。
その後いろんな教育委員会とかいろんなところで、よくよく聞いてみると結構すごいいろんなことに関わっていて、
教育界の中でも割と偉い立場にあったらしいということが、今回言ってもわかったんですけども。
親からも少し聞いてたような気もするんですけど、あまりピンと聞いてなかったんですけどね。
そういう活躍もされていた人っぽいんですけど、そんなことよりも興味津々というか、
いろんな新しいことに挑戦したりとかやってみるような人だったと思います。
おじいちゃん家に行くと、まずパソコンがあったんですよ。
当初のパソコン、もう40年前ですね。私今45歳。
おじいちゃん家に行って物心ついた時にはそのパソコンがあって、
そこのパソコンで5インチのフロッピーディスクってわかりますかね。
すごいでっかい折り紙ぐらいの大きさの平べったいディスクなんですよ。
フロッピー、もうちょっと小さい厚みのあるやつだったら知ってる人もいるかと思うんですけど、
もっと古い時代ですね。平べったい穴のレコードみたいに真ん中に穴が開いてるやつで、
平べったいのガチャって入れてガチャガチャって読み込むんですけど。
そこにちょっとしたゲームみたいのがあって、パズルゲームですね。
ペンギンくんが岩を押すと岩が転がって、岩と岩をくっつけて浮き袋になってとかっていって、
水の中から脱出するみたいな。そんなやつをおじいちゃんと行くたびにやってましたね。
そんなことでそういうパズルっぽいのが好きになっちゃったんですけど。
パソコン慣れもしてて。
そのパソコンが使ってたのと、さっき言ってた無線機、無線をやることで、
父親がそれで無線をやるようになったら、その無線のコールディスクが
無線のコールサインっていう自分のコールがあるんですけど、
相手のコールを聞いて遠くの人と繋がったら、やり取りをしてこの人と繋がったっていう記録を取ったり、
カードを交換したりとかするんですね。
その記録を取るのに父親がパソコンを使って名前とかコールサインを記録するっていうのをやっていて、
それでうちにもパソコンっていうものがあるようになって、
その記録とかを手伝ってたらタイピングが速くなってみたいな、
そんな感じでパソコン得意みたいな性格になりましたよね。
今はもう結構IT系というかパソコン系で仕事もしてるんで、
その5歳だか4歳だかの時におじいちゃん家でパソコンがあったっていうのが、
ほぼほぼ自分の仕事とかこの辺の今のやってることを決定づけてるなっていう感じがします。
祖父からの影響と成長
それだけじゃなくておじいちゃんは音楽がすごい得意だったんですよ。
家にエレクトーンがあって、エレクトーンもあったし、
あとアコーディオンを弾いたりとか、あとハーモニカですね。
ハーモニカが得意でよく吹いてくれたりとかしましたね。
私そのおじいちゃんからハーモニカをもらったんですね。
もらったというか私がセガになったんですけど、
ハーモニカがおじいちゃん家にあって、これがおじいちゃんが上手に吹いて、
すごいかっこいいなと思って。
いくつか種類があってね、
当時そんなに考えてなかったんだけど、
結構良さげなハーモニカをこれが欲しいって言ったんですよ。
ちょっとおじいちゃんが一瞬うってなった感じを受けたんですけど、
それでも孫にいいよって言ってくれて、
孫にいいよって言ってくれていただいたハーモニカが今も手元にありまして、
そういうのもちょっときっかけになって、
今財布で歌配信とかするときにたまにハーモニカ吹くんですけど、
そういうハーモニカが吹けるようになって、
別に上手く吹けるわけじゃないけど、
でもそこに接して音を出すぐらいにはできているっていうのも、
やっぱりその祖父からもらった、
祖父からもらった、ハーモニカもらったってこともそうだけど、
その機会、そういう音楽に触れる機会っていうのをもらったっていうのが結構大きいですね。
今歌が好きとか演奏するのが好きっていうのも、
祖父の影響も大きいだろうなと思います。
あとは細かいこともいっぱいあるんですけど、
ハンダゴテで電気工作するのを教えてもらったりとか、
教えてもらったんだけど間違ってハンダゴテのコテのところを私握っちゃって、
超火傷しちゃって、手の皮が白くなっちゃったりとかして泣きながら帰ったりとかですね。
そういう思いがあったりとか。
でもそういういろんなことを挑戦というか体験させてもらって、
で、ハンダゴテそこ握ったら熱いんだってことをやっぱりその時に、
何だろうな、分かってこういうものを扱うときは危険なんだっていうことを学びましたよね。
でもそれで別にキレイになったわけじゃないですよ。
その後もハンダでちょっと工作したりとかっていうこともしたこともあったし。
そういう何だろうな、
なんか私はいろんなことに興味があって、いろんなことをやります。
手を出します。で、多才だねって言われることもあるんですけども、
極めたりはしてないんですね。
パソコンも仕事にはしてるけど、なんかすごい極めてバレバレのプログラミングができるってわけでもない。
もっとできる人はいっぱいいるし。
その音楽なんかもね、もう演奏を極めたわけではない。
吹けるけど、弾けるけどっていう感じではあるし。
それを専門の職業にするほどではないっていうようなことは結構いろいろあるんですよね。
無専門別にそこまでやったわけじゃない。
判断も工作がそこまで続けてるわけじゃない。
星も好きなんですよね。星もおじいちゃんが大好きで、月とか望遠鏡で見せてもらったりしてて。
星座とかすごく好きでっていうのがあるんですけども。
まあかといって仕事にしてるわけでも、毎回星見てるわけでもないですけどね。
祖父からの影響
流星群とか好きで見に行ったりすることもあるけども。
っていう感じなんだけど、そのいろんなことがあって、いろんなことをやってるんですけど、
その感じとか新しいものにやってみるっていう感覚っていうのは、
祖父と父も結構そういう傾向があるんですけども。
そこら辺のことを見てきて、なんかいろいろやってみると面白いな。
いろいろなことが知らない、できないよりはちょっとできる。
知ってる、できる。
でもいっぱいいろんなこと手出してるから、すごい極めてるわけじゃない。
おじいちゃんは結構極めてたと思うんですよ。
祖父は結構極めてるものもあって、いっぱいいっぱいあったと思うんですけど。
なんかすごいんですけど。
でもなんかそういう楽しみ方というのかな、そういうのが好きだっていう感覚っていうのが
自分の中にできたのも、結構その祖父の影響大きかったかなというふうに思いますね。
子どもの頃にいろんな経験をしたっていうのが私の中ではやっぱり大きくて、
そのイメージがあるんで、なんかなんだろうな。
なんかやっぱりそういう花握っちゃうとかいう失敗とかも含めて、
それで知っていくとかそれでわかるとか、
そういうのがやっぱり大きくて、
やっぱりその子供の頃にいろんな経験をしたっていうのが、
なんかやっぱりそういう花握っちゃうとかいう失敗とかも含めて、
それで知っていくとかそれでわかるとか、
そういう感覚っていうのがなんとなくあるんですね、自分の中に。
いろいろやってみればわかっていくみたいな。
で、まあ気に入るものも気に入らないものもあるんですけども、
その性格なんだな自分はっていうふうに思いました。
そういう経験の中で思ったのかなと。
だからそういうことをあまりやってなかったら、
やっぱりそんなにいろんなことに興味持ってなかったかもしれないし、
なんか一つのことに集中するような性格になってたのかもしれないし、
まあわかんないですけどね。
でもやっぱり思い起こすたびに、
その子供のところでいろんなことを経験したっていうのは、
いろいろ思い出すんですよね。いろいろ思い出す。
だからやっぱりなんか、
その小さい頃のあれやったなこれやったなっていうところって、
結構その人を作るってことになるんかなっていうふうにちょっと思いました。
私はやっぱり自分の子供たちにもそういうことで、
何ができるようになるっていうことよりも、
なんかいろんなことやってみたりとか、
知らない経験とか見たりとかっていうのを、
いろいろ知ってほしいなっていうのはやっぱり自分の中にはあったんですけども、
多分私が祖父に与えてもらったほどのことは、
私は子供たちに提供することっていうのかな、
そういうことがあんまりできなかったなと思っています。
できなかったのはここまでの中でですね。
コロナとかでいろいろね、行ったり見たりやったりっていう、
一番盛んにできそうなときにできなかったというのは、
ある意味はあるんですけども、
もっと考えれば、別に積極的にやろうと思えばできたこともあるだろうし、
夫婦で二人で働いているという中で、
なかなかやっぱり家族の時間というかね、
子供との時間というのがやっぱりすごく限られているから、
自分が子供の頃にイメージしていたことよりは全然少なかったなとは思っているんですけど、
それでも少なかったなら少なかったというか、
それでも少なかったなら少なかったという経験っていうのが彼らにはあって、
私が体験していないものっていうのを体験して、
今、全然私とは違う形でいろいろ夢中になっていることとかね、あったりもするので、
だからそれはそれでいいんだろうなと思っていますね。
でもやっぱりなんか、小さい頃とか子供、今は中高生になっていますけども、
小中高もそうだけどやってきたことっていうのが、
なんかその人っぽさを作るようなという感じはしています。
何やったとしてもそれでその人だという感じなので、
何でもいいとは思っているんですけども、
自分のルーツ、その祖父だけじゃなくていろんな父も、
もう一人の祖父母もみんなあると思うんですけど、
なんかそういうところで自分できているなあ感が、
何か思い起こしたらそうだなというふうに考えた時間ができたのが良かったなと思いました。
子供たちへの希望
祖父が高いしたことで、何かそういう思い出す機会になったなというふうに思いました。
だからね、みんないろんな人の幼少期とか子供の時とか、
どういうことをやってきたのっていうのをね、
私は結構そういうことに興味があるんですよね。
あんまりそんなに聞いたことないことが多いんですけども、
こういうところでこういうふうに育ったとか、今みたいな話とか、
こういうことを覚えているんだよねっていうのを聞くと、
たぶんその人がその人である感じっていうのが、
何かわかる気がする、わかるんじゃないかなという気がしています。
そういうところをね、だから知っていきたいなというのが自分の中ではありますね。
私が何々資格を持っていると何々ができますとかっていう話があって、
全然興味がなくて、それは後からできた話だよね。
でも根源、そこに行く気持ちになっているとか、
それを主張したい気持ちだとか、それが得意になっていることとか、
どこから来たのとか、あとはその他にいろいろあるでしょ、
あとは何があるのっていうところに人に対しての興味があるんで、
そういうのが見えてくると、見えてくる人がすごく興味というかね、
私は好きなんですよねっていう感覚があります。
そんな感じで、自分の思い出の話だったんですけども、
祖父のことを考えたら、いろいろ出てきたなというふうに思いました。
他にもね、いろいろ気づいたことがあったので、
いくつか取っていきたいかなと思っております。
今日は最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らないあたりについて、
あなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
ダカランでした。それではまた会いましょう。
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